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自意識をこじらせている者です。
楽になるには、タイトルのようなものを見つめる必要がある、
ということを本などでよく見かけます。
簡単に言うと、「自分の感情を第三者視点で見ている自分」をもまた
「自分」で認識しているために、何が自分の「素」「ありのまま」なのか
分からないため、混乱しているということです。

「本当の自分」「素の感情」「ありのままの自分」などを
認識する方法を文章化できる方がいらっしゃいましたら、
そのやり方を教えていただけないでしょうか。

方法は問いません。よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

多くの皆様がご意見を述べられています。


ありがたいことです。

いずれにせよ、
ご自身で「ピン!と感じる事」を実施する事が大切だと思います。

同じ人は誰も居ません。
誰しもが、宇宙でたった一人です。
その経験も同じ人はいません。似ていても全く違うのです。
あなた様にあっても、ご自身を尊重なされ、ご自身なりに道を進まれるしか無いと思います。
今はその為の人生途上かと思います。

人は絶えず「人生の敷居の門」に立っています。

ですから、小生は小生の経験を述べるしかありません。
あなた様もご自身にとってピンとくる方向へ「なめらか」に進まれますよう祈念いたします。

選択能力は、選択を行使することで培われます。
どんどん選択して、行動して、修正していくことが大切と思います。


真の幸せとは条件が無い状態です。
社会的な地位、名誉、健康、金銭、家族なども一つの基準とはなり得ますが、小さな一部分でしかありません。
これらの社会的な拘束からの解放を幸せとするなら、いつも脅迫の中に生きているようなものです。
次から次へとキリがありません。
また社会はそのように作られています。
だからこそ、真とは違うという違和感を感じながらの「幸せ」に甘んじているのです。
しかし、甘んじてはいられない時勢になってきています。


>心から笑い、わくわくし、愛を感じて、愛を与えることを幸せに感じて、
 目をイキイキと輝かせて、そのように生きたい。
 そういうふうに期待することは諦めるべきということでしょうか。
 またそうであれば、そういった幸せを諦めるということはできるのでしょうか。

◎あきらめないでください。。

 あきらめの気持こそが「負」を増強させます。

  遠くに山が見えます。
  その山頂に登ろうとしています。
  ふもとに至ると山頂は見えなくなります。
  更に山中に入ると、周りは木々。
  多くの方々がこの山中で迷います。
  この時が「道」の分かれ目です。

社会のせい、親のせい、人のせい、病気のせい、お金のせいなどと、他に責任を見つけている最中が「負」です。
ましてや、自分自身の学歴や職業、性格のせい、容姿のせい、性別などと、自己嫌悪になるのは「最大の負」です。

自分が発する言葉、感情、行為、書き記す文字も自分に還ってくるのは真理です。
「天に向かってツバを吐けば、自分に降ってかかる」のです。

あなた様は、実際にその状態を招いています。
あなた様が発する言葉どおりになっています。

難しそうで、実は簡単なのが「いつでも自分を好きでいる事」です。
鏡を見て「好きだ!、愛してる!」と言ってみてください。
ここに幸せ、自己認識、自己評価の重大な秘密が隠されています。
是非、鏡の自分に試してください。
「はずかしさ」が「うれしさ」に変わるまで続けて下さい。

マイナスな気持ちの時には、軽くあしらって下さい。
反対にラッキーな事を探しては、大げさなボディアクションで、声までも張り上げて歓声を上げる事です。
多分、いままではこれと反対の事をしてきたのではありませんか?

