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 今回の東北の被災者に、広域暴力団が救援活動を行っており、それが米国のメディアや、スイスの日刊紙に報じられていると、ある週刊誌が載せていました。
 阪神・淡路大震災のときも山口組の救援活動が話題になりましたが、こうした暴力団の活動を私は理解できます。

 なぜならば心が持つ二面性の現れ、といった受け止め方をしているからです。

 心が百パーセント善(全体)ならばそれは神、仏。
 百パーセント悪(個)ならばそれは神に対しての悪魔。仏教的には煩悩の塊。
 人間はその中間に位置し、図、あるいはグラフのようなものを想定し、向かって右を善、左を悪とした場合、個々の心の中心は個人差によって、図の中心より右寄りの人がいれば左寄りの人もいる。
 そのことは生まれるときに選択できないので致し方ないこと。あまんじて受け入れるしかありませんが。

 それはともかく、

 こうした暴力団の善行を、受け入れる側としては、複雑な気分になるのではないでしょうか。
 救援活動を理解できても、受け手としてはためらう気持ちが起きてくるように思います。なぜって、日頃彼らの活動を否定しているわけだから。

 でも彼らに対しては、こうした事をきっかけに、少しでも自身の好ましい心に気づき、そしてその心を育てようと努力してほしいと思います。

 ☆ こうした思いは、よく云う処の“希望的観測”でしかないのでしょうか。

 私は社会派ではないので、いただいた回答へのご返事に自信はありません。拝聴するにとどまるかもしれませんが、それでも良ければご意見など伺わせてください。

 よろしくお願いいたします。

A 回答 (14件中11~14件)

阪神大震災の時には高級公務員も税金で風俗行ってたりしましたし。


わかりやすい方が堂々と善行するなんて方が倒錯した印象も起きません。
目的と手段が逆転して堅気さんに迷惑をかけてるように映る世の姿。
「弱気を助け強気をくじく」元の任侠道の精神の目的を果たしているのではないですか?

任侠
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E4%BE%A0

この回答への補足

 暴力団、にも任侠の心が有る。

 たぶん、彼らはその心を働かす事が出来ることに、喜びや充実感を感じているのではないかと想像します。

補足日時:2011/04/01 23:59
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この回答へのお礼

 “任侠道”を研究して見たくなりました。

 もしかすると“自己チュウ”的世界か、なんてことを視野に入れながら。

 ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/06 23:19

善とか悪だけで区分けするのはどうかと思います。


とある歓楽街を有する街で、二つの精力が激しくぶつかった事があります。
芸能人も押し伸びでやってくる、そんな街の中心を境にした南北の町を二分して抗争が起こったのです。
結果、街を訪れる客は激減。歓楽街そのものが潰れるかもしれないという危機に至りました。
二つの勢力は、客が来なければ自分達の生活もままならないと悟り、抗争をやめました。
その筋に詳しい人に聞くと、最近では武闘派と呼ばれる者達や問題を起こすような者達は波紋にさえなるそうです。

彼らも一般人が居なければ生活できません。
今回のような災害があれば、自分達も生きていけないのは同じです。
そして、後に援助した事をネタに、街を支配しようとすれば、また生きていけない事も判っています。
もはや彼らは企業と化しています。それによる援助は、必ずしも不当とはいえないでしょう。

一方で倉庫一杯の援助物資を抱えながら「指示がない」というだけで援助物資を動かそうともしない役人どもが居ます。
彼らはボランティアたちが、自分達で配分すると言っても「それは困る」の一点張り。ではいつ指示が来るのかと聞けば「判らない」「今配分を検討している」。
少し前も港に着いた物資をどっちの象徴が運ぶのかというだけで、荷物を港に一日置きっぱなしというニュースがあったばっかり。

果たして、どちらがマトモな完成を持っているんでしょうね。
私なら、援助の手を差し伸べるヤクザのほうに、すなおに「ありがとう」というと思います。
だからと言って、応援するのとは違いますが・・・。

大事なのは相手が誰かではなく、「今、何が最優先と考え、何をしているか」だと思います。
それが適切であれば、それこそが“最善”ではないでしょうか。

この回答への補足

 同感。

 役人の融通性のなさに不満。

 でも、これは日本人の特性かも。

補足日時:2011/04/01 23:54
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この回答へのお礼

 再度思う事は、役人のトップの資質、というものです。
 自らの保身に汲々として日々の勤めをしている人がトップでないことを願うばかりです。

お礼日時:2011/04/06 23:12

阪神淡路の時もOO組の外車が避難所に救援物資を運び、すばやい行動が被災者側の人に


評価されたりしました。
でもその人たちの本当の目的は何なのでしょうか。
通常その筋の事務所などは一般市民から通報されるとそこにいることはできません。
だからこういう機会に少しでも、善良な市民を味方につけるためとしたら、
けじめをつけるべきだと思います。おっしゃるような希望的観測は甘いと思います。

この回答への補足

 貸を作る、という事ですよね。

 否定できない気持ちはあります。

補足日時:2011/04/01 23:49
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この回答へのお礼

 こうした機会をきっかけに、一人でもよいから、好ましい世界に生きることの喜びが、好ましくない世界での“喜び”とは違うという事に、気づいてほしく思います。

 ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/06 23:00

>こうした思いは、よく云う処の“希望的観測”でしかないのでしょうか。



それはそれ(非常時の善行)。これはこれ(普段の不法行為)ですね。

完全に分けて考えていると思います。

これをきっかけにまっとうな道に。。。。行く人もいないわけでもないでしょうけど。

この回答への補足

 非常時の善行…普段の不幸行為

 初めて接する言葉です。
 もしかすると専門分野の言葉でしょうか。

 よろしくお願いいたします。

補足日時:2011/04/01 23:44
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この回答へのお礼

 再度の回答はいただけそうもないので、解答を吟味し、思ったことは、
 
 “彼”の気持ちとしては、「俺はちっとも善人だなんて思ってないよ。でもこんな時ぐらいは人助けをしなきゃ、人間じゃあないよ。」といった人間の善悪混濁(?)の心理を表わしているのだと。

 ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/06 22:53

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