今日、教材の中で「(夏草や)兵どもが夢のあと」という文が載せてあります。これは私の母国語から訳されている文かもしれません。私はどうしてもこの日本語の表現が覚えられません。日本人である皆さんは、この「(夏草や)兵どもが夢のあと」という文は理解できますか。もし理解できなかったら、私はこの文の暗誦を諦めることにします。。。

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A 回答 (17件中1~10件)

fine_dayさんのおっしゃったように俳人・芭蕉が平泉という古戦場を訪れた際に詠んだ時に。




今自分の立ってる「ここ」はかつて、壮絶な争いがあった場所だ
、、そして、今ここに、雑草が生えている、
今は雑草だらけになっているこのただのなんてことない場所にみえる「ここ」は
そういう事が確かにあったはずなのに、
今は「何も無かったかのような、」場所にすぎなく見える。
しかし、、、確かにあったのだろう、
時の流れとは、、
芭蕉や利久は禅宗をやっています。
「一期一会」という事を両名ともいつも頭にいれているはず。
「一期一会」とは、せっかく今回会ったのだから、その機会を大事にして、よろしく、、、なんて意味に使われがちだが、全く違う。

(1)「今ここに、この瞬間自分と出会っているこのまわりの総てのもの(つまり、この場合はこの雑草の場所)
は、それぞれさかのぼれば、いろいろな事があって、今ここに、自分と出会っている。」
すべてのモノは自分も含めありとあらゆるものは
「縁」によって、今ここに出会っている。

(2)そして、また仏教では「諸行無常」も根本思想です。
つまり、あらゆるものは変化し、同じ姿をとどめる事はない(出来ない)

(1)と(2)を心に置いて
雑草の生えるこの場所に立った作者は
かつてここに二大勢力を争った激戦などなかったかのように、「何事もなかったかのような」この地を見て永い時の流れと、そしてうつろゆくこの「自然」の
わびしさ(わびしさとは、そういう事)を感じ
どうしようもない自然の「時間」と人間のはかなさと
「そこまでやった事(激戦)も、、今やなにもなかったかのようにすらなってしまう、「人間の存在感」
、、あらゆるものすべては、時間が過ぎれば、このように「何もなかったかのようになってしまう」
それなのに、人はいつも争い、欲望を膨らませ、必死に他者と比べ生き急ぐ。
それがいったい何になるのだ、何になったというのだ。
、、という意味でしょう。

日本人がかつて第二次世界大戦でやってしまった過ちも、今まさにある「欲望のかたまり」の「損得」だけで気が狂わんばかりになってしまったこの国のいじましさも、またアメリカの気狂いじみた独裁行動も、
ヨーロッパの右往左往も、アジアの必死の経済のあがき、世界中の宗教、経済にがんじがらめになっている事も、学校や会社、家庭、国、で、「見栄、」「権力」「地位」「欲望」などに、ぐちゃぐちゃになって
自分を見失いそうな時代です。
しかしこれもまた、「たかが人間の考える事、やる事、欲望」に過ぎず、時間が過ぎてしまえば、、、
たとえば1000年もすれば、
もはや、「今この時」など歴史の授業の暗記する事柄にも入らないささいな事にすぎず」また、いつか
太陽の核融合が尽きた時、この地球もろとも消え去り、この広大な宇宙に地球が存在していた事すらだれも知らなくなっている、(人類がいないのだから)ような時がくれば、あらゆる事は「無かったも同然」かのような事になる。
なのに、人間は、なぜこうも自分の我欲に必死にとらわれるのか、、、。
この雑草は、そんな事何も知らないまま、
あるがままに自然にただ生えているというのに、、、。

って、、まあ、今芭蕉に説明させれば、このようになるかと(^.^;)
長々と御静聴ありがとうございました(笑)

この回答への補足

marinfishさんの素晴らしいご返事を拝読しました。大変いい勉強になりました。日本語を勉強するとともに、日本の文化とか、歴史とかも勉強しなければなりません。今自分の勉強不足と痛感しました。

失礼しますが、私の日本語はまだ下手なので、marinfishさんのご返事の中で、ちょっと分からない文があります。

芭蕉や利久は禅宗をやっています。
「一期一会」という事を両名ともいつも頭にいれているはず。
「一期一会」とは、せっかく今回会ったのだから、その機会を大事にして、よろしく、、、なんて意味に使われがちだが、全く違う。

「一期一会」という言葉は私にとっては、初耳でした。gooの国語辞典辞書を調べてから、意味がわかりました。marinfishさんのお書きになった「全く違う」のは「一期一会」の普通の意味と全然違う意味でしょうか。この普通の意味と「全く違う」ことはどういうことでしょうか。また、「芭蕉や利久は禅宗をやっています。」とどんな関係でしょうか。ちょっと困っています。もう一度教えていただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

補足日時:2003/11/06 20:10
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ちなみに禅宗(曹洞宗など)についてですが


インドの釈迦の教えを勉強します。
そして、しかし、その勉強にも「とらわれる事なく」
自然を観し、自分の「存在」に「気付き」ものごとの有り様をこころから判ってしまう、見てしまうというようなもので、足のしびれを我慢して棒でなぐられる事等とるにたらないものです。
釈迦の教えを基本としていますからとうぜん、おまもりや加持や祈祷など本来行いません。

ちなみに、それ以外の日本の「ブッキョウ」と呼ばれているものは、かなり屈曲した、むちゃくちゃになってしまったまま、この国に輸入されもの、あるいは、情報不足の中、その不足ゆえに、まちがったまま、しかし、大教団になっているところもあります。

ちなみに、釈迦は、死後の事は死んだ事ないので私にきかれてもわからん!」と、
また、私に手をあわせてもなにもならんから、そんなことしないで修行しろ、とか、りっぱな服を着たり、
(今のような)「寺院」は作るな!と。
最低の生活をすべし、と戒を残しています。

それらをことごとくはずしてしまった現代日本の仏教は、ますます言葉だけが難解になっている、、だけ。

本来の釈迦の教えの基本は「一期一会」と「縁」と
「無常」だと思います。
「自分がわかりようのない想像でしかない事をそれ異常判断しようとしても妄想や空想にすぎないから、無駄だからやめたほーがええよ」って言ってる釈迦が
「あの世」とか「西国浄土」などという事は言わない。人間の一生とはしょせんカエルが水に飛び込んだときの「ポッチャン!」っという音だけに似たていどのものなんやわ!、、って気が付いたとか、そんな事だとおもいますよ。
ちなみに釈迦は仏教集団(徒党)もお経も作っていない。ましてや、葬式などまったく関係ない。
加持祈祷などやってもなにもならないのが自然だと知っているから、彼(釈迦)は食中毒で死んだ。

