【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

疑似科学には関心ありませんが、疑似科学と科学の線引き問題をめぐるゆらぎは、できるだけ小さい方がよいと思います。皆様のご意見を拝聴できればと思います。

A 回答 (8件)

 疑似科学を信奉する人は、疑似科学は夢を与えてくれると思っており、一方疑似科学批判は、そのような夢を壊すものと考えて、嫌っているのであると考えられます。



 しかし、疑似科学は実際には何か有用なことを実現してくれることはありません。科学は少しずつですが、有用なことを実現してくれています。
 疑似科学の正体が科学によって暴かれても、それによって夢が無くなる事はありません。むしろ、幻想の世界の夢想ではなく、現実の世界での真実の夢を広げてくれるのが科学です。

 しかし、世の中には、地道な科学の発展を無視して、一足飛びに夢のような科学の実現を夢想したがっている人が居ます。相対論は間違っていて超光速宇宙旅行が可能だとか、死後の世界は実在するとか、テレパシーが可能だとか、(どれも100%否定されては居ませんが、可能性は0に限りなく近いです。)そういうことを夢想するのは楽しいことですが、それでは、科学の進歩はありません。

 「今否定されていることでも近い将来認められる事がある。」と言って、地動説や、相対論が始めは認められなかった、と言うような事を言う人が居ますが、これは、見当違いです。こうした理論は、実験によって確認されて認められた、数少ないものであって、否定された飛んでもない理論が数限りなくある中で、生き残ってきたものです。疑似科学信奉者は、こうした科学発展の歴史についても、全く知らない場合がほとんどです。

 科学についてより良く知るほど、疑似科学がナンセンスであることが分かるのですが、科学を勉強するのには、大きな努力が必要で、誰にでも出来る事ではありません。そのため、世の中の多くの人は、より楽な幻想の道を選びたがり、その「夢」を否定する、疑似科学批判は、嫌われるのであると思います。

 なお、より深く、疑似科学について質問したければ、mixiに「反疑似科学同盟」というコミュニティがありますので、ご参照ください。
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=70043

この回答への補足

私は、疑似科学には関心がありません。しかし、疑似科学も、未科学も、間違った科学(私は、これを失策科学、エラーサイエンスといっていますが)も、区別できない人たちが、疑似科学として否定・非難、ときには攻撃していることが問題であると思っています。私が、その対象となっているのですから。

補足日時:2011/06/16 17:48
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>普通の研究者であれば、疑似科学批判なんてことに加わることはしないでしょう。


有名モノとして、
マーチン・ガードナー  奇妙な論理
カール・セーガン    人はなぜエセ科学にだまされるのか
アイザック・アシモフ  科学エッセイシリーズの一部
があります。普通の研究者でも3流でもないです。有名人です。
(ガードナーは数学パズル、アシモフはSFのほうが有名ですが、科学者数学者としても、普通の研究者より格上。)

>いずれ真正科学になり得る未科学を疑似科学と断じて執拗な攻撃を加える。
これは、疑似科学批判がさらに批判される根源の1つ。
科学と未科学を、こう定義しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD% …
科学:知識として体系化されているもの。
未科学:未だ体系化されていないが、科学の手続きに従っているもの。
でも、これが誤り。

上記3著書などでは、科学の定義が違います。

科学:未知のものを研究するときのプロセスのこと。

そうなると、未科学と称されるものはすべて科学に該当し、
科学と称されるものは、単なる知識。もしくは技術。

これだけ用語の意味が違っていれば、互いに批判しあうしかないです。
※未科学の別解釈。いずれ真正科学になり得る、とは、今は真正科学でない、すなわち科学の手続きに従っていないことを意味する。ゆえに、現時点では疑似科学と判定できる。当然、方法論を変えない限り疑似科学のまま。ガードナーやセーガンの定義おける科学を使うとこうなります。


科学:未知のものを研究するための方法のこと。  と定義した場合、これは研究対象に依存しないので、テレパシーなどの研究も当然ながら科学の範疇。この意味で、疑似科学と科学の境界は存在しません。
まあ、統計学とか、二重盲検法とかのような基本くらいは守らないと、疑似科学に分類されます。

エセ科学とまともな科学の境界の例として、H.ゴールドの「石炭無機由来説」あたりでいいですか?
「石油無機由来説」は wikipediaに記述があります。石炭は見当たらないから珍説の部類ですが、別に疑似科学扱いを受けていません。(H.ゴールドは、定常宇宙論を提唱したH.ゴールドのことです。)あくまで、これは科学論争です。定常宇宙論より、さらに勝ち目が低いとしか思えないけど…

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

3流科学者などというのは、少し故意的な記述なので、ご指摘や反論はありでしょう。しかし、一般的傾向としては、間違ってはいないと思います。回答者様のように、十分な知識を持っておられるならば科学論争が成立するでしょうが、疑似科学批判では、まともな議論が成立しないのですよ。

医学や医療において、統計学や二重盲検法の適用はNGです。疫学調査に統計学を適用するのはやむをえないでしょうが。この程度のことが理解できな人たちに、疑似科学のレッテルを貼られ、無視・嘲笑・コメント削除、罵倒などの憂き目にあっています。科学の論理や方法、体系を理解していればその理由が分かるのに。生命を化学的に考え、統計学や二重盲検法を科学的根拠としている現代医学こそが間違った科学であることを認識すべきでしょう。そのために簡単に治る病気が治せない。疑似科学を批判する人たちと、批判される人たちの思考回路は似ているようです。科学論争とは、似ているが異なる。

