痔になりやすい生活習慣とは?

日露戦争は伊藤博文をはじめ、ロシアには勝てないからなんとか開戦を避けようとした人が多くいて、太平洋戦争と似たような勝算に薄い戦争だった様に思いますが、もしロシアと引き続きどちらかが和平を申し出るまで戦ったら、どうなったと思いますか?
(ロシア国内の政変が起きなかったり、アメリカは中立で和平仲介の選択肢はないと仮定して)

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A 回答 (6件)

日本には、英国と同盟、米の援助がありますし


ロシアは日、英、米とは敵対フランスと同盟
外交の状況としては日本が有利です。
日本海では日本が勝っていてバルチック艦隊を全滅させています。
それに日本はあらかじめ米に手をまわしたり革命を支援していましたから
ある程度の勝算はありました。仮に米の和平仲介がなく
ロシアとフランス対日、米、英になっても
米、英が全力を出すならば戦争に勝てたかもしれません。
米、英が日本を見捨ててロシアと日本が総力戦になったら日本は物量に押されて
ロシア軍の上陸をゆるし東京が囲まれたところで講和して
千島列島、北海道、東北の大部分と多額の賠償金の請求をされて戦争終結といったところでは?
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1,日本は開戦と同時にルーズベルトと面識のあった


である金子を米国に派遣して、仲介を頼んでいます。

それに当時最強だった英国と同盟を結び、
ロスチャイルドに債権を買ってもらい、明石大佐を
使って、ロシア革命を支援しています。

このように見れば、日本はロシアと長期間戦争する
つもりはなかったことが解ります。

だから、そもそも質問者さんのような問題点は
生じなかったと思いますよ。

2,それはともかく、あのまま戦っていたら負けた
んでないですか。

ただ、ルーズベルトは、日本が勝つ、と言って
いました。
根拠は、ニコライ二世の資質と、日本の挙国一致体制
をあげていました。

英国もロスチャイルドも、日本が勝つと計算したので
援助したのでしょうが。
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再度、回答させていただきます。


前回URLがうまく飛ばず申し訳ありませんでした。

アメリカの和平交渉と明石大使の扇動について、、、

もしも、日本海海戦において、日本が敗れていたなら、アメリカの和平交渉にロシアが同意したでしょうか?後の独裁者レーニンが、東アジアの利権を手に入れて勢力を増したロシア政府に対して、無謀な革命を起こしたでしょうか?

世界中が日本海海戦で日本が勝利することなど、誰も想像していなかった。アメリカにしても、ましてや同盟国のイギリスにしても、、、

なら何故、アメリカやイギリスが、日本にお金を貸して援助したか?

アメリカの思惑としては、アジアの利権を得るため、イエローモンキーにロシアの戦力を少しでも縮小させ、のちに、日本を援護するという大義名分で、軍隊を日本に駐屯させるのが目的だったのではないでしょうか?
日本を軍事的拠点にできれば、東アジアに侵攻することも可能であるし、太平洋の制海権を得る足がかりにもなります。(現在のように)日本列島の形はまるで、強国ロシアに対しての盾のようでもあります。
船が発達したことで、日本はいつの間にか戦略的拠点に変わってしまったようです。

イギリスの思惑としましては、強国ロシアが東欧から東アジアに視線を移させることが重要でしたし、中国の利権を奪われることに対して、時間かせぎ的に日本を利用したのではないでしょうか?
その隙に軍備を整え、防衛策を講じようという狙いだったようです。

黄色い猿のために、同情だけでどこの国も動くわけが無いというわけです。同情だけで動くなら、現代においてもアメリカはイラクに侵攻せず、まず北朝鮮を優先している筈です。

