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(1)あかねさす 紫野行き標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る(額田王)

天智七年(668)五月五日、天智天智は蒲生野で大海人皇子(のちの天武天皇)・中臣鎌足など群臣を率いて薬狩りを行いました。
そのときに額田王が詠んだ歌ですね。

この歌に大海人皇子が返歌をしています。

(2)紫の 匂へる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我恋ひめやも(大海人皇子)


また、次のような歌があります。

(3)香具山は 畝傍(うねび)を愛(を)しと 耳成(みみなし)と 相争(あひあらそ)ひき 
神代より かくなるらし 古(いにし)へも 然(しか)なれこそ 現人(うつせみ)も 褄(つま)を 争ふらしき (中大兄皇子)

(1)(2)の歌を受けて(3)の歌は、天智・天武・額田王の三角関係をうたったものだとする説があります。

ところが、学会では(1)(2)の歌はいずれも相聞歌(ラブソング)ではなく、雑歌に載せられていることなどから、宴会の席でのざれ歌、
(3)は単に神話の世界を詠んだ歌だとしています。

でも、表だって相聞歌だと言うことができないから、雑歌に載せられているんじゃないか、と思ったりします。


また、ただ雑歌に載せられているから三角関係ではなかった、というだけの理由ではあまりに考証が雑です。
まさか、それだけの理由ではないだろうと思います。

学会天智・天武・額田王が三角関係にあったとする説を否定する詳しい理由をしりたいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

既に結論は出ているようですが、日本の学界は


まさに史料至上主義で、史料に無いことは
単なる推測でしか無いという立場です。

この考えは正確性を期すためには必要なスタンスですが、
同時に、常識でわかりそうなことすら排除してしまうとか、
情報操作された史料しかないとそれが定説になってしまう
欠点があります。
特に、常識については(その時代の人は)わざわざ記録しないことが
多いので、結果的に学界の定説がピントのずれたものになりがちです。
(史料の少ない時代は無論のこと、比較的近い時代でもわざわざ記録しない
庶民の生活などが、実は定説が無いとか珍しくありません。)

こういうのは、学会の主流の考えが変わらないとどうしようもない
部分ですが、それを変える礎としてブログ等で発表するのは
決して無意味ではないと考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり資料至上主義であるために、雑歌にのっているものは雑歌以外のものではないと考えているのですね。
おっしゃるとおり、常識となっていることは記さないものです。
また日本の文化はすべてを言わずに推し量る、というところがありますので、時を経るとよけいにわからなくなってしまうのでしょうね。
また情報操作というのは現代でもされています。
たとえば原発事故ですね。
先日もNHKがまちがった放射性物質のデータを報道して問題になっています。
データが不自然だという問い合わせがあってデータのまちがいが発覚したわけですが
民衆に発言の場がなかった古においては、今以上に情報操作があると思います。
道鏡や将門は決して悪人ではないと私は思っています。
私のブログは1日の訪問者数が200人程度で、全く人気のないブログですが
それでもそれだけの方が読んでくださっているので、無意味ではないと思っています。

お礼日時:2011/11/30 10:51

No.7です。

ご質問いただいたので回答します。あと何点か補足を。

>>否定説が唱えられて以降、存在説から十分な反論がでていない(論争となっていない)から。

>回答者さまはこのあたりの事情とか、推移をご存じなのでしょうか。
>もし御存じでしたら教えてください。

>御存じではなく、そうお考えになっておられるということでしたら
>なぜそうお考えになるのか、その理由をお教えください。

古代史の研究者ではありませんので、すべてが管見におよんでいるわけではありません。
直木孝次郎『額田王』(吉川弘文館、2007年)では、三角関係について、他の歌の解釈や著者の考える額田王の性格から、三角関係説を捨てがたいという趣旨の記述があります。
一方、早川万年『壬申の乱を読み解く』(吉川弘文館、2009年)では、存在説・否定説を確認し、近年の否定補強説を紹介した上で、壬申の乱に影響を与えるような関係は無かったと考えられる、としています。
このような近年の著作から、三角関係の有無について学界では論争に及ぶような問題と認識されていないと考えた次第です。
なお、上記の書籍の記述については手元のメモによるものですので、誤読があるかもしれません。実際にご覧になってご確認ください。


