出産前後の痔にはご注意!

アメリカ人とに戦時中の日本のスパイ活動はすごい。
といわれたました。
私は歴史のことが分からないのですが、例えばどのようなスパイ活動がありましたか?
なにか有名なものがありますか?

よろしくおねがいします。

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A 回答 (6件)

私も#4さん同様、東(とう)機関のアルカッサー・ベラスコの事だと思いました。


戦時中立国のスペイン公使須磨弥吉郎によって作られた諜報機関です。
アメリカの主要都市にスパイを送り込み情報を収集していましたが、情報の質は玉石混交で日本軍の役には立たなかったみたいです。ベラスコは原爆情報を追っていた様な事を発言していますが、日本側にはそういった記録はないようです。
ただ、日本の暗号がアメリカに漏れている、といった指摘もしています。

他の方とかぶらないようなところでは、小野田少尉はどうでしょう。戦後フィリピンで発見された方ですが陸軍中野学校出身者です。
中野学校は戦時極秘で、スパイ養成機関です。

あとスパイではありませんがドイツ駐在大使、大島浩の大島情報は信頼性の高さにアメリカも参考にしていたようです。ナチス以上のナチスといわれヒトラーの信任も厚く、ドイツの対ロシア攻撃をいち早く日本に伝えています。

アメリカ外交官、寺崎英成の暗号「マリコ」は有名かと思いますが、この人もスパイではないですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

おもしろいですね~。一つ一つすごく興味深いですね。
戦時中は日本にスパイ養成機関があったのですか!?
それはおどろきです。

外交官、大使館に、優れた情報入手、伝達能力がある人がいるみたいですね。参考になりました。

お礼日時:2006/02/15 05:50

日露戦争だと、203高地とかバルチック艦隊が有名だけど、ロシア皇帝がシベリア鉄道で送った100万人の援軍が流言飛語で戦わずに崩壊したことのほうが大きい。

スパイだから、俺の手柄なんていえないから、当然のこととして歴史には埋もれますけどね。
対中国だって、軍閥で政権を握っていた蒋介石まではちゃんと親日だし。
大言壮語をいう身内を出世させ、この人たちをちゃんと処遇できない薩長軍部の無能さが、大戦の敗戦の要因でしょうね。もちろん記録には残らないけどね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

どうも日露戦争が有名みたいですね
各地で庶民を使ったのがうまかったんでしょうか。
参考になりました。

お礼日時:2006/02/15 05:45

恐らくその人は、ベラスコ(須磨機関)のことを言っているのでしょう。


当時、アメリカの超最高機密であった原爆情報などを掴んでいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ベラスコ(須磨機関ですか?
初めて聞きました。私なりに調べてみますね。

お礼日時:2006/02/15 05:41

日露戦争の時は、非常に活躍しましたが、太平洋戦争の時は、特に手柄は立てていないと思います。


真珠湾攻撃の前に、真珠湾を調べたという程度ではないでしょうか?

日露戦争時は、ロシアに潜入し、帝政ロシアを倒す運動を支援した明石さんが有名ですが、マダガスカルに寄港したバルチック艦隊の動向を、日本人の売春婦を使って情勢を調べたあたりも、勝利に大いに貢献したと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

そうですね。真珠湾について、事前に探ったのでしょうね。アメリカ人が言うのだから、これかな?と私も思いました。

日露戦争の時に、ずいぶん侵入してるんですねえ。
参考になりました。

お礼日時:2006/02/15 05:39

ゾルゲの仲間 「尾崎秀實」


http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog …
古いけど「川島芳子」あたりも有名。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6% …
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この回答へのお礼

URLありがとうございます。
難しい内容ですね。大変参になりました。

お礼日時:2006/02/15 05:36

日本のスパイで有名な人は知りませんし、諸外国に比べてすごいということはなかったでしょう。


むしろ、ソ連のスパイであるゾルゲ(ドイツ人)が有名です。日本で死刑になりましたが、ソ連では英雄です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ゾルゲですね。分かりました。
私なりに調べてみます。

お礼日時:2006/02/15 05:34

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Q太平洋戦争中のスパイ活動

 太平洋戦争中に米国が日本国内でスパイ活動をしていた事例、またはその逆の事例はあったのでしょうか。

Aベストアンサー

ドイツ大使館を利用していたのはソ連スパイが多かったようで。
アメリカのスパイは、旧国鉄の横須賀線に一日中乗り込み、これからの作戦について声高に議論する海軍軍人の声に聞き耳を立てていたとか。

吉川猛夫↓
http://navy75.web.infoseek.co.jp/kaisouroku/kaiso-05.html
ハナコサンガコドモヲウンダ
この電文が、真珠湾の大勝利をもたらしました。

Q戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍人、民間人合わせて310万人の人が死亡し、都市面積の30%が消失したと言われています。
しかし、310万人の死者は一見多いように見えますが、1億人の人口から見たら3%で、97%の国民は生き残っているわけです。
また、国土が焼け野原になったと言われますが、都市面積の70%は無傷だったわけです。

これらのことから見ても、当時の国民で、肉親や親戚に死亡した人がおらず、空襲も受けなかった人はかなりの数がいるはずです。
その中でも、農村部に住んでいる人であれば、食料にも不自由せず、普段通りの生活をしていた人も多くいたと推測されます。
もちろん時代が時代ですから、派手なパーティーをやったり、観光旅行にでかけたりということはできなかったでしょう。
しかし、戦後世代の人が教わったような、日本中が地獄絵と化したというのはちょっと大げさなのではないでしょうか。