回答に戻ります。ロシアがもし講和条約を締結せず、革命も起きていなかったならどうなっていたか?
確かに極地戦で日本に圧倒したかも知れませんが、おそらく、ロシアを叩くなら今だと言わんばかりに、アメリカも軍隊を派遣したでしょうし、イギリスも東欧からモスクワに侵攻していたし、トルコも反乱していただろうし、ロシアの植民地も革命を起こしていたでしょう。そうなるとロシアも日本海の制海権を奪えないなら、極地で争っていても意味がありません。ロシアから和平の交渉を模索するでしょう。

日露戦争は、日本海海戦でほぼ勝敗が決まったと言っても過言ではないと思います。

http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2012/01/p …

参考URL:http://jjtaro.cocolog-nifty.com/nippon/2012/01/p …
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当時の日本の指導者は、大国のロシアと日本が戦争をすれば長期戦になれば日本が必ず負けるとわかっていました。

だから、長期戦にならないようにアメリカへ和平仲介の打診をあらかじめ済ませていましたし、少しでもロシア国内を不安定化させようとあの明石大佐がレーニンに資金を渡して革命を扇動しました。
そこが後先考えないで開戦に突っ走った昭和の軍人と違うところです。といっても、太平洋戦争のときも開戦は避けられない状況ではありましたけどね。

だから、
〉(ロシア国内の政変が起きなかったり、アメリカは中立で和平仲介の選択肢はないと仮定して)
となるのであれば、「長期戦の末に日本が根負けした可能性は高い」といえると思います。

奉天会戦が日本側の勝利で終わったとき、日本軍にはもう予備兵力はほとんど残されておらず、前線部隊も消耗が激しい状態でした。一方のロシア軍は敗れたとはいえ秩序だった後退ができるほどで軍は崩壊しておらず、全軍を合わせると日本軍の10倍以上の兵力を持つロシア軍にはまだまだ予備兵力を動員する能力がありました。
仮に日本海海戦に日本軍が勝利したとしても、ロシア軍は陸路でシベリアから日本に対して反撃をすることは可能でしたから、長期戦になればなるほどロシア側有利になるのは間違いないところです。
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>(ロシア国内の政変が起きなかったり、アメリカは中立で和平仲介の選択肢はないと仮定して)



ロシア第一革命が起きたのは、日露戦争で敗戦したことが大きな原因ですので、戦争の勝敗に左右したとは考えずらいです。
アメリカが仲介したのは、日本海海戦で日本が勝利したことが要因です。誰も不利益な仲介は避けたいので、そこに利益が生じたからこそ仲介を引き受けたのだと考えられます。

>太平洋戦争と似たような
確かに勝算は薄かったかも知れませんが、意味合いが違います。世界中の主な世論がどっち側に付いていたかにおいても違いますし(国家の年間歳入が2.6億円に対して、外貨が13億円。約5倍)、目的も防衛目的(防衛しなければ、朝鮮半島はロシアの領土になり、日本海の制海権を奪われ、日本本土のどこからでも、侵攻されることになります。)で、太平洋戦争とは大きく違います。
太平洋戦争の戦略では、真珠湾攻撃をして、アメリカ海軍に大打撃を与えた後、すぐにロシアに仲介してもらい終戦させる手はずでした。真珠湾攻撃が「だまし討ち」となってしまった為、また主力艦隊を壊滅できなかったため、戦争は長引いてしまった。もし「宣戦布告」が予定どおり攻撃の30分前だったなら、主力艦隊に大打撃を加えていたなら、どうなっていたかわからない。

と言うよりも、ロシアが仲介にすんなり同意してくれたかどうかわからない。原爆を落とされる前、日本政府はしきりにロシアに仲介を依頼していた。しかしロシアは無視。しかも日本がポツダム宣言を受け入れた後も約半月侵攻をやめず、北方四島、樺太、千島列島を奪いとってしまった。
日露戦争で煮え湯を飲んだ相手に、親切に仲介などするはずが無い。日本の勢いが増していた頃ならともかく、敗戦続きの日本に親切にする筈が無い。

