お題のとおりです。

なぜ結ばれたのか?そしてなぜ継続されているのか?英葡双方の理由を教えてください。

A 回答 (1件)

国の位置の関係



ポルトガル = カスティリア(スペイン)= アキテーヌ(ボルドーのあたり、プランタジネット朝)= フランス(ヴァロア朝)= イングランド
隣同士は、仮想敵であり、この時代
http://en.wikipedia.org/wiki/Hundred_Years%27_War_(1369%E2%80%931389)
結ばれた当時の対陣関係は

イングランド(プランタジネット朝) VS フランス+カスティリア
なので、イングランド視点で言えば、カスティリアの背後に同盟国ポルトガルが存在することは、カスティリアがピレネー山脈を越えて、アキテーヌに攻めこむことを防ぎます。

ポルトガル視点で言えば、隣国のカスティリアは永遠の仮想敵です。

その後は、ポルトガルにとっては、隣国の大国スペインは永遠の仮想敵
イングランドにとっては、欧州大陸の大国スペイン(ハプスブルグ家は1516年から)は永遠の仮想敵
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Qオビドス観光&冬のポルトガル

今度の冬にポルトガルに行こうと思います。
リスボンに4泊なので、実質3日間しか観光できません^^;

なので、1日はリスボン市内、もう1日はシントラ・カスカイス・ロカ岬、他の1日はオビドスに行こうと思っています。

リスボン市内は24時間券、シントラetc.へはリスボンからの1日フリー券を買う予定です。

問題はオビドスです^^;

あんな街並みが大好きなので、リスボンからバスで行き、まったりしたいと思います。

しか~し、ちっちゃい街なのでアンマリ長時間居る所もないのかなぁって思い始めました^^;

そこで、cityrama の Fatima Full Day Tour という「オビドス、アルコバッサ、ナザレ、バターリャ、ファティマ」のツアーの方がいいのかなって思い始めましたが、オビドスの滞在時間が1時間もないみたいなんです(T_T)

どちらがお勧めでしょうか?

もし、バスでリスボンから往復した場合には、余った時間にお勧めの観光地(リスボンから近い所)を教えて下さいm(__)m

もう1点ですが、ファドのお勧めは?
夜遅くなるので危険では?
食事無しが良い?
等々教えて下さい。

リスボン市内でお勧めのホテルがあれば教えて下さい。
出来れば4☆(or3☆)で1.5万以下が希望です(冬です)

あと1点ですが、夜遅く空港に着きますが、ホテルへのタクシー移動は安全でしょうか?

いろいろ質問ばかりですいませんm(__)m
宜しくお願いしますm(__)m

今度の冬にポルトガルに行こうと思います。
リスボンに4泊なので、実質3日間しか観光できません^^;

なので、1日はリスボン市内、もう1日はシントラ・カスカイス・ロカ岬、他の1日はオビドスに行こうと思っています。

リスボン市内は24時間券、シントラetc.へはリスボンからの1日フリー券を買う予定です。

問題はオビドスです^^;