補足日時:2011/06/17 01:23
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科学において批判は付き物です。


今ある科学も、当時の科学水準において批判され尽くし、すべての批判に対して筋の通った理論であるだけであって、擬似でなくても科学そのものが批判の対象です。

ですから既に例も出ていますが、科学の発展によって擬似が擬似でなくなったもの、擬似ではなかったが後に否定されたものもあります。

科学の発展こそが批判の産物なんです。

科学に対して批判のボーダーラインはありません。
すべてが批判すべきものであり、科学の発展にとって歓迎すべきものです。

この回答への補足

「科学論争」と「疑似科学批判」は、重なる部分もありますが、できれば分けて考えていただけませんか。似ているようで、全く異なる部分もあるので。微妙なのですが。

補足日時:2011/06/15 15:29
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科学って微妙?!


理解出来ているけど、理解されていない問題が多い。

>疑似科学を批判する人たちが批判されるのはなぜ?
本当に、それ疑似科学なんですか。

線引きと言えば、「重力」「ブラックホール」「核融合」について線引きされていませんでしたね。
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>疑似科学を批判する人たちがゆらぎを増幅させているのでは、と思うので。


逆ではないですか、疑似科学を批判する人を批判する人は、自分たちが天才だと思い奇天烈な理論を展開しゆらぎを増幅しています。
>疑似科学を批判する人
は科学系の人なので「ゆらぎを増幅」ということは無いでしょう。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。普通の研究者であれば、科学論争ならばともかく、疑似科学批判なんてことに加わることはしないでしょう。社会的には困ったことではあるが、疑似科学が科学者集団に影響を与えるとは思いません。科学が批判・論争の歴史であることは十分認識しています。しかし、三流科学者と一部の科学マニアは、疑似科学を批判することに快感を覚え、疑似科学狩りに狂奔する。そのような人たちは、疑似科学と未科学、真正科学と間違った科学との区別もできない。科学系の人たちがすべて科学の論理を理解しているわけではないでしょう。その意味で、逆ではありませんよ。

補足日時:2011/06/14 02:44
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この回答へのお礼

少し、再補足しますね。科学の領域に侵食しようと企図するのが疑似科学というものです。ですから、疑似科学と科学の境界を設定するのは、科学側なのであり、それは科学者集団しだいです。科学側が難攻不落の理論を構築できれば、境界を設定するまでもなく疑似科学は衰退していくでしょう。

科学と疑似科学の問題ならば、事態は簡単なのですが、間違った科学を真正科学であると妄信し、いずれ真正科学になり得る未科学を疑似科学と断じて執拗な攻撃を加える。このようなことがまま見受けられる。その間違いを指摘すると、こちらも疑似科学として攻撃の対象とされてしまう。ゆらぎのほとんどの責任は、科学系の人たちにあるのです。

とくに医学・医療分野で顕著なのですが、知識を詰め込んでいるだけで思考不全となっている人たちには、今一度、科学とは何か、を勉強していただきたいものです。命に関ることなのですから。

お礼日時:2011/06/15 16:11

No.2です。

補足頂きました。
多くの「科学者」と言われている人あるいは疑似科学は「科学」ではないと言っている人達は、今、「常識」でいっている言葉を基盤で言っています。従って「常識」から少し「常識」を外から見えている貴方から見たら「疑似科学」と「科学」は違って目では見えているかもしれません。

No.2に示したようにこの「疑似」とそうでないものと多きな円環的に続いているのです。少し大きな見方をすれば解ります。

批判する人たちが批判される・・ということは長い歴史が証明きていますが、これも何度も(一歩づつ進化してはきていますが・・)お互いに批判されています。

現代の中でどちらが正しいかはわかりません。批判するどちらのための批判を我々は自分の考えに従って判断するしかないと思います。

脳梗塞を起こして少し語彙が十分でありません。御容赦ください。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。ご回復されることをお祈りいたします。

お礼日時:2011/06/14 02:55

疑似科学と科学との間はその時の「科学」の内容に決まります。


めぐる揺らぎは時間によって左右されます。
例えば、大陸移動説は1940年ではほとんど言われない時期にあり、丁度「疑似科学」だと言われていました。
今は現在ではプレートテクトニクスとなり今回の大津波の原因??になっています。

医学でも同じ事が起こっています。(例えば漢方の主なもども西洋医学に入って来ました。)
つい、40年前では「疑似科学」とされたものです。

つまり、時間で考えれば「めぐるゆらぎ」は大きく拡大しています。科学の進歩には「ゆらぎ」があるほど重要だと思っています。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。線引き問題の理論的内容に関してではなく、疑似科学として批判する人たちの振る舞いや心理状態についてのご意見を伺えればと思います。

補足日時:2011/06/12 21:49
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んー…質問タイトルと質問文の意図するところが…



べつに線引きなんてしなくて良いんじゃない。
見てておもしろいからさ。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。疑似科学を批判する人たちがゆらぎを増幅させているのでは、と思うので。

補足日時:2011/06/12 21:18
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