どん底にあっても「なんとかなる!、なんとかなる!」と何十回も言い続ければ、心にパワーがみなぎってきます。
何十分でも続けて下さい。

このような意識的な行動による「心の変化」に気付いてください。
体も元気になるのが実感できるはずです
これが、突破口になります。

ご自身を愛して下さい。
誰よりも自分を愛して下さい。
何よりも自分を大切にしてください。
自分が幸せになると、周りの方々も幸せになります。
幸せな方々、物品、環境が集まってきます。

感謝が更に幸せを「至高」へと近づけてくれます。

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深呼吸を数回繰り返すと心が落ち着きますから、その状態で目をつむり、
胸の中心(胸腺)に光をイメージして、「愛しています」とゆっくり唱えて下さい。
ほんの一瞬でいいんです。
また、試してみようとか、上手にいくかなとか、そのような期待や疑いも呼吸しつつ捨てて下さい。

夜寝る前とか起床時が良いと思います。
もちろん、馴れてきたら、ちょっとした時間(数秒)で日中いつでもできるようになります。
世の中はマイナスだらけですから、それを感じたら呼吸を意識するだけも効果があります。

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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
根本的に「愛する」という感覚が分からず、取引になってしまって困っていますが、
できる限り鏡の中の自分にもそのように接しようと思います。

ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

お礼日時:2011/12/31 18:34

お礼、再度拝見しました。


ヴォランティアの行動を褒めてもらうことではなしに
潜在能力を発見してあげたことを褒めてもらうように
しませんか。潜在能力の発見は簡単にはできませんし、
質問者さまにも相応の才能が必要になります。
質問者さま自身が、そうした才能に気づくことが
最高の神様からのプレゼントになるでしょう。
そうしたスタンスで、進めてください。

質問者さまは褒められないで育てられたのでしょうか。
であれば、曽野綾子さんの『絶望からの出発』も
併せて読んで、大いなる救いを感じてみてください。

質問者さまの成功体験事例を
『潜在能力発見法』といった本に書いて
世界に向けて出版すれば
世界中の人々から称賛されます。

質問者さまのご両親、お爺ちゃまお婆ちゃまも
やはり、褒められずに育てられたのでしょうか。
その辺のところを調べてみませんか。
褒められずに育てられた人は、褒めかたを
知らないのです。
《日本の人は、なぜ、褒めないの? フランス人が
褒めるのは自身が褒められたいからなのよ》と
言われたことがあるのですが確かに、そのまちでは、
どこへ行ってもフランスの人たちは褒め合ってました。
日本では、いまは褒めるようになってきましたが、長い間、
自分の家族を褒める行為は避けられてきましたね。
なので、質問者さまの、ご両親、お爺ちゃまお婆ちゃまが
褒められずに育ったのは日本の躾としては普通のこと
なので、もし、憎悪感があるとすれば、それは
間違った感情であることに早く気づくことで質問者さまは
トータルで救われるのではないでしょうか。

早く、解決するといいですね。
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この回答へのお礼

>潜在能力を発見してあげたことを褒めてもらうようにしませんか

なるほど、そのように考えなければいけませんよね。

>日本では、いまは褒めるようになってきましたが、長い間、自分の家族を褒める行為は避けられてきましたね

そうですよねー、ウチだけではなかったはずですね。
確かに親のせいにしてた部分はあります。
他にパワーを向けないと、とは思いながらずるずる生きている気がします。

神様からのプレゼントが欲しいですね、のどから手が出るほど。

ありがとうございました。少し救われました。本も読んでみます。

お礼日時:2011/12/31 18:19

お礼ありがとうございます


損得を考えるから
それは損得だけじゃない
言っていいのか悪いのか
相手の気持ちも考えて自分の気持ちは違くてもそう話す時ない?
例えばあの人変な顔してるって思っても言えないでしょ
普通だよって答えるでしょ
例えばある人があなたを慕ってくれて
あなたはちょっと嫌な気持ちでいても
その人のことを思うと本当のことは言えない
常に素は持ってる
ただそれは出せない時があってもいいってことだと思います
だから時には自分の気持ちか
作った気持ちかわからなくなる時があるんだと思います
けどこれは普通、みんなそんな感じ
ただ深く考えるか考えないかだと思います
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この回答へのお礼