横道にそれましたが、日露戦争では、ロシアは旅順攻略、日本海海戦で敗戦した後、陸上でも敗戦が続いた。引き続き戦争が続いていたなら、日本は侵攻できるところまで、侵攻して満州ぐらいを占領していただけだと思います。ロシアは世界最強と謳われた艦隊が敗れた為、負け腰になっていたし、とりあえず、引いて体勢を立て直すことが先決だったことは言うまでも無いと思います。まあ結果的には体勢を立て直す前にロシア革命が起きて、東アジア南下政策をあきらめ、東欧侵攻に戦略転換しなければならなかった。ということだと思います。

長文ですみません。参考にしていただければ幸いです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4% …
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まず日露戦争が長期化して日本は負けてたでしょう 明石機関という特務機関がロシアへのクーデターへの組織に対する金も無駄になりロシアの

政変がなければ金がある方が勝ち
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Qタイはどうして植民地にならなかった

タイはどうして植民地にならなかったのでしょうか?
また、第二次世界大戦ではタイは戦ったのでしょうか?
ぜひお教え下さいませ。

Aベストアンサー

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代化を進めており、自身の力での独立維持という見方も、わずかながらあります。

さて、第2次世界大戦についてですが、あまり知られていませんがタイは枢軸国として参戦していた日本の数少ない味方国です。(以降は以前の回答から持ってきたものですが、そのまま回答になっています)。
イギリスの爆撃や、B-29の空襲も経験しています。関係としては、日本が仏印(今のベトナムを含めたインドシナ半島の東、つまりフランス領です)に進駐したころから、歩調を合わせ始めています。その前は第2次大戦について中立宣言をしていました。その後、日本が参戦するとほぼ同時に、宣戦布告を行っています。
しかし、最後には完全にそれを翻し(というか日本との同盟など、参戦した理由をうまく自国からそらしたのです)、ついには敵国条項(第2次大戦における連合軍の「敵」リストとでも考えてください)にすら名を連ねていません。これはタイの外交手腕の勝利といえます(今でもそうですが、タイという国は非常に外交が上手です。第2次大戦の前後におけるタイの外交は非常に巧妙で、見事といえます)。
なお、現在の日本との関係は友好的ですね。

基本的には、「英仏の緩衝地帯」という見方でよいと思います。

当時、イギリスはビルマとマレー半島を植民地化していました。フランスは仏領インドシナと呼ばれる、現在のベトナムを含めたインドシナ半島の東側を領有していました。
この間に挟まっているのがタイで、双方どちらかがタイを植民地化してしまうと、国境を接してしまうことになるのでよろしくない・・ということです。
ただ、もうひとつ見方があり、それはタイ自身で独立を勝ち取ったという見方です。タイ自身も、あの時代外国人誘致による近代...続きを読む

Q日露戦争に日本が負けていたらどうなりましたか?

日本がロシアに負けていたらどうなりましたか? 日本が勝ちましたが、運が良かったから勝てたのですか?戦力からすると危なかったのではないですか?

Aベストアンサー

結果論でどんな的確な判断も「運がよかった」と言えばそれまでです。

日露戦争ではロシアはヨーロッパ方面軍の増援を待つため終始防戦の姿勢で、日本が犠牲を払いながらも着実にそれを撃破していったという状態でした。

日本陸軍は日清戦争勝利から士気も高く司令部の混乱もなかったため厳しい激戦を押し切るように勝利していきました。対するロシア陸軍は防戦の引き際判断が内部で割れたりして足並みが揃わず日本に押し負けていきました。
日本海軍はロシア海軍に規模では劣っていたものの、総じて新規艦が多く足を引っ張る老朽艦がいなかったのが艦隊行動の機敏さを生みました。開戦直後、武勲を独り占めしようと旅順攻略で独走失敗した程度で済み、総じて的確に動いてました。

