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イギリスの宗教改革の歴史的意義についてわかる方がいらっしゃれば教えてください。

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A 回答 (5件)

イギリスの宗教改革は、ヘンリー8世のイングランド国教会の創設のことですが、これは宗教改革というよりも大陸の宗教改革のどさくさに便乗したローマ・カトリック教会からの離脱が本質です。

従来、ローマ教皇を頂点とする教会のネットワークが大ブリテン島を含む西欧の隅々まで展開していたわけです。ヘンリー8世はイングランドに存在する教会のネットワークを、ローマ教皇の支配から切り離して、イングランド国教会に仕立て上げて自分がインドランド国教会の長であると宣言したのです。
私はイギリスの宗教改革をイギリス史の最高傑作であり、ヘンリー8世の天才的アイディアは素直に評価しています。タイミングも絶妙だった。平時ならとてもそんな暴挙が通用するはずはない。しかし、その時は宗教改革だけでなくフランスと神聖ローマ帝国の戦争でイタリアが戦場になって、クレメンス7世は火達磨状態で、イギリスにかまっている余裕も無かったわけです。イギリスはいつも機をつかまえるのが上手です。さて歴史的意義の話です。
1は絶対王政の確立。
ヘンリー8世はイングランド国教会を手中に収めたことで、圧倒的な財政基盤を得ました。従来、諸侯がせっせと教会に寄進した土地がそっくりそのままヘンリー8世のものになってしまったのだからたまりません。また従来、国王は教会に課税できなかった。ローマ教皇が強行に反対していたからです。それが新たに課税できるようになった。教会関係のストックもフローもどちらも国庫に帰属するのだから圧倒的です。また世俗的権力と宗教的権威を同時に併せ持つわけですから、強大な王権を確立できたわけです。それは神聖ローマ皇帝の権力とローマ教皇の権威を一人で保有することと同じです。まさに名実共に圧倒的な王政を確立したことになります。こうなると諸侯はまったく太刀打ちできない。他人のふんどしで相撲を取る。教会のものは俺のものというわけで天下無双の地位を獲得したのです。ヘンリー8世は薔薇戦争の混乱で弱体化した王権を代打逆転満塁サヨナラホームランで取り返したのだ。
2は大航海時代への参入。
大航海時代はレコンキスタを終えたスペインとポルトガルが先駆的役割を果たしました。それはいち早く絶対王政を確立したスペイン王、ポルトガル王が競争意識を持ち、争うように冒険者たちのスポンサーとなり投資を惜しまなかったからです。そうして冒険者たちが着々と画期的な実績をあげていた頃、イギリスは薔薇戦争真っ最中で、とてもスポンサーどころでなかった。イギリスの絶対王政確立はスペイン・ポルトガルの成功をうらやんでいた商人や冒険者の待ち望むところでもありました。しかしスペイン・ポルトガルは、ローマ教皇アレクサンデル6世の仲介で1494年にトルデシリャス条約を結び共存共栄体制を作っていました。もしイギリスに宗教改革が無かったら、ローマ教皇の命令には逆らえない。イギリスが大航海時代に参入したいといってもローマ教皇がスペイン・ポルトガルの既得権益を侵すことはまかりならぬと裁定したら、その影響からは逃れられません。破門を恐れる船員はしり込みして船長の命令に従わないかも知れません。ここでも宗教改革は大きな役割を果たしたのです。ドレーク船長はエリザベス1世を得て、非公然にスペイン船、ポルトガル船に海賊行為を働くことができた。また船乗りたちは同じ新教国仲間のオランダ船に乗せてもらって、机上の勉強だけでない実戦的な航海の経験も積むことができたのです。参入とはいいながら、まだイギリスは公然とスペイン・ポルトガルに挑戦状を叩きつける実力はなく、長い下積み期間で実力を養うのが先決でした。それでも、それは宗教改革があったから為し得たことなのです。イギリス東インド会社の設立が本格的参入の宣言でありました。スペイン・ポルトガルはローマ教皇の支援で大航海時代に乗り出したが、その関係でローマ・カトリックの制約を逃れることはできなかった。イギリスはローマ教皇の支援は得られなかったが、逆にその制約から逃れることができたのだ。
3は市民革命と議会政治の確立
イギリスは宗教改革によってローマ教皇の影響を排し、イングランド国教会の設立によって大陸でのカトリックとルター派・カルヴアン派の抗争に巻き込まれずに済みました。ドイツを戦場にした三十年戦争と距離を置くことができたのです。先に述べたようにイギリスは絶対王政を確立した。しかし、それは余りにも強すぎた。教会も諸侯も頼りにならないのだから、国王の横暴に対抗する手段がない。それには議会が最後の手段でした。議会で国王に制約を加えるしかない。それがイギリスで市民革命が起きた理由です。それは同時に政治と宗教の分離でありました。イギリスの宗教改革はローマ教皇の影響を排しただけで、決して政教分離とはいえない。政教分離が完成したのは市民革命と議会政治の確立の時です。それが待ちきれなかった清教徒はメイフラワー号に乗ってアメリカに脱出していった。それは余談かな。
4.まとめ
以上3つがイギリスの宗教改革の歴史的意義です。
遅れた弱小国に過ぎなかったイングランドがどうして7つの海を支配する覇権国家になりえたか。全ての出発点は宗教改革にあります。ローマ教皇の影響を脱したからこそ、いち早く近代国家に脱皮できたのです。
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イギリスの宗教改革・・・イギリス国教会のことでしょうかね?



