電子書籍の厳選無料作品が豊富!

最近英語で化学の講義をしたり、研究室での議論を英語で行うことがいくつかの旧帝大で行われるようになりましたが、B,Cランク以下の大学でも英語で化学に関する議論したり、基礎化学を学ぶことは意味があるのでしょうか。そういうことはできる旧帝大の学生だけでよいという考え方もありますが、英語はコミュニケーションツールなので、その能力はいわゆる成績とは違うので、B,Cランク以下の大学でも、やる気があればもっと英語での化学の講義やディスカッションをするべきことでしょうか。とても役に立つ中間層の人材が育つと思うのですが。
これからさらにグローバル化する日本において、英語による教育はどうすればよいと思いますか。英語の得意な日本人や外国人の導入が前提です。英語の不得手な教員は、少しづつ消えてゆくのかもしれません。

A 回答 (6件)

大抵の企業で海外との取り引きがあり、


技術者でも英語でコミュニケーションを取らねばなりませんので、
英語を学ぶことは大事です。

うちの会社には外人のお客が常駐しているので毎日が英語で、
当然、米国本社ともテレコンで会議です。
なので大学時代から実践英語に慣れ親しむのはとても重要と思います。

ただ大学生に、基本的なことが日本語でも判っていない人に、
英語の勉強のために英語で専門を教える必要があるのか疑問です。
授業中判らないところを学生は英語で質問し、
教師が英語で丁寧に回答してもどこまで伝わるのか心配です。
また学習の進度も遅くなり勝ちだと思います。

会社の研修所で講師を年に1回するのですが、
本当に大学で勉強してきたの?ってびっくりするレベルがぞろぞろ居ます。
あなたの言う旧帝大の学生でも(そんなこと言いませんが)。

それは旧帝大の学生のレベル低下を言っているのではなく、
経験していないので、理論がしみついていなく、
大学の授業の勉強だけではうわっつらの知識なので、
その時は覚えるのでしょうが、直ぐに忘れてしまうのです。
(教えたときの理解は早いです)

いくら大学の先生が懇切丁寧に教えていたとしても。
そのため少しでも母国語で基本は受けておいた方がよいのかなと思うのです。

国際学会出ても日本の先生は大抵流暢に英語で発表しQ&Aも無難にこなしています。
大学教員はそれなりに努力しているように見えます。
たぶんあなたの予想以上に英語でできる先生はいると思いますよ。
こんなことで、ほんのちょっとした人数の先生を淘汰したところで何が良くなるのか疑問です。

授業の英語化は教師の心配より学生の方が心配です。

文系なら秋田の国際教養大学のように外人の先生だらけにして、
海外留学1年を義務付けるのが良いと思います。

ただ理系にとって大学4年間って短いので、その上就職活動もあるので、
先ずは母国語で授業できちんと基本を理解した上で、
卒論や修論のゼミでの発表を英語でやるとかの方が良いと思います。
あくまで個人的な意見ですが。
    • good
    • 0

読めると、書けるは重要だと思うけど、話せる、聞けるは、ホントにいるのかなぁ?


その時間があるなら、文献を読み、サマリーを書いてる方がいい気がします。
あと、化学の場合、アメリカ英語って歪んでるじゃない。国際標準で読み書きできる方が役立つ気もする。
    • good
    • 0

こんにちは。


サラリーマン経験者の意見もあるほうがよいと思うので、回答します。

まず、英語がコミュニケーションツールであるという考えは正しいです。
あと、単純に、論文などを読むのに必要です。これは重要。

しかし、さらに重要なのは、槍や楯になるということです。
技術・開発の仕事に就いている人達の中には、AランクだけでなくB、Cランク(こういう言い方は好きではないですが)の大学を卒業した人もいます。
業務の中で、必ず特許を書かされます。
そして、その特許が少しでも有力と判断されると、米国出願となります。
本人が英文を全部書くわけではなく、国際特許事務所に書かせてそれをチェックすることになるのですが、特許屋が書く文章というのは結構滅茶苦茶で、あちこち訂正を入れないといけません。
クレーム(特許請求の範囲)という最重要なところの文を間違えていることもありました。
英語力のない人の特許は、弱い特許になることがあります。
また、米国出願の段になると、「***なことを書いていたら、あなたは罪に問われますよ」ということが書かれている誓約書にサインをさせられます。
そしてまた、自分の会社が特許侵害したとして他社が訴えてくるとき、多くの場合、国内特許ではなく米国特許で訴えてきます。
実際、訴えられたことがあり、私は自社お抱えのアメリカ人弁護士への説明役をさせられたこともあります。ほとんど日本語がわからない弁護士ですので、全部英語での説明です。

以上の業務は一例ですが、英語力がなければ務まらない業務があるということです。
英語が出来なければ、自分だけでなく会社が戦いに負けます。

あと、発音についてですが、
はっきり言って、正しい発音かそれに近いものでなければ、ネイティブに対してまったく伝わらないです。
ですから、仲間がネイティブに話して伝わらないときは、私が発音直し(ほぼ通訳)をやっていました。
(書く方は、ネイティブでも間違える人が結構います。日本人が漢字を間違えるより低レベル。)

ところで、外来語には不可思議なカタカナ語がたくさんありますが、科学技術用語にもそういうのがありまして、たとえば、
・dose(ドース):照射量、線量 ⇒ なぜか「ドーズ量」(なぜ濁る?なぜ「量」をつける?)
・depletion(-type MOSFET)(ディプリーション(型MOSFET): ⇒ なぜか「デプレッション」
というのがあります。
そして、その後も誰も(?)カタカナを訂正しようとせず、「伝統」となっています。
過去の半導体開発研究者が、いかに発音に無頓着であったかを示しています。

