「我还在家」「我还在家里」

これはどちらもOKですか?

名詞を場所化する場合、「里」をつけることがありますが、
つけなくてはいけない場合とそうでない場合がよくわかりません。

明らかに「~の中で」という場合はつけると思うのですが、
日本語であえて「~の中で」と訳さなくても中国語ではつけなくてはいけない場合がありますよね。

ちなみに小学館の中日辞典初版によると、固有名詞(“北京”、“复旦大学”、“北海公园”など)は「里」をつけなくても場所を示すことができ、また機関・公司の名や“图书馆”“办公室”“工厂”などは「里」を省略できると書いてあります。
ならば固有名詞の“○○公园”ではなくてただの“公园”ならば必要なのでしょうか。

たとえば「このレストランには30人の客がいる」の場合、「这个餐厅里有三十个客人」になると思うのですが、
「このレストランには中華料理はない」の場合は「这个餐厅没有中国菜」で「里」は必要ない気がします。

教えてください。
よろしくお願いします。

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A 回答 (3件)

「名詞を場所化する場合には方位詞を付ける」のは基本です。


一方、もともと場所を示す名詞にはその必要がありません。(あってもなくてもいい)
地名は場所そのものですし、餐厅などの建物は「もの」でありかつ「場所」とも言えます、公園なども場所です。

つまり、ご質問にあるような「里」が付くような名詞は、もともと場所を表すことができます。
ですから、早い話、わざわざ場所化する必要がありませんから「里」はなくてもいいのです。
そこで「里」を使うと、場所の内側、内部が強調されます。

「我还在家里」では、自宅(の敷地内)にいるということを示していますが、「我还在家」では、自宅にいることが「屋内(あるいは自宅周辺)にいること」かもしれませんし、場合によっては「未婚でまだ家にいたり、実家から独立していないこと」かもしれません。
「里」があれば、居場所だと限定されますね。

「这个餐厅没有中国菜。」は、No.1 さんがおっしゃるように場所自体ではなく、レストランというサービス提供者(店)が料理を提供していないということですから、「場所にものがない」ことを表現していません。
「このレストランには客がいない」であれば、「这个餐厅里没有客人」というような表現になるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。(訂正版もありがとうございました)
「もともと場所を示す名詞」の場合がどうしたらいいのかがあやふやだったんですよね。
そういうものは固有名詞(地名)以外は「里」を使うことによって場所の内側、内部が強調されるということなんですね。
わかりやすいご説明、ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/26 21:26

> 一方、もともと場所を示す名詞にはその必要がありません。

(あってもなくてもいい)

場所そのものを表す地名などの場合は、「あってもなくてもいい」ではなくて、「付けるとおかしい」場合もあるので、「あってもなくてもいい場合も、あるとおかしい場合がある」に訂正しておきます。
「还在日本里」は変ですから。^^;)

なお、場所を表現しない名詞の場合は、当然「里」などが必要になります。
(「もの」の内部、内側の場所を表現する場合)
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里は明らかに「~の中で」という場合及び中にいることを強調したい時に付けます。


你还在家吗?は「まだ家にいるの?」ですが、你还在家里吗?は「(もう出発して家の中にいないはずなのに)まだ家にいるの?」というように家の中にいることが強調されているように聞こえます。

小学館の中日辞典に記載あることは文法上正しいのかもしれませんが、実際一般人が話す場合は
固有名詞だろうが一般名詞だろうが、里を強調する必要のない時は省いています。

这个餐厅没有中国菜は、このレストランでは中華料理を扱っていないという意味ですので、レストランの中にないというよりは、レストラン(経営)として取り扱っていないということになりますので、「里」は不適当です。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
「家にいる」も「里」をつけるのとつけないのとでは意味が違うんですね。
レストランの文のご説明もとてもわかりやすいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/26 21:20

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Q「好的」と「是的」の違いについて

最近中国語の勉強を始めました。
はい、イエスを意味する言葉として「好的」と「是的」がありますが
この使い分けはどうすれば良いのでしょうか?