>これは学会が否定している、ということだと思います。
学界の通説となっている、と解釈されたほうがよいかと。
学会名義で否定しているわけではありませんので。

>つまり文献史上主義だというわけですね。
>しかし、文献が正しいというわけでもないので、全く説得力がありませんね。
文献というか歴史研究は史料(考古含む)を重要視します。史料なしでは歴史研究はできません。なしでやったら妄想です。「真実は○○だが、秘密だったので史料は残っていない」など何でも言えてしまいます。
史料に書かれている内容が真実か否かを判断するために史料批判します。
もちろん研究によって史料批判の程度に差はありますが。


>それは私のようなしろうとでもとりあげてくれるんでしょうか。
>とりあげられなければ、私のいっていることは間違いだと言いたいのかな、なんて勘ぐってしまってますけど。(笑)
権威あるとされる学会誌では、実績がないと難しいかもしれませんが、活字にすることを目的として掲載誌にこだわらないのであれば、「先行研究をまとめ、問題点を挙げ、それについて史料に基づいて論理的に考証する内容」で投稿すれば審査は通るでしょう。
個人的には三角関係の有無にそこまで興味はありませんので(本屋で流し読みする程度)、質問者の説の是非にも関心がありません。質問者が原稿を書き、投稿し、査読され、採用の諾否が来るまで、いったいどれほどの時がかかるのでしょう。そんな迂遠な方法で質問者の説を否定する必要性がありません。

>どうやら理由は「雑歌にのっているから」でしかないようですね。
それ以外の根拠もあるかもしれませんので、ブログに書かれる前に否定説の嚆矢である明治期の論文はご覧になった方が良いかと思います。また上記の『壬申の乱を読み解く』で紹介されていた否定補強説の論文も。典拠をちゃんと確認しないでトンチンカンな批判をすると笑いものになるだけです。
問題提起的な意欲的な内容になることを期待しております。
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この回答へのお礼

(1)直木孝次郎とか早川万年という人は歴史学者ですね。
単に学会と書きましたが、文学(古典?)の畑のことです。
歴史の学会がどう考えているかは存じあげません。

(2)>>これは学会が否定している、ということだと思います。
>学界の通説となっている、と解釈されたほうがよいかと。
>学会名義で否定しているわけではありませんので。

屁理屈ですね。
たいしてちがいはありません。

言いたかったことは、あなたは学会は否定していない、というが
上野誠という人が「でもね、今日の万葉研究はこの解釈(三角関係)をまったく否定しているんだよ」と書いていますよ、ということです。

論点をすり替えないでください。

(3)>文献というか歴史研究は史料(考古含む)を重要視します。史料なしでは歴史研究はできません。なしでやったら妄想です。

いいえ。
筋道をたてて推理することと妄想はちがいます。
混同しないでください。
現に、三角関係にあったとする説は3つの歌を並べて観賞することによって導かれています。
妄想とは別物です。
また、万葉集研究に関しては万葉集という史料があるのです。
それをいかに観賞するかですね。

(4)>権威あるとされる学会誌では、実績がないと難しいかもしれませんが、活字にすることを目的として掲載誌にこだわらないのであれば、「先行研究をまとめ、問題点を挙げ、それについて史料に基づいて論理的に考証する内容」で投稿すれば審査は通るでしょう。

何を根拠にこうおっしゃるんでしょうか。
あなたは審査に通って論文が活字になった経験があるのですか?
あるいは出版社にお勤めなんでしょうか。
そう簡単に書いたものが活字になるとは思えませんけど。


(5)>個人的には三角関係の有無にそこまで興味はありませんので(本屋で流し読みする程度)、質問者の説の是非にも関心がありません。
質問者が原稿を書き、投稿し、査読され、採用の諾否が来るまで、いったいどれほどの時がかかるのでしょう。そんな迂遠な方法で質問者の説を否定する必要性がありません。

それならば、自説を発表しろとか、余計なことは書かないようにお願いしますね。

なんで、あなたに強制されてそんなことをしないといけないのか、まるで理解できません。

私は多少の自説は書きましたが、それは回答者に説明するためであって、自説を述べたいがために
書いたのではありませんので。

(6)>それ以外の根拠もあるかもしれませんので、ブログに書かれる前に否定説の嚆矢である明治期の論文はご覧になった方が良いかと思います。また上記の『壬申の乱を読み解く』で紹介されていた否定補強説の論文も。

あのー、私の質問はそれ以外の根拠を教えて下さい、ということなんですけど?
あなたは論争になっていないからだ、と回答されたのは、いったい何だったんでしょう?