本来の釈迦の教えは今の日本の仏教とは違う、今のような権力と結びつき、ぶざまな、ぶよぶよの「見えない」者になどならない。
なぜなら、「諸行無常」「縁」「諸法無我」
が基本ですから、それらは「一期一会」の気付きでもある。
人のわびしさ(わび)うつろい行く時間による変化(さび)それと対にしての「一期一会」です。(と思っています僕は)

その事を熟知し、実践する、また観する芭蕉の詠う詩は、そういう事を参考にすべきで、季語とかなんとか、現代の学者や趣味のおじさんおばさんが、
「言葉の形」に「とらわれて」綺麗な詩、あるいは、
美しい詩を作ろうとしていますし、学校の先生もそのていどの教え方しかしていません。
実は、芭蕉の詩は禅の教えの実践である、生き方そのものなのですよ。(もとろん、、たぶん)
*ちなみに利久の「茶道」とは同じく生きる道であり、それは生きる知恵であり、それは、すべて
今迄書いた、「自然のありようを観る」事です。
茶道などは「一期一会」のを気付く為にのみの世界なのです、その為に、邪念が入らない為に、(たとえば今日は茶碗何回まわそか?カッコよく飲むにはどうしたら?」って迷わない為の「作法」であり、たんなる
順番でしかありません、それはべつにどうでもいいことなのです。
 現代の茶道はまったくその道を観るものもなく
たんなる「おあそび」でしかない「作法(順序とか、決め事)」のカルチャークラブにすぎない。

禅はなぜ真っ白な壁の前に座るか。
それは、「真っ白」とか「座る」とか、、それらにはあまり真意はない。
棒でなぐったり、足をしびらせたり、川で死ぬ思いで滝にうたれる事自体は基本的な意味は無い。
ただ「自然の中の自分の存在を観する」為の
あてもなくてもいいのだが、あれば一般人には便利な小道具だとか程度のものにすぎません。
当然家元とか、その茶器製造の窯元なども馬鹿げた事で、何も判っていない証拠です。
「一期一会」と「諸行無常」と「縁」を観しられた(気づいた)ら
もはや、人間という種の生物が必要以上の欲望にとらわれている事など無意味だと「気づく」事。
人間いがいの「自然」は、どのような種も、こんな小さな事に悩みを持ったり苦しんだりはしない。とらわれる事がないから。
(だがしかし、人間も所詮は自然の一部であり、自然そのものにすぎないのだが)
ここでやっと本来の質問の件に戻るが(^.^;)
そういうとらわれない雑草がそこに咲いているわけですわ。そして昔、我欲にとらわれて、どうせ、いつかは、そんなもの忘れられてしまうほどのものに、
命がけでたたかう地位と名誉と財産というものに「とらわれた人間」が戦ってた。
この同じ場所、、、どちらも自然。
雑草も人間もどちらが、偉いとか、地位があるとか、名誉とか、そんなもの、関係ない事、
とらわれても、とらわれなくても、自然は自然でしか
ありようがない。自分もまた自然のひとつであり、一部であり、全体でもある。

って、、、もうややこしいから、やめましょうか?
脱線しまくり~~(^.^;)
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この回答へのお礼

大変いい勉強になりました。知識というものは多ければ多いほどですわ。これからもよろしくお願いいたします。(^_^)

お礼日時:2003/11/23 18:06

strawberry72さんの下記書き込み書き込みについて



<<邦題が「フォレスト・ガンプ/一期一会」だったんですよ。
映画館で見ましたが
「どうして、一期一会がつくのだろう」と思った記憶があります。 >>

僕もそう思いました。
あれは、訳者(あるいは日本語タイトルを考える日本の人)の大勘違いだとお思います。
付けるとすれば、「縁(えん)」ですね
同じような意味ではありますが、視点が違うと思います
一期一会は縦から正面から見たもの。
「縁」は横から
縁は続くが、一期一会は「もうこの瞬間は二度と来ない、今この瞬間この場での出会いはもう二度とない」というわび、さびの世界です。諸行無常の中のその「刹那、一瞬」です。それを観するという事です。
俳句とは実は、その世界ではないでしょうか?
一期一会の世界が俳句。特に芭蕉は、(ぼくは無知ですから、あまり本を読んでいませんが、知る限りの芭蕉は今この瞬間の出会いを観している「気づき」の詩です。かわず(カエル)が池飛び込んでポチャン!という音がした、ただその瞬間を「そのまま」詠んだりしてますね、事物のありようなどそのようなもんだ
と。「ぽちゃん!」と、一瞬でおわり。わびしく、せつない諸行無常の世界でしかないんだなー。

あの歌って実は禅問答だった「らしい」です。
老師が芭蕉に「人生とはなんぞや」
に対して「カエルが飛び込むその「ポチャン」ってようなものです。と詠ったものらしい。「古池や」は後でつけくわえたもの「らしい」
人生ははかなく、空しく、わびしい。
人間が必死でいろんな悩みに頭いっぱいになりながら
右往左往して喧嘩したり、憎しんだりしてきた一生など、自然(宇宙でもいいと思う)からすれば
かえるが池に飛び込んだまさにその「瞬間」の
「ぽちゃん!」という瞬間の音のようなもの、、、。
というのが正しい解釈ではないかといわれています。
あ~かえるの飛び込む音がぽちゃんときこえて、ああ、しずかだなーというのはちがうらしい。
もっと自己の今ここにいる自分の存在の視点が大きい。
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この回答へのお礼

marinfishさんは禅についてお詳しい方ですね。私の住んでいるところは[ZEN]という日本料理店もあります。時々「禅」って日本人にそんなに尊敬されているのだろうかと思っています。禅の深意は日本の文化の中でとても美しいことだと思います。ご親切に教えていただいて、ありがとうございます。