Aベストアンサー

まず、「好的」は良い・OKなど、了承を表す意味を持ちます。

例:「明天9点半在学校門口見面、好ma?」→「好的」
(明日9時半に学校の校門前で待ち合わせでいいですか?→いいです)


「是的」は、その通り・合っているなどの肯定を表す意味になります。

例:「ni是日本人ma?」→「是的」(あなたは日本人ですか?→そうです)


あと、正反疑問文の「好不好?」「是不是?」で聞かれた場合は、その動詞に対応して回答します。

・「好不好?」→好/不好     ・「是不是?」→是/不是

ご参考までに。

Q中国語の「都」を見たとき、どう訳せばいいですか?

「都」を使うかどうかは、主語の人数の多さではなく、
対象がその母集団で占める比率の大きさに拠ります。
と教えてもらいました。では、下の文を見たとき、

(1)この「都」は、全て日本に行かない。と訳すのか?

(2)比率が多いので、「都」をいれているなら、全員行かない訳ではないと、どう見抜くのですか?

(3)比率が多いので、「都」を使っているとしても、日本語に訳すとき、その「都」は
  とりあえず、ほぼ日本に行かない。と「ほぼ」という言葉にしてしまって訳すのですか?
 「ほぼ」や「大体」なら、別の単語があります。

他们都不去日本。

この彼らの人数しだいで、勝手に厳密には、全員でないので、「全て」と訳さないパターンだろうと、
こちら側で適当に、全員ではない事にしたり、全員にしたりしていいのですか?

仮に、この彼らが、中国人全員のことを言っているとするなら、
厳密には、全員ではないだろうと、勝手に判断して、本当に全員日本に行かない。
と言っているのに、
都合よく「全て」という意味の「都」ではないと判断してもいいのですか?

それに、「全て」という意味でなかったとしても、
この「都」は、無視して訳さないのですか?
それとも、「ほぼ」や「大体」という意味に変えて訳すのですか?

「都」を使うかどうかは、主語の人数の多さではなく、
対象がその母集団で占める比率の大きさに拠ります。
と教えてもらいました。では、下の文を見たとき、

(1)この「都」は、全て日本に行かない。と訳すのか?

(2)比率が多いので、「都」をいれているなら、全員行かない訳ではないと、どう見抜くのですか?

(3)比率が多いので、「都」を使っているとしても、日本語に訳すとき、その「都」は
  とりあえず、ほぼ日本に行かない。と「ほぼ」という言葉にしてしまって訳すのですか?
 「ほぼ」や「大体」なら...続きを読む

Aベストアンサー

> 他们都不去日本。

「ずべて」と訳します。
比率の問題ではなく、「すべて」です。

「彼らはみんな日本には行かない。」と「話者が決めている」のです。
もしかしたら例外がいるかもしれないが、話者の知っている限り全員です。
あるいは実際には行くつもりの人が何人かいたとしても、話者にとってはそんなことはどうでもよいのです。(問題外、あるいは眼中にないのです。)

前回のご質問でお答えしたように、事実を述べている文章や正確さが必要な記事の場合は、「論理的に全部」であり、もしも例外があったとすれば「ほぼ全部」「大多数」という表現をする方が「適切」でしょう。
しかしながら、会話の文章などでは、話者がどう思っているのかということがすべてです。
聞いた側は話者の言うことをすべて信用するとすれば、「全部」であると理解するほかはありません。

> (1)都は、「すべて」「みんな」と言う意味の副詞です。
> 全てと言わないなら、入れてはいけない。まずこれが基本である。

前回のご質問で上記のようにお書きになられた通りです。
どう考えても「すべて」ではないと聞く側がわかっていたとしてもですね。

これは中国語という言語、言葉、文法の規則の問題ではなく、その背後にある文化、考え方の問題と言ってもいいでしょう。
日本語(日本)では、なるべく相手の側に立って話をするという一種の美徳があります。
間違っているかもしれないこと、例外があることに関して、相手が誤解しないように言葉を加えることはごく当たり前に行われます。
しかしながら、外国語(外国)では、自分の意見や主張を表現することが第一であり、他人から見て間違っていようが、自分の意見や主張を表現する場合に遠慮はしません。