私なら最初から、明治期の論文と『壬申の乱を読み解く』を読むといいよ、と回答します。
まったくわけがわからないです。

>典拠をちゃんと確認しないでトンチンカンな批判をすると笑いものになるだけです。
問題提起的な意欲的な内容になることを期待しております。

これも質問に関係のない内容ですね。
あなたは会社の上司にものを尋ねられても、こんな風にお答えになるんですか。

まあ、だいたい知りたかったことはわかりましたのでこれで終わらせていただきます。
ありがとうございました。
もし何かあれば、かきこみをどうぞ。

お礼日時:2011/12/02 02:19

その通りですね。

但し、妄想空想は不要 です。
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この回答へのお礼

>これは私のカキコミのどの部分のことを言っていますか?

この質問の回答をおまちしていましたのに、残念です。

それではこの辺で。

お礼日時:2011/11/30 16:01

学問と裁判ですね。


最低限のマナーとルールを無視した論法です。誰さんも言ってるとかが論拠であったり、推測が事実であったり、見苦しい域を通りこしています。
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この回答へのお礼

意味がわからないので教えてください。

>誰さんも言ってるとかが論拠であったり、

これは私のカキコミのどの部分のことを言っていますか?

>推測が事実であったり、

しかしながら、史料に書かれてあることが事実だともいえないと思うんですね。
なので筋の通った推理が歴史研究には必要だと思います。

お礼日時:2011/11/30 10:55

No.5です。

連続の回答となり失礼します。

まず、質問者は愛憎が重要だとお考えで、それについて私は評価しえませんが、
言いたかったのは、現在の政治史研究においては、問題の三角関係が政治に多大な影響を及ぼしたとは考えられていない、ということです。

次に、別冊太陽「万葉集の世界」の著者が誰で、どういった記述をしているのか判断できませんでしたので内容の信頼性については言及できません(「万葉集入門」という書籍は見つかりました。日本文学研究者が監修しているようですね)。
ただ、学界の通説になっているという記述はよく目にしますが、学会が否定しているという記述は通常あまりされないかと。学会名義でわざわざ「三角関係は無かった」ということ自体考えがたいです。
ウィキペィアの記述は典拠がはっきりしていませんので、問題となりません。

>なぜ三角関係になかったといえるのか、その理由を述べることがなぜできないのですか。
>三角関係にあったという主張のほうにはきちんとその理由があります。

三角関係存在説~内容が三角関係を示している。
三角関係否定説~相聞歌ではなく雑歌に分類されている。
といったところですので、論点は万葉集の史料解釈レベルになるでしょう。
史料が万葉集しかありませんので、否定説は「わざわざ雑歌に分類されているものを真実の内容として考える必要は無い」以上のことは言えないでしょう。「この歌は、本気のないようではない」と書かれている史料は出てこないでしょうから。
したがって存在説は、「雑歌に分類されているが、本来は相聞歌であるものが多く含まれている」という論証をして、否定説に反論すればよいわけです。
それに存在説が反論できなければ、三角関係は存在したという通説が形成されるかと。

>せめて、三角関係にあったという主張に対して、きちんと反論ぐらいはしてほしいですね。
否定説が出た後に、存在説の反論があったのでしょうか。否定説が出て以降は論争になっていないと思うのですが。

単に学会が否定する理由への疑問だけではなく、否定説への反論を独自にお持ちのようでしたから、発表をお勧めしただけです。ここで自説を披露されてもあまり有意義ではないでしょうから。
論理の通った論文ならば、審査に通るでしょうから投稿規定を満たしていれば学会誌(歴史学か日本文学か微妙なところですが)でも掲載されるでしょうし、体裁にこだわらないならばサイトやブログなどで意見を述べることもできます。

長くなりましたので、もう一度ご質問への回答をまとめますと
本当に三角関係を(どの)学会が否定しているのか疑問であるが、学界の通説となっているならば、否定説が唱えられて以降、存在説から十分な反論がでていない(論争となっていない)から。
です。

