家・車以外で、人生で一番奮発した買い物

私も以前は、何も考えず「少しでも助けになれば」との思いで募金をしていた1人です。

たしかに難民や飢餓で苦しんでいる子供達が置かれている環境は悲惨だと思います。見ていることさえ辛い。同じ人間としてここまで、環境に差があるのかと思う。苦しんでいる方たちのため少しでも何かしてあげたい。

しかし、

赤十字やNPOなどの団体の活動の半数は不明である点が多く、汚職や汚いお金が流れているのもまた事実。
人口増加(動物なら食物連鎖があるが、それを無視しているのは人間だけであり、地球上で生活できる人数制限が本当ならば必要であるべき)で様々な問題が起こり始めているのも事実。私たちが良い事と思って行っている活動が実際は、一時的なしのぎで悪い方向に向かわせているだけだということに気が付いたのです。

ワクチンや食料の援助で助かる子供たちはたくさんいます。
だが…助かる命が増える→助かる命とは関係なしに、どんどんと子供をつくる→しかし元となっている原因は解決していない。結果的に貧しい世帯が増える。人口も増える。食糧や住まいを補うために、犯罪や環境・自然破壊が増加する。戦争やテロが起こる。

私たちは、ボランティア=善だと思い何も考えずに行っていますが、本当に助けたい&環境を変えてあげたいと思うのであれば、現地に出向いて元となる根を積みとらないと意味がないと思います。それが出来ないのであれば、安易なボランティアは行うべきではないし、もし行うとしたらきちんと考えてから行うべきだと考えるようになりました。実際ボランティア活動は素晴らしいいことだと思いますが、何かが違う方向に向かい始めている。

皆様はどう思われ、考えているのか教えていただきたいのです。
宜しくお願いします。

A 回答 (4件)

こんばんは、はじめまして。



質問者さまが、考え始めたのは、非常に良いことだと思いますよ。

私自身はは「ボランティア=善だ」と思ったことはありません。
人間が人間をを助けるなんてたいそうなことは、そうそうできるものではありません。そういう専門家はたくさんいらっしゃいますから、私はちょっとそのお手伝いをさせていただいている程度だと思います。
役に立てればと思いボランティアをさせていただいてますが、実は参加動機は「自分の知らない世界や価値観を広げたい」気持ちの方が大きいです。
ボランティアをして私は良い経験になったと思うことが多いですが、対象の方のすべてを把握しているわけではないので、もしかしたら自分の何気ない言動が相手を不快にさせた可能性はけしてゼロではないと思います。

また、私は募金はほとんどしたことがありません。
街頭募金をお願いされたときは、「このお金はどのようなルートをたどって、どのような人に届き、どのように役立つのか?」を質問いたします。答えられない募金係さんが大変多いです。
「どのように使われるのかわからない」お金を出す気は一切ありません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、有難うございます。
身近でボランティアを行っていた方は、「ボランティア=善だ」というような方ばかりだったので、とても参考になりました。

お礼日時:2012/06/26 23:19

24年間マジックショーを色々な施設で年間50回程度、福祉教育推進員(学校で福祉教育を教える)、認知症サポター養成講師などを行っています。



もし、僅かでも疑問があったらボランティア活動をすべきではないと思います。

自分の募金が人口爆発に悪い方向を与えていると思えばやはり止めるべきと思います。

もしボランティア活動をするお気持ちがあれば、自分の納得できる方法で行えばいいと思います。

今は年金暮らし、収入は月々11万円程度。一人暮らしです。
一年に90回程度ボランティア活動にすべて持ち出しで出掛けています。

本音は時々何でここまでしなくてはいけないのか、、、って自己嫌悪に陥ることもあります。
でも、それ以上に皆さんが喜んでくれてる笑顔を見ると止められないんですよね。

死ぬまでこのまま行くのかなー、、気持はまったく貢献活動をしている気持ちはありません。

自分の人生を楽しんでいる。。。そんな気持ちです。

どうぞ無理をされず、心から納得できた時だけやって下さい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、有難うございます。
ボランティア=人生を楽しむことという考え方に納得です。
とても参考になりました。

お礼日時:2012/06/26 23:22

私は30代で家を建てたのです。


その時友人から、若いうちに家を建てられるのは恵まれている。社会に還元すべきだ。と言われ、ボランティアセンターの登録したのです。

その頃は「金のある人は金を、時間のある人は時間を」と言われたのですが、今はどっちも、という感じですね。

私は母子家庭に育ったので、労力を提供しました。
小さな町ですので、養護学校に通う児童とのキャンプや海水浴から、一人暮らしのお年寄りの給食配達から障子の張り替えなど、何でも屋でしたね。

でも、人とのふれあいは楽しかったし、友達も断然増えました。もちろん信頼も。

友人は「顎足自分持ちで、あほらしくならないか」とよく言われましたが、あのころは暇さえあればパチンコばかりしていたのですが、ぴったり行かなくなりました。いえ、行けなくなったのです。懐は却って潤ってきましたね。それからタバコも止められました。

いまは、地区の神社の掃除や草取り、正月や祭りの準備に追われています。

震災の手伝いは去年陸前高田で、妻と二人1か月やってきました。
義捐金は3回ほど、千円ずつ出した程度です。何しろ年金生活ですから。

楽しい思い出ばかりです。
義捐金の流用などは、私は関知しません。よその世界のことです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、有難うございます。とても参考になりました。

お礼日時:2012/06/26 23:23

 私はボランティアと募金は、その行動において両極端だと考えます。

もちろんどちらも清廉な行為なのですが。
 前者は金は出さないが身体は使う、後者は金は出すが身体は使わない。そういう意味で両極端だと思うんですね。
 で、実際には前者のほうは金も身体も使うんです。

 大きな災害の際にボランティアとして活動することを考えればよくわかりますよね?
現地までの「足代」もちろん現地での「顎代」そして身体を使い、時間を使うわけです。

 募金はそれこそ家にいててもできる行為です。もちろんこれも素晴らしい行為だということを付け加えます。

 さて、ボランティアって結局何かというと、
「自分の出した金額や労働に対しての結果を楽しむ」行為だと思うんです。
もちろんボランティアは先程も書いたように「持ち出し」ばかりです。なにも金銭的な見返りはありません。しかし、金銭を受け取る事とは違う心の充足感、満足感が得られる・・・要するに自己満足が一番の報酬なんですね。

 そしてなによりも、まずは自分の周りからってことでいいんだと思いますよ。
町内会の自治会役員、PTAの役員、このあたりもボランティアですよね?
もちろんその自治会によっては町民からの町会費の幾らかが「呑み代」として流用されることも否めませんが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答、有難うございます。
納得のいく、回答でとても参考になりました。

回答して頂いた皆さんもそうですが、私ごとの疑問に詳しく答えて頂いて、とても感謝しております。
ありがとうございます!

お礼日時:2012/06/26 23:27

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報