>ただそれは出せない時があってもいいってことだと思います

そうですね。それを納得しないといけないですよね。
完璧主義だからでしょうか、どうも納得まで至らない。

>みんなそんな感じ

みんなそうだから、という理由で納得できたり腑に落ちたりできる回答者さまが、
正直羨ましいです。
バカにしてるわけじゃないです。
深く考えなくてもいいのに、考えてしまう。僕はそんな人生なんでしょうね。

ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

お礼日時:2011/12/31 18:13

>「本当の自分」「素の感情」「ありのままの自分」などを認識する方法



私にとっては、自分の本当の気持ち、心の奥底の本音、自分の行動をつかさどる気持ちの根っこの部分を引っぱり出す作業のようなものです。
客観性だとか正しい正しくないとかいう縛りからは離れて、
自分はなぜそうしてしまうのか、なぜそう考えてしまうのか、つきつめれば一体自分はどうしたいのか、どう思ってるのか、そこにどういう心理が隠れてるのか、などを考える作業です。
一夜にして分かるようなものではなく、時にはたくさんのものをこじ開けていくような、色んな分厚いものを分け入っていくような、そんな感覚でもあります。
でもそれを知れただけで、問題自体は解決していなくても、確かに心は楽になれます。
逆に、自分の本音に気づかない、あるいは無視して生きることほど苦痛なことはない気がします。本音に従うかどうかはまた別の話ですが。

質問者さんの場合、「何をするのでも損得が気になる」「損得勘定でしか動けない」というのが、ありのままではないでしょうか?
で、それが苦痛なのですよね?
じゃあ、なんでそんなに損得勘定がすべてになってしまうのか、なんでそんなに損が嫌なのか、こんなに損を怖がる心理のウラには何が隠れてる??自分が損だと思っているものは、本当にそこまでの損なのか、・・などと思考を進めてみてはどうでしょうか。
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この回答へのお礼

心理のウラですか・・・難しいですね。
それなりに掘り下げたつもりなのですが。
おそらく客観性がなくなっているというか、視野が狭くなっているのかもな、とは思います。
はっと気付くことって、ふと離れて俯瞰してみたときだったりしそうです。

来年はもうちょっと広い視野を持っていきたいと思います。

ありがとうございました。よいお年を。

お礼日時:2011/12/31 17:47

本当の自分を見つける方法を書いてみますが、その前に『心や精神』というシステムを簡単に説明しておきます。



人間が文明を築き発展した裏に『意識』が有りますが、その意識が持っている言葉によって歴史が残されています。

人間は言葉によってのみ考えている訳ではありません。言葉にならない考え方も有ります。ここが分ると『話の半分が分かる事』になります。

人間には『自我意識』という意識が在りますが、この意識の機能は、物事を認識する場合、始めには言葉にならないかも知れない物の場合でも、言葉にして味わうと云う事をしています。

そういう歴史が繰り返された事によって、人間の自我意識は鍛えられたり、淘汰されたりしています。

先に書いた、言葉のみで考えている訳ではないと云う事を少し説明します。是は『意識に感情が湧き上がるシステム』そのものの説明にもなりますので、分からなくとも良いですから、読み進めて下さい。


興味が湧くようでしたら繰り返し読むようにして下さい、分かる時が来たなら『ピタリ』と分るはずです、その時には、「本当の自分」「素の感情」「ありのままの自分」 と云う事を人に説明出来るようにもなると思います。

貴方の疑問は、自分自身に感情が湧き上がるシステムそのものを疑っている事です。と言う事で感情が湧き上がるシステムから書いてみます。

始めにそのシステムの理窟を書いてみます、後で体得する原理を書いてみます。

それは脳の機能からです。ウイキペデアからのコピーです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”

人間の脳内には『意識が二つ在ります。』自我意識ではない方の意識は『無意識の時の人間を司っています。』そうしてその機能は、『人間の生命活動を全て握っている意識です。』