改革とは言えないんじゃないかと個人的には思ってるんですがw

ヘンリー8世は元々教皇レオ10世から「信仰の擁護者」 (Defender of the Faith) の称号を授かるほどの熱心なカトリック信者でした。ですがキャサリン・オブ・アラゴンとの間に男の子ができませんでした。どうしても跡継ぎが欲しいヘンリーは(男子の跡継ぎがいないということは親類縁者が山ほどいるヨーロッパでは山ほど跡継ぎ要求者が現れる{ばら戦争のように}ということです)アン・ブーリンと結婚するため離婚を認めないカトリックから脱退して離婚を認めるカトリック教会(イギリス国教会)を作りました。

というわけで意義としては離婚を認めるカトリック教会が出来たということです。

国王至上法によって、イングランド国内において国王こそ宗教的にも政治的にも最高指導者であることを宣言(結果政教一致になった、ジョンみたいにローマ教皇の顔色を見無くてよくなった)

※アン・ブーリンもエリザベス1世を生んだが男子を産めなかったためヘンリー8世に処刑されてます。そしてアンの侍女のジェーン・シーモアと結構してやっとエドワード6世を得ますがその出産月にジェーンは産後のひだちが悪く死亡します。
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>イギリスの宗教改革の歴史的意義


これって、ヘンリー8世によるイギリス国教会の設立を意味しているのか、ピューリタン革命から名誉革命までを指しているのか判別できません。
内容的に、全く異なるものですから、どちらか明白にしてもらう必要があります。
まさか、メソジストのことではないとおもいますが。
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クロムウェルというと、清教徒革命の時のオリバー・クロムウェルが教科書に載っている意味で有名ですが、大伯父のトマス・クロムウェルが宗教改革の段階では重要。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E% …

イングランド国教会と国王至上法
この部分。

重要なのは、イギリスという国がヨーロッパ大陸の各国とは関係なく独立に物事を考え決定できるようになったことです。
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>イギリスの宗教改革の歴史的意義について



現在の、イギリス国教会の事ですかね?
イギリスは、そもそもローマ教皇系のカトリックでした。
が、ローマ教皇系カトリックは「離婚を認めない」ので有名です。
現在でも、宗教上の理由で離婚できない方が世界中に居るようです。
16世紀、ヘンリー8世の離婚問題で「ローマ教皇と決別」しただけです。
宗教的解釈の違いは、カトリックとほぼ同じですからプロテスタント系キリスト教ではありません。
あくまで「離婚を認める」事が、決別の理由です。
ここに「(カトリック系)イギリス国教会」が、誕生します。
歴史的意義は「世界のカトリック系キリスト教で、唯一離婚を認めた」事でしようかね?

古代からの宗教を考えるには、ブリテン島に多く住んでいたケルト人を調べる事です。
(ヨーロッパ大陸に住んでいましたが、迫害を受けブリテン島に移動)
ケルト十字という、珍しい独特の十字架を用いています。
今の「アイルランド紛争」にまで、繋がりますよ。
イギリス国教会(カトリック)とプロテスタントの、宗教戦争です。
「イギリスの宗教改革」の回答画像1
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