当時は情報も統制され、日本がどんどんやられているというような情報は入って来なかったでしょうから、いずれ自分たちも攻撃を受けるというような危機感もなかったと思われます。
当時の国民の、少なくない数の人たちが、実は普段通りの平和な生活を送っていたと推測されます。
戦時中、実際にこのような普段通りの平和な生活を送っていた方の体験談を聞かせていただけませんか。
また、そのようなことを紹介したサイトなどがあれば教えて下さい。

なお、私が聞きたいのは「戦争中、普段通りの生活をしていた人の話」であって、「そんな人はいない」とか、「そのような質問は不謹慎だ」というような回答はお断りします。
質問の趣旨を理解した上で回答をお願いします。

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍...続きを読む

Aベストアンサー

 母は田舎にすんでいたので、まったく戦争の影響はなかったそうです。
確かに統制品は手に入りにくかったらしいですが、食べるのにはまったく困らなかったそうですよ。
 よく、都会から食べ物を分けてくれって人が来たらしいです。

 父は逆で都会で生活していたので疎開をしました。
疎開には、集団疎開と縁故疎開ってのがあるんです。
中でも悲惨なのが集団疎開です。学校の力関係が24時間中です。いじめっ子はずっといじめ、いじめられっこはそれこそ現代で言うイジメなんかと比較できないほど酷かったらしいです。

 また、縁故疎開っていうのも、ようするに都会のこじゃれたガキが、自分の親戚をたよって田舎に疎開するんです。すると、もちろんその子のキャラにもよりますが、めちゃ人気者になった人もいたみたいです。

Q戦時中の日本国民の生活は、本当はどうだったのか?

数日前、家でNHKのファミリーヒストリーという番組をたまたま観ていました。
この番組は各界の有名人の家族の歴史を探って紹介しており、私が観た時は女優の余貴美子の家族でした。
余貴美子さんはお爺さんとお婆さんが台湾人で、日本で一旗上げる為に来日し商売を起こし、東京で手広くビジネスを展開していたそうです。
その中で、私が"あれっ"と思った事があったのですが、余貴美子さんのお爺さんは戦時中には乾燥バナナを台湾から輸入して、大儲けし大豪邸を建てたという事でした。
戦争中と言えば、物資が不足しているイメージがありますが、豪邸なんて建てられるのでしょうか?
それに国家の命運がかかっている時期に豪邸を建てるなんて贅沢な事を世間は容認したのでしょうか!?
私は、戦争中にそんな事をすれば批判されそうな気がします。
戦時中に、それも台湾出身者が日本でビジネスをし、その上、大儲けをする。
台湾人がそうなんですから、日本人や朝鮮人などでも大儲けし、景気の良かった人はたくさんいたのではないでしょうか!?

それから話は変わりますが、数週間前の読売新聞の日曜版の中の新刊本を紹介する欄で、本の名前は忘れましたが、戦時中の事が書かれた本の内容が一部紹介されており、戦争中に日本国内で温泉旅行ブームが起こったと書かれていました。

戦争中に温泉旅行ブームは意外な気がしたしたが、戦況の悪化に伴い日本国民の生活はどんどんと厳しくなっていったのは確実だとは思いますが、これまで日本国民がメディアから聞かされてきた様な、戦争中は主食に芋やすいとんを食べていて非常に貧しかったというのは、数ヶ月、半年、一年間の事なんでしょうか?
私は、戦争が始まる頃からか、その少し前頃から日本国民は自由がなく、食べる物にも事欠いて、窮乏生活を強いられていたと思っていました。

事情通のみなさん、実際はどうなんでしょうか?

数日前、家でNHKのファミリーヒストリーという番組をたまたま観ていました。
この番組は各界の有名人の家族の歴史を探って紹介しており、私が観た時は女優の余貴美子の家族でした。
余貴美子さんはお爺さんとお婆さんが台湾人で、日本で一旗上げる為に来日し商売を起こし、東京で手広くビジネスを展開していたそうです。
その中で、私が"あれっ"と思った事があったのですが、余貴美子さんのお爺さんは戦時中には乾燥バナナを台湾から輸入して、大儲けし大豪邸を建てたという事でした。
戦争中と言えば、物資が不足...続きを読む

Aベストアンサー

「戦時中」と言われるておられる時期(期間)と、庶民生活に影響が及んだ期間についてのイメージが錯綜されて伝えられているために判り難いのか思います。

イメージが錯綜してしまう原因はおそらく次の2点の影響が大きいのかと思います。
(1)歴史本や教科書は政治史が中心になっています。
(2)表現の自由や報道の自由というものが、昭和初期から徐々に制限され始めました。特に共産主義思想や社会主義思想への弾圧が強化され続けました。
これに対する反動として、第二次世界大戦後の暫くの間、いわゆる左翼系思想に基づいた教育が続いた結果、左翼系思想に対する制限の強化が殊更に強調されて伝わってしまっています。