有名な日本海海戦ではバルト海から半年もの命がけ遠征で駆けつけたバルチック艦隊に対し、日本艦隊は制海権を確保後ずっと洋上射撃訓練をして待ち構えていました。さらに机上の空論と思われていた丁字戦法(隊列の側面を敵に向け先頭から順に総攻撃で撃破する戦法)に持ち込むことに成功し完全試合をやってのけてしまいました。
「負け続きだったけどこれで勝てる」と自信たっぷりだったロシアはその結果に阿鼻叫喚、散見されていた反戦運動がとうとう革命に発展してしまいました。

これが日露戦争の大まかな流れです。

戦力には2つの要素があります。ひとつは開戦時の単純な戦闘力、もうひとつはそれを維持する物量です。日本には軍をフル稼働させる物量は一年分かそこらしかありません。
日露戦争末期の段階で火の車でした。もしロシアが継戦、総力戦を挑んでいたら第2次大戦と同じ流れをたどっていたでしょう。
実際、日本軍はこの「戦争初期に十分な戦闘力を発揮し有利なうちに講和する」と言うのを必勝パターンとして思い込んでいきます。

結果論でどんな的確な判断も「運がよかった」と言えばそれまでです。

日露戦争ではロシアはヨーロッパ方面軍の増援を待つため終始防戦の姿勢で、日本が犠牲を払いながらも着実にそれを撃破していったという状態でした。

日本陸軍は日清戦争勝利から士気も高く司令部の混乱もなかったため厳しい激戦を押し切るように勝利していきました。対するロシア陸軍は防戦の引き際判断が内部で割れたりして足並みが揃わず日本に押し負けていきました。
日本海軍はロシア海軍に規模では劣っていたものの、総じて新規艦が多く...続きを読む

Q敗戦国イタリアは,なぜ非難されないの?

第二次世界大戦の敗戦国である日本やドイツは,
戦後70年たっても,いまだに非難されています。

イタリアに関しては,そういった非難を聞かないのはなぜでしょうか?

また,敗戦国が被害を与えた国に対して謝り続けなければいけないのは
あと何年くらいですか?

戦争の当事者が皆いなくなっても,続きますか?

Aベストアンサー

1:>イタリアに関しては,そういった非難を聞かないのはなぜでしょうか?
2:>また,敗戦国が被害を与えた国に対して謝り続けなければいけないのはあと何年くらいですか?
3:戦争の当事者が皆いなくなっても,続きますか?


回答1:最初に降伏して、連合国側についた為と思われます。
(あまりの弱さに敵として認識されていなかったのかもしれません)

イタリアですが、戦争中にクーデターが起って南北に分裂し、その後南王国は連合国に加盟しています。

1:南部の南王国(国王・パドリオ政権)
2:北部のイタリア社会共和国(RSI・ムッソリーニ)


回答2:もともとそのような義務はありません。
回答3:回答2と同じ。更に戦争は国家の行為であり、元々個人としての「当事者」など存在しません。(理由は後述)

謝罪を執拗に要求するのは、日本の周囲の特定の国々だけです。
また、「敗戦国」という理由で謝罪の必要が発生するなら、勝ちさえすれば何をしても良い事になります。
それでは「国際法」の意味などありません。

質問者様は、「戦争」という行為について誤解しているように思います。
無知な人は、戦争=悪→謝罪 と思い込みますが、
戦争とは、国際法で認められている交戦権の行使であり、相手国に自国の要求を武力で承認させる行為です。
外交とは手段が異なりますが、同じ国益を追求する為の行為であり、政治の一手段に過ぎません。

これも誤解されていますが、主権の存在により、国家には自分より上位の法的権限を持つ存在はありません。
戦争が国家の行為である以上、裁判の対象にすることはできず、戦争指導者であっても、個人に責任は発生しません。(動画も参照)
(国連は、憲章に合意した加盟国間の調停機関に過ぎません)

これもよく誤解されていますが、軍事裁判は「戦時に行われた国際法違反の行為」である「戦争犯罪」を裁くものに過ぎず、「戦争そのもの」は対象にできません。
そして、戦争犯罪は戦勝国や敗戦国の区別なく裁かれます。(少なくともWW1までは)