お礼日時:2003/11/23 18:03

わたしも余談ですが、何年か前、Ferrest Gump


(多分、中国では、阿甘正伝、伝の字が出せませんが)
が日本公開された時の
邦題が「フォレスト・ガンプ/一期一会」だったんですよ。
映画館で見ましたが
「どうして、一期一会がつくのだろう」と思った記憶があります。

 配給会社側が、日本人の好きな言葉を適当につけたのだろうか?それとも、邦題を決める人が、「フォレスト・ガンプの生き方を「一期一会」の精神に通じると解釈しているのか?」と思いましたが(わたしが、そう思っているわけではありません。あくまで例えば、そういう理由かな、と思っただけです)不思議な感じがしました。未だに分かりません。

 marinfishさんのお答え(面白い!)から、ふと数年前の記憶がよみがったので、主題から離れてしまいましたが、ご参考までに。
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この回答へのお礼

ご丁寧に教えていただいて、本当にありがとうございました。

お礼日時:2003/11/23 17:58

余談ですが、今日11月9日選挙でしたが、


滋賀県の当選したある政治家候補(当選すると候補とは言いませんが、当選する前に言ってたので(^.^;)が、
「一期一会」を座右の銘にしているとの事でした。
一期一会はそもそも座右の銘にするような種類のものではないかと思います。
戒めにはなりませんし、格言でもないですし、
また政治にはあまり関係ないかなと思いました。
、ただ、、命あるもの、そうでないもの(と、人が思っているもの)総てが時間でも空間でも繋がっているのだから、自分の一挙一動が大切である、とか、
と、むりやり理解するのも可能ですが、ちょっと苦しい(^.^:)
ましてや無欲であろうというのも、政治家としておかしい。
(この場合の欲とは、「何かを変えてやろう」という欲というような意味ですが)
ならば、この候補、はいったいどういう意味でこれを
私は座右の銘にしていますとみんなに言ったかと「想像」すれば、
みなさんとの出会いを大切にしますとかいう事かなと
あくまでも想像ですが、そう思います。「一期一会」とは、その後大切にするかどうかの問題ではないのです。「一期一会」だと気付く事です。
それで終わり。だからどうした、どうするはまた別の問題。

芭蕉は、だからどうするとは言っていない。
だから、どうしようとは言っていない。
そうなんだなー、と思ったその刹那を歌に詠んだだけ。
無欲であろうが我欲であろうが、所詮人間のする事など諸行無常なのだという事です。
勿論人間のする事以外もとうぜん「諸行」ですから、総べては無常ですが。

「だから政治を変えてやろう」というのは、
この意味を理解できていない証拠だと、
勝手にわたし個人は思っています。
もちろん、自分の勝手な想像でまちがっているかも知れませんが。

*余談で脱線のついでに、別の質問場所で、このあいだ、「デッサンとクロッキーの違い」について、しったかぶりして、わたしの言った事こそ
大間違いでした。
そういう私的に「自分はこう思っている」という程度にお読みください。
勿論思っているから書いているのですけど。
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この回答へのお礼

政治家はきちんとこの「一期一会」の座右の銘を理解できるのでしょうか。(^_^)
ありがとうございます。

お礼日時:2003/11/23 18:09

<<一期一会」という言葉は私にとっては、初耳でした。

gooの国語辞典辞書を調べてから、意味がわかりました。marinfishさんのお書きになった「全く違う」のは「一期一会」の普通の意味と全然違う意味でしょうか。>>
いえ、普通の意味が全く違うのではなく、
意味は先に書いた意味しかありません、それが正しい解釈ですが、間違って使う人がけっこう多いという意味です、かなり世間では間違って使われています。
今この一瞬この瞬間の自分とその自分の回りにあるあらゆるもの、(ひとつをとりあげてもいいのですが、たとえば、貴方が今、この私の書き込みを見ている、私が存在するには、私の両親が出会った事が過去になければなりたたず、その出会いは無数の偶然や必然から成り立っており、またその両親のそれぞれの家族の、同様の事、またそれらをとりまくあらゆる出来事、そうやってさかのぼって行けば、極端に言えば、地球が出来る原因、、またその宇宙がそもそも出来たところにまでさかのぼる。
この書き込みを見ている「貴方」御自身もまたしかりであって、あなたが今ここで、これを見る事になっている「今この瞬間」は、あなたが今日朝起きて仕事、あるいは学校に出かけた時にあったさまざまな出来事
それらの何一つ違っていても、「今」のあなたが、そこでこの瞬間、この書き込みを見る事がなかったわけです。明日だったかも知れないし、あさってだったかも知れない、一時間後かもしれない。
そう考えると、貴方が今この瞬間「今ここ」でこの文章を読んでいるという「事」は、あらゆる組み合わせの中の「たったひとつ」しかない事なのですね。
パソコンひとつにしてもそうですよ、貴方が今使っているそのパソコンがあなたの元に今あって、今あなたがさわっているという確立は無限の中のたったひとつしかない事なのですよね。パソコンの部品を作っている人、それを運んだ人、それらの中の誰か一人が、遅刻したり、病気になったり、くしゃみをしたりしただけで、貴方の元に届いたパソコンは同じ型でも、別のものが来たかもしれません。この世のありとあらゆる物(生き物もそうでない物もすべて)はそういう事だという「気付き」が「一期一会」という意味です、
「たった一つしかないこの瞬間の出会い」というような意味ですね。これを説明すると、まだまだ書き込みする事になりますが、迷惑でしょうから、ここまででやめときますね、きょうは。
しかし、もしあなたがこれを読んで、一発で理解出来たなら、それはすごいかも、でもね、この思想はもともとインドとか中国とか、そして韓国から入って来た、仏教や儒教の思想です。
これに対して「間違った使い方」とは、せっかく今あなたと出会ったのだから、この機会を大事にして、これからもよろしくね、というのは、少しちがっています。先に書いた意味が判ってからならOKですけどね。

<<また、「芭蕉や利久は禅宗をやっています。」とはどういう関係でしょうか>>

芭蕉や利久は禅宗という、さきほどの「一期一会」を根本思想の一つとして悟る「禅」という思想(仏教でなくてもいいのですが)を習って、また日々実践していた人です。彼等ほどの者なら、この「一期一会」を常に頭に置いて行動しているはず。
道でつい蹴飛ばした石にすら、感動し、出会いを感じるわけです。決して他人のモノを自分のものにしたいとか、他人より多くのモノを持ちたいとか、人の上に立ちたいとかという、くだらないことに「とらわれない」訓練をした人です。