右脳の意識は人間の身体の機能全てを働かせている意識です。おまけに人間の行動も全て握っている意識です。おまけに人間の心も全て握っている意識です。

この意識は人間も生物や植物でさえ持っている意識です。昆虫でさえも持っている意識です。意識というより、働きという方が当たっているのかも知れません。その働きのお陰で『命あるものが生きてゆけるからです』

人間で言うなら、生命として芽生えた瞬間から働き始めている働きそのものです。細胞分裂でさえ『教えてもらわなくとも知っている働き』です、お腹の中にいる時からでさえ、生まれた後の準備をする事を知っている働きです。

生まれたなら直にでも泣く事でも、笑う事でも、不安な事や、安心する事や、恐怖する事さえ知っている働きです。しかも誰から習う事もなく、です。

全てが分かっている働きが『右脳の人格です。』生命活動全てを一手に引き受けて働いている働きです。この働きが分かる時『真実の世界が見えるようになります。』人間としての『変わらない真実の世界です。』

時代が変わっても変わらない人間の精神世界という意味です。人間の精神構造が変わらない限り変わらない世界です。キリストの教えや、お釈迦の教えが体得出来る精神世界です。

時代によって、政治によってころころ変わる時代精神を超えて『何時までも変わらない精神世界です。』2,00年前から変わらない人間の心です。

右脳の意識は人間の脳の成長に伴って、『無意識の底に隠れてしまいます。』この事が精神科医達の悩みになっています。

右脳の意識は、五感に感じたものを『脳梁を介して』自我意識たる左脳に情報として送っています。その情報は言葉ではないものでありながら、情報の量は大変に多くて正確です。

例えば高い所に上がった場合ですが、『怖いという感情を湧き上がらせると同時に、どの位の高さなのかも、正確に伝えています。』

スピードを出した場合などでも云えます、そのスピードを『怖いという感情を湧きあがらせながらも、同時に如何いう行動をするのか?』と云う事も含めて伝えています。

もう間に合わないと『自我意識』が感じるような時には『直接右脳の意識が、身体と心を支配してその場を切り抜けることもしています。』そういう場合には『思わずに体が動く』という表現方法を取っています。

或いは火事場のくそ力という表現方法もあります、そういう場合に『自我意識たる心には、記憶がない場合もあります。』

右脳の意識は五感から入る情報を、今書いた方法で自我意識に伝えていますが、不思議に思わない場合が『殆どです』こういう場合を『健常者』と言っています。

ところが、神経質な人と言う場合や不安になり易い人と言う場合では『自分自身に疑問や不安や恐怖を抱く場合があります。』この場合高いと言う情報を恐れる場合が『高所恐怖症』と云う事になります。

狭いという情報の場合が『閉所恐怖症』と云う事になります。

全てが自分の右脳の意識が『発信している情報です。』この場合無意識の自分と共同歩調が取れている場合に『健常者』と言っています。

右脳に存在する無意識の自分と上手く共同歩調がとれない場合には、基本的に三つに大別出来ます。

身体の機能を疑う場合や、信頼出来なくなる場合には、自我は『身体の機能に異常が発生した。』という勘違いする場合です。そういう場合でも機能的な検査をすると、何処にも異常がありません。全てが正常でありながら『本人が訴える症状になる、理由を医師が見つけられない場合』を自律神経失調症と仮に名前を付けています。

異常がないものでありながら、本人のみが異常と執拗に訴える場合には、本人が頭の中で脳の情報交換を間違って受取ったために、自意識過剰になるために、意識地獄の状態になって、頭の中で症状にまで高めてしまっています。ですが検査においては異常がないという現象です。この場合では『無意識への自分の信頼を回復させる事で』症状は、なくなってゆきます。無意識の自分に任せた場合に健常者と同じになると言う意味です。言葉にするなら『自分を忘れる。』です。