まあ、日本でも「みんな(そうしているよ)」などと言い切ってしまうことはありますが。(笑)
このように「みんな(そうだよ)」と言われたことはありますよね?
本当に「みんな」でしょうか?違うこともありますよね。でも、「みんな」と言うのです。
中国語では、特にこの種の言い切りだとか、強調が多いのです。
そういう場合には「都」、「也」、「就」などが頻繁に使われますが、時に日本語には訳しにくくなります。

前回のお答えでは、「都を使っていても、必ずしも論理的に全部を意味しない」ということであって、「都をすべてとは訳さない」とは申しておりません。
ほかには「ほぼ」「大体」については、そのように訳するとも申しておりませんし、回答内に使用しておりません。
似たような語を使っているのは、「都を使うときの気持ち」を説明している部分で、

「ほっとんど、みんな、そうしているんだよ」、「いつでも(どこでも)そうなんだよ」、あるいは「みんな、もうそうしているよ」「とっくだよ」という気持ちで語る場合には、「都」はあるのが当たり前

という部分です。

話者が仮に頭の中で感じているのが「アバウト」であったとしても、ひとたび言葉で「都」と言った時点で「すべて」だと言い切っているのですから、聞いた側は「すべて」と訳すしかありません。

他には人数にこだわっておられるようですが、二人でも三人でも「みんな」であれば「都」は用います。

ということで、前回と今回のお答えが疑問点とずれていて、単純に文法的な回答をお求めの場合は、「都=すべて」とだけご記憶になられて学習を進めていただいた方がよいでしょう。
いつか、中国語の言葉の裏だとか、表現の特性を知りたくなったり、単純に文法規則で解釈できなくなった場合に思い出してください。

> 他们都不去日本。

「ずべて」と訳します。
比率の問題ではなく、「すべて」です。

「彼らはみんな日本には行かない。」と「話者が決めている」のです。
もしかしたら例外がいるかもしれないが、話者の知っている限り全員です。
あるいは実際には行くつもりの人が何人かいたとしても、話者にとってはそんなことはどうでもよいのです。(問題外、あるいは眼中にないのです。)

前回のご質問でお答えしたように、事実を述べている文章や正確さが必要な記事の場合は、「論理的に全部」であり、もしも例外があった...続きを読む

Q中国語 ”不可以”と”不能”の違い

中国語で ”不可以”と”不能”はどうちがうのでしょうか?
たとえば、「日本可以 ロ乞 鮮魚片。」の否定文は
「日本不能 ロ乞 鮮魚片。」ですが、
「日本不可以 ロ乞 鮮魚片。」といえるのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。私も単なる中国語の“いち学習者”ですが、大変懐かしい疑問でしたのでお答えします。
可以と能、そしてもうひとつ“会”の使い分けは、日本人の中国語学習者なら、必ず一度は通る関門なのですよ。えぇ、私だってこの2つには大混乱しましたとも!(^^)

例えば同じ『食べられない』という事を言う時、日本語であれば どんな場合も『食べられない』という言葉を使い、では何故食べられないのかを説明する時には、先に理由を述べてから表現します。つまり…

(1)この刺身は私のものではないので ←理由を述べて → 食べれない 
 = 中国語は一言 不可以口乞 と表現(食べようと思えば食べられる)

(2)今日は魚を買い忘れたので刺身は ←理由を述べて → 食べれない
 = 中国語は一言 不能口乞 と表現(物理的に食べるのは無理)

…と言うようにです。(1)と(2)の日本語、違うのは前の説明文であって、結局は どちらにも同じ『食べられない』を使っていますね。
ところが中国語では『出来る・出来ない』という表現方法が何種類も用意されているのです。ここでの話ならば、日本には1つしかない『食べられない』が、中国語では3つも4つもあるのですね。この辺はお分かりでしょう。
最初は面倒に感じるでしょうが、慣れてしまえば日本語のように長々と理由を述べなくても、一言で意志を伝え理由を理解出来るのです。その表現方法の代表が可以と能(会)です。