私が大学受験したときは、その大学が初めて入試科目に英語を加えた年でした。
ですから、研究室の先輩方は、ほとんど英語が不得意な方ばかりでした。
もうだいぶ経ちます。
今だと、私の母校もだいぶ事情が変わってきていることでしょう。

以上、いらぬことも書きましたが、どこの大学出身でも、読むのと発音するのは技術屋に求められる標準的能力で、それは死活問題(会社のお金、自分の昇進)にもつながるというのが私の意見です。
大学を英会話スクールにしないといけないとまでは思いませんが、研究者になる人より、会社に就職する人の方が多いですから。

なお、私の英語力は平均以上ではありますが、大したことはないです。
しかし、発音正しく覚えたのはNHKのラジオ講座のおかげです。
    • good
    • 0

>そんなのは英会話学校に行くか、自分で修得すればよいのでしょうか。



そうです。むこうからわざわざ日本へやってきた研究員や留学生と話してもいいでしょう。英会話学校のネイティヴの連中よりも,よっぽど教育があります。

それから,あたりまえすぎて書き忘れたこと。日本語でいかなる分野でも高等教育が受けられるのは,日本人に厚い教育・研究者の層があるからです。まあ,けっこうな芸のある外国人がいれば,雇ってやってもいいですが。
    • good
    • 0

一定水準以上の大学でふつうにやっていれば,自分の専門の範囲では英語でやりとりできるんじゃないですかね。

専門用語と論文調英文で実用になりますから。ふつうの水準の大学では,「英語文献を読む」ていどの演習でもやろうとすると,受講生は激減します。

日本では母国語で博士課程まで勉強できるということは,東南アジアなどとくらべれば幸福なことです。それが可能なのは,江戸時代から外国語の学術用語を日本語(漢語)に置き換えるという努力を積み重ねてきたからです。大学教育を受けようと思えば,早くから英語で勉強していないとだめな国も世界には多いです。

これが日本人学生の英語力の低さという欠点にもつながるわけですが,母国語で高等教育を受けられるという利点は尊重すべきです。あなたの視野はせまく,やみくもに国際化を提唱する連中とおなじです。

なお,ぼくは英語で授業ができなくてこう言っているわけじゃないですからね 笑。相手が留学生であれば,授業や研究指導は英語です。

この回答への補足

確かに日本語で勉強が可能になっている日本は素晴らしい環境と思います。私は全部日本の教育を英語で行うと言っているわけではありません。大学生になってからでも、なんとかする方法はないのかということです。
実際、内容が分かっていても英語でコミュニケーションをうまく取れない(または避ける)人は多いです。その訓練の機会は必要かということです。日本語で講義を受けて理解し、英語論文も読むので、度胸さえあれば何とかなるということだと思いますが、外国人と対等に議論するときには、ある程度の英語(英会話)スキルが必要ではないでしょうか。そんなのは英会話学校に行くか、自分で修得すればよいのでしょうか。外国での研究生活を経験すれば一番よいかもしれませんが、現状ではみんながみんなできるわけでもないと思うわけです。

補足日時:2011/06/29 11:46
    • good
    • 0

 英語でディスカッションする能力は何も化学だけではない筈で、化学だけでそれが実際に講義に取り上げられているとすれば、化学系の先生達にその意識が特に強いからだと推定できますね。

学問の世界はグローバル化している現在、研究活動を国内だけに限定いて行なうのは大変危険なことで、世界中の研究成果を取り入れ、また発表し、議論を行なう活動は必要不可欠なものであることは疑いの余地はありません。

  そしてそれは一般に考えられている以上に易しいことで、英語の能力としては中学程度のものでじゅうぶんなのです。込み入った表現やレトリックは殆ど必要ではなく、使用する単語の数は専門用語を除けば驚くほど少ないのです。専門用語については否応なく覚えてしまう性質のものでしょう。ですからレベルの低い大学だから英語での講義は必要はないということにはならない筈です。

  講義は何もネイティブのように流暢な英語を使って行なう必要はありません。日本人は特に自分の発音や語彙の少なさを恥じる傾向がありますが、それは無用なことで、ネイティブではなければ下手糞なのは当たり前のことで、相手に内容が伝わればそれでいいのです。これは専門科目に限って言えば上記の理由で何も難しいことではないのです。英語での講義を広く行なうことで教員J自身がそんなに難しいことではないことに気付く筈です。それには何も外国人を引っ張って来る必要はないのです。

  専門科目を英語で行なうことがなかなか普及しないのは教員自身がそれを怖がっていることが最大の障碍になっているのです。

この回答への補足

ご意見ありがとうございました。そうですよね。全く同感です。
基本的に人前に出たがらない性質の日本人にとって、英語というバリヤーがあると、さらにコミュニケーションができなくなる傾向にありますね。でもこれは教員も学生も両方とも同じで、少しでも教員も学生も積極的に英語で学ぶ機会を利用し、教員が英語で指導する努力が大事だと思います。
化学を例にあげたのは、話を分かりやすくするためです。ほかの分野も同じだと思いますが、実際に化学の分野は、ほかに比べて英語がかなり浸透している分野と思います。そして専門のことなら少なからず興味があると思い、その専門分野内で英語の訓練するのが早道と思った次第です。
でも、この大きなバリヤーをどうすれば取り払えるのか、アイデアがあったら教えてほしいです。個人的な考えですが、問題は中学高校では受験英語のみの英語教育になっていることと多くの大学教員にはその資質(自信)が実はないことではないかと思っています。

補足日時:2011/06/29 09:38
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!