(2)の影響で
「私は、戦争が始まる頃からか、その少し前頃から日本国民は自由がなく」
というイメージを持たれたのだと思います。

庶民生活への経済的影響は昭和2年の金融恐慌が発端となりました。
昭和12年の盧溝橋事件を切っ掛けに軍事費が財政を圧迫し始めました。
同時に米英を中心とした今で言う経済制裁が始まりました。

昭和12年 9月 東京市内の円タクの深夜営業禁止
      10月 東京市内の銭湯の朝湯禁止
      12月 東京に木炭バス出現
昭和13年    代用品と呼ばれる品物が出現
           陶製のナベ、竹製のスプーン、鮫皮の靴、鮭皮のハンドバッグ、木製バケツetc
昭和14年 6月 料亭の営業を午前0時までに制限
      12月 歳末大売出し禁止、門松廃止
昭和15年 1月 後楽園球場で炭焼きが始まる。神宮球場が木炭倉庫に転用される。
       5月 東京市が外米(輸入米)6割混入の米を配給する。
       8月 「ぜいたくは敵」「ぜいたくは出来ない筈だ」などの標語が発表された。
           同時に啓蒙と称する取り締まりが始まる。
      10月 浅草で「代用食展」が開かれる。
          ダンスホールの営業禁止
昭和16年 4月 六大都市で米穀配給通帳が発行され配給制度が始る。外食券が発行される。
       5月 「肉なしの日」が実施される。・・・実質的には市中の食肉は欠乏していました。
       8月 食堂や料理屋での米食を禁止し、販売時間制とする。
       9月 砂糖、マッチ、小麦粉、食用油の集成配給切符制度が設けられる
      10月 配給米の輸送をトラックから電車に切り替える。(ガソリン不足)
      12月 東京市内の妊婦診断の結果、
           栄養不良により半数が罹病しているかあるいは障害があることが判明
昭和17年11月 家庭用蔬菜の登録販売が始まる。
      12月 東京市内ガス使用が一戸一孔に制限される
           「欲しがりません勝つまでは」の標語が発表される。
昭和18年 4月 鉄不足を補うために銀座の街路灯が撤去される。
       6月 東京の昭和通りの街路樹が取り払われ畑に転用される。
昭和19年 3月 バー等の飲酒サービス店閉鎖
       4月 六大都市の学童給食用に米を一人7勺配布する
       9月 学童給食の米を廃止しパンを支給する。 
       11月 都民食堂と称する雑炊食堂が設けられる
           物価が高騰し始める 前年比13,3%上昇
昭和20年 6月 都民食堂(雑炊食堂)600軒が外食券食堂となる。朝食25銭夕食50銭
       8月 六大都市の主食配給が一人2合1勺となる

以上で、徐々に物資が手に入り難くなり、食糧事情が悪化して行く様子がイメージできましたでしょうか。
余貴美子さんのお話や、温泉ブームの話については、何時の時代でも金をかき集める才能がある方はおられます。

終戦と同時に、都市という都市が焼け野原になり、工場という工場が破壊されたところへ、満州や朝鮮半島、台湾などから着の身着のままの引揚者や復員兵が帰ってきたのですから戦後の窮状は惨々たるものでした。
この記憶と、戦前戦中の物資の欠乏との記憶が混同して伝えられているのも止むを得ないことかと思います。

社会が暗かったか明るかったかは、その日その日を送っていた人達がどのように受け取っていたか次第です。
当時の流行歌がyou yubeに沢山投稿されていますので聞いてみて下さい。
昭和11年 わすれちゃいやよ、ああそれなのに、東京ラプイソディー
昭和12年 青い背広で、人生劇場、人生の並木道、妻恋道中、マロニエの木陰
昭和13年 別れのブルース、支那の夜、満州娘、初j恋、雨のブルース
       (エノケン一座が旗揚げ)
昭和14年 名月赤城山、東京ブルース、港シャンソン、懐かしのボレロ、一杯のコーヒーから
       (後楽園球場の入場者2万人)
昭和15年 湖畔の宿、誰か故郷を想わざる、ラバウル小唄
       (東京競馬場第九回ダービー入場者6万人、銀座のお汁粉屋が19軒を越える)
       (芸能人の英語風芸名禁止)
昭和16年 北上夜曲、明日はおたちか、船頭さん、たきび
       (街頭でのスナップ写真が流行する)
昭和17年 婦系図の歌、新雪、勘太郎月夜唄、湯島の白梅、鈴懸の径
昭和18年 十三夜、南国の夜、スキー
昭和19年 惜別の歌
       (俳優座が結成される)
昭和20年 りんごの歌
       (12月31日 NHK第一回紅白歌合戦が実施される)
戦前も戦中も庶民は軍歌ばかり歌っていた訳ではありません。

出典:江戸東京年表 小学館




      

「戦時中」と言われるておられる時期(期間)と、庶民生活に影響が及んだ期間についてのイメージが錯綜されて伝えられているために判り難いのか思います。

イメージが錯綜してしまう原因はおそらく次の2点の影響が大きいのかと思います。
(1)歴史本や教科書は政治史が中心になっています。
(2)表現の自由や報道の自由というものが、昭和初期から徐々に制限され始めました。特に共産主義思想や社会主義思想への弾圧が強化され続けました。
これに対する反動として、第二次世界大戦後の暫くの間、いわゆる左翼系思...続きを読む