この回答への補足

すいません、ひとつ質問させてください。

>否定説が唱えられて以降、存在説から十分な反論がでていない(論争となっていない)から。

回答者さまはこのあたりの事情とか、推移をご存じなのでしょうか。
もし御存じでしたら教えてください。

御存じではなく、そうお考えになっておられるということでしたら
なぜそうお考えになるのか、その理由をお教えください。

補足日時:2011/11/30 12:32
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この回答へのお礼

>言いたかったのは、現在の政治史研究においては、問題の三角関係が政治に多大な影響を及ぼしたとは考えられていない、ということです。

なるほど、わかりました。

ああ、「万葉集入門」でしたね。失礼しました。
奈良大学教授の上野誠とかいう人が「美しき誤解」というエッセイを書いています。
そこに「でもね、今日の万葉研究はこの解釈(三角関係)をまったく否定しているんだよ」とあります。

これは学会が否定している、ということだと思います。


>否定説は「わざわざ雑歌に分類されているものを真実の内容として考える必要は無い」以上のことは言えないでしょう。「この歌は、本気のないようではない」と書かれている史料は出てこないでしょうから。

つまり文献史上主義だというわけですね。
しかし、文献が正しいというわけでもないので、全く説得力がありませんね。
先の上野誠氏のエッセイもまったく納得できない内容でした。
理由としては雑歌にのっているから、ラブソングではない、というだけで、
あとは発見の楽しみがあるから、美しき誤解をしてしまうのだ、とこうです。


>したがって存在説は、「雑歌に分類されているが、本来は相聞歌であるものが多く含まれている」という論証をして、否定説に反論すればよいわけです。
それに存在説が反論できなければ、三角関係は存在したという通説が形成されるかと。

なるほど、そういう手法もありますね。
否定する側は、雑歌といえば雑歌なんだときめつけていますから、ほかにいくら相聞歌が出てこようとそれらは相聞歌ではないといいそうにも思えますが。

>否定説が出た後に、存在説の反論があったのでしょうか。否定説が出て以降は論争になっていないと思うのですが。

そういうことを言ったのではありません。
否定説の理由が雑歌にのっているから、相聞歌ではないではあまりにお粗末なので、もう少し丁寧な考証をしたほうがいいのでは、と申し上げたのです。

「表だって相聞歌に入れるわけにはいかないから雑歌に入れたんじゃないか」
というと、どう反論してくるでしょうかね。

>単に学会が否定する理由への疑問だけではなく、否定説への反論を独自にお持ちのようでしたから、発表をお勧めしただけです。ここで自説を披露されてもあまり有意義ではないでしょうから。

三角関係にあったとする説の論拠として私はこう思う、と一例をしめしたにすぎません。
それにたいして三角関係を否定する側の理由が「雑歌に入っている」というだけではあまりにおそまつではないか、ということを、ある回答者さんに理解していただくために書いたまでのこと。

この場が質問の場であることは理解していますが、回答者さんに説明をすることは認められると思います。

>論理の通った論文ならば、審査に通るでしょうから投稿規定を満たしていれば学会誌(歴史学か日本文学か微妙なところですが)でも掲載されるでしょうし、

それは私のようなしろうとでもとりあげてくれるんでしょうか。
とりあげられなければ、私のいっていることは間違いだと言いたいのかな、なんて勘ぐってしまってますけど。(笑)

>体裁にこだわらないならばサイトやブログなどで意見を述べることもできます。

ええ、歴史ブログをやっていまして、その記事を書くために質問したんですよ。
言われなくても、書くつもりでいましたので。

いろいろありがとうございました。
どうやら理由は「雑歌にのっているから」でしかないようですね。
それに対してどのように反論すればいいかなど、いくつかの点で大変参考になりました。

お礼日時:2011/11/30 00:31

アル中かキチガイ論法だと非難されますよ。



これでは3流週刊誌の3流記者の3流ゴシップです。
2ちゃんねるのように、反論が無い。論破ーーー。と言う方程式も良く分かります。

ただ、誰も相手にしないと思います。


誰が「私たちセックス関係です。」と公の場で「歌い合う」のでしょう??
常識で判断すべきです。

双方共にそんな異常な性格であったのでしょうか?
そうでなく、大友家持が3流記者で3流ゴシップを狙ったんですか?