自分自身の行動学上に疑いを持つ場合では、『ムカデが歩く事を考えたら、ムカデは歩く事さえ出来なくなった。』という中国の故事の状態になります。この場合も検査をした場合には、身体も脳も異常がありません。この場合では『無意識への自分の信頼を回復させる事で』症状は、なくなってゆきます。無意識の自分に任せた場合に健常者と同じになると言う意味です。言葉にするなら『自分を忘れる。』です。


自分自身の心の状態や、精神状態に疑いを持つ場合に『自我は精神状態がおかしいと感じている場合があります。』この場合でも脳の検査をしたところで、異常は見付けられません。自分のみがおかしいという勘違いする場合に『心を病む』と診断されます。そのおかしいという具体的な事が症状名になります。ですが脳の検査では正常です。心に湧き上がる感情を異常に意識する場合です。この場合でも自我に送られてくる情報を受け付けようとしない事がその症状を作っています。

右脳からの情報のうち、気分が良くなる情報をのみ望む場合に、鬱々とした情報を受け取ろうとしなくなっている事を意味します。受け取りを拒否する事で『自分自身を否定しています。』

心を病む場合に否定感を強くする場合には、自分自身の情報を否定している事を意味します。無意識からの情報の受け取りを、しないようにする事は、その事が『意識に上がってしまう事=意識地獄』という状態になっています。その意識した内容が症状名です。

感情が湧き上がるシステムの解説は終わりにして、結論です。

「本当の自分」「素の感情」「ありのままの自分」 を認識する方法を書いてみます。簡単です。その方法とは『自身に湧き上がる感情に、良し悪しを付けない事』是だけです。

良い感情にのみ浸っていたい、という誤まった態度を改めるだけです。悪い感情も心地良い感情も、その場その時に必要があって送られる情報です。

そうなる為の指針が有ります、嬉しい時も喜び過ぎない事、落ち込むような時にも、落ち込み過ぎないようにする事です。それは『湧き上がる自分の感情は、全てが一過性のものであって、その感情の波に飲み込まれないようにする。』という意味です。

他の言葉にするなら『湧き上がる自分の感情に右往左往しないようにする事』を意味します。

「本当の自分」「素の感情」「ありのままの自分」がわから無くなった理由は、一過性の感情と本当の自分の見分けが付かなくなった事を意味しています。

貴方が『何も思わない時に』本当の貴方がいます。言い換えるなら『貴方が自分を忘れた時の事です』他の言葉で言い表すなら、『思わずに言葉が出た時』貴方の本心が出ています。

意識のし過ぎから『思う事が口から出なくなっています。』

人間の心を学ぶ事は自分の心を学ぶ事です。自分の心を学ぶ事は、自分の無意識の事を学ぶ事です。無意識の事を学ぶなら、夢中になって何かをする事を学ぶ事です。

我を忘れた行動、或いは没我と言う意味を学ぶ事は『全身全霊で事に当たれ!』と言う意味になります。

苦しい場合に『苦しいと感じている場合』まだ苦しい事には余裕が有ります。余裕がないほど苦しい場合『苦しいという意識さえありません。』ものに為り切る態度が不足しています。
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この回答へのお礼

長文のご回答ありがとうございます。

>貴方が『何も思わない時に』本当の貴方がいます

ということはつまり、
「素だとか本当だとかありのままだとか、そんなことを考えてもしょうがないよ」
ということですよね。

でもなぜ「しょうがないな」と腑に落ちないのでしょうか。本当に不思議です。
全身全霊とか夢中って、後からしか成し得ないものですよね、結局。

どうもありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2011/12/31 17:34

お礼、拝見しました。



期待心などは消せます。
たとえば、この次節、
被災地を訪れて、ヴォランティアで
お役に立ってきたり、それが無理ならば、
プレゼントを持って、児童養護施設(≒孤児院)を訪れて、
遊んだり勉強したりしながら、丁寧に
心に寄り添いながら子どもたちの潜在能力を
顕在化させるお手伝いをしてみませんか。
そうしたプロセスで、多様な示唆があり、
マイナスのエネルギーを誘発する源泉である
期待心などを消す方法を無理なく発見、
体得できるでしょう。