Q太平洋戦争中の外国や戦地との通信システムについて教えてください (今で

太平洋戦争中の外国や戦地との通信システムについて教えてください (今であれば、ケーブルや衛星を通じた通信が普通であるが、当時、例えば ヨーロッパの領事館、もしくは戦地から現地の情報を伝えたいとき、知りたいとき、最速の通信手段としてはどのようなものがあったのでしょうか できれば詳細に教えてください)

Aベストアンサー

戦場での通信の方法は、おおざっぱに分けて三つの方法があるといえます。

ひとつが「無線」です。短波とかモールス信号とかあとは現代でいうところのトランシーバーのような音声通信これらを全部ひっくるめた無線通信です。
無線通信の長所はなんといっても「使いやすい」「便利」ということです。特に音声無線通信機器は会話によって速やかにコミュニケーションが取れるので第二次大戦を機にまたたく間に世界中に広まりました。
欠点はなんといっても傍受されやすいこと、そして場所などの影響で安定した使用ができないことです。例えば戦場で使う出力が小さい無線機では地球の裏側まで電波は送れないし、地下などにいるとこれまた電波が繋がらなくなります。
ちなみにこの無線通信は日本軍は最も世界から遅れていた技術のひとつで、音声無線機はとうとう「使い物になる無電機」は作れませんでした。同じ時代にドイツ軍は戦車に音声無線機を搭載していました。戦車という荒っぽい使い方をするところで壊れず、騒々しい車内でも音声がクリアに聞こえるようなものを作る技術が日本にはなかったのです。通信の技術とレーダー技術は多くの部分で重なっているので、レーダーも同じく貧弱なものでした。米英独のレーダーが「どの方向から高度どのくらいで、どのくらいの規模のものか」さらに「それが敵か味方か(IFF技術)」が判別できたのに、日本のものは「反応(つまりレーダーに映った)」「無反応(影なし)」の二種類のみで、しかも敵か味方かも分かりませんでした。そのうえ技術的信頼性が低く、誤動作も多かったという全く使い物にならないものでした。「気が向いたときだけ音楽が流れるラジオ」ですね。たまに「八木アンテナ」の話が出て当時の日本の技術も捨てたもんじゃないっていう意見もありますが、アンテナなんてのは部品のひとつに過ぎませんからね。ブレーキだけよく効く車を優れた車とはいいません。
ソ連もこういう技術は非常に苦手にしているのですが、第二次大戦中は当時世界一の信頼性を持つメイドインUSAの無線機が大量に貸与(という名のプレゼント)されたので主にそれを使っていたようです。

もうひとつの方法が有線電話で、これの長所はなんといっても電話線が見つからない限りは傍受されないことです。さらに電話線を引くことで、地下などでも確実に使うことができます。信頼性という点でははるかに高いわけです。
欠点は、「電話線が切れたら使えない」ことです。なにせ戦争ですから、砲爆撃で、あるいは戦車に踏まれてなど電話線が切れる理由には事欠かないわけです。切れたらどうすんのかというと、電話線を背負った通信兵がいちいちたぐって切れたところを探して繋ぎなおすのです。
これについてもご他聞にもれず我らが日本軍は性能いまひとつで、それはケーブルの質の低さに尽きるんだそうです。サビや熱に強く切れにくい強度を持つケーブル。そんなものは作れませんでした。これはもう民間工場の金属加工技術が低いのでどうしようもありません。

三つ目の方法は、残された最後の方法です。つまり、「伝令兵」です。最後はこれに尽きます。誰かにメッセージを託して、直接持って行かせます。戦場では兵士にやらせますが、重要な事柄では将校が託されることもあります。彼らことを連絡将校といいます。
特にヨーロッパでは昔からこの連絡将校というのはある種のエリート兵でした。日本では超ドマイナーな競技である近代五種は、商業至上主義となった現代の五輪でも外されることは決してありません。元々は連絡将校としての能力を競うものなのです。
長所はなんといっても科学技術が不要(笑)で、それでいて単純な命令から微妙なニュアンスを含むものまで融通無碍でしかもその運用にも多少の慣れは必要でも人間なら誰でもとっつきやすいという柔軟性です。
欠点は、まあ戦争をしているとその連絡・伝令が行方不明になることもしばしばということと、無線と比べても有線と比べても時間がかかるということです。

戦場での通信の方法は、おおざっぱに分けて三つの方法があるといえます。

ひとつが「無線」です。短波とかモールス信号とかあとは現代でいうところのトランシーバーのような音声通信これらを全部ひっくるめた無線通信です。
無線通信の長所はなんといっても「使いやすい」「便利」ということです。特に音声無線通信機器は会話によって速やかにコミュニケーションが取れるので第二次大戦を機にまたたく間に世界中に広まりました。
欠点はなんといっても傍受されやすいこと、そして場所などの影響で安定した使用が...続きを読む

Q中国は社会主義。経済は資本主義?

中国は社会主義国のはずです。しかし昨今の中国経済の成長の話題から、経済は資本主義化していますか?

社会主義国にとは、「勤勉勤労は無駄。皆一並び」という考えは時代遅れなのですか?

