No.1
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
>>ある種のフリーランス状態だったと聞きます。
いえいえ、立派に武士道はありしたよ。
一番良い例が、豊臣秀吉ですよね。
一介の百姓から、織田信長に仕え信長の命令に従って働きをしたからこそ、信長亡き後、天下人にもなれたのです。
フリーランスだったのは、「農兵」・・・と言って戦いのたびに徴兵された農民たちで、まあ、これらの人々は、
「田植えの時期だから、実家に帰るべぇか」
「稲刈りの時期になったから、戦いどころじゃあねえ」
と、勝手に戦場から離脱していました。
従って、領主は戦国時代の戦いでは、春や秋の戦いを避けました。
しかし、豊臣秀吉の天下になると、兵農分離が行われ、戦いはいつでも行えるようになったのです。
武士道が確立していなかった・・・と、言うのは、農兵のことを指すのではないでしょうか。
ありがとうございます。
「農兵」の存在を初めて知りました。
>「田植えの時期だから、実家に帰るべぇか」
>「稲刈りの時期になったから、戦いどころじゃあねえ」
>と、勝手に戦場から離脱していました。
現代での勝手な戦場の離脱は、それなりに重い刑罰の対象になると聞きますが、
当時は結構緩かったのは驚きです。
個人なんて絶対尊重するはずないと思ってました。
豊臣秀吉の例を見るに、確かに「武士道」というか、忠義は存在していたんですね。
No.2
- 回答日時:
自称ポケモン博士です。
確かに武士道の忠や美、礼節を重んじ始めたのは江戸時代からで山本常朝や
伊藤一刀斎などの名だたるメンバーで確立しました。
天下泰平の江戸時代になってからは侍は自分達の生き方に疑問を抱き
武士道を確立させました。
それ以前は武士の忠はあったけど、
誇り高く生きるというよりはどちらかと言うと傭兵的要素が高く、
ある種フリーランスの侍も多かったのです。
戦略的に見方の侍を殿様は抱えていましたが、
江戸時代のそれとは違います。
ありがとうございます。
>傭兵的要素が高く
かっこいいけど、かなり過酷そうですね。
自分の能力を試されるというか。
おいしい条件を提示してきたから、ホイホイ乗り換えたら、
実はそれは戦略的な罠だったなんてことがありそうですね。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
武士道は江戸時代に平和が到来し、儒教をもとに成立したとされていますが、萱野覚明は「武士道の逆襲」の中で、武士道の多くは明治期に焼き直し(下記参照)されたとしています(江戸期の成立を否定しているわけではないのですが)。
また、戦国期では主を変えることは普通のこととしています。藤堂高虎の有名な言葉に「武士たる者、七度主君を変えねば武士とは言えぬ。」というのがありますが、この言葉は他の武将も言っているところです。忠義の概念が武士道と結びつくのは江戸期であり、それには武家諸法度の成立も影響があったとされています。つまり、為政者に都合の良い武士道の創設とも言えると思います。http://www.samuraism-japan.com/COLUMN/column_12. …
http://www2s.biglobe.ne.jp/~gokuh/ghp/busho/bu_0 …
http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bit …
http://www.yoshidatatsu.jp/category/1158496.html
武士道の逆襲 (講談社現代新書) [新書]
出版社 / 著者からの内容紹介
新渡戸武士道の呪縛
そもそも、武士道という言葉が一般に広く知られるようになったのは、明治中期以降のことである。とくに、日清・日露という対外戦争と相前後して、軍人や言論界の中から、盛んに「武士道」の復興を叫ぶ議論が登場してくる。(中略)はっきりいえば、今日流布している武士道論の大半は、明治武士道の断片や焼き直しである。それらは、武士の武士らしさを追究した本来の武士道とは異なり、国家や国民性(明治武士道では、しばしば「武士道」と「大和魂」が同一視される)を問うところの、近代思想の1つなのである。<本書より>
*参考に(「朱子学と陽明学」のレビョーhttp://www.amazon.co.jp/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD …)
士道、仏教、神道、儒教・・・。このところ日本人のものの考え方、大げさに言えば民族的な思想のバックボーンに興味をもっている。なかでも、江戸期の武士階級の基本的教養であった朱子学は、武士道における忠義の精神に深く関与している、ということで手にとって見た。
ところが、意外なことに朱子学には主君への忠誠といった徳目はどこをさがしてもみあたらないという。萱野覚明氏の「武士道の逆襲」によれば、戦国期の封建制度下では家臣が主家を辞することはごく当たり前だったという。武士は7回主人をかえて一人前、という言葉もあった。では、忠臣蔵のあの精神はいったいどこからきたものなのか。残念ながら本書にはその答えはみつからなかった。
戦国大名の陣立て(備)を見ると、外様・譜代・旗本となっており、それ以外に陣借りという浪人衆がいました。陣借り衆(大名だけでなく、大名配下の武将につくこともあります)は手柄を立てれば召し抱えられる、もしくは報酬をもらう存在です。召し抱えられても主人が気に入らなければ主を見限り、新たな主人を得るために浪人することを繰り返すわけです。明智光秀も多くの主人に仕えた、もしくは諸国を渡り歩いたとされています。かの豊臣秀吉も信長に仕える前に、今川の陪臣である松下加兵衛之綱に仕えたのは有名な話です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%99%BA% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B8%8B% …
先ほどの陣立てで、何代も前からの譜代や、旗本が主人を見限ることは稀ですが、外様衆は自分の所領を守ることが優先されます。頼りがいのある者が主人ということです。真田氏が武田氏が滅亡した後、織田、北条、徳川、上杉、豊臣と主をかえ、あまつさえ、上杉に忠誠の証に出していた幸村(信繁)を取り返し、豊臣に走るという荒業をした例もあります。また、前の主人の徳川家の軍隊を打ち破ったりもしています。戦国大名の境目の武将の向背の常ならざる状況は多くの例があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%94%B0% …
また、譜代・旗本でも主を裏切ることもありました。比較的結束力が強いとされる徳川家を例に挙げると、一向一揆による反逆。それに関連する本多正信の出奔。子の本多政重の人生なども何人も主を変えています。さらに、二大旗頭(家老)石川数正の出奔(主を秀吉に変える)なども有名です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D% …
主殺しも多くみられます。本能寺は有名ですが、朝倉義景の最後などもそうです。武田氏の滅亡も最後は郡内の領主小山田氏の裏切りが最終的な要因になります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E5%80%89% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E5%80%89% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B1%B1% …
全ての武士がある種のフリーランス状態だったと言えるかどうかはともかく、多くの武士の心情や行動は、フリーランスを是認するものだったと思います。そうでなければ主殺しや、裏切りの多さの説明がつかないと思います。
*ウィキペディアを多用するのもどうかと思うのですが、根拠をメールの中で示すには便利なので、多くなってしまいました。
ありがとうございます。
細かい参照URLを入れていただき、助かります。
やはり本当だったのですね。
戦国の世は、味方が信用できないだけでなく、いつ命を狙われるかわからない、
そんなドロドロした世界だったんですね。
ちょっと興味が持てました。
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