あんな街並みが大好きなので、リスボンからバスで行き、まったりしたいと思います。

しか~し、ちっちゃい街なのでアンマリ長時間居る所もないのかなぁって思い...続きを読む

Aベストアンサー

アルコバサとバターリャは、それぞれああいう修道院がお好きなら行くのも楽しいと思いますが、好きでなければ行かなくてもいいかなという気がしますし、ファティマは好き嫌いが分かれると思います。
オビドスがお好みなら、オビドスだけゆっくりされるほうがいいかもしれないですね。列挙された他の場所とはかなりテイストが違う所です。1周するだけなら1時間でも十分まわれると思いますが、他の場所にそんなに興味がないなら、もっとオビドスにいたかったと思うと思います。
また、ツアーを利用しない場合、オビドスだけ行くなら問題ないと思うのですが、同日に他の所にも寄る場合、オビドスは意外にも交通の便があまりよくないので、バスのダイヤと接続はきちんと調べておく必要があると思います。オビドスから行くのに手頃なのは、わりかし近いナザレや、乗換えをするかもしれないカルダス・ダ・ライーニャだと思います。
もし、オビドスから直行便でリスボンに戻る場合にリスボンの近くでどこか、ということなら、ケルースの宮殿かなぁと思います。リスボンのロシオ駅から、電車で20分の駅で、そこから徒歩で20分くらいです。宮殿のみを目的に行くような場所なので、宮殿に興味がなければ行く必要はないと思います。すごく広くてとても豪華、外の庭も面白いです。
でも、リスボン自体もとっても広くて、見所が広範囲に散らばっていますので、わざわざケルースまで赴かなくても、帰ってきて、初日に行けなかった所に行く方がよい気がします。(宮殿なら、リスボンのアジュダ宮もとても素敵です。)リスボンは、地図で見ると結構回れそうな気がするのですが、地形の問題か、予想よりも時間がかかると思いますので、多分、行きたかったのに行きそびれた場所がその時点で残っていると思います。
ホテルですが、私は、フィゲイラ広場のすぐそばにある、ムンディアルホテル(四つ星)をお勧めします。理由は、立地のよさと、設備のわりにかなり値段が安いこと、です。

アルコバサとバターリャは、それぞれああいう修道院がお好きなら行くのも楽しいと思いますが、好きでなければ行かなくてもいいかなという気がしますし、ファティマは好き嫌いが分かれると思います。
オビドスがお好みなら、オビドスだけゆっくりされるほうがいいかもしれないですね。列挙された他の場所とはかなりテイストが違う所です。1周するだけなら1時間でも十分まわれると思いますが、他の場所にそんなに興味がないなら、もっとオビドスにいたかったと思うと思います。
また、ツアーを利用しない場合、オ...続きを読む

Qアメリカが日本に石油の輸出禁止などをしたのは、日本が日独伊三国同盟を結んでからですか? 結ぶ前ですか

アメリカが日本に石油の輸出禁止などをしたのは、日本が日独伊三国同盟を結んでからですか?
結ぶ前ですか?

Aベストアンサー

三国同盟締結前にも
1940年8月 石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃料)、航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出許可制(実質禁止)、航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸
1940年9月 屑鉄の全面禁輸

 三国同盟締結前からじわじわやってきたものを、締結を機に全面禁止に踏み切ったってところでしょうか。

Qポルトガルでレンタカーで回る予定ですがお勧めのポサーダやスポットなど

3月の半ばごろ、マドリッドからポルトガルにかけてレンタカーで回る予定なのですが、ポルトガルのポサーダにとまってみたいなと思っております。予定ではマドリッドからリスボンに向かいその後のことは考えておりません。スペインサイドは何度か行っているので、今回はポルトガルを中心に回りたいと考えております。

日程的には8日間のレンタカーの旅になるのですが、ポルトガルでのお勧めのポサーダはありますか?スペインの方では、予約してなくても当日行けばほとんど(といっても5,6回ですが)パラドールのほうは泊まれました。ポルトガルのほうでも直接いっても大丈夫なのでしょうか?

観光地にはなっていないけれど、お勧めの自然スポットとかありますか?

Aベストアンサー

最近ポルトガル1ヶ月回りました^^
歩き方には載ってないですが、私が気にいった場所を。

メルトラ:エヴォラやベージャよりも、南にある小さい町。
     川沿いの町の風景が綺麗。
http://images.google.co.jp/images?gbv=2&hl=ja&q=Mertola+

ポンテ・デ・リマ:これも、川沿いの町。ポルトから北に2時間程?
      アーチ状の橋が可愛くて、川の水も綺麗!!
http://images.google.co.jp/images?gbv=2&hl=ja&q=ponte+de+lima

あとは定番ですが、山の上のマルヴァオン^^
ここは歩き方にも載ってます。
http://images.google.co.jp/images?gbv=2&hl=ja&q=marvao
リスボンから内陸に4~5時間。ポルタレグレの北にある村。

私はバス移動だったので、レンタカーは羨ましいです☆

Q日本はなぜ三国同盟を結んだのか?

