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質問させてください。

近年のDNA鑑定によって、島のケルト(ブリタニア、アイルランド、スコットランド)と
大陸のケルトは血脈が無く、島のケルトはむしろイベリア人の遺伝子が濃厚ということが
判明しましたが、このイベリア人というのは、ケルト=イベリア人のことでしょうか?

ケルト=イベリア人は、大陸のケルトとイベリア半島の原住民が混血したものですよね?
ということは、大陸のケルトの遺伝子情報も残りますよね。血脈が無いということには
なりませんよね。

島のケルトに、大陸のケルトの遺伝子がない(?)ということは、イベリア半島の原住民が
ブリテン島に移住したということでしょうか?でもそんな歴史の記述は読んだことがありま
せん。。。

紀元前900年頃にイベリア半島に移住したガリア人が、原住民と混血していくうちに
イベリア人のほうの遺伝子が濃くなって、ブリテン島に定住したころ(紀元前2世紀頃
?)にはほとんどイベリア人の血になっていた。。。ということでしょうか。

なんだかとってもスッキリしません。
どなたかご教授お願い致します。

よろしくおねがい致します。

A 回答 (8件)

元ネタは


http://www.bradshawfoundation.com/stephenoppenhe …
http://www.amazon.com/The-Origins-British-Geneti …

この辺ですね。

オッペンハイマーのDNA調査によると

それまでの通説
島のケルトと大陸のケルトがいた
島のケルトは、ブリテン島においては後発のアングロサクソンに虐殺されブリテン島はアングロサクソン系になり、ウェールズやアイルランドにケルトが残った。

DNAで分かったこと
1 ブリテン島は氷河期にはヒトはいなかった。
2 暖かくなると、イベリアからヒトが北上して、ブリテン島に住みだした
3 ケルト人が農業を持ってブリテン島に来た(けど少数派)
4 ベルギエ人の一派が英語を持ってやってきた すごーく少数派
5 アングロサクソン人がやってきた これまた少数派

遺伝子グループで考えると

グループ A イベリアを出発した集団
約16,000年前から約7,500年前くらい ※ 7,500年前にイギリス海峡ができて、ブリテンが島になる
グループ B ロレーヌ地方あたりのケルト人発祥の集団
約6,000年前から約3,700年前くらい
グループ C ベルギー発祥のベルギエ人の集団
グループ D アングロサクソンの集団

アイルランド:グループAが主体
※ アイルランド人がケルト人の末裔というのは間違い
ブリテン:グループAが主体でグループBが少数派、グループC,Dは極少数
※ 後発のアングロサクソンなどによる虐殺はなかった
イベリア:グループAが主体にブループBが重なる
山間部に残ったグループAがバスク人など

ということらしい。

このイベリア人というのは、ケルト=イベリア人

ここでのイベリア人というのは直系の子孫としては、バスク人あたりを想定して、バスク人=グループA としている。
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この回答へのお礼

tanuki4u様、ご回答ありがとうございます!
こんなに詳しく解説してくださり、ありがたいやら恐縮するやらでございます。

参照のURLが、最新の学説ということなのですね!もちろん難しすぎて私には読解できませんが、
tanuki4u様がわかりやすく解説してくださり、涙がでるほど有り難いです!

グループAは「古代イベリア人」と言われている人々?で、グループB が大陸のケルトと呼ばれている人々で、
グループCのベルギエ人は、ブリテン島に貨幣をもたらしたと言われている人々(ケルト系でしたよね?)で、
グループDは5世紀あたりからブリテン島に本格的に侵入してきたゲルマンの人々ということですね?

では、元々は、ブリテン(スコットランドも含む、でよろしいでしょうか)とアイルランドは、バリバリの
イベリア系で、ケルト=イベリア人がブリテン島やアイルランドに渡来した頃には、すでにイベリア一色
だった!ということになるのでしょうか。だとしたらびっくりでございます。

アングロサクソンの虐殺はなかったというのもすごくビックリですし、アイルランド人がケルトの末裔では
ないというのにもびっくりです。では、実際にアイルランドのケルト文化というのは、ピクト文化とイベリ
ア文化の融合ということになるのでしょうか?ちなみにピクト人はいつころからブリテン島にいたのでしょ
う。。。謎が謎を呼びますが、「島のケルト」は、古代イベリア人~バスク含む~ の要素が濃厚である、
という考えでよろしいでしょうか?(これでも理解できていなかったらどうしよう。。。)

わたくしの稚拙な知識に丁寧にお答えいただき、本当にありがとうございます!