初めて納豆を見た中国の人が あなたに食べられますか?と聞く時も、その方が 能口乞ma? とあなたに聞いたとすれば、それはあなたに『これはそもそも食べる事が出来るものか?』とか『中国人の私にも食べられるものか?』というニュアンスの『食べれるか?』です。

一方、可以口乞ma? と聞いた時、それは単にあなたに食べる許可を求めているという事になります。

…難しいかな? (というか説明も難しいんです)(^_^;)
残念ながら、これは自分で色んな場面を考えて、この場合は可以かな?能かな?と考え、慣れて行くしかないと思います。
今後は さらに会という表現、また~得(不)了とか ~得(不)下 などの出来る出来ない表現も出てくるでしょうから、まずはシッカリ可以と能の使い分けを体得しましょう。
頑張って!!

こんにちは。私も単なる中国語の“いち学習者”ですが、大変懐かしい疑問でしたのでお答えします。
可以と能、そしてもうひとつ“会”の使い分けは、日本人の中国語学習者なら、必ず一度は通る関門なのですよ。えぇ、私だってこの2つには大混乱しましたとも!(^^)

例えば同じ『食べられない』という事を言う時、日本語であれば どんな場合も『食べられない』という言葉を使い、では何故食べられないのかを説明する時には、先に理由を述べてから表現します。つまり…

(1)この刺身は私のものではないので ←理由を...続きを読む

Q「知道了」と「明白了」の違い

どちらも「わかりました。」という意味だと書いてあるものと、「知道了」は、
「知っています。」と書いてあるものがありました。使い分けをおしえてください。

Aベストアンサー

明白了とか、知道、あるいは了解については、なかなか難しいですね。
まあ、雰囲気的にすっきりした、はっきりした場合の「わかった」が「明白」で、知らなかったことがわかったのは「知道」ですかね。
こんな記事もあります。↓
http://blog.mag2.com/m/log/0000118755/105369720.html

「知道了」は「知っています」というか「知りました=わかりました」ということですね。
「不知道」を日本語にするときに「知ってない」という表現には、よく出くわします。(笑)
(通常は日本語としては「知っていない」と言う方が違和感がありません。)

以上で、明白了[ロ馬]?

Q中国語の「もし」(要是、如果、・・・話)

「もし・・・なら」という意味の中国語(普通話)は、
ぱっと思いつくだけでも
要是
如果
・・・話
があります(日中辞典によれば、もっとあります。)が、
この意味・ニュアンスの違いを教えてください。


如果・・・話
の代わりに
要是・・・話
という言い方は可能ですか?
可能なら、意味・ニュアンスはどう変わりますか?