心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる。 (「ヒンズー教の教え」)
とりあえず、ココロを変えてみませんか。

それと、
森瑤子さんの『女ざかりの痛み』
質問者さまが男性でも、お勧めです。
図書館などで、丁寧に、お読みください。

余裕が生じてくると、いいですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

何度も回答いただきありがとうございます。
僕のような依存心の塊の人間がボランティアなど行っていいことありますか?
僕も、被災地や子供向けのものではありませんが、ボランティアのようなものもやったことがありますが、
「俺はボランティアやってるんだから誉めてくれよ、認めてくれよ!」
という依頼心ばかりでしたよ。心底を見つめると。
当然それ相応の愛情は返ってきはしませんから、
余計に依頼心が増幅した気がしてきて、そういうった類のものはやめようと思った経緯があります。

当然相手にもそんな態度になりますし。
子供になんてそんな態度になったらそれこそ取り返しつかない・・・。
いいことない気がします。

ご紹介いただいた本、ぜひ読んでみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/29 15:17

修行中の者です。


小生の経験から述べさせていただきます。
ご参考になればと思いますが、お気に召さなければ廃棄していただきたく思います。
率直に申し上げますので、失礼がありましたらお許しください。

まさしく「不立文字の世界」の探求です。
ですから、書物(文字・言語)はとりあえずは参考になったとしても、いずれ害になります。
一人ひとりが唯一の者ですから、自分で会得していくしかありません。

結論として、そこへ行きつくには、
日常生活の中で、外界に反応して刻一刻と揺れ動く心(感情と思考)を、否定も肯定もしない事です。
区別をつけない、評価しない、そのままを受け入れて流すのが良いと思います。

自分を自分にさらけ出すとも言えるでしょう。
自分自身を白昼のもとに照らすのです。
もちろんすぐには会得できないと思いますけど、訓練のつもりで自分自身と戯れるつもりがいいです。

書物も瞑想もグッズも何も必要ではありません。
唯一かつ最小限の方法は「自己との対話」です。

考えている自分を「考えている」とする。
何かを思い出したら「思い出している」とする。
感情が高ぶったら「感じている」とする。
夢を描いていたら「想像している」とする。
思考が混乱したら「考察している」とする。
話したいのを感じたら「話したがっている」とする。
・・・等々です。

この時に呼吸を意識するのが良いでしょう。
丹田でもいいし、鼻先でもいいです。
できればゆっくりとした深呼吸が望ましいです。
しかし無理をしてはいけません。ごく楽な呼吸にとどめます。

呼吸は食事以上に大切です。
「呼吸を制する者は己を制することができる」と言われる所以です。
呼吸への意識は、心を「今」に置いてくれます。心(感情と思考)が暴走しなくなります。

以上を続けると、
そのうちに「外界に反応している自分(虚)」に気が付いてきます。
人生これまでズーッと、毎日毎日、一日中そのような自分で居た事に気が付くと思います。

「楽になりたい」などと期待しないことも大切です。
そもそも「心」(感情と思考)は過去の記憶の発動にしか過ぎません。
その発動パターンは、祖先から受け継いだDNAにも入っていますし、自分で潜在意識に受け入れたものもあります。
それらは自分自身では無くて、デコレーションなのです。
この飾りを外していく作業によって「本当の自分」が表出してきます。

そして段々と「本当の自分」が現れてきます。
それは本当の「空っぽ」です。
今に居る、今に生きることになっていきます。
過去も未来もありません。
刻一刻と歓喜の中に居ます。

「本当の自分」が思う事はいとも簡単に、ほんの一瞬思う事だけで、本当に何もしなくても実現するようになります。
最初は「あれ?」と思うでしょうし、そのうちにドンドン頻度が増してきます。
良き事の共時性(シンクロニシティ)も頻繁に起こってきます。
逆説的ですが、この状態にあるのが「本当の自分」です。
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この回答へのお礼