お礼日時:2012/04/27 22:04

>アイルランドやスコットランドがゲール語圏ということを考えて、元々アイルランドやブリテンはイベリア人の血が濃厚だけれど、ケルト文化の影響を色濃く受けた、という大きな視点で捉えて大丈夫でしょうか?



その考え方で間違いありません。
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この回答へのお礼

nacam様

私の稚拙な考えに根気よくご教授いただき、ありがとうございます!

またケルトの質問をさせていただくかもしれませんが、そのときは
ぜひまたご教授くだされば幸いでございます。

ありがとうございました!

お礼日時:2012/04/29 00:09

何か勘違いされているように思えます。


ケルト人というのは、民族集団のことであり、人種とは関係ありません。
ケルト文化を持った人達を、ケルト人と言います。
父親がゲルマン系のフランク人で、母親がローマのラテン人であっても、当人がケルト社会で育ち、ケルト文化をもっていれば、ケルト人となります。
ですから、遺伝子がどうであるかは、ケルト人であるかどうかとは、関係ないことなのです。
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この回答へのお礼

nacam様、補足ありがとうございます!
大変恐縮でございます。

私は狭い視点で考えてしまっておりました。大陸にいたケルト語を話す人々が大陸から民族移動を
して、ブリテン島やアイルランドに移り住み、「島のケルト」となったと考えていたのが、どうやら
違うらしくて、移動したのはイベリア人?それは大陸のケルトと融合したケルト=イベリア人のこと
??だったらなぜ血脈がないの??という疑問から端を発したのでした。そこに視点が釘付けでした。

アイルランドやスコットランドがゲール語圏ということを考えて、元々アイルランドやブリテンは
イベリア人の血が濃厚だけれど、ケルト文化の影響を色濃く受けた、という大きな視点で捉えて大丈夫
でしょうか?

まだまだ勉強不足です(>_<)ご教授本当に感謝致します!

お礼日時:2012/04/28 21:22

蛇足



イギリス人というのをイギリス語=英語を話すヒトとすると、なんで極少数のベルガエ人の言葉が?
ということになりますが、たぶんベルガエ人が交易民だったからじゃないかなと思う。

交易民の言葉が標準語化するというのは、中東におけるアラム語の例で推測されます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9% …
アラム人が政治的に優位にたったのではなく、交易語として広く使われたので、ユダヤ人であるイエスキリストもユダヤ語ではなくアラム語を話していたとされています。

アングロサクソンは極少数だったので、1066年にフランス語を話すノルマン人がイングランドの支配層になっても、数代後にはフランス語ではなく英語を使うようになっていたというのと同様なことなのだろうと。
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この回答へのお礼

tanuki4u様、補足ありがとうございます!

交易人はあちこちで物を売ったり買ったりしながら移動していくから、
言葉も英語で取引きされることが多くなって、英語が多用されるように
なったということでしょうか。
私もそれを読んでとっても納得です!

イエスがアラム語を話していたというのは、初めて知りました。

いろいろな知識をご教授いただき、本当にありがとうございます!

お礼日時:2012/04/27 23:16

>ブリテン島なのか、アイルランドなのか。

。。ということでしたら、nacam様の御指南では
ブリテン島、ということでしょうか?

この文脈からしますと、「島のケルト」は、アイルランドを指しているのではないかと思われます。
アイルランドの神話では、アイルランドには、12回アイルランド以外から人が移住してきましたが、ほとんどが少数の人を残して絶滅してしまい、現在のアイルランド人は、南から入ってきた人達の子孫ということになっています。
この南というのが、イベリア半島のことを指しているとされています。
ただし、ガリア地方、特にブリターニュ半島においては、島のケルトとして、ブリテン島を指すこともありますので、確証ではありませんが。
ごらんになられた文献が、イギリスやアイルランドのものでしたら、「島のケルト」はアイルランドを、フランスの文献でしたら、イングランドを指す可能性がありますが。
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この回答へのお礼

nacam様、ご回答ありがとうございます!
補足をしていただき、恐縮でございます。

アイルランドの南から入ってきた人たち、というのは、地図で確認しても
イベリア半島しかなさそうですね。
現在のアイルランド人こそケルト色濃厚と思い込んでいましたが、
実はイベリア色が濃厚ということなのですね!