彼(作者)にとって争奪戦として争奪戦(名誉、地位、経済、政治等の)、激戦したと伝えられるこの土地に今雑草の生えるこの、野原。
そこに今時間を感じ、諸行無常を感じ、
人間のする事のなんとむなしい事かといった意味をこの詩に詠んだのでしょうね。
今は雑草の生えるだけのこの「なんてことのないただの荒れ地」なのに、しかしすごい縁があって、この荒れ地は「今ここに存在する」

*むりやり、これでも短く書きました。
また私自身が完璧では勿論ないので、つたない文になっているかもしれません、あらゆる事がそうですが、私の書いた事もまた同じで、絶対ただしいというように思う事はないです。間違って書いているかもしれないと、いつも思いつつ読んでくださいね。

長文ごめんなさい。
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この回答へのお礼

今ちょうど大学の受験シーズンなので、長い間登録せず、申し訳ありませんでした。一期一会について、大変いい勉強になりました。ご丁寧に教えていただいて、本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。

お礼日時:2003/11/23 17:56

 有名な句です。

他の方の回答を拝見し、なぜ、こんなにも日本人に好まれるのか少し分かったような気がします。

「夏草」は、「季語」としては非常に効果的な使い方で、芭蕉の感慨や世界観を表す、きっかけとなる言葉でもありますね。「今は、何事もないように青々と草が茂っているけれど、かつて、ここは、戦場だったのだ」と、思いにふけったのでしょう。

夢は、必ずしも甘くて美しいものばかりではないですね。「将来実現する可能性のあることを強く脳裏に描く」という定義があります。それは、例えば、「いずれ自分が天下を取ろう」という野望であったり、「この戦(いくさ)に勝てば、生活が向上するかもしれない」という思いであったりもするわけです。

質問者さんのような非常に高い語学力の方には、オンライン辞書に加えて、先生に相談の上、評価の高い普通の辞典を何冊かお求めになる事をお勧めします。

 わたし自身は、最近、「現代漢語辞典」を入手し、あまりにも読めない漢字が多くて呆然としておりますが、それでも、中日辞典だけでは不十分だということを痛感いたしました。漢字文化圏の日本人の特権で、眺めていても、「中日辞典の定義では足りない」と漠然と分かる部分もあります。(それではダメなんですが(^^))

 個人的には、8番目の方のの回答が非常に読み応えがあり勉強になりました。ご本人が、お忙しいようなので、僭越ながら、わたしの解釈ですが、この方は、「「辞書の「一期一会」の意味と、「芭蕉が持っていたであろう一期一会の概念が違う」」」と書いていらっしゃるわけではないと思いますよ。awayukiさん、もう一度お読みになってみてください。

 「現代の日常用語として、「出会った人を大事にしよう」という非常に狭い意味で使われている「一期一会」だけれども、それだけの意味だと解釈するのでは、「全く違う」」と書いていらっしゃるのではないでしょうか。

「全く違う」なら、「一期一会」の本来の意味とは、どういうものか、というのを、それ以下に詳しく書いていらっしゃいますね。 興味深く拝読しました。

参考URL:http://page.freett.com/sirahige/
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この回答へのお礼

今ちょうど大学の受験シーズンなので、長い間登録せず、申し訳ありませんでした。ご丁寧に教えていただいて、本当にありがとうございました。

お礼日時:2003/11/23 17:54

私は、その文を理解できます。


中学校の国語の時間に習ったからです。
その文が俳句だと知っているから分かります。俳句の決まりごとを知っていて、古文の知識が多少あるから分かるのです。
もし俳句だと知らなかったら、分からないと思います。古文や俳句を習っていない日本人が読んでも、多分、分からないでしょう。
古文・俳句は、いろいろな決まりごとがあります。覚えるのが大変です。覚えても、日常の会話では使わないので、忘れてしまうことが多いです。
でも、知っていると、いろいろな本が読めますし、便利なこともあります。俳句を作ることを趣味にする人もいます。そういう人と話す機会があった時に、俳句を知っていると沢山お話できるかもしれません。
暗誦は大変でしょうが、諦めないで頑張ってください。
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この回答へのお礼

この「夏草や兵どもが夢のあと」は今まで初めて読んだ日本の俳句です。皆さんのお陰で、もう暗誦してきました(^_^)簡単な丸暗記ではなくて、この俳句の背景や深い意味などをきちんと理解していて、暗誦してきました。いろいろいい勉強になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2003/11/06 20:45

古典に詳しいわけではありませんが、ご質問や皆さんのご回答を興味深く読ませて頂いているうち、ご質問者さんが、#5さんのおっしゃるように、「兵どもが」の「が」の意味と、「夏草や」の「や」の意味をかん違いしていらっしゃったためにそもそも理解が難しくなっていたのではないか、と。



「夏草や」の「や」は、「~と」「~とか」の(英語のandのような)並列の意味ではなくて、よく俳句などで「詠嘆」「感嘆」の気持ちを表すためにつける助詞ですね。

つまりこの句は、「夏草や兵ども」とつながっているのではなくて、「夏草や」のところで意味的にいったん切れています。(こういうふうに、俳句などの中で、意味をいったん区切る役割をするこの「や」のような言葉を「切れ字」と呼んだように思います。)

芭蕉が、古戦場に草が生い茂っているのを目の当たりにした瞬間、様々な思い(杜甫の詩も含めて、下の方々が書いていらっしゃるような、歴史的、宗教的な背景なども踏まえたあらゆる感情)がわき上がって来たのを、その「夏草や」の一言がみごとに表している、と日本人なら取るでしょう。

しかしそれは、この「や」が、詠嘆や感動を表す時の表現であるとか、「が」が主語を表すのではなくて現代語では「兵士たちの~」という意味である、などといった、中学高校で習う日本古典文法、および歴史などに関しての知識があってできるようになることです。
(うちの小学生の子供にこの意味を聞いたら、たぶん「??」でしょう(^_^;))

なんだかんだ言いながらも自分はいちおう「日本人としての常識」みたいなのを教育されて来てるんだなー、とご質問によって改めて考えました。その私も外国語に関しては日々精進の身です。お互い頑張りましょう(^^)
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この回答へのお礼