>結論として、そこへ行きつくには、日常生活の中で、外界に反応して刻一刻と揺れ動く心(感情と思考)を、否定も肯定もしない事です。区別をつけない、評価しない、そのままを受け入れて流すのが良いと思います

そうですね。これが難しい。おそらくできてないんでしょうが、
できるようになってもそれを自覚するのかどうなのか。

確かに、呼吸を意識することはほとんど無かったです。
ちょっとこれから取り組んでみようと思います。


>そして段々と「本当の自分」が現れてきます。それは本当の「空っぽ」です

おっしゃるような「デコレーション」を外していくと、
本当に何もなくるということですよね。
ひとつ疑問というか不安なのは、(ちょっと漠然としていますが)
精神世界を突き詰めて何もなくなった人は、
偏見のイメージで言うと、死んだ魚のような目をした人間というイメージがあります。
負の感情もなければ、幸せの感情もない。
どちらも自覚しないのが
その認識は間違っていますか?
僕は幸せに生きたいです。
心から笑い、わくわくし、愛を感じて、愛を与えることを幸せに感じて、
目をイキイキと輝かせて、そのように生きたい。
そういうふうに期待することは諦めるべきということでしょうか。
またそうであれば、そういった幸せを諦めるということはできるのでしょうか。

とりあえず、呼吸はぜひやってみます。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/29 14:45

裏表関係なくしてあなたが思ったことがありのままだと思います


その出来事に関して素直に思ったことが素

それが出来ない時は
その出来事に対して
損得とかを考えている時だと思います
そうなったらありのままじゃなくなりますよね

そんな感じじゃないでしょうか
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そんな感じだとは思います。

そんな感じだとは思うのですが、
ただ、今さっき自分が考えたことや感じたことを分析してみると、
本当に「素直」な、純度100%な感情は僕には存在しない気がするのです。
ほとんどが「他人にどう思われるか」が判定に入っている気がします。
おそらくもう一人の自分が、その状態を傍観しているから
そんなふうに感じるのだとは思うのですが。

ですので、回答者さまの言葉を借りて逆説的にしてしまうと、
「ほとんど全て損得感情ありで判断するため、「素直に思った」素、というのが分からない、という感じです。

お礼日時:2011/12/26 14:13

質問者さまが


悩んだりせずに、
いちばん楽な感じで暮らせるスタンスを
採用してみませんか。

なお、質問者さまに、
期待心、依存心、依頼心、承認欲求、
偏執的自己愛、自他比較、怒り、猜疑心、
恨み辛み、罪悪感、自己中心主義などがあれば
早い機会に消滅させましょう。

Good Luck!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「楽な感じ」というのはなるほどと思いました。
迷ったら厳しいほうを選べ、という教訓もありますが、
楽なほうというのが本来の自分なのかも知れません。

また、おっしゃるような期待心や依頼心は蔓延しているように思います。
消すことなんてできるんでしょうか?

お礼日時:2011/12/26 14:02

私はこう考えます。



http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6907172.html
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
URL拝見しました。「生きるとは何か、自分とは何か」ということの
定義なきままでは問題の解決は難しいのでは、ということでしょうか。
個人的には、自己とは感情の存在だと思っています。
この質問も、「なるほど」と腑に落ちる感情を求めて質問しました。
「理由ないけど何となく納得してしまった」という。
ですので、
おっしゃるように定義や哲学から考えた結果
納得に至る道もあるなとは思うのですが、
昔からあれだけ哲学者が悩んでも解決(悟り)には至らないこともある中で、
中学生や高校生ぐらいで悟る人もたくさんいる。
そういうことを踏まえて、
今は別の方法での感情ゲットを目指しています。

またURLも再度拝見します。
ありがとうございます。

お礼日時:2011/12/26 13:55

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