島のケルトをひとくくりに考えるのは間違いで、国によって見方が
違うというのを初めて知りました。もっと勉強しなくてはいけないですね☆
深い御指南ありがとうございます!

お礼日時:2012/04/27 20:56

現在ではピクト人(ケルト系ピクト人)が有力です。


古代イベリア人とピクト人が融合したのが島のケルトと呼ばれていると言う説です。

その一方で、ビーカー人はケルト人だと断言しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AA% …


中国の文化圏にある日本が漢民族ではないように、
ケルト語やビーカー文明=ケルト人であると言う論決は危険で注意が必要です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%90%98%E7%8A%B6% …
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この回答へのお礼

Verhalten様、ご回答ありがとうございます!
お知恵を拝借できて、光栄です☆

ビーカー文明につきましては、お恥ずかしながらほとんど知識がない私ですが、
ビーカー人についての記述を読みますと、まるでケルト人の特徴そのものですね。

古代イベリア人とピクト人が融合したのが島のケルト人だとしましたら、
古代イベリア人は、ケルト=イベリア人というわけではなく、純粋なイベリア人という
ことですね!
「ケルト系」ピクト人というワードが出てきました時点で、また私の頭は混乱し始めて
おりますが(汗)、すこしずつパズルが埋まりつつあります。

ありがとうございます!

お礼日時:2012/04/27 03:08

イベリア人(イペロ人)と、ケルト人が混血したものが、ケルト・イベロ人になります。


文脈からしますと、純粋なイベロ人をここでは指していると思われます。
イベロ人は、北アフリカのベルベル人に近い人達になります。
島のケルトが、イングランドを指すのか、アイルランドを指すのかは、この文章からでは不明ですが、アイルランドでは、イベリア半島から大量にケルト系の人達が入っています。
「島のケルト」といった場合、イングランドと対で使われる場合は、アイルランドを指します。
ガリアと対で使われる場合は、ブリテン島を指します。
そのへんも確認してみてください。
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この回答へのお礼

nacam様、早速のご回答、誠にありがとうございます!
お知恵を拝借できて、光栄です!

ご指摘もありがとうございます!
私は混乱していて、島のケルトを全体でとらえてしまっておりました。
「大陸のケルト」とのDNAの共通点がないのは、ブリテン島なのか、
アイルランドなのか。。。ということでしたら、nacam様の御指南では
ブリテン島、ということでしょうか?
紀元前3世紀あたりからのアイルランドへの大陸のケルトの渡来は、
ケルト=イベリア人が大多数だったということですね。

ちゃんと私は理解できているのか不安ですが。。(汗)
ありがとうございました!

お礼日時:2012/04/27 02:54

1 ブリテン島 ビスケー湾沿岸 イベリア半島に 集団A がいた


ブリテン島 集団A1 イベリア半島 集団A2 ビスケー湾沿岸集団を B3とする

2 ライン川中流域 シャンパーニュや ロレーヌ地域に集団B がいた

集団B が元ケルト人で、拡大した。
陸伝いのイベリア半島とビスケー湾沿岸では それぞれ A2+B A3+B が遺伝子集団を形成した

イギリス海峡を集団Bが大量に渡ることがなかったので、集団A1はDNA集団としては変化がなかった

よって A2+B と A1 とのDNAは近いが A1と B とはDNA集団としての近似性は低い

という解釈でしょう
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この回答へのお礼

tanuki4u様、早速の回答ありがとうございます!
お知恵を拝借できて、光栄です!

A2+B はケルト=イベリア人ということですよね?
A2+B と A1のDNA が近いということは、紀元前にケルト=イベリア人が
ブリテン島に移住した説というのはそのまま生きていて、もっと前から
ブリテン島にいたA1 の集団はケルトではなく、先住民のピクトやその他の
民族だったという解釈でよろしいでしょうか?

理解できていなかったら申し訳ございません(>_<)
ありがとうございます!

お礼日時:2012/04/27 02:36

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