文法上に丁寧にご説明して頂いて、ありがとうございました。「や」も「が」もやっと分かりました。

幼いときから、語学の勉強が好きです。なぜかというと、外国語を身につけたら、いろんな国の人と交流できるからです。その交流から、それぞれの国の文化、風土人情などを知ることができます。それに興味を持っています。

これから、一生に頑張りましょう。
p(^-^)q

お礼日時:2003/11/06 20:40

#5さんも書いていますが、「兵どもが」の「が」は、


現代語の「の」と同じ意味です。
現代の話し言葉で、この用法を使うことはほとんどありません。
しかし、短歌・俳句でよく使われるので、理解はできます。

それにつけたすと、
「夏草や」の「や」は、単語を並べるときの「や」(←例:「赤や白や黄色」)とは違います。
これは短歌・俳句特有の「切れ字」という技法で、
ここで文章は一旦終了します。
意味としては「…である」「…がある」となります。
さらに、詠嘆の気分を表します。
また、俳句の途中の場合、
切れ字の前後が「なんとなく関係がある」という雰囲気を表現します。

「夏草や 兵どもが夢のあと」
を、現代の用法に直すと、
「夏草がある。兵どもの夢のあとだなあ」
という意味になります。

切れ字には他にも「かな」や「けり」などがあります。
いずれも意味としては終止形であり、同時に詠嘆を表します。

「名月を取ってくれろと泣く子かな」(小林一茶)
「やさしくもあやめさきけり木曾の山」(正岡子規)
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この回答へのお礼

文法上に丁寧にご説明して頂いて、ありがとうございました。とても助かりました。短歌・俳句特有の「切れ字」という技法ですね。この文の中の「や」をやっと分かってきました。

お礼日時:2003/11/06 20:19

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Aベストアンサー

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Q十八年度開成高校入試問題(国語)の大問一の文(佐野洋子「私はそうは思わない」より)が理解できません。

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Aベストアンサー

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480031532/
 この本でしょうか。
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 ともかく、引用部分だけから考えてみます。
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 だから、おそらく周囲には話し相手がいなかった「私」が、話し相手として神の出現を望んだとき、現れた神は、(「私」の顔見知りではなく、見たこともない、草履を履いた中年の男というありふれた姿で現れたのでしょう。
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 二つ目は、最初の「血縁ばかりでない」が直後の「叔母」にかかるかどうかが気になるところです。
 引用部分の至るまでに、血縁の人についての結婚に関する話があって、たとえば「このようなことは血縁の人に限ったことではない」という意味なのか、それとも「私」にとっての「叔母」は単に血縁だというだけでなく、他のかかわりがあるということなのか。
 筆者の文章は、あまり読点を入れずに文を長く続けるスタイルのようですので、はっきりしません。
 判断の手がかりになるような(あるいは上記以外の解釈をすべきであると考えられるような)部分はありませんか。

 ともかう、この叔母が、当時まだ未成年だった私に「煙草を吸えとそそのかした」というのは間違いないと考えられます。
 また、その時の叔母は、「あなた、秀雄さんは(略)五人も居てさ」と私に話しかけながら、煙草をふかしていたと考えられます。
 「あなた」は、「私」に対する叔母の呼びかけでしょう。
 「秀雄さん」は「叔母の祖父の妹の息子」ではないでしょうか。(だとすると、叔母の血縁の人ということになりますが、結構遠い関係といえます。)
 この秀雄さんは、見合い写真を見て相手を気に入り、相手とは直接会わないままに結婚式に至った。(昔はけっこうあったことだと思います。)
 式が終わり、夜、お嫁さんが「つのかくし」を取ると、その顔は写真とは似ても似つかぬ××××な顔であった。
 それで、花婿の秀雄さんは、落胆と裏切られた思いとで、ふてくされて最初の1ヶ月は寝てばかりいた。
 しかし、人間は顔がすべてではありません。やがてお嫁さんと打ち解け、離婚することもなく(=「今の奥さんはその人」)、もう40年も連れ添って、二人の間には子供も5人いる。
 こういう話ではないかと想像します。


 入試問題ということなので、まず一つ目は、登場人物である「私」(この文章は随筆と考えていいですか? だとしたら筆者本人)の心情を問うような設問の手がかりになる可能性がありますね。
 たしかに難解な表現ですが、「私」には適切な話相手が居なかった。しかし(どのような形で現れたにしても、神という)話相手を得ることができて、満足して眠ることができた、という「私」の心の動きの説明になっていると思います。

 二つ目に関しては、結婚のきっかけが偽りの見合い写真であった夫婦が、結局はそれなりに幸せな人生を送ったというエピソードが、たとえば私(筆者)の結婚観に影響を与えたとかいうことはないのでしょうか。
 あるいは、そう言う話をしながら未成年の私に煙草を勧めるいう行為が、叔母の人となりを物語ることになっていて、「叔母の人柄の説明として最も適当なものを選んで、記号で答えなさい」という問題の手がかりになったりはしていないのでしょうか。

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480031532/
 この本でしょうか。
 手に取る機会があれば引用なさった部分の前後を読んで見たいと思いますが(目次で見当を付けると「もしかして夫婦ってこんなじゃないか」の章かな?)、とりあえず引用部分だけから考えてみます。

 あ、そうそう、引用の最初と最後のカギ括弧は質問者様がお付けになったものと判断してよろしいでしょうか。

 まず、一つ目ですが、「私」がどのような状況に置かれているかの説明はどのようになっているのでしょうか。また...続きを読む

Q漢文の読み方がわかりません・・・

藩駕駐承天府。戸官糧船猶未至、官兵至食木子充飢、日憂脱巾之変。藩心含之、大書於座前云「戸失先定罪」。遺楊府尹同戸都楊英住鹿耳門守候。糧船並官私船有東来者、尽行買糴給兵。

