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日本で戦後、米軍に対するテロが起きなかったのはなぜでしょうか?
おきてませんよね?私が知らないだけかもしれませんが。

A 回答 (9件)

イラクは政府というより、やくざみたいな実力者とその仲間が国を牛耳ってただけで、アメリカがそいつらを追い出しただけだと思う。


アメリカが訳のわからん終結宣言をしただけで、イラク政府が降伏した訳じゃない。政府はどこかに消えてしまった。
そうすると国民としてもまとまらず邪魔な外国の軍隊がいっぱい来て目障りだという気にもなるでしょう。テロも起きやすくなる。

日本は天皇と政府がちゃんと降伏してるし、敗戦後も政府が残ってた。あと戦争に負けたこともなくて外国に占領された経験もない国民だし、ばらばらにテロをするような器用さはなかったと思う。

マッカーサーが天皇を犯罪者にしたら暴動は起きたと思いますよ。
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こんにちは。

No5 さんの回答で一部、明らかに間違いであると思われる部分があるので、それだけ。

松川事件は被告全員無罪で結審しています。
ですので、テロだとするとその裁判官もテロリストになっちゃう気がします。

ついでに三鷹、白鳥の両事件は、どちらも被告のアリバイが崩せてないのに有罪判決がおりており、俗に「昭和の暗黒」といわれる、警察やGHQ、行政権力による弾圧事件ではないかと言われる名高い事件ですよね。
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この回答へのお礼

>松川事件は被告全員無罪で結審しています。

やや、すると、法的にはテロとはいいがたいということですか。
・・・法律でテロというものの定義はあるんでしょうかねえ?

お礼日時:2004/01/05 15:05

日本の場合は軍と国民がミッドウエイまでは優位に戦い。

無敵艦隊などと豪語していた時期があり
その自慢の鼻を徹底的に叩かれ 軍も国民も完璧に負けて負けて 力の限りだしつくしたからではないでしょうか?
しかし あの時点で国体の維持(天皇制の維持)が出来なかったらテロがあったかもわかりません。
天皇陛下とマッカアサーと並んで写った写真や敗北を認めた玉音放送などの影響も大きかったと思います。
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1)日米の間に思想的、宗教的対立はなかった。


2)太平洋戦争は主に軍の上層部が企てたことで、
 日本人の多くがそれに賛同していたわけではなかった。
3)戦後、天皇陛下や東条英樹など国の上層部が
 逃げて、徹底交戦するようなことをしなかった。

 といったあたりがイラクと大きく違うからだと
思います。日本は1枚岩じゃなかったんですね。

 そして、この状況をマッカーサー元帥が、うまく
利用したことにより、戦後の大規模な軍事的報復が阻止
されたものと思います。


 日本はイラクと同じ軍事国家だったわけですが、
226事件のときは、反乱軍とは言え日本軍が
皇居を包囲し、皇宮警察を全員監禁したりした
わけで、特に帝都東京の人達からすれば
戦車を並べて軍隊が陛下を人質にとっている。
とんでもない話だって感じだったんですね。
この雰囲気で太平洋戦争に突入したわけで、
国民一人一人が、本心としては軍隊、軍事
行動に対して、積極的ではなかった
んです。



 今のイラクは、米軍が大規模な活動をして
いるにも関わらず、大使館爆破などがありますね。
太平洋戦争の時には、終戦のたった2週間後、
1945年8月30日にはマッカーサー元帥が
空路で東京に直接乗り込んでいますが、記録に
残るような大規模な軍事的反発を受けていません。
 アメリカ本国では日本国内での軍事的反発を
恐れて、終戦後は軍事力が壊滅状態と考えられていた
九州から南方に駐留していた米軍を上陸させるよう
指示していました。
 マッカーサーが選ばれた1つの理由は、この
南方のマニラにいたためと言われています。
 ところがマッカーサーは周囲の反対を押し切って、
飛行機で直接厚木飛行場、そして東京へとやって
くるわけです。マッカーサーの目的の1つはGHQ
の組織作りだったわけで、当時東京には九州から
日本国内を移動してきた小数の部隊がいるだけで、
駐留軍としての組織作りもされていなかった。
 東京には帝都東京、天皇陛下を守るための
日本の精鋭部隊が、武装解除されずに残っていました。
武装解除は1945年の9月後半あたりから、
設立して間もないGHQからの命令で徐々に行われた
もので、戦時下と同じ装備の日本軍の真ん中に
少数の部隊だけでマッカーサーは乗り込んだことに
なります。報復がなかったのは奇跡的のように
思えますが、マッカーサー自身には報復などない、日本人を
服従させることが可能という自信があったのです。
 つまり南方での情報収集から、日本人の心理を
知っていて、徐々にやるよりむしろできるだけ早
い時期に天皇陛下と接触し、その権威を利用することが
占領政策上有効と考えてのことだったわけで、
結果的ではありますが、これは大成功だったと言えるでしょう。
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一件だけあったそうです。

確か中学生がマッカーサー暗殺を計画したとかだったと思いましたが。MPに逮捕されたそうです。詳しいことは忘れましたが当時新聞に載ったそうですよ。保坂氏だったか、著者の名前も忘れましたが、書いてありましたね。

少し違う観点から言うと、米軍を解放軍と見ていた日本共産党が、いわゆる逆コースによるレッドパージが始まって以降、米軍に幻滅し、三鷹事件とか松川事件とか起こしました。その後、5全協で地下活動方針が決まり、山村などで武装闘争を始めます。また札幌では白鳥事件が起きています。これらは進駐軍およびそれに協力する日本政府に対するテロだと言えなくもないでしょう。
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この回答へのお礼

共産党の活動はある意味テロだったといえるかもしれませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/01/05 15:03

終戦時には、本土決戦に備えゲリラ攻撃を行う地下組織(泉部隊)が全国規模で組織されていたので。

。。

国体(天皇制)の護持が認められていなければ、
或いは、昭和天皇が戦犯に指名されようものなら、恐らく全国規模でゲリラ戦(米にとってのテロ)が行われたのではないかと思います。
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こんにちは。


「テロ」という概念が無かった、あるいは今とちょっと異なるって事じゃないでしょうか?

米軍に石が投げられた程度の事はあった様ですし、南方や北方では、降伏後に行われた戦闘は、言ってみれば軍令違反であって、天皇制下では勅命違反に値する行為ですね。
それが軍の一部分ではありますが、兵器を使用した軍の一部で行われたテロといえなくもないかもしれません。

また、帰還兵士、住民等による米軍への傷害事件などは起きていますが、早い話が「テロとして裁かなかった」という事ではないでしょうか。

「テロ」っていうのは、具体的な行為ではなく、政治的な扱い上の存在だと思います。
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テロという意味では起きていないと思います。



終戦は20年8月15日ですが、有名な天皇の玉音放送後も
一部の神風特攻隊が出撃したり、中国大陸ではソ連軍と
散髪的な戦闘が行われていたりと15日以降でも戦闘が
行われています。
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・そもそも当時の日本が天皇を主権者とする帝国であった。


・太平洋戦争がその天皇の名の下に始められ、天皇の名の下に終結された。玉音放送はそれを表わしている。
・占領軍が天皇の戦争責任を問わなかった。

参考URL:http://www.shuryosha.net/gyokuon.html
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