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ある低年齢向けサイトによれば、鎌倉時代末期の執権である北条高時は遊び人だったそうですが、本当でしょうか?
教科書にはそういうことは無く、習った記憶もないです。

A 回答 (4件)

古典『太平記』や、『増鏡』、『保暦間記』、『鎌倉九代記』など後世に成立した記録では、闘犬や田楽に興じた暴君、暗君として書かれる傾向にあります。

江戸時代から明治にかけての史学でもその傾向が残っていました。。高時の実像を伝える当時の史料は少なく、これらの文献に描出される高時のイメージには、後醍醐天皇を正当化、美化するための誇張も含まれています。言わば後醍醐天皇の「かませ犬」だったという事でしょうか。遊び人であったと言う記述には無論、根拠も何も無く、先にも書いた通り、後醍醐天皇の正当化・美化の為に「暴君」扱いされてしまったという事でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
鎌倉時代の手掛かりは少ないので、いろいろ意見が出るのも仕方ない部分はありますが…

お礼日時:2011/05/09 21:44

鎌倉幕府の最後


室町幕府の最後
江戸幕府の最後

鎌倉幕府の最後だけ、最後の当主(鎌倉幕府の場合、徳宗となりますが)に多くの一族や家来が自刃しています。

酒池肉林の伝説ではありませんが、だいたい最後の当主というのは暗君だったと、滅ぼした側が合理化しますので、北条高時の悪評も、似たようなものだったかと。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
長い年月がたてば、記憶もあいまいになるのはごく普通のことですし、記録も多いとは言えなかったので、推測がいろいろ出るとは思いますけどね…

お礼日時:2011/05/10 21:05

 遊び人という言葉の定義にもよりますが、田楽や和歌などにかなりの才覚を持っていた人物であるとは言われています。


 蓋し、後世の史書にはその時の支配者を正当な支配者と見立てることで成り立つとの側面もありますので、対立軸であるもう一方の人物がどの様に描かれているかを知ることも必要です。因みに後醍醐は酒池肉林に興じた人物としても有名です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
昔の人物は資料が少ないことも多いので、いろいろ推測が出るのはやむを得ないですね…

お礼日時:2011/05/10 21:04

後世に書かれた資料には、「闘犬や田楽に興じた」とする資料もありますが、元々、北条高時に関する当時の資料が少ない上に、後世にかかれた資料は、鎌倉幕府に反旗を翻した足利尊氏や後醍醐天皇の行為を正当化しようとする意図があったことも考えられるため、「確かなことは分からない」というしかありません。


(一族の金沢貞顕が残した『金沢文庫古文書』には、「病弱な人物で、周囲が病状に一喜一憂していた」らしい記事もあるので、遊びに興じる体力はなかったのではないかと思います。)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
鎌倉時代の資料は少ないので、いろいろ推測がわくのも無理は無いですけどね…

お礼日時:2011/05/09 21:44

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