遷界令に関しての文章なのですが、意味もあやふやで、読み方にまず、こまります。。。
わかる方おしえていただけたら助かります。

Aベストアンサー

このような質問は、できれば出典を書いていただくとよかったですね。
出典を確認したところ、
楊英『從征實錄』の中の八月の部分です。質問文に若干入力ミス?があって、正しくは以下の通り。
「八月,藩駕駐承天府。戶官運糧船猶不至,官兵至食木子充飢,日憂脫巾之變。藩心含之,大書於座前云:『戶失先定罪』。遣楊府尹同戶都楊英往鹿耳門守候糧船,並官私船有東來者盡行買糴給兵」
「はちがつ、はんがはしょうてんふにちゅうす。こかんうんりょうせんなおいたらず、かんへいもくしをしょくしてうえをみたすにいたる。ひにうれうだっきんのへん。はんしんこれをふくみ、まえにざしてたいしょしていう:『こあやまてりまずばっす』。ようふいとことようえいをろくじもんにつかわしりょうせんをまたせん、かんしせんきたればこくもつをすべてかいもとめへいにあたえよ」
『從征實錄』は鄭成功に従った楊英が年月を追う形で書いた記録、約13年にわたる。『從征實錄』は『延平王戶官楊英從征實錄』ともいいます。
楊英は戶官すなわち戸籍や税金を扱う高官で、記述は具体的。部分欠落はあるものの貴重な資料とされています。

先に背景を把握しましょう。清朝の沿海迁界(別称、遷界令)策で苦境に陥った鄭成功は、1661年に当時オランダ統治下の台湾を攻略にかかる。1661年4月台南の鹿耳門に上陸、1662年2月1日オランダは投降した。以降鄭成功は明朝再興の目的に沿い統治を行うが、病を得て1662年6月23日逝去。
鄭成功による台湾統治は、民生に注力し酷税廃止適正化、軍制改善、法制の改善、経済発展、教育振興など、善政と台湾社会の基礎を築いた事で知られます。なお、鄭成功が台湾奪取した後も反清復明で明鄭と称され、死後も清朝と台湾は敵対関係でしたが、「鄭成功修復台湾的壮挙」として民族の英雄として知られます。
1683年明鄭覆滅後台湾は清朝統治下となる。

以上の経緯の中で、
ご質問の一件は1662年8月の軍営の食糧難の件りです。
従って、遷界令で食糧調達ができなくなり澎湖島経由で台湾へ転じた関係はあるものの、遷界令自体の話題ではありません。大陸から食糧調達の道が閉ざされたという意味ではつながりますが。

さて課題の文章の和訳です。
「八月(1661年です)、王の軍営は承天府に進駐していた。役所が手配する食糧運搬船が未だ到着せず、将軍も兵士も木の実を食べて飢えを満たす有様、これでは目的を果たせない。王はその思いをこめて大声で言う『戸官は過ちを犯した、先ず罰する』と。楊府尹と戶都の楊英を鹿耳門に行かせて、食糧船を見張らせ、官船私船を問わず船が来たら穀物を残らず買い取らせ、兵に与えた」

承天府:最高地方行政単位。郑成功1661年台南に承天府を設置。現台南市赤崁楼。
藩驾:軍営、司令部。藩=地方自治区、地方行政単位。驾=王の車、転じて王・皇帝。
*清の時代以降も南明朝が形式的に継続。
 南明朝永暦帝は1653年鄭成功を延平郡王に叙す。
 以来台湾、鄭家/その一族が称号を継承。
脫巾之變:改戴官帽、脱帽の事態。役人の官位の象徴である帽子を取る/返上する事態。責任を果たせないこと。
戶官:戸籍や税金や政務を扱う高官。
府尹:治安と政務の行政長官。知事。
户都:官名、役所名。戸籍・税など。
鹿耳門:台湾、現台南市。

繁体字 こちらが全文見やすいです。
http://club.xilu.com/wave99/msgview-950484-15973.html
簡体字
http://wenku.baidu.com/view/04836465783e0912a2162aae.html

*文中、日本字、簡体字、繁体字が混在しますがご了承ください。
*日本字、簡体字、繁体字変換器http://bjkoro.net/chinese/letter/converter/

このような質問は、できれば出典を書いていただくとよかったですね。
出典を確認したところ、
楊英『從征實錄』の中の八月の部分です。質問文に若干入力ミス?があって、正しくは以下の通り。
「八月,藩駕駐承天府。戶官運糧船猶不至,官兵至食木子充飢,日憂脫巾之變。藩心含之,大書於座前云:『戶失先定罪』。遣楊府尹同戶都楊英往鹿耳門守候糧船,並官私船有東來者盡行買糴給兵」
「はちがつ、はんがはしょうてんふにちゅうす。こかんうんりょうせんなおいたらず、かんへいもくしをしょくしてうえをみたすに...続きを読む

Q日本兵が、敵兵の「遺体」と言うか?

支那事変の頃を書いた小説に、次のような一節がありました。

(日本軍の下士官が、東京から現地視察に来た政府の偉い人に、占領地の説明をしているところ)

 蒋介石の住居跡と銀行が倒壊してできた瓦礫の間に、黒こげになった死体がふたつ、無造作に転がっていた。
「まだ★遺体の始末まで、手がまわらんのですよ。」
 下村軍曹が、ばつの悪そうな顔つきでそう言った。

(黒こげになった死体は、前後の状況から支那兵にちがいありません)

●質問● 当時、日本兵が敵兵の死体を「遺体」と言うでしょうか。

*(カッコ内)は、質問者の説明文です。

Aベストアンサー

私の名前はOKWavejcomです。後半部分が「jcom」になっています。

下は私の隣家の元陸軍中尉(ポツダム、甲幹上がり)のお話です。

「ワーハッハ、日本の兵隊が支那兵の遺棄死体を『遺体』というわけがない。遺棄死体の略称が遺体ではないよ。遺棄死体は遺棄死体だ。遺体は遺体だ。」
「支那兵の【死骸】と言うんじゃよ。」
「それを書いた小説家は、戦後生まれの若い人じゃないかい。」
「最近のテレビは、人の死体や死骸をなんでも遺体と言ってるね。」
「なんでも丁寧に言えば問題が出ないという、バカメディアの事なかれ主義だ。」
「犬に餌をあげる。」というのと同じだ。
「日本兵が敵兵の死骸に敬意を表し敬礼するということはあったらしい。支那軍でも弧兵で死守の上玉砕したという例はなくはない。もしそんな現場に居合わせたら敬礼もし、丁重に葬ってやるかもしれないが、ワシはそんな現場をみたことがない。99%支那兵は戦友の死骸をほったらかして、すたこらさっさと逃げよったよ。
日本の兵、下士、将校は、敵の遺棄死体を「遺体」なんていうはずがありません。ワーハッハ。」
・・・以上

