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 いつもお世話さまです。
 僕が小学2年の頃まで義理の祖父が在宅で存命でしたが、はっきりとは知らなかったのですが、どうも義理の祖父から田畑を買い上げる形で父が農業を継いだようだったのですが、祖母も聴覚障害者でとびきり貧乏っぽい。
 それで多分、他の子のような事は出来ないのだと思って、だいたいスポーツ用品とか玩具とか、後手後手で買って貰っていました。
 今日あたりも父に聞いてみたんですが、僕が「みんな持ってるから何々買って」とか言った事は一回もないくらいだとのことでした。

 覚えている限りでは、小学二年の運動会で同級生が運動靴で走っているのに僕だけ徒競走用の足袋を履いて参加していました。翌年やっと運動靴を買ってもらう。
 野球のグローブも小学生の時には買ってもらえなかったですね。なぜか高校の時に何かの気まぐれで父が二つ買ってきましたが、時既に遅しでした。
 ドッジボールはあったような記憶はありますが、サッカーボールは無かったです。
 確か、他の同級生がメタルファイバーとか言ってる頃に、エッジのないスキーを授業で使っていて、中学校でも一番最後までゴムのスキー靴を履いていました。
 みんなと遊べるようなスポーツ用品は無かったですね。竹刀とバトミントンセットだけありました。あと、卓球ですか。
 水中眼鏡も何もなしで、海水浴とか水泳の授業とか、不愉快でした。
 中学に入った当初の学生服もお下がりの羊毛の物で、他の同級生は化繊でした。こういうの、絶好のいじめの標的になるんで、普通親が避けるんですけどねえ。

 で、その結果、ほとんど惨めな気分がしました。
 惨めな気分でいるのが常態化しているですが、買えるか買えないか、親と相談したという事は皆無でした。
 まあ、「協調性」の裏返しで惨めになったんでしょうかね。
 かなり非社会的なキャラクターになったかもしれません。
 小学一年の頃から、農繁期には日に2時間くらい家業を手伝っていましたが、特に小遣いが増えるわけでもなく、テストで百点取ったら百円貰えるというのはあったのですが、回数が増えたので十円に下げられました。
 それ以外月百円の小遣いでほとんど全部貯金していました。
 
 どう伺いましょうか……。

 僕はどうしたらよかったと思いますか?

A 回答 (5件)

なんだか回りが裕福なんですね。

物欲にあふれています。

物を比べているうちは、自分の中身は問題にならないのでしょうか。

歌がうまいとか、スポーツができるとか、絵がうまい、詩人だ、動物の扱いがうまい、手先が器用でマッチ棒でお城が造れる、手品ができる、ケン玉ができる、料理ができる、体が柔軟でロッククライミングもできる。

うちは普通の中流家庭ですが、親がケチで自分の浪費をする為に子供の出費はごくわずかに押さえていました。

食べる事に困るという程ではないのですが、回りが靴を買う時に自分が足袋だったり、ブルマーが古いタイプだったり、恥ずかしいマネに追い込まれましたが、さてここからが質問者様との違い。「知るか、そんな事。私のせいじゃない。」と強気だったのです。

引け目に思えば臆病な人間になります。ほめられれば自信がついて、大きな人間になります。

物が手に入らないなら、ただでできる事をすればいいのです。

この子供時代から学んだ事は? 貧乏をバネにすべし。

世の中に貧乏人だけが持てるものは? 這い上がろうというモーチベーション。向上心。ガッツ。お金で解決しない知恵。体を資本として大切にする心。人生の階段を上る楽しさ。

今からできる事は? 過去には戻れないと理解する。戻れないなら、ぐちぐちしない。そんな事もあったよな、ひどい目にあったけど、自分が子育てするなら幸せにしてやる、と決心。経済面ではなく精神を育てる育児は、物を与えない事ではないだろうか。
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この回答へのお礼

 どうもご回答ありがとうございました。
 僕も反骨精神は出来ましたね。
 何やっても芽が出なかったのですが、40歳くらいからウェブ上でアマチュア文学活動とか始めたんですが、村上春樹作品論2点とか、検索10万件中1位になっていたりします。(厳密検索すると、3千件中くらいですが)
 東大卒者とか、元医師とか、僕みたいなインターネット上での活動はしてないです。多分、資産があるので、証券のリターンとかでレジャーをして過ごしているとか、そんな感じなのかもしれません。
 今同人誌の取りまとめの編集をやっているのですが、2代目編集長が出来たら僕の死後も同人誌残るのになあ、というのが夢かなあ。
 僕と同年輩の親御さんの子供の家庭教師などもちょっとやったりしました。(プロフィールに書いてあります。)
 あと、良いお嫁さんが来てくれたらなんの心残りもないいい人生だと思います。
 二人でもうちょっと組み立て度の高い思考とかしたいです。
 ありがとうございました。

 

お礼日時:2011/11/15 14:09

今は管理しなければならないものが、例えば高校の時と比べて一千倍くらいになっているので机の上すら片付かないでひーひーしています。


>机の上を片付けてみましょう。

  統合失調症も「相対的な病」ですかねえ。一卵性双生児で一致率が40%くらいらしいですが。
 「誰も責任者はいない」んですかね。国策で貧困とか救済されれば随分違ったんでしょうけども。
>統合失調症は、遺伝的要素もあると思いますが・・?