Aベストアンサー

 こんばんは。

 まず、「・・・話」ではなく、「・・・的話」のように覚えましょう。

 それから、「もし・・・なら」という意味の中国語と言えば、次のような言い方は全部ありえます。意味は同じで、言葉の硬さぐらいの違いなので、お気軽に考えてください。

書き言葉、話し言葉
1.如果      

話し言葉
2.如果……的話  
3.要是      
4.要是……的話
5.……的話     

 「如果」はちょっと硬い感じの言葉なのですが、それでも会話でしばしば使われます。

「もし明日雨が降ったら、私は行きません。」

1.如果明天下雨,我就不去。
2.如果明天下雨的話,我就不去。
3.要是明天下雨,我就不去。
4.要是明天下雨的話,我就不去。
5.明天下雨的話,我就不去。

 硬さを順に並べると、1>2>=3>4>5のようになっていると思います。また、条件節を受ける働きとして、よく二番目の文節に「就」が来ます。

 ちなみに、「明天」を「如果」と「要是」の前か後ろか、どちらに置いてもかまわないのですが、「我」を「就」の前に置くべきです。つまり、このようなことです。

○如果明天下雨,我就不去。
○如果明天下雨的話,我就不去。
○要是明天下雨,我就不去。
○要是明天下雨的話,我就不去。
○明天下雨的話,我就不去。

○明天如果下雨,我就不去。
○明天如果下雨的話,我就不去。
○明天要是下雨,我就不去。
○明天要是下雨的話,我就不去。
○明天下雨的話,我就不去。

×如果明天下雨,就我不去。
×如果明天下雨的話,就我不去。
×要是明天下雨,就我不去。
×要是明天下雨的話,就我不去。
×明天下雨的話,就我不去。

×明天如果下雨,就我不去。
×明天如果下雨的話,就我不去。
×明天要是下雨,就我不去。
×明天要是下雨的話,就我不去。
×明天下雨的話,就我不去。

 こんばんは。

 まず、「・・・話」ではなく、「・・・的話」のように覚えましょう。

 それから、「もし・・・なら」という意味の中国語と言えば、次のような言い方は全部ありえます。意味は同じで、言葉の硬さぐらいの違いなので、お気軽に考えてください。

書き言葉、話し言葉
1.如果      

話し言葉
2.如果……的話  
3.要是      
4.要是……的話
5.……的話     

 「如果」はちょっと硬い感じの言葉なのですが、それでも会話でしばしば使われます。

「も...続きを読む

Q文末の 的 の意味

文末に的がついている事がありますね。
この場合の「的」はどのように訳し、
どのようなときに使うのでしょうか。

どうも頭の中で理解出来ません、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

文末が「的」で終わるのは、一つは過去のできごとに対する強調を表現する「是~的」の構文があります。
たとえば、
他是昨天来的。(彼は、昨日来たのです。)
これは、「昨日」を強調しています。
この構文では「是」が省略されている可能性もあります。
その場合でも「的」の前の語が強調されていると考えれば意味が取れるでしょう。

もう一つは、所有を表す「的」のあとの名詞が省略されている場合があります。
しごく簡単な例では、
那是我的。(それは私のです。)
誰の「何」であるのか、特に言わなくてもわかる場合、往々にして省略されます。
この場合は「的」の前の名詞が所有する主体になっており、何か省略されている「もの」をあとに補えば、意味が取れるでしょう。
以上、とりあえず。

Q「将」の使い方・読み方について教えてください。

最近、ネットなどで、中国語の文章を読むようになった学習者です。
「将」という単語は、頻繁に出てきますが、体得していないせいか、ここでいつも考えてしまいます。
以下、goo辞書の抜粋ですが、大きく分けて3つの使い方があるようです。
この内、どの使い方なのかを瞬時に判断するには、どうしたらいいのでしょうか?
どの使い方が多いのでしょうか? 大体の割合などが分かれば、なお嬉しいです。
副詞としての使い方が多いような気がしますが、どうでしょうか?

宜しくお願いいたします。

[動]
(1) 挑発する,たきつける
拿话将他一下言葉で彼を刺激する.
(2) (将棋で)王手をかける.
(3) 《方》(家畜が)子を生む.
━ [副]
(1) まもなく…しようとする,近く…なる.
(2) きっと…するであろう.
(3) 二つの動作が同時に行われることを示す
将信将疑半信半疑だ.
━ [介]
(1) 手段や道具を示す,…によって,…をもって
将功赎罪よい仕事をしてミスを帳消しにする.
(2) 目的語を前に引き出す働きをする,…を,(【同】把)
将书拿出来本を取り出す.

最近、ネットなどで、中国語の文章を読むようになった学習者です。
「将」という単語は、頻繁に出てきますが、体得していないせいか、ここでいつも考えてしまいます。
以下、goo辞書の抜粋ですが、大きく分けて3つの使い方があるようです。
この内、どの使い方なのかを瞬時に判断するには、どうしたらいいのでしょうか?
どの使い方が多いのでしょうか? 大体の割合などが分かれば、なお嬉しいです。
副詞としての使い方が多いような気がしますが、どうでしょうか?