日本政府は、広田内閣(1936.3~37.2)で日独防共協定、近衛内閣(1937.6~39.1)でイタリアを含めた三国防共同盟をむすびます。
陸軍、はソ連だけが対象となっているわけではなくて、米英仏も対象となりうると見ています。が、政府内でも三国同盟へ反対意見が多く、海軍もほとんど反対だったようです。

この時代、アメリカの日本への敵対行為は限度を越えるものではなく、仮想敵国となるようなものではないと思っているのですが、ではなぜ近衛などは三国同盟を結ぶようになったのでしょう。陸軍が割と賛成派だったらしいのですがなぜなんでしょう。


http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6515/Syouwa-kyukenpou/36-Hiranuma.htm

Aベストアンサー

 三国同盟の条約中に、「三国はあらゆる政治的、経済的及び軍事的方法により相互に援助すべきことを約す」とあるので、独伊による援助もあったと思われますが、1940年の時点で石油の輸入額が全体の3/4をアメリカに頼るほどだったので、それに上回るような援助はできなかったということだと思います。(ドイツの対日輸出に関する統計によるべきところですが、こんな回答でもうしわけありません。参考のほんの一部ということで)
 ちなみに、蘭印からの石油輸入は全体の1/7程度。
  (『基本国力動態総覧』より)
→石油輸出の全面停止が出された時点で、「1年半で消費し尽くす」と覚悟していたようです。(『木戸幸一日記』による)

Qポルトガル

ポルトガル(リスボン、ポルト)に6日間10月の中旬から行きます。
そこでポルトガルでお薦めの観光所、レストラン、食べ物などを、またアドバイスなど教えてください。
他に、着ていく服は気温的にどのようなものがいいかもよろしければ教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

リスボン→観光名所としては、ジェロニモス修道院、ベレンの塔、発見のモニュメントは定番ですね。
私は甘いものに目がないのですが、私のオススメは、ジェロニモス修道院近くのPasteis de Belemのエッグタルトです。焼き立てが一番おいしいので、斜め向かいにある公園のべンチで食べるといいですよ。女性なら3つは食べれます。
あとは、コメルシオ広場近くのCastella do Paulo(運がよければ日本人の奥さんがいらっしゃいます)のクッキーです。1個が小さな丸い形で、一袋に10個ずつくらい入ってるんですが、これはお土産にもなります。
街中で売っている焼き栗は、粒が大きくて塩味がアクセントになっておいしいです。行くと必ず食べます。
ポルト→観光名所は、世界遺産に指定されているドウロ川沿いの景色(D.Luis橋を渡って、SANDEMANのワイン工場の前辺りがベストポイント)は、アニメ「魔女の宅急便」に似ていてとても素敵です。ドウロ川のクルーズもいいですよ。ついでに、SANDEMANのワイン工場も見学してみては?お金はかかりますが、日本語の解説ビデオもあり、試飲もできます。
あとは、サン・ベント駅の壁画(おそらく、改修も終わっていると思いますので)。あとは、クレリゴス教会の塔ですかね。

時間があればシントラやロカ岬に足を伸ばしてみるのもいいですよ。ロカ岬は、天気が良ければ何時間でも眺めていられるほどの壮大な景色ですよ。ただ、バスは非常に本数が少ないのでご注意を!何人かで行かれるのでしたらタクシーを使ってもいいですね、ポルトガルのタクシーは大変安いので。シントラの見所は王宮とペナ宮です。ケイジャーダとトラゼイロというお菓子が名物ですが、買うならぜひPiriquitaにしてください。
レストランのオススメもあるのですが、名前がうろ覚えで・・・今、ちょっと確認できるものがないので、書くのは控えさせて頂きます。

本当はもっともっとおすすめしたいことがあるのですが、長くなってしまいましたので、このくらいにしたいと思います。

リスボン→観光名所としては、ジェロニモス修道院、ベレンの塔、発見のモニュメントは定番ですね。
私は甘いものに目がないのですが、私のオススメは、ジェロニモス修道院近くのPasteis de Belemのエッグタルトです。焼き立てが一番おいしいので、斜め向かいにある公園のべンチで食べるといいですよ。女性なら3つは食べれます。
あとは、コメルシオ広場近くのCastella do Paulo(運がよければ日本人の奥さんがいらっしゃいます)のクッキーです。1個が小さな丸い形で、一袋に10個ずつくらい入ってるんですが、...続きを読む

Q日本の戦国時代、大名たちは「同盟を結ぶ」ことをなんと称したのでしょうか?