論拠があまりに馬鹿らしいんです。
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この回答へのお礼

おお、何度もありがとうございます。
ただし、批判する際に、アル中、キチガイ、2チャンネルなどと抽象的なのはいかがなもんかと思いますね。
批判、おおいにけっこう。ただし批判するなら具体的にお願いします。

>誰が「私たちセックス関係です。」と公の場で「歌い合う」のでしょう??

なるほど、それがあなたの根拠なんですね。
ですから、それをあからさまにしないために、雑歌に入れたり、神さまの世界にたとえて歌を詠んでいるのだと思われます。

ところで、前回の私の質問にはお答えいただいていないですね。

裁判と学問を混同されているのではありませんか、とお尋ねしたんですが。

お礼日時:2011/11/29 23:26

三角関係説の否定は明治期のものです。


当時のことですから、皇室に配慮した可能性も否定できませんね。
ただ、現在もそのような配慮が働いている可能性はほとんど無いでしょう。
そもそも提唱者は歴史学者ではありませんし、はっきり言って、三角関係があろうが無かろうが、ほとんどの研究者にとってはどうでもいいことだと思われます。
よって、学会としてはそもそも三角関係の有無に興味は無く、否定・肯定の検討を本格的に加えていない。別に学会が否定しているわけではなく、否定説に誰も異議を唱えていない(よって認められている)。これが現状でしょう。

よく言われることですが、三角関係が無かった証拠を提示するのは不可能かと。悪魔の証明です。
否定説に疑問を持たれるならば、論拠を示して一度何らかの形で発表してみてはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>三角関係があろうが無かろうが、ほとんどの研究者にとってはどうでもいいことだと思われます。
いやー、そんなことないと思いますよ。
ゴシップネタのようですが、人間の愛憎が歴史を左右しないなんてことはない。

>別に学会が否定しているわけではなく
いいえ。
別冊太陽「万葉集の世界」にも書いてありましたし、ウィキペディアにもそうかいてあります。

>三角関係が無かった証拠を提示するのは不可能かと。悪魔の証明です。
なぜ三角関係になかったといえるのか、その理由を述べることがなぜできないのですか。
三角関係にあったという主張のほうにはきちんとその理由があります。
せめて、三角関係にあったという主張に対して、きちんと反論ぐらいはしてほしいですね。

>否定説に疑問を持たれるならば、論拠を示して

論拠は簡単にナンバー3さんのお礼のところでかいてあります。

>一度何らかの形で発表してみてはいかがでしょうか?
私のようなしろうとでも発表できる場所があれば教えていただけますと幸いです。

てか、発表するしないって質問に全然関係ないですよね。
なんでこんなことをおっしゃるんですか?

お礼日時:2011/11/29 20:58

>おそらく学会の言い分ではなく、あなたの意見なのだと思いますが




世間の常識です。
状況証拠=無罪です。


1 憶測だけで物事を推し量っている。
2 その解釈は自己に都合の良い解釈でしかない。
3 確たる証拠をまるで持っていない。
4 自己の都合の良いように状況証拠を並べ立る。


既に判決はそこにあり、都合の良い解釈と状況証拠を並べ立ててスピーチです。
無罪の人間を陥れようと言う魂胆は明白です。

司法は形式だけす。
弁護士、証拠、証人など一切無用。実は状況証拠だけで良いのです。

ナチスの裁判など誰も耳を貸しません。
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この回答へのお礼

何度もありがとうございます。

1~4は裁判の手法。
裁判で無罪となっても真実は罪をおかしている可能性もある。


真実を追求するのが学問。
そのためには議論が必要になってくると思います。
だから、学会の言い分を知りたかったわけです。

裁判と学問を混同されているのではありませんか。

お礼日時:2011/11/29 20:46

>否定する詳しい理由をしりたいです。



この歌が深夜に密会していた証拠にはならないし、ラブホに入った証拠にもなりません。
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この回答へのお礼

>この歌が深夜に密会していた証拠にはならないし、ラブホに入った証拠にもなりません。

おそらく学会の言い分ではなく、あなたの意見なのだと思いますが
そうではないという証拠もありませんよね。

それなのに、なぜ三角関係ではなかったという結論になるのでしょうか。

万葉集を編纂したのは大伴家持です。
大伴家持は藤原種継暗殺事件の首謀者とされ、すでに死んで埋葬されていたにもかかわらず、死体が掘り返されて流罪となった人です。
いわば反体制派、半藤原派です。