宜しくお願いいたします。

[動]
(1) 挑発...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。

以前、別の質問者の方にもお答えさせて頂きましたが、
最も多いであろうと考えられる「将」の用法は、
あなたのおっしゃるとおり ─〔副〕ではないでしょうか。
特に(1)や(2)のように、未来や将来に関する事柄を
表記する文章に多く使われますよ。
私的な感覚ですが、多分8割くらいはこの(1)や(2)の
ような用法である気がします。残りは─〔介〕の用法でしょうか。
〔動〕のような用法は、私はほとんど眼にした事がありません。

使い方を瞬時に判断する方法は……う~ん、これはこれから先
たくさんの中文を眼にしていけば、自然に分かるようになるとしか
言えません。ニュースなどにはたくさん出てくる用法ですので、
「将」が出てくる度に、ご自分で意識してその使われ方を納得する
ーというつもりで読んでいれば、必ず意識せずとも自然に分かる時期が
来ようかと思いますよ。

今はパソコンがあるので、辞書ばかりに頼らず気になった単語があれば、
中国語のサイト内でその単語の「ページ内検索」をかけたり、
直接そのキーワードで検索をかけたり(将は多すぎてむりでしょうが)して、
その文章の構成を見るようにすれば、色んな文例を眼に出来るでしょう。
そういった地味な努力?というか、積み重ねを続けてみて下さい。
必ずあなたの中国語読解力向上の助けになろうかと思います。
頑張って下さい。

参考URL:http://fmvforum.okwave.jp/qa4383644.html

こんにちは。

以前、別の質問者の方にもお答えさせて頂きましたが、
最も多いであろうと考えられる「将」の用法は、
あなたのおっしゃるとおり ─〔副〕ではないでしょうか。
特に(1)や(2)のように、未来や将来に関する事柄を
表記する文章に多く使われますよ。
私的な感覚ですが、多分8割くらいはこの(1)や(2)の
ような用法である気がします。残りは─〔介〕の用法でしょうか。
〔動〕のような用法は、私はほとんど眼にした事がありません。

使い方を瞬時に判断する方法は……う~ん、これはこれから先
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Q「会」の使われ方がよくわかりません

中国語を独学している初学者です。

中国語で以下の文章を書いたところ、日本語を勉強している中国人の大学生からいくつかの添削が入りました。
いずれも、“会”の使い方がダメらしく、文中“ ”でくくったように“会”についてたくさん間違いを指摘してもらいました。
どうしてここに“会”が必要なのかが、よくわかりません。

#1 自分の故郷が舞台になっている映画について書いた一節:
所以看了这部电影,我就经常"会"想起我故乡。
(だから、この映画を見ると、私はいつも故郷を思い出してしまいます。)

#2 友だちが、クリスマスにホームパーティーに招待してくれた時のエピソードの一節:
每年她的丈夫都"会"为(/给)我们做许多晚会的料理,我"会"提供几瓶日本酒,而别的朋友也"会"提供几瓶葡萄酒。
(毎年彼女の夫が私達の為にたくさんの料理を作ってくれます。私は何本かの日本酒を、別の友達は何本かのワインを提供します。)

“会”そのものの意味の他、たぶん、自分は中国語的な文章のつくり方・発想が理解できていないのだと思います。
日本語に、意訳でなく、直訳していただけるとその発想の違いが感じ取れるのかもしれません・・・。
どうぞよろしくお願いいたします。

中国語を独学している初学者です。

中国語で以下の文章を書いたところ、日本語を勉強している中国人の大学生からいくつかの添削が入りました。
いずれも、“会”の使い方がダメらしく、文中“ ”でくくったように“会”についてたくさん間違いを指摘してもらいました。
どうしてここに“会”が必要なのかが、よくわかりません。

#1 自分の故郷が舞台になっている映画について書いた一節:
所以看了这部电影,我就经常"会"想起我故乡。
(だから、この映画を見ると、私はいつも故郷を思い出して...続きを読む

Aベストアンサー

「就」や「都」などの副詞や「会」、「能」などの助動詞(能願動詞)は、日本語に慣れているとなかなかうまく使えませんね。
語気助詞を含めて、ニュアンスを出す話法は、本場の会話で雰囲気をつかまないとなかなか頭では理解できても使えません。

まず、#1 の「会」は、英語の「must」で考えるとわかりやすいかもしれません。
「~しなければならない」の方ではなく、「~に違いない」「~のはずだ」の方です。
「当然、そうだ」という場合の「会」で単に辞書にある「可能性」よりももっと強いものです。
可能性よりも必然性と言ってもいいでしょう。必ずそうなるのです。