日本の戦国時代、戦国大名同士が同盟を結ぶことを当時の言葉でなんと呼称したのでしょうか?
和睦、だとニュアンスがちがいますよね。戦っていたけれど、互いに矛を収めた、そんな感じです。
和議を結ぶ、でしょうか?

ご教示願えれば幸いです。

Aベストアンサー

「盟約」でしょう。
互いに熊野誓紙に書いて約定を結ぶ。
織田信長と徳川家康の盟約が一番有名かな。
ご参考まで

Qポルトガルのコインブラに行ったことがある方

ポルトガル観光で、コインブラに行こうか、迷っています。
(他の主要観光地は回る予定です)

色々調べたところ、旅行記でもあまりこの街の印象について詳しく書かれていないか、または強調されていません。

ポルトガルのコインブラに行ったことがある方に、是非教えて頂きたいのですが、
実際どのような雰囲気でしたでしょうか?旧大学、地元の食事等、見所はいかがでしたか?
学生のファドは行って是非聴く価値がありますか?

コインブラに詳しい方、どうぞ宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

コインブラの旧大学から正面向かって右の細い道を下るとファドセンターがあり関係資料等がおかれています。コインブラのファドは男声ですが結構よいものです。ファドセンターを訪れたとき、たまたま肉声を聞かせてもらいましたがなかなかよかったです。CDも買いました。コインブラの旧大学の中庭は今工事中で、印象はいまいちでしたが、街自体は、高低差のある、落ち着いた雰囲気の街で印象は悪くなかったです。
私が行ったのは、先月末でした。

Q日米同盟破棄して中韓北韓露印同盟を組むべき?

タイトルの通り、日米同盟破棄して中韓北韓露印同盟を組むべきでしょうか?

でも在日アメリカ軍もいるので撤退してもらわなければなりません。
日米同盟も破棄しないとダメですかね?維持したまま、というのは可能かどうか・・。

気になることは、F-22の生産をオバマが辞める方針だということです。
すでに停止されているようです。
F-22は日本でも欲しかったですが、生産停止となるともらえません。
これはわざと停止したということでしょうか?
米赤字国債を日本が持っていて、代わりにF-22もらうというシナリオが
これでは崩されてしまいます。

となると、ユーロファイターになるんでしょうかね、、
でも露と同盟組むのなら、Su-32だかの方が良いのかもしれません。
しかしどちらにしても、F-15などと混ざると、整備が大変なので難しい。

Aベストアンサー

韓国と中国も、必ずしも仲がいいとは言えません。
台湾と韓国、中国の間も同様。
北東アジアはバラバラです。

東南アジアはASEANがあります。
北東アジアの枠組みがないので、ASEANが東アジアの枠組みの中核になろうとしています。
これに日中韓も呼応して、東アジアFTAやら東アジア経済共同体と言いだしても、やはり北東アジア諸国同士のFTAは一つもまとまっていません。(香港と中国本土のCEPAだけ。)

だから、アジアではヨーロッパのような同盟ができず、アメリカが個別に2国間の同盟を結んでいるのです。FTAでも、シンガポールや韓国がアメリカとFTAを結んでいるぐらいです。

安全保障となると、さらにお互いの信頼度が高くないと同盟関係には至りません。少なくとも、中国のように独裁体制のままで、軍事的な野心もある国とは同盟は組めません。中国が何を考えているのかは、元杏林大学教授で中国軍事の第一人者である平松茂雄氏の本を読めば分かります。

確かにアメリカも好戦的な国ですが、中国・北朝鮮以外のアジア諸国にとっては守護神でした。アメリカ離れをするにしても、ヨーロッパのEUやNATOように民主国同士で同盟を組むべきです。