たしかに、昔は「遺体」という言葉は、葬式以外にはめったに聞くことはありませんでした。
戦前や戦後も早い時期の書きものは下のような書き方が普通です。

「上村松園―中支遊記」 青空文庫
==============================
今ここにあるいているところは支那兵の死骸でいっぱいであった、などとも言われ、城門の下のところに土饅頭の小高いのが彼処此処にみられた。 松篁の行った時にはまだ骨がところどころに残っていたそうであって、雨などにさらされて秋草がそこに咲いてい ...
===============================

私の名前はOKWavejcomです。後半部分が「jcom」になっています。

下は私の隣家の元陸軍中尉(ポツダム、甲幹上がり)のお話です。

「ワーハッハ、日本の兵隊が支那兵の遺棄死体を『遺体』というわけがない。遺棄死体の略称が遺体ではないよ。遺棄死体は遺棄死体だ。遺体は遺体だ。」
「支那兵の【死骸】と言うんじゃよ。」
「それを書いた小説家は、戦後生まれの若い人じゃないかい。」
「最近のテレビは、人の死体や死骸をなんでも遺体と言ってるね。」
「なんでも丁寧に言えば問題が出ないという、バ...続きを読む

QIFRSの読み方について

IFRSの読み方について教えてください。

アイエフアールエス、アイファス、アイファース、イファースなど読み方があるようですが、日本では標準的な読み方はありますか?また、グローバルで共通した読み方はありますか?

全社で共通した読み方で統一したいと考えております。

Aベストアンサー

IFRSの読み方は、現時点の日本では様々です。
各種セミナーに行きましたが、講師をされる方によってまちまちです。

ひとりの講師の方の説明では、IFRSがすでに導入されているヨーロッパ(EU)では、主にアイエフアールエスと読んでいるようです。

http://ifrs-yomikata.cocolog-nifty.com/blog/

ご参考に。

参考URL:http://ifrs-yomikata.cocolog-nifty.com/blog/

Q読書感想文を「夢をかなえるゾウ」の感想文を書こうと思ってるんですが..

タイトル通り、
「夢をかなえるゾウ」で読書感想文を書こうと思っているんですが、
読書感想文って、あまり書いたことがなくて..
どのように書けばいいのでしょうか??
ちなみに私は中1です。

思ったことをそのまま書けばいい、とよく言われるんですが、
本当にそんなのでいいのかなぁ...それで4~5枚もかけないしなぁ。
と、思いまして..((汗

出来れば、「夢をかなえるゾウ」を読んだことある人に
こういうことを書けばいいんじゃないか、というアドバイスをしてくれたらな、と思います。
あ、でも、読んだことない人でも、どんどんアドバイスお願いします!!

Aベストアンサー

「夢をかなえるゾウ」、少しだけ読んだことがありますが、おもしろいですよね。
 私は読書感想文が得意なほうではありませんが、「思ったことをそのまま書く」というのが良く分からないなら、読みながら、または話を思い出しながらノートか何かに「あー、あそこが面白かったなあ」とかくだらないことでもどんどん書き出してみてください。そうしてそういうちょっとした言葉を組み立てて文章にしたら、自分の考えが広がってペンが進むと思います。ちなみに私は中二で、私も原稿用紙5枚という宿題が出ました。そのくらいの量だとまとまりにくいので、最初は書いてみてから、それからいろいろ修正をして書き直してまとめたほうがいいですよ。
 あと、でだしも工夫するといいデスヨ☆たとえば最初に自分の経験を書いたり、その本との出合いを書いたり...国語の授業みたいに文章を型にははまらせないで、自分の言葉で自由に書いてください。嫌とは思わず「楽しんで書く」これが一番大事です!!せっかくの楽しい夏休みなので、楽しみもしょうよ!!
                 長文ですいませんm(>_<)m

Q麗の読み方

「麗」という読み方はレイ、ウララ意外読み方がありますか?
名前付けなので、あて字でもいいです。
役所に認められればどんな読み方でもいいのですが・・・

Aベストアンサー

 http://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E3%81%86%E3%82%89%E3%82%89/m0u/
では“うら”ら、うら”らか
 という読みがありますね。
 これは85になる姉の名前が使っています。最初はカナでしたが、成人して漢字に改名したんです。
 小さい時は書くのがたいへんですね。
 私も苗字もちょいと画数が多いし、名前も“藏”って字はとても書き難くかった思い出があります。

Q暗誦がいがある日本語の文章を宜しくお願い致します

 いつもお世話になっておリます。
 今日暗誦は外国語の語感を増やすためにとても役に立つと本から読みました。毎日少しずつ日本語の文を暗誦したいと真剣に考えております。暗誦がいがある日本語の文章を探しております。お勧めの文章、作家、作家の作品、サイト、以前学校の国語先生に勧められた段落など何でもかまわないので、宜しくお願い致します。アドバイスをいただければ非常に幸いに存じます。
 日本語を何年間も勉強していますが、まだまだ文章がうまく書けません。質問文の中で不自然な表現がありましたら、それも併せて指摘していただければ助かります。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

awayuki_chさん、こんばんは。
ご質問、拝見しました。「暗誦」が語感を培うというのは本当ですね。目で見て、声に出し、耳で聞きながら、そこに立ち上がってくるものを感じ、心の中にしみこんでいったものを、また時を置いて呼び戻す…そういったことすべてを通してことばが自分の一部になっていきますものね。私も、英語を読むときはたいてい声に出していますし、中国語は「漢文」しか読めませんが、NHKの漢詩紀行の副音声で中国語の朗読を聴くといつも感動してしまいます。。

余談はさておき、私の手持ちの知識の中から思いついたものをピックアップしてご紹介します。言うまでも無く、個人的好みに思いっきり彩られた情報ですが。

まず、暗誦し甲斐のあるもので、なおかつ暗誦に適したものはどんなものだろう?と考えて見ますと、短くて文章が洗練されており、ボキャブラリーも程よく豊富で、しかも読んでいて楽しいもの、ということが浮かびました。そうすると詩や随筆(エッセイ)かなと思います。手に入るかどうかということが一番心配ですが、ヒントになることもあるかもしれませんので、思い当たったところを一通り紹介させていただきますね。