なお、否定したときの「不会」には「できない」以外に「~はずがない」という用法があります。

つまり、淡々と「いつも思い出す」のではなく「本当に(←就)いつも、必ず(←会)思い出す」のです。
このようにして、自分の言いたいことを誇張気味に話すのが中国語の特徴です。
相手に伝えたいことがある以上、控えめなんてことはありません。(笑)

#2 の用法では、#1 と同様に「当然のように~する」という意味があります。
辞書にも「~するものだ」という意味が出ていると思います。
それ以外にも「会」には「上手である」という意味もあります。
つまり腕前を強調しているので、単に「毎年恒例なので当然~する」以上に「うまくこなせる」「手馴れている」という意味にもとれます。
「会」がはいっていないと単純な習慣の事実を記述しているだけですが、「会」が入ると、毎年やっていて生き生きとした動作と楽しげな雰囲気が感じられるようになります。

以上、個人的な解釈が多分に含まれていますので、文法的な正解を踏み外しているかもしれませんが、それが言葉と言うものだと思っています。

「就」や「都」などの副詞や「会」、「能」などの助動詞(能願動詞)は、日本語に慣れているとなかなかうまく使えませんね。
語気助詞を含めて、ニュアンスを出す話法は、本場の会話で雰囲気をつかまないとなかなか頭では理解できても使えません。

まず、#1 の「会」は、英語の「must」で考えるとわかりやすいかもしれません。
「~しなければならない」の方ではなく、「~に違いない」「~のはずだ」の方です。
「当然、そうだ」という場合の「会」で単に辞書にある「可能性」よりももっと強いものです。
可能性...続きを読む

Q「认识」と「知道」はどう違う?

「认识」と「知道」はどう違う?

どちらも日本語では「知る」という意味ですが、どのように使い分けたらいいんでしょうか?

Aベストアンサー

先に回答の方々の回答でよいと思います。

ただ英語のunderstand=「认识」になるのは、名詞用法の時です。 理性认识=理性的認識
動詞用法では know です。

使い分けには少々時間をかけて理解をし、使い慣れることですね。

「我认识他,可不知道他在哪儿住。」

下に出てくるこの例文は役に立つと思います。

以下は岩波中国語辞典より抜き書きです。

「认识」
(文字と人と場所について一応経験したものをそれと認識する)知っている、覚えている。

我不大认识这个地方。ここはあんまり知らない所だ。

你还认识我吗?。  ぼくのこと覚えてる? 

我很高兴跟您认识。おち近づきになれて嬉しゅうございます。

你和他怎么个认识? あいつとはどんな関係なんだ?


「知道」
(1)(知識として)分かる、知っている

我早知道这么办。こうやることは、とっくに分かってんだよ。 
      
我认识他,可不知道他在哪儿住。
やつなら知ってるよ(面識はある)、だけどどこに住んでるのかは知らないんだ(その知識はない)。

谁知道! 誰が知るもんか!

(2)わかる、・・・に気づく、・・・を感ずる

别让他知道。 やつに気づかれるな

(3)了解する

我知道了。  わかりました。

先に回答の方々の回答でよいと思います。

ただ英語のunderstand=「认识」になるのは、名詞用法の時です。 理性认识=理性的認識
動詞用法では know です。

使い分けには少々時間をかけて理解をし、使い慣れることですね。

「我认识他,可不知道他在哪儿住。」

下に出てくるこの例文は役に立つと思います。

以下は岩波中国語辞典より抜き書きです。

「认识」
(文字と人と場所について一応経験したものをそれと認識する)知っている、覚えている。

我不大认识这个地方。ここはあんまり知らない所だ。

你...続きを読む

Q中国語で「そういえば」ってなんていうんですか?

質問2つあるんですが。

「そういえば」と「とにかく」って中国語でなんていえばいいんでしょうか?

誰かわかる方教えてください!

Aベストアンサー

いつもお世話なってます。

「そういえば」⇒「说起来、・・・」あるいは「对了、・・・」
「とにかく」⇒「不管怎么说、・・・」あるいは「总之、・・・」

となります。

ご参考になれば幸いです。
よろしくお願いします。


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