韓国と中国も、必ずしも仲がいいとは言えません。
台湾と韓国、中国の間も同様。
北東アジアはバラバラです。

東南アジアはASEANがあります。
北東アジアの枠組みがないので、ASEANが東アジアの枠組みの中核になろうとしています。
これに日中韓も呼応して、東アジアFTAやら東アジア経済共同体と言いだしても、やはり北東アジア諸国同士のFTAは一つもまとまっていません。(香港と中国本土のCEPAだけ。)

だから、アジアではヨーロッパのような同盟ができず、アメリカが個別に2国間の同盟を結んでいる...続きを読む

Qポルトガル行ったことある方お願いします

 来年2月にポルトガルに行きたいなと考えています。日程は8日、予算は30万くらいです。ポサーダという宿泊施設にも興味があります。お勧めの地、観光スポットなど何でもいいので情報ください。

Aベストアンサー

団体旅行でポルトガルに四日滞在しただけなので、堪能したとは言えませんが、気に入った場所を。

わたしはオビドスがとても好きでした。リスボンから80キロほど北の小さな街です。王妃イザベルが気に入ったというのも頷ける、城壁に囲まれた可愛らしいところ。赤茶の屋根と白い家の壁が美しい。
ここには再訪したいと思いました。石のごつごつした城壁がそのまま残り、そこに上ると町の中と共に、外を遠くまで見渡せます。ずっと向こうにある教会のような建物に行ってみたくて、……でも団体旅行でしたので無理でした(T_T)。
美しい教会と、可愛らしい土産物屋さん、他には何もないようなところです。ひょっとしたら半日もいたら飽きてしまうのかもしれません。でもここには泊まってみたいなあ。
今ガイドブックを見たらこの町には小さなポサーダもあるようですね。部屋数が少ないらしいので、早めの予約をと書いてあります。あ、それとバスで行くのがいいそうですよ。鉄道だとかなり遠くで下りることになるそうです。

リスボンはこじんまりとした町なので、聖ジョルジェ城から市街地を眺めてから坂をゆるゆると降りて行ってバイシャ地区の散策、というのは楽なコースでした。あちこちにあるアズレージョも見どころ。
定番ですが、ベレン地区のジェロニモス修道院とベレンの塔はお薦めです。美しい建物です。
また、グルベンキャン美術館というところがあります。国立古代美術館には行ってないので、比べてどう、ということは出来ないのですが、グルベンキャン美術館はわたしの好みの美術館でした。それほど規模は大きくないけれど、良いものが見られます。収蔵品がバラエティに富んでいて、イスラム陶器、絵画、ラリックのガラス……など。全然混んでないし。

ロカ岬もとりあえず押さえておいたら、というところですね。……単に岬なんですけれども(^_^;)、でも「ここに地尽き、海始まる」(カモンエス)などとぶつぶつ呟いていると、旅情を感じます。
到達証明書は持っていて愉しいものですが、けっこうな大きさがあり紙も厚いので、折るのが嫌なら丸めるしかなく、ホテルに帰るまで持って歩くならちょっと邪魔……(^_^;)。

エヴォラも好きでした。天正少年使節団ゆかりの教会があったり、ローマ時代のディアナ神殿があったり。広場の雰囲気も良し。ここにもポサーダがあるようです。

では、良いご旅行を。

団体旅行でポルトガルに四日滞在しただけなので、堪能したとは言えませんが、気に入った場所を。

わたしはオビドスがとても好きでした。リスボンから80キロほど北の小さな街です。王妃イザベルが気に入ったというのも頷ける、城壁に囲まれた可愛らしいところ。赤茶の屋根と白い家の壁が美しい。
ここには再訪したいと思いました。石のごつごつした城壁がそのまま残り、そこに上ると町の中と共に、外を遠くまで見渡せます。ずっと向こうにある教会のような建物に行ってみたくて、……でも団体旅行でしたので無理...続きを読む

Q日独伊三国同盟+ソ連の日独ソ伊四カ国同盟は可能だったか?