Aベストアンサー

>社会主義国とは、「勤勉勤労は無駄。皆一並び」という考えは時代遅れなのですか?
 「社会主義」の認識に誤解があるように思うのですが、そもそもこの思想は19世紀の産業革命による経済格差を是正するために生まれた思想です。つまり、資本主義が成熟して社会主義に移行し、最期に共産主義へ到達するというのが思想の柱になっています。ですから社会主義と資本主義は対立関係にありません。

 中国共産党は現状について正式な見解を発表していませんが、政府要人などの発言を聞く限り以下のような解釈(言い訳)で資本主義化を行っていると考えられます。

・現在の資本主義化は理想の共産主義を実現するための過程である。
・資本主義を導入しているのは国民の生活を脅かさない余剰産業の分野である。
・基幹産業は国家が共産主義思想に基づいて行っているため問題ない。

 つまり、共産主義を実現するために国家の経済を豊かにしようというのが資本主義導入の理由であり、国民の生活を支える基幹産業は国家が管理しているので問題はない。そもそも社会主義・共産主義は資本主義の発展系なので、現在の資本主義はあくまでも過渡期である、というのが中国共産党の考え方のようです。

 「時代遅れなのですか?」というご質問ですが、現在の中国は本来の「資本主義→社会主義→共産主義」ではなく、文化大革命によっていきなり社会主義となった(多くの社会主義国家が同様ですが)ため、思想的にはあり得ない「社会主義状態での資本主義導入」という現象が起こっただけです。したがって「時代遅れ」とは別の次元で判断した方がよいでしょう。

 社会主義という思想は格差の是正を目的としているため、「資本家と労働者」という階級闘争に結びつきやすく、国家や官僚による国民の支配を強めてしまう側面があります。中国が抱えるさまざまな問題は、資本主義の導入が原因というよりも、社会主義が持っている問題が抑えきれずに露呈したといえますね。

 ちなみに、日本を含む資本主義社会の多くは、市場経済でありながら平等な生活を求める「混合経済体制」に移行しつつあります。すでにEUなどではゆるやかな社会主義が導入され、資本主義といかに組み合わせるかが課題となっています。そういう意味で、これからの社会は資本主義と社会主義が融合した形がスタンダードになるかもしれません。

>社会主義国とは、「勤勉勤労は無駄。皆一並び」という考えは時代遅れなのですか?
 「社会主義」の認識に誤解があるように思うのですが、そもそもこの思想は19世紀の産業革命による経済格差を是正するために生まれた思想です。つまり、資本主義が成熟して社会主義に移行し、最期に共産主義へ到達するというのが思想の柱になっています。ですから社会主義と資本主義は対立関係にありません。

 中国共産党は現状について正式な見解を発表していませんが、政府要人などの発言を聞く限り以下のような解釈(言い...続きを読む

Q戦災孤児はどこへ消えましたか?

終戦直後あちこちの都市にいた戦災孤児。靴みがきや金属拾いなどでたくましく生きていた様子が当時の映像資料などで見ることができます。
しかし皇太子殿下御成婚や、東京オリンピックの頃には当然その姿は見かけないようです。
あれから彼らはどのような人生を歩んだのでしょう??
・アメリカ人の養子縁組などで海外に出た
・栄養失調、伝染病等のために一般人より寿命が短かった
・愚連隊、ヤクザ稼業を歩んだ
・仕事を持ち、一般人の社会に溶け込んだ

おそらく今でもご存命の方々はいらっしゃると思います。
体験をお聞かせ頂ければ幸いです。

Aベストアンサー

今年70になった私の叔父は、戦災孤児です。というと変な言い方ですが、実は私の父やもう一人の叔父(父の弟)とは血がつながっていないのです。私の祖母が、東京大空襲の翌日、飯田橋(不思議なことにその一角だけ焼け残ったそうです)という所で近所の子供が焼け出され、孤児になったのを不憫に思って家に連れてきたのだそうです。戦後、養子縁組だか何だかをして(終戦後のどさくさですから)、自分の子供として育てました。祖母は女手一つで3人の子供を育て、全員を大学まで出しました。実は、3人兄弟の中で、一番の出世頭は、その叔父です(笑)
私の父は生前、酔っぱらうと、「あいつは、血が違うからできが良いんだ」と叔父のことをほめて?いました。別に隠すこともなく、普通にそんな話をする兄弟だったようです。
祖母も父もとっくに亡くなっていますから、何でそんなことをしたのかは分かりません。ただ、その叔父は、今でも祖母(本人からすると義理の母)に深く感謝しています。

Q戦争に行かなくて済んだ人達って?

昭和10年代後半、大学生でさえ召集されたあの時代に五体満足で健康な20~30代の男子で
戦争に行かなくて済んだのはどんな人達なんでしょうか?
わざと徴兵回避して村八分になった人達を除いて召集されなくても
堂々としていられた人達の場合です

Aベストアンサー

『軍事板常見問題』のキャッシュより
http://mltr.free100.tv/index02.html
(現在、上記サイトの項目が閲覧できないので…)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08k03.html#draft

【質問】軍に召集されなかった人には、どんな人がいますか?