責任者、という言葉から
またあなたの他の質問から、

「俺がこうなったのは、俺以外の人間のせいやー」という叫び。

まあ、私もそういう部分あります。

依存心があるんですよね?
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。
 書斎の机の上は片付けたんですが、中央テーブルの上が片付きません。野口悠紀雄先生の、紙と戦う「超」整理法、とかやっているんですが。
 統合失調症の発症に責任者はいないという論調は世界的ですけど、日本は精神科医療にかける国家予算があまりにも少な過ぎて、治療の努力しないでセイフティーネットからリトライできないような予算しかかかっていないです。
 為替レート変わりましたが、カナダでは一人の統合失調症患者に「月間」60万円くらい予算配分してリトライのチャンスを作っているようです。まあ、日本でも生活保護で入院していると30万円くらいかかるんですが、万年押しこめてないで、一挙に予算かけて集中治療して他に住めるようにした方がいいです。

 依存心はありますね。僕は「自立」はするつもりはないです。「自助努力」はします。家族で分業したほうが楽だし、結婚も視野に入れています。
 北海道は住宅事情がいいので、わざわざ別に済む必要はないです。
 ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/15 13:56

数十年前になりますが、私の家はその頃の住宅ローン(住宅金融公庫、今の住宅金融支援機構だから利率は冗談みたいに低かったはず)で火の車でした。


中学校は国立大の附属で、制服はその頃は少ないスーツ型でネクタイでした。ほとんどみんな革靴でしたが私は三年間ずっと底厚のズック靴でした。
でも家にお金が無かったので仕方が無いなーと思ったことが一度あるだけで、それでいじめられた記憶は無いですね。まあ良家の子女の学校だったからかもしれません。
日本がどんどん豊かになる時代でしたのでそんなことを気にする暇はなかったように思います。^^
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうざいます。
 中学くらいで石油ショックがありましたが、高度経済成長期が小学時代でしたが、金が無いというか、農協に借金があったようです。
 小学6年の時に、初めて食堂でラーメン以外の物を食べましたが、豚丼でした。とか覚えてます。野球盤ゲームが9百円で安売りされてたの、ねだらなかった記憶とかあります。
 葛藤が日々強かったんでしょうかね。
 いずれにせよ、借金返すのが一年遅くなる程度なので、もっとやりたい事とか欲しい物を親に言えばよかったのかもしれませんが、雰囲気が如何にも貧乏ぽかったです。
 まあ、ぎりぎりの状態で生活していた感じで、夏休みとか、両親が家に入ってくると飯食ったら昼寝して疲れを取ったりとか、そういう雰囲気でした。
 もうちょっと家族で話とか出来ればまだ救われたんでしょうが、会話もあんまり出来なかったような。
 「自分に同情するな。自分の同情するのは下劣な人間のする事だ」なんて台詞が『ノルウェイの森』にありましたが、自己憐憫の感情も強いです。
 ほんとは「人並み」で居られる事は得難い事だと思います。

お礼日時:2011/11/14 17:44

ふぅ・・



今、幼い頃に満たされなかった物欲を満たせばいんじゃない?
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございました。
 今は管理しなければならないものが、例えば高校の時と比べて一千倍くらいになっているので机の上すら片付かないでひーひーしています。
 教育問題じゃあないですけど、成長に応じて、子供にはだんだんたくさんの物を管理できるようにステップアップさせるべきでしょうね。
 貧しげな服を着て街を歩いている時の惨めさ(離人感?)は車とかで走っていると感じることは無いので、ありがたいといえばありがたいです。
 統合失調症も「相対的な病」ですかねえ。一卵性双生児で一致率が40%くらいらしいですが。
 「誰も責任者はいない」んですかね。国策で貧困とか救済されれば随分違ったんでしょうけども。

お礼日時:2011/11/14 17:28

こんばんは。


ふっと昔を思い出して淋しくなったり、惨めな気持ちになったりする事がありますよね。
私の幼少時代は、ここには書けないほど凄惨なものでした。
ですから、幼少時代のあなたの気持ちは少なからず理解できます。
その上で書かせて頂くとするならば、幼い子供には周囲の環境を変化させるだけの力は
無いので、その環境を甘受せざるを得ないのではないかと思います。
むしろ、そんな中にあって非行に走らなかったあなたは賢明と言えます。

どんな環境にあっても、美しい記憶はあるのではないでしょうか。
夏草の香りや冬のストーブの温もり・・・。
それらを思い出せば、きっと自分の幼少時代も捨てたもんじゃないと思えないでしょうか。
総べてが総べて惨めな思いだったかと言えば、少なくとも私はそうではありません。
あなたもそうではありませんか?

「どうしたらよかったと思いますか?」とありますが・・・・・
あなたはあなたのままで良かったと思いますよ。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。
 苦労されている方はたくさんいますし、上の世代の方とかもちろんなんですが、「人並み」くらいにはなっていたかなあ、とは思います。
 積み残したものは多いような気がします。
 それにしても、高校で自分の服は自分で買う、くらいの裁量権渡されてないと、大学とかでどどっと負担が急に重くなって、自分のファッションなどにも自信が持てなくなって、都会で過ごしにくかった記憶があります。
 まあ、あんまりいい思い出もなくて、読書に逃避していたくらいですかね。
 今はアマチュアですが、ウェブ上で文学活動していますので、戻る所に立ち返ったという感じですが、地域社会などを軽視し過ぎているかもしれないです。組織でもうまくやれる人間ではなかったです。
 まあとにかく、自分で今後何とかして行くしかないかとは思っています。
 ありがとうざいました。

お礼日時:2011/11/14 17:22

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