「戦争そのもの」の処理についてですが、
まともな国家間での戦後処理は、何らかの条約(多くは講和条約)を結ぶことで戦争状態は解消され、国交締結へと続きます。

そして、「条約」とは国家間の契約や義務を定めるもので、相手の非を晒し上げたり、責任を押し付けあうものではなく、終戦時の力関係で払うものを払って手打ちにするという約束です。

国家が裁けない以上、この方法以外での終戦と戦後処理はできません。

責任や謝罪という、片方が納得しなければ永遠に認められない曖昧な抽象概念を、終戦や講和の条件に含めた場合、両国の関係や国民間で怨恨が残り、その後に悪影響が出ます。
少なくとも、日本の周囲の特定の隣国以外はそう思っています。

実際、ドイツは戦争については、国家の権利という見解から謝罪はしていません。
よく、無知か故意に誤解を広めたい一部の人達は「謝罪したドイツを見習うべきだ」という主張をしています。
しかし、ドイツが謝罪したのはユダヤ人へのホロコーストのみです。
それも「ナチス」という党の行為であり、国家としてのドイツの責任ではないという見解です。


日本の戦後処理については、各国と講和条約を結んでいるので終了しています。
実は、多くのアジア諸国は「アレは侵略ではないので賠償はいらない」と連合国が認めた賠償請求権を放棄してくれています。
(タイなどは、更に日本が戦費として借りたものまでタダ同然にしてくれています。)
日本はそれらの国に対しても「準賠償」という名目で経済援助をしています。

【日本が支払った戦争賠償金】
http://www.youtube.com/watch?v=euNuLLDSWTI


あの隣国達についですが、
韓国については、終戦まで日本の一部であり、戦場になったこともなく被害もなかった為に連合国は戦勝国とは認めていません。
そして、国交を結ぶ時の条約で、「過去の問題はすべて解決済みとする」という合意ができているので、謝罪する必要はありません。
併合時の統治も謝罪や賠償が必要なことはしていません。
北の方については、条約の締結時に、南が「自分達が半島の唯一の正統な国家である」と主張しているので、彼等の問題になります。


中国についてですが、
今の政権はサンフランシスコ平和条約の調印国ではありません。
日本との国交回復は、1972年に締結された日中平和友好条約によるものです。
中国はそのとき、【中国は日本に対する戦争賠償の請求を放棄する】ことを宣言しています。
これについては、以下のような事情があります。

終戦時に、日本は満州国に膨大な資産とインフラを残しており、これに対する中国への補償請求の権利は戦争と関係なく残っています。
それらを金額的に両者を比較すると、

【日本が残した資産への補償】>>【中国の戦争賠償の請求額】

となり、うっかり請求すると薮蛇になってしまうので、中国側は、請求権の放棄と言う「寛大な配慮」を装って誤魔化しているだけです。
(インフラについては韓国や台湾も同様でしたが、連合国の意向に拠って日本は請求権を放棄させられています)

謝罪については、
以前、旧社会党が訪中し「日本は戦争により中国に多大な迷惑をおかけしました」と謝ったことがありました。
これに対して、毛沢東は「なにも謝ることはない。日本軍は我々に大きな利益をもたらした。日本軍のおかげで中国共産党は中国を手に入れることができた」
と応えています。

http://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo

1:>イタリアに関しては,そういった非難を聞かないのはなぜでしょうか?
2:>また,敗戦国が被害を与えた国に対して謝り続けなければいけないのはあと何年くらいですか?
3:戦争の当事者が皆いなくなっても,続きますか?


回答1:最初に降伏して、連合国側についた為と思われます。
(あまりの弱さに敵として認識されていなかったのかもしれません)

イタリアですが、戦争中にクーデターが起って南北に分裂し、その後南王国は連合国に加盟しています。

1:南部の南王国(国王・パドリオ政権)
2:北...続きを読む

Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む


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