【回答】旧日本陸軍に於いて、召集を担当するのは、各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部です。この連隊区司令部で、参謀本部、陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき、該当者を召集令状を作成します。
 これは、充員召集令状と言い、前年度に作成し、予め警察署に保管、動員令が下令されると発行するものです。
 また、中央とは別に、その地区を管轄とする師団から、戦死、戦傷、戦病などの要員で人員の不足があった場合、管轄地域で召集令状を発行しました。
 これを、臨時召集令状と言い、師団毎に随時作成されています。
 比率から言えば、日中戦争勃発後、後者の令状が多く発行されています。

 この発行の基礎資料になったのが、各市町村役場の兵事課から提出された在郷軍人名簿です。
 これには軍隊の経歴、召集回数、健康程度、家族関係、思想関係、治癒見込(病気の場合)などが記述され、このほか体格等位に徴兵検査の結果を記入、役種に兵役種類が記入され、更に特・分業、特有の技能が記入されています。

 充員召集令状を発行する場合、特・分業、特有の技能に注目し、中央が作成した動員計画の必要技能召集する部隊の練度、任務の軽重なども勘案して、召集を決定します。
 他に、体格等位、健康程度などを重視して必要兵を抽出していきます。
 海軍の場合は、更に思想関係も重要視されたようです。

 さて、召集記録の欄の末尾に「召集延期者」略して「召延」という朱印が押されると、召集対象外となり、召集令状は来ることがありませんでした。
 これには甲、乙と二つの区分があり、甲は絶対召集しない人、乙は人がいない時に初めて召集対象となる人です。
 この召集延期の制度は昭和2年から開始され、制度が年ごとに拡大していっています。
 ちなみに、この規定は、陸軍動員計画令(永年動員計画令)に記載されたものです。

 例えば、1943年当時の戦時召集延期者は以下の通りです。

1.侍従、侍医、東宮傅育官、皇宮警察官吏、皇宮警察部消防夫
2.陸海軍部隊に在職し余人を以て代うべからざる者、及び特種の雇用人、工員にして必要欠くべからざる者
3.鉄道又は通信業務に従事し、必要欠くべからざる者(一般国民対象)
4.船舶(50t以上のもの)乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
5.民間航空乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
6.国土防衛に直接関与する業務に従事し必要欠くべからざる者
7.陸軍大臣の指定する工場又は事業上に従事し必要欠くべからざる者(一般国民対象)
8.都道府県、地方事務所、警察署、市区町村の官公吏にして兵事事務を主管する者各一名(一般国民対象)
9.帝国外の地に於いて執務を執行する帝国官吏中、必要なる者、並びに外地最高司令官、朝鮮台湾軍管区司令官
10.帝国議会の議員
11.国民学校教員中必要なる者(一般国民対象)
12.上記の外、国歌総力戦遂行の為に緊要なる業務に従事する者にして、必要欠くべからざる者

 つまり、一般人は輸送、通信関係の職員、陸軍大臣指定工場技術者、兵事係などの召集業務担当者が全面的に免れ、教師も一部が召集対象から外れています。
 また工場の熟練労働者も対象となっています。
 但し、工場などに於いてその選出は各工場に任されていた為、工場幹部の親戚が事務屋として入っていて、召集延期者として選出させた事例もあります。
 この場合は、発覚すると即座に召集されるようになっていました。

 1944年からは、臨時召集延期制度が始まります。
これは、航空機工場、特に重点機種(疾風とか飛燕とか言った戦闘機、飛龍などの爆撃機)の生産従事者は全員この対象となって、召集を延期されています。
 また、これ以外の航空機生産従事者、交通関係従事者、鉱山技師、炭坑夫、造船関係従事者、特攻兵器製造従事者は、例え徴兵検査で入営することが決まっていても、一定期間その入営を延期する「入営延期制度」対象者となっています。
 この制度も1944年から開始されています。

 これより先、1943年3月からは、既に入営した人で、軍需生産に必要な人でなおかつ、「軍の統率、団結、軍の士気上差支えなき範囲内に於いて」召集解除し、職場に復帰させると言う「特別召集解除制度」がありました。

 また、本土の食糧不足が深刻化していた1945年には、根刮ぎ動員があった反面、「召集要考慮制度」というもので、軍需生産だけでなく、農林水産業従事者も対象にしています。

 これらの総数がどれくらいあったかと言うと、召集延期制度が、1941年には10万人程度だったのが、1945年には85万人、臨時召集延期制度は不明、入営延期制度は、1944年で20万人、1945年で6万人、特別召集解除制度は1943~45年で4。3万人、召集要考慮制度は160万人が対象となっています。
 戦時中の在郷軍人数は約500万人、召集要考慮制度を除くと、総数で115万人以上に上っています。
 また、充員召集計画で召集令状を発行されていたのに、その充員召集計画自体が取りやめとなった為、結果的に召集されなかった人も多かったようです。(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

うちの母方の祖父。福井出身で戦争当時大阪にいた。
薬剤師だったので徴兵されずに済んでいた。(戦局が悪くなっても製薬する人が内地に必要だったので)

 休みの度に薬をたくさん持って福井に帰り、薬を配って換わりに越前米をもらう。
 ↓
 福井から船でまだ稲作技術が発達していない北海道へ渡る。
 ↓
 米を売ってお金に換えて大阪に戻る。

と、いうのを延々とやっていたそうです。(生活板)

『軍事板常見問題』のキャッシュより
http://mltr.free100.tv/index02.html
(現在、上記サイトの項目が閲覧できないので…)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08k03.html#draft

【質問】軍に召集されなかった人には、どんな人がいますか?