日独伊三国同盟+ソ連の日独ソ伊四カ国同盟は可能だったか?
第二次世界大戦中、ソ連は独ソ不可侵条約を結び日ソ不可侵条約も結んでいました。日、独が、ソ連の外交交渉に金を使い、枢軸国側に参加させられる可能性というのはあったのでしょうか?また、ソ連が枢軸国側で参戦したら世界はどう変わっていたでしょうか?

Aベストアンサー

おそらく、可能性は低いと思います。

ナチス・ドイツは、ポーランド・フランス・イギリスを相手にするために独ソ不可侵条約を結びましたが
それは、フランス・イギリスという当面の敵に対処するためだけのものでした。そのため、独ソ不可侵
条約を結ぶ一方で、対ソ連戦を企画立案していました。ドイツは、アメリカがヨーロッパ戦線に参戦する
ことを恐れていましたが、ソ連は「潰すべき敵」でした。ですから、実際はヨーロッパを完全に支配下に
おいてからアメリカと事を構えるなら構えたかったというのが本音でしょう。
そのため、日独伊三国軍事同盟を結んだのです。これは、独ソが開戦したら、シベリア方面から日本が
ソ連に圧力もしくは攻撃をかけることの期待が込められてていました。
しかし、日本はその情報を得ていなかったため、日ソ中立条約を結びます。日本としては、資源確保の
ため、南進を企図します。その時、ソ連を放っておくと満蒙が大変なことになりますから、日本としては
南進のために必要な条約でした。
ところが、ドイツにとっては、独ソ戦が間近に迫っている中、正直迷惑な話でした。日ソ中立条約の
日本側全権大使の松岡洋右は、意気揚々とドイツの外相リッペンドロープに報告しますが、
リッペンドロープの反応は冷めたものだったそうです。
結果、ソ連は背後を心配することなく、ドイツとの戦いに専念することが可能となりました。

>ソ連が枢軸国側で参戦したら
というよりも、日本がアメリカを無視してシベリアに攻め込んでいたら、違った展開になったかも
しれません。
ただ、そうならなかった時点で、日独伊三国軍事同盟は根本的な機能不全に陥ってしまったことに
なります。
なぜなら、ドイツと日本の思惑が結果的にずれたからです。
「ドイツはソ連を叩き、アメリカとは事をなるべく構えたくない。」
「日本はアメリカを叩き、ソ連とは事をなるべく構えたくない。」
ドイツは、第一次世界大戦の記憶がありますから、なるべくアメリカがヨーロッパ戦線に参戦する口実を
与えたくありませんでした。
一方日本は、ノモンハン事件等でソ連に痛い目にあってますから、北進ではなく南進、つまりアジアの
資源、権益が欲しい。そのためには、ドイツと一緒になってアジアの英・仏・蘭勢力を一掃したい。
しかし、アジアには、英・仏・蘭勢力だけではなく、アメリカも遅ればせながら関わって来ています。
日本と敵対する中国国民党はアメリカが肩入れをし、また、東南アジアにはフィリピンもあります。
結果、日本がアジアの資源と権益を確保するためには、最終的にアメリカを叩かなければ
ならなかったのです。

ですから、ソ連を敵に回したくない日本と、ソ連を攻撃目標としていたドイツの思惑は一致しないため
共に、ソ連に働きかけて日独伊にソ連を加えるという可能性は極めて低いと考えられます。

おそらく、可能性は低いと思います。

ナチス・ドイツは、ポーランド・フランス・イギリスを相手にするために独ソ不可侵条約を結びましたが
それは、フランス・イギリスという当面の敵に対処するためだけのものでした。そのため、独ソ不可侵
条約を結ぶ一方で、対ソ連戦を企画立案していました。ドイツは、アメリカがヨーロッパ戦線に参戦する
ことを恐れていましたが、ソ連は「潰すべき敵」でした。ですから、実際はヨーロッパを完全に支配下に
おいてからアメリカと事を構えるなら構えたかったというのが本音で...続きを読む


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