また正史は為政者の都合のいいように改ざんされているといった指摘もあります。
紫式部も「正史は嘘ばっかり。物語の中にこそ真実はあるのです。」というようなことを言っていますね。

大友家持は万葉集を通して、改ざんされた歴史の真実を描こうとしたのではないでしょうか。

宴会でのざれ歌だとか、単なる伝説を詠んだ歌だとしたら
それをなぜ芸術というのか、などとも思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/11/29 08:42

>学会天智・天武・額田王が三角関係にあったとする説を否定する詳しい理由をしりたいです。



一言で回答すれば・・・。
「天皇は、神聖にして犯すべからず」だからです。
歴代天皇家・皇族の学術的な研究が自由に出来るようになったのは、平成に入ってからなのです。
通説では、1945年の敗戦後「朕は、神さんでなく人間や」と天皇自らが「人間宣言」を行ないました。
写真でしか見た事が無い国民が、直接天皇の姿を見たのも戦後です。
1945年の玉音放送で、初めて天皇の声を聞いた国民も多く居ます。
が、学術的には「天皇は、神聖にして犯すべからず」が続いていたのです。

個人でなく、遺跡・史跡関係では「多くの学会が、自由に研究・発表」を行なっています。
学会では、堺市の「仁徳天皇陵」は、戦後「伝仁徳天皇陵」となり、今は「大仙古墳」となっていますよね。
(仁徳天皇陵の可能性が、低いのです。アメリカの博物館にある仁徳天皇陵出土品も、実は別物との説が有力です)
しかし、宮内庁の歴代天皇墓を管理する書陵部?では「仁徳天皇陵」のままです。
誰の墓(塚)か分からない古墳でも、立派な前方後円墳を選択して「天皇の墓」としていますよね。

ところが、こと「天皇家の個人」については自由な研究は出来ません。
日本書紀など歴史書とかを読めば分かりますが、古代大王(天皇)家の婚姻関係は複雑です。
親子兄弟・祖父孫間でも、即位をめぐって戦闘を行なっていますよね。
ここでは書く事が出来ませんが、息子の嫁を奪って側室にした天皇も存在します。
明治時代になって初めて「万世一系(男系)が継ぐ事」が決まりました。
が、慶応義塾大学の某さん(明治天皇の外孫の子孫)は「古代から万世一系(男系)で天皇家は続いている。天皇の前では、国民は平等だ」とヘンテコな理論武装をしている方も多くいるのです。
(毎月の食費300万円を国から受給している愛子親王が、女帝になれるのか?との質問での回答)
学会でも「天皇家も、庶民と同じで自由恋愛なんです」とは、堂々と発表する事は出来ません。
医者が、日本医師会を批判する。弁護士が、弁護士会を批判するのと同じ事なんですね。
学者の多くは、「腫れ物に触る」事を避けますから無難な方向に進むのです。

>表だって相聞歌だと言うことができないから、雑歌に載せられているんじゃないか

史学会の多くは、同じ事を考えています。
明治維新までは、天皇・皇族といえども自由な雰囲気だったようです。
岩倉具視に暗殺された(と噂される)孝明天皇は、子供(明治天皇)を連れて町を自由に散歩していたとの話が京に伝わっています。
今と違って、お供がぞろぞろ何十人も付いてきません。
子供に「飴ちゃん」を買い与えたようです。
と言っても、裏話があります。
幕府からの皇室費支給が少ないので、店主は「天皇の姿が見えると、高価な飴は隠した」ようです。
飴も買えない!姿は、見たくありませんからね。また、失礼にもあたります。
地元京都では、老舗の店主は「天皇陛下でなく、天皇さん」と呼んでいる事でも理解できるでしようね。
学会では、こんな京町屋の話でも表立っては無視(無かった事に)しますよ。
文書・記録として残る場合は、特に波風が立たないように配慮しています。
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この回答へのお礼

>歴代天皇家・皇族の学術的な研究が自由に出来るようになったのは、平成に入ってからなのです。
平成にはいってもう何年もたちましたがいまだに自由な研究ができていないようですね。
残念です。


>ところが、こと「天皇家の個人」については自由な研究は出来ません。
天智天皇、天武天皇が崩御してから1000年以上もたっているのに!

学会は天皇家や宮内庁との癒着でもあるのかと疑ってしまいますね。

ありがとうございました。.

お礼日時:2011/11/29 08:26

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