【回答】旧日本陸軍に於いて、召集を担当するのは、各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部です。この連隊区司令部で、参謀本部、陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき、該当者を召集令状を作成します。
 これは、充員召集令状と言い、前年...続きを読む

Q戦時中の富裕層について教えて下さい。

戦時中の富裕層について教えて下さい。


戦前から戦後にかけて、日本のお金持ちor身分がいい人達はどんな生活を送っていたのですか?
また、敗戦でなにか生活様式に変化がありましたか?
特に若い世代について興味があります。


・20歳前後で結婚前の若者(男女)はどんな生活スタイル?
・戦争中は富裕層の御令嬢は何をしていた?


その他何でも構いません。当日の富裕層についての情報を頂けたらうれしいです!!

Aベストアンサー

 戦時中の世相風俗を知るには、当時の雑誌、新聞をアーカイヴなどで読むことをお勧めします。それ以前の満州事変当時の世相であれば、たとえば中村正常とか龍膽寺雄らのナンセンス、モダニズムと呼ばれた小説を読んでみてください。現代の世相と何ら変わらないことに驚かれるでしょう。

 戦時中の富裕層の若者は、一般に其々の学校に学びながら、休日は繁華街に繰り出し映画館や喫茶店、撞球場や卓球場などの遊技場で遊んでいました。ところが、戦局が悪化してきた1943年(昭和18)ごろになると、有識者や政府から学生(生徒)たちも軍需工場に動員すべきという主張が現れ、これがやがて学徒動員令として実現化しました。なお、この有識者というのは戦後一転して市民運動で活躍した著名な方々でした。

 当時の新聞(現代仮名遣いに改め)から引用すると、

> 箱入り娘は旧観念 男子と職場交替

> 不急学校の整理は当然 市川房枝女史談

> この決戦が始まってから下層階級には遊休女性はすでに一人もいないはずです。ただ、中産階級以上の家庭では圧倒的に多く所謂不急学校ともいうべき花嫁学校、料理学校、洋裁学校その他何々講習会といった教養施設に篭る子女は全国で相当数に上っていましょう。したがってこれらの整理は当然のことですが既存施設を全て閉鎖したりなどはせずに割烹学校を栄養士養成所に転換させるとか ~ 決戦女性は家庭と共に職場を持つのが当然であります。(43年5月4日 東京新聞)


> 政府こそ躊躇せず女性を徴用なさい

> 婦人代表総蹶起の感激

> 中央協力会議第二日、第一委員会が緊急国民動員に関する議題に入ると宛ら婦人代表の独壇場となり花木チサヲ、羽仁説子、村岡花子、桐淵とよ、山高しげりの各委員が期せずして各自の立場から女性勤労の強力な指導、施設の飛躍的前進を要請 ~ 「徴用の即時断行こそ女子の勤労観念を徹底せしめ工場、事業者側は勤労管理を万全ならしめる、政府は躊躇するところなく未婚女子徴用を断行されたい」(43年7月16日 毎日新聞)

 それでも、やはり抜け道はあるもので、富裕階層のお嬢様のなかにはコネを使って国策会社や官庁の臨時雇いとして採用され、タバコや食券の配給などがあると職員の代わりに並んだりとちゃっかり労働を免れた方々がいたようで、これまた当時の新聞紙上で非難されました。

 戦時中の世相風俗を知るには、当時の雑誌、新聞をアーカイヴなどで読むことをお勧めします。それ以前の満州事変当時の世相であれば、たとえば中村正常とか龍膽寺雄らのナンセンス、モダニズムと呼ばれた小説を読んでみてください。現代の世相と何ら変わらないことに驚かれるでしょう。

 戦時中の富裕層の若者は、一般に其々の学校に学びながら、休日は繁華街に繰り出し映画館や喫茶店、撞球場や卓球場などの遊技場で遊んでいました。ところが、戦局が悪化してきた1943年(昭和18)ごろになると、有識者や政府...続きを読む

Qスパイ天国?日本にいる工作員の活動実態。

最近日本でのスパイ活動について興味あります。フランスのテレビでこんなのが紹介されています。
もち、情報収集だけでなく撹乱工作なども興味あります。
http://www.youtube.com/watch?v=e9zYlimmbUA
1まずスパイは本国でどのような教育を受けてくるのですか?スパイ学見たいのがあって数年教育されてくるんでしょうか?
2日本国内でそれぞれどのような活動をしているので?マスコミ、企業、政治などに食い込んでいるようですが。
3推測込みでいいのですが、これはスパイ活動の成果だろうと思しき事例があれば教えてください。
4スパイ防止法の制定について。その必要性、内容についてご意見があれば。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

スパイね・・どうせ、映画・テレビの類のイメージでしかないでしょ?

諜報機構の活動は現在では、専らネット情報関係の統制・管理がメインという話だが、史料のない話なのでなんとも言えない

ちなみに、スパイというのは、”敵国に乗り込んで云々する”というケースが全体的には希である
それに関しては、CIA長官の独白でも提示されているように、敵国に対する諜報は言語の壁をクリアする問題が大きいことが指摘されている。
実際には、諜報対象国の住民・人民の協力者を得ることを原初にする。
CIAの場合・KGBでも自国民の諜報員を育成するよりも、ほとんどが対象国の人民を買収する手法を利用している
これは、国際慣習法の関係から必然性があるが、仔細は理解できる知性とは思えないので論及しない

したがって
>1まずスパイは本国でどのような教育を受けてくるのですか?スパイ学見たいのがあって数年教育されてくるんでしょうか?

