No.14ベストアンサー
- 回答日時:
戦国の最終的な勝者は徳川家康で、その家臣団の多くは旧武田家の関係者ですから、徳川家康と武田信玄を貶めることは出来ません。
織田信長は武田信玄より戦が下手でないと徳川幕府にとって困るわけで、そうなると信玄と何度も戦った上杉謙信も信玄と同等かそれ以上の戦上手とせざる得ない。
この神のような武田信玄と戦ったのが徳川家康で、史実を大きく曲げるわけにはいかないので、大枠は外さない範囲で、織田信長は武田家の前に風前の灯火だったが、律儀な神君家康公は信長を見捨てずに常に味方したので、天下の覇者になれた、勇猛果敢な武田家臣団は武田家滅亡の後、家康公の人柄を見込んで徳川家に仕官し、幕府創成期を支え、お旗本として徳川家臣団の中核になった。
こういう絵図を描きたいんですから、織田信長は猜疑心が強く人徳がない、一方家康は温厚篤実な性格で、主君のためには命を捨てる家臣が多数いる。
織田信長は戦下手で、何度も首を取られかけたが、そのたびに家康が救援に向かい、勇猛果敢な三河武士の尽力で危機を脱した。
幕府旗本のご先祖である武田武士団は、三河武士に匹敵する勇猛さが有り、実力では織田軍団を上回りながら、武運つたなく負けてしまった、決してお旗本方のご先祖が弱いわけではなく、運が悪かっただけで、織田の弱兵と勇敢に戦ったが、数に負けたから不名誉ではない。
幕府の中核の旧武田系の旗本を傷つけず、なおかつ徳川家を持ち上げるには、ちょっと歴史を加筆修正したと言うことかと。
回答ありがとうございます。
そういえば、信長は家康にものすごく気を使っている逸話がたくさんありますが、何故か信康殺しの首謀者になってたりしますしね。
簡潔にまとめられていてわかりやすかったです。
ありがとうございます。
この回答をベストアンサーとさせていただきます。
しかし、天王寺をはじめとした、信長が寡兵、または不利な状況で戦った話の多くが無視される現象はどういうことなんでしょうかね~。
No.12
- 回答日時:
他がチート級だから。
信長自身の勝率は7割越えです。大体今川義元と同じくらいです。
充分凄いんですが、戦上手といえば、例えば謙信や信玄は8割越え、伊達正宗は9割越え、謀略ばっかりやっていたイメージのある毛利元就だって89%です。
まぁ、ディアゴスティーニ調べなので、ウソか真か、というところですけれども、他に戦上手が山ほどいるので、比較すると戦下手に見える、という辺りのように思います。
勝率って意味がない気がするんですよ。
なにしろ、その勝率を計算する元の出典がアレですし・・・
また、勝たないといけない決戦と小競り合いでは重要性が違いますしね。
そういう意味で、勝率は参考にならないと思います。
No.11
- 回答日時:
織田信長は,戦術家というよりは戦略家として評価する人が一般的だと思います。
寡兵をもって大軍を破るといった,戦術家としての名声を博する功績を挙げるには,本人の才能だけでなく勇猛果敢な兵