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次の文章は、ある方の自己紹介の冒頭の部分ですが、「万感の親しみを込めて」の意味がよくわかりませんので教えてください。

「ここの会でお会いできる皆様に万感の親しみを込めて、の自己紹介をさせてもらいます。」

A 回答 (4件)

 ありがとう。

早速、修正しました。満腔の方が確かに正確な表現用語でしょうが、私は口でいい、頭で転がす時は満腔よりも万感の方が気持ちが合うんですね。
 やはり胸に迫る思いという事なんです。両方使いましょう。もういっぺん直します。
 二つ並べましょうかね。くどいけど。
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この回答へのお礼

名文とは言いかねますが、間違った文章ではないと思います。
ご苦労様でした。

お礼日時:2011/07/31 10:45

 【万感】ですか、これはよく万感の思い(つらさ、悲しみ)を「様々な思い」などで使われていますね。


  身に迫る万感の思いを秘めて、ことに対しますなどと。

 質問者のPaikSeungさんのご解釈してくれた、「沢山の、いっぱいの」の意味で受け取ってもらえるだろうと使っております。
 つまり全身に溢れるような呼びかけや語りかけのつもりです。
 “様々な、そして身一杯の、・・・”というような意味です。

 “万”って“よろず”というときも使いますが、そういうよろずやさんの万ではないのです。

 そうですか、伝わり難い言葉遣いでしたか。言葉は難しいですね。私の語感が必ずしも通らないのですね。
 でもこれも私の姿で、こういう人間ですということになりますね。
 注意されたのに、無視するようですが敢えて私としてはこのままにしたいと存じます。
 有り難う御座いました。
 不自然ですかねぇ・・・。
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この回答へのお礼

>伝わり難い言葉遣いでしたか

伝わりがたいというよりも誤用です。
「.万感交到る」・・・こんな言葉を知っていれば誤用はあり得ないんですが。
「さまざまの感慨がつぎつぎに胸中に起こる」という意味です。

回答者様は「満腔」あたりとこんがらがったのかな。

>言葉は難しいですね。私の語感が必ずしも通らないのですね。
>でもこれも私の姿で、こういう人間ですということになりますね。
>注意されたのに、無視するようですが敢えて私としてはこのままにしたいと存じます

言葉というものは皆で使うものです。
自分独自の勝手な使い方は通用しません。
そのためのルールブックとして辞書や文法書があるわけで、そのルールに熟達するために国語の勉強をするわけです。
これの勉強が不十分な人は教養がないと嘲られます。
私は理科や数学で間違えても恥ずかしくありませんが、国語の間違いは恥ずかしいと思っています。
現在、美しい日本語が崩れつつあると言われています。
回答者様がこのような形で誤用を突っ張って使い続けるのは悲しいことですね。

お礼日時:2011/07/31 08:14

 度々私の自己紹介を問題にされて、有り難う御座います。


 “このサイトでお会いできる皆様”ですね。引用の誤植があるようです。
 一応、念のためにその文章を掲げておきますね。
 【ここのサイトでお会いできる皆様に万感の親しみを込めて、(余計な“の”が入っていたので、今削除しました)自己紹介をさせてもらいます。
 私は有能な方のようにたくさんの職歴や勤務先がありませんで、たった一つの大学で1950年代から46年ほど勤務しました。干支も6回向かえ送り、数年月が経ちました。
 大学には図書館職員で入ったのですがたくさんの異動をし、ラディカルな革新思想による事務・教員・現業一体の労組で書記長を八年。
 私の社会と人生の勉強はそれだけでした。そして大学の隅々を一応自分なりに知りました。
 東京生まれ、育ち、東京以外には住んだ事がない。二度の空襲で眼前で孫を胸に庇って座り込んで背中から燃えていった近所の精進揚げ屋おばさんを目撃。
 すごい鉄板が眼前の地面にぐさっと刺さる身の毛のよだつ空襲。翌日飲まず喰わずで焼け跡から肉親の遺体を掘り出ししょったりリヤカーに乗せたりして、お花茶屋の火葬場への行列。
 なお沿道の人の証言⇒煤だらけの亡者のような人の列。背中の遺体からしたたる油が白鬚橋、堀切橋、四つ木橋の通りにご遺体からの脂の太い痕の道。数日残存とのこと。
 日の丸の下で生きてきたが、思い返すと日の丸には何も恩恵を受けていない単なる庶民でしかなかった。
むしろあの時期のどこの国民も同じだがひどいことを強制されてきたようだ。
 これは日の丸のせいではないだろう。
 でも日の丸の下の人生でのひどい経験であった。
 しかし日本民族の中での心性涵養は否定できない。日の丸の恩恵は正負の両方かもしれないが日本民族ではあり、その心性と言語での生き方感じ方しかできない。
 何処の国の方もそうでしょうが、生活者の人々っていいですよね。とてもありがたいです。
 蛙さんはいつも素晴らしい葡萄を送ってくれる家内の田舎の信州上田のぶどう園のブログにあったものを承認を頂いて使っています。
 私自身のブログではありませんがそのぶどう園のURLは、://ameblo.jp/seicho-no-en/theme-10003425406.htmlがその一部です。先頭にhttpを加えてくれれば、アクセスできます。

 余計な“の”という一字を云われて再読しなければ、いつまでもおいていたでしょう。有り難う御座いました。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>引用の誤植があるようです

サイト⇒会 に変えたのは、回答者様の文章ということがバレないように、気を使った結果でした。

それから今回の質問は「の」のことではありません。
「万感」です。

お礼日時:2011/07/31 07:43

「万感」は「様々な思い」という意味なので、「(万感の)親しみ」と特定するのは不自然になります。



また、「ここの会」も適切な表現とは言えません。

しかし、言わんとしていることはわかるような気がします。

「この会で親愛なる皆様とお会いできることに万感の思いを込めつつ、自己紹介をさせていただきます。」

といった感じでしょうかね。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
確かに様々な思いのこもった親しみというのはわかりません。
ご本人は万感を「様々な」ではなく「沢山の、いっぱいの」の意味で使っているような気がするんですがどうでしょうか。
「親しみ」を動かせないとすると、「からだ中に親しみを込めて」のつもりかなと思ったのですが。

補足日時:2011/07/30 22:07
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