という質問には、そもそも諜報対象国内での教練などが多いので、回答できない
同時に諜報学は多岐にわたることは、日本の戦前の諜報専門学校の文献からも指摘できるので指摘するに限界がある。
現実には、高度な専門職の知識との連携が大前提で、極めて集団的活動で計画性が強いものらしい
もっとも、諜報に関する情報など信用できるモノがあると判定できないので、真贋は保障しないがw


>2日本国内でそれぞれどのような活動をしているので?マスコミ、企業、政治などに食い込んでいるようですが。

質問者が何を諜報と認識するか?という問題次第である
例えば、自衛隊の朝霞の情報機関はスパイとも言えるし、そうではないとも言える。
内閣調査室でネット情報の自動監視システムを運営している課員もスパイとも言える。
スパイ活動と自覚せずに、『情報を聞き出して欲しい』と懇願されて諜報を意図せずに実施してしまう無辜の市民でもスパイになりえるのである
ここらはスパイという概念の知識幅や諜報に関する法規定(慣習法)などを総合的に勘案しえる知識が大前提になるわけだが、そこまで質問者に要請するつもりはない
なお、諜報と意図せずに、結果的に諜報的活動に従事した結果に過ぎない場合も相応に存在する。
日本ではその類の活動が存在するような指摘もあるが、内閣調査室のリサーチセクションが、陰謀論者からすれば”操作”とも言える公的事業助成を行っている事例は存在している
官房機密費などは諜報機能予算が内在するとも言われているが仔細は不明


>3推測込みでいいのですが、これはスパイ活動の成果だろうと思しき事例があれば教えてください。

分からん。そもそも質問者がスパイの認定基準が不明なのだから
まず北朝鮮の拉致は諜報だと言われているが、それすら怪しい
それは、北朝鮮の政治意思として、特定機関が実施した非合法手段ではない場合では、スパイとは呼べないことにある
要は秘匿性・非合法性が存在しない諜報行動はスパイとは呼べない現実がある
ゴルゴ13の主人公はスパイなのか?という話も当然存在する


>4スパイ防止法の制定について。その必要性、内容についてご意見があれば。

具体論がないので、成立しない
もっと言えば、具体論が出来る人間が存在しても、声にしない。
法整備以前の環境整備が不可能なのだろう。
制定の必要性は否定しないが、そもそも”制定しないと(防)諜報活動が出来ない”という話ではない。
要は、治安維持などの行政裁量の枠組みについて既存の行政法の解釈裁量や法改正で対応しきれる余地もあろう、という話である
防諜という言葉を多様する人がいるが、警察などの一般司法職員が担える部分との棲み分けさえ考慮できない評論は、アフォ・平和ボケの類だろう
仮に、一般司法職員が担えない防諜範囲に活動が必要になるなら法整備は否定しない
しかし、そのレベルの防諜行動は、一般法との緊張関係があって制定することが不可能だろう

質問者はおそらくスパイ防止法・防諜法の類を理念レベルでしか想起していないだろうが、具体的な立法段階になれば、条文と関係法令との整合性・行政法上の具現性を考慮する必要性がある。

ちなみに、日本国民でスパイを担えるような人材が存在するのだろうか?
平和ボケ以前に、ストイックさにかける日本人でスパイという自我を殺す生業を望む人間は居ないように思う
もっとも、一種の”中二病”の類でもスパイにはなれるので、そのレベルで十分なら、日本でも可能かもしれない

しかし、諜報先進国の競合で淘汰され、機能不全に陥るだろうことが予想されるのだがw

まぁ、割合にして情報漏えいが多い自衛隊の現実などを勘案すれば、まずは守秘義務の徹底から実施するべきだろう

実際問題において、海上保安庁職員のビデオ情報の漏えい事件は、行政処分されなかったにしても現職公務員の情報漏えい事件としては本来は看過されるべきではない事件だった
それにも関わらず、あの職員を英雄のように奉る連中が存在することこそ、日本がスパイ天国たりえる所以だろうw

そういえば、CIA長官の独白録にも指摘されていたが、合法・非合法の『司法取引』の使い分けなどが情報収集では活用出来ることを指摘していた。
現在、一般司法レベルでは、司法取引は制約されているが、英米法社会のように(非合法を含めて)司法取引を採用すれば、もっと情報収集しやすいだろう
しかし、日本人は司法取引を嫌悪する傾向にあることも、障害になるだろうが・・・

法整備としては、検討するべき合理的な手段はまだまだ存在しているのが実態であろう
出来ることから着手せずに、いきなり高い水準の防諜を想起するのは、お花畑の思考回路・”中二病”だけの脳内だけであってほしいものである

スパイね・・どうせ、映画・テレビの類のイメージでしかないでしょ?

諜報機構の活動は現在では、専らネット情報関係の統制・管理がメインという話だが、史料のない話なのでなんとも言えない

ちなみに、スパイというのは、”敵国に乗り込んで云々する”というケースが全体的には希である
それに関しては、CIA長官の独白でも提示されているように、敵国に対する諜報は言語の壁をクリアする問題が大きいことが指摘されている。
実際には、諜報対象国の住民・人民の協力者を得ることを原初にする。
CIAの場合・KGBで...続きを読む


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