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仏像について、詳しいわけではないですが、「釈迦苦行像」を除いて
青年の感じがする仏像しか知りません。
老人の容姿をした仏像はありますか。
圧倒的に青年像の仏像が多いのは、どのような理由によるものでしょうか。
なお、如来像、菩薩像を対象としています。「天」像は除きます。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

仏教では、正しい行いをして、修行をすることにより、魂が向上し悟りの境地に至ると言います。


修行段階を菩薩、完全に悟った状態を如来と呼びます。
完全に悟った状態では、病いや老い、死を超越した存在となり、生老病死の苦しみから解脱すると信じられています。
仏像の多くは、完全に悟りの境涯にある人間の理想の姿を形にしたものですから、
老いることもなく、滅びることもなく、絶えず円満な表情を讃えている姿になります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>仏像の多くは、完全に悟りの境涯にある人間の理想の姿を形にしたものですから、
老いることもなく、滅びることもなく、絶えず円満な表情を讃えている姿になります。

なるほど、そう言われると、そうかと思います。

お礼日時:2012/02/10 20:07

仏教が成立したころには、彫像や絵画でも釈迦の姿は作らなかったそうです。

具体的な人物像ではなくて、法輪や菩提樹のようなシンボルを使っていたそうです。というか、当時のインドには仏教に限らず、偶像崇拝の宗教のようなものはなかったそうです。日本のお祭りでも神様の姿は必要ないのと同じです。ギリシャのアレクサンドロス大王の東方遠征によってギリシア文化がオリエントに持ち込まれてヘレニズム文化が成立し、ギリシャのような彫刻が作られるようになったので、姿や形はギリシャ彫刻をモデルにしたようです。顔つきもそれっぽいものです。
仏像を見る人も、溌剌として健康的な姿の方が、衰弱したり老化しかかっている姿よりも、偶像として拝するのには良いのではないでしょうか。
シャカの涅槃(死亡場面)のようなものでも、体が弱った苦しげな老人の姿にはしないのでしょう。
 
菩薩像の場合は、シャカの弟子であった人を像にするということもあるので、高齢者をイメージできる姿にしたのでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E8%91%97
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%A6%AA
 
如来は実在の人物ではなくて、理想像の一種ですから、年齢を感じさせるイメージは不要ですから、もっとも完成した状態(老化衰弱もしていない状態)の像にしていると思います。
 
尊像として拝むのであれば、それなりのイメージでないといけません。
生誕なら赤子、磔ならそのシーン、修行や苦行中ならそのシーンらしくするでしょう。
しかし、それ以外の状態で苦しそうだったり弱々しかったり、よぼよぼの姿では、信者としてもありがたくないでしょう。肌にも張りがあり、栄養状態も良い姿、健康そうな姿の尊像を求めると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>理想像の一種ですから、年齢を感じさせるイメージは不要です

なるほど、そうだと思います。

お礼日時:2012/02/10 20:04

 少し範囲を拡げてみますと、興福寺には「無着像」「世親像」と呼ばれる鎌倉時代の作品があります。

このうち「無着像」は明らかに老人の表情をしています。他方の「世親像」は中年男性の表情を見せています。
 なぜ「範囲を拡げたか」と申しますと、仏像の概念では釈迦(ゴータマ・シッタルダ)という実在の人物と彼の教えを広めた弟子達も「修行者」に含まれることによります。
 同様の意味で言えば、興福寺には他にも「法相六祖像」と呼ばれる、興隆に貢献のあった六人の僧を模した鎌倉時代の彫刻が伝わっています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
祖師像は、祖師の生前の容貌を基本的にはほぼ忠実に模しているでしょうから、当然のことながら老人が多いですね。
世親像は、優しい穏やかな表情ですね。
このお顔の菩薩像や如来像があってもよいのではないか、と思います。

お礼日時:2012/02/10 13:22

 そんなの,作る側に立って考えてみれば簡単に分かることですよ。


 老人の容姿をした仏像なんて美しくないので創作意欲も沸かないだろうし,美しくない仏像なんて誰も欲しがらないのでニーズもない。しかも,老人の皺がかった顔立ちを彫刻で再現するのは,青年の場合に比べても非常に手間がかかる。
 依頼者が特に「老け顔の仏像を作ってくれ」などと奇妙な注文を出さない限り,誰もやろうとしなかったのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
もっともだ、と思います。
制作を命じる人も命じられた人も、いずれにせよ仏教の深い理解者だと思います。
飛鳥、奈良、平安時代を通じて、仏教を信奉する人びとの「老人感」の一端が解る気がします。
やはり、「見た目」を判断の基準にしていたのかな、と思いました。

お礼日時:2012/02/10 13:20

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