まず、「随筆集と言えば、これ!」と言いたくなるシリーズがあります。そちらの図書館等で読めれば嬉しいのですが、作品社から出ている大型シリーズです。特徴は、テーマごとに編集されていること、多彩な人物の手に成る作品が収録されていることです。もし一巻でも手に出来れば、その中からご自分に合った一篇を選んで読めばよいわけですから、好都合だと思ったのですが、…。一応、出版社のURLを貼っておきますので、こういうものが出ているという程度でも結構ですから参考にしてください。

http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/prod07.htm

次に私の好きなある詩人をご紹介させていただきます。辻征夫(つじ・ゆきお)さんという方です。残念ながら、辻さんは2000年に急逝されましたが、この方の「かぜのひきかた」という詩集を私はお奨めしたいです。辻さんの詩を紹介しているページがありますので、そちらをリンクしておきますね。

http://www.catnet.ne.jp/f451/lib8.html#tsuji

http://www.catnet.ne.jp/f451/tsujisan.html

よろしかったら、じっくりお読みになってみてください。(…私は涙。あとでもう一度読みます)

急ぎ足でもうお一方。暗誦以前に、機会があればぜひ読んでほしいという一冊です。星野道夫(ほしの・みちお)さんというアラスカに住み続けて素晴らしい写真と文章を遺された方が、日本に帰国された折に語られた講演の筆記録です。タイトルは「魔法のことば」。やさしく、飾らず、中身のたっぷり詰まった本当にきれいな日本語だと思います。私が読んだのは今年の夏ですが、いつの間にかぐいぐいとその語りの世界に引き込まれてしまったことを憶えています。話ことばそのままですから、少しづつ暗誦して見るのにも適しているかもしれません。こちらも紹介のページを挙げさせていただきます。

http://www.kcn.ne.jp/~tkawabe/bookrakuhosino.htm

最後に、実は児童書の世界でも生き生きとした簡潔できれいな日本語がたくさん生まれている(しかも内容の面白さを伴って)と言う観点から、児童書出版のプロの方が作られているホームページもご紹介しておきます(「子供の本で言いたい放題」というコーナーは、読み物としても十分に面白いです)。ことばの持つ活力、呼吸、テーマの深さ、新鮮な語彙といったことからも、児童書は大人の読者にも多くのものを与えてくれるものと思い、敢えて紹介させていただきました。私も子供向けの洋書から多くのことを学ぶことがありますので…。ご要望の主旨からは外れてしまっていたら、すみません。リンクは参考までに。

http://members.jcom.home.ne.jp/baobab-star/

以上で、私からの紹介は終わります。やはり、個人的な好みの中からしかカードを切り出すことが出来ませんでしたが、 留意したのは、なるべく現代の作品の中からという点でした。書かれた時代が近いほうが、感覚的にも親しみやすいですし、実用に資すのではないかと思いましたので…。

ご紹介した内容、的外れでしたら、ごめんなさい。
僅かにでも参考になれば幸いです。

awayuki_chさん、こんばんは。
ご質問、拝見しました。「暗誦」が語感を培うというのは本当ですね。目で見て、声に出し、耳で聞きながら、そこに立ち上がってくるものを感じ、心の中にしみこんでいったものを、また時を置いて呼び戻す…そういったことすべてを通してことばが自分の一部になっていきますものね。私も、英語を読むときはたいてい声に出していますし、中国語は「漢文」しか読めませんが、NHKの漢詩紀行の副音声で中国語の朗読を聴くといつも感動してしまいます。。

余談はさておき、私の手持ちの...続きを読む

Q記号∀,∃の読み方(発声)を教えてください

記号∀,∃の読み方(発声)を教えてください
出来れば解析学と論理学とにおける読み方を
一般的な読み方がなければ個人的な読み方でもいいです

Aベストアンサー

大学では数学をかじっていた者である。
一般論はNo.1に詳しいので、ここでは個人的なことを述べさせて頂く。

大学の講義でそう聞いたからだと思うが、私はどのような場合でも大概
「全ての」「或る(ある)」
と読んでいる。
また、Wikipediaの記事にはないが、こんな話をする相手はガンダムの話も嫌がらない人が多いので、
「ターンエー(turn A)」「ターンイー(turn E)」
ということもあろうかと思う。

Qよく理解できません・よく理解できていません・よく理解できませんでした

 日本語を勉強中の中国人です。次の三つの文の違いを知りたいのですが、教えてください。

1.よく理解できません。
2.よく理解できていません。
3.よく理解できませんでした。

 また質問文に不自然な日本語の表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>1と2は重なる部分があるという意味なのでしょうか。
:そのとおりです。
2=1+「【現時点ではまだ】というニュアンス」
です。
【現時点では】ということを強調していることになります。

「強調することによって、1とはどのように違ってくるのか」
というと、
「【現時点ではよく理解していないが】早く理解したいと思います」
「【現時点では】理解できていないという事実をわかってください」
といったようなニュアンスが込められています。

その意味で、
『B.2に関するご説明はまだよく理解できていません。もう一度教えていただけないでしょうか。』
のほが適切だろうと思います。


ただし、「もう一度教えていただけないでしょうか。(ア)」という一文があるので、Aでも全く問題はありません。
この(ア)が無く、
「2に関するご説明はよく理解できません。」
だけであれば、もうこれ以上答えなくても良い、という意味に受け取られてしまうかもしれません。

ですが、
「2に関するご説明はまだよく理解できていません」
と書けば、「さらなる説明を求めているのだ」と相手に感じてもらえる可能性が非常に高い、ということになります。

ただ、
Aのほうが
「直裁的ですっきりしている」
「まどろっこしくなくて良い」
と感じる場合もあります。
場面に応じて使い分けるのも良いでしょう。
その場合、【まだ】は外して、
「2に関するご説明はよく理解できません。もう一度教えていただけないでしょうか。」
のように表現するのが良いでしょう。

明らかに目上の人に対してや初めての相手には B 。
慣れてきたら A 。
という感覚だと思えば良いかもしれません。
 
納得いかない点がございましたら、さらに補足してください。
 
 

>1と2は重なる部分があるという意味なのでしょうか。
:そのとおりです。
2=1+「【現時点ではまだ】というニュアンス」
です。
【現時点では】ということを強調していることになります。

「強調することによって、1とはどのように違ってくるのか」
というと、
「【現時点ではよく理解していないが】早く理解したいと思います」
「【現時点では】理解できていないという事実をわかってください」
といったようなニュアンスが込められています。

その意味で、
『B.2に関するご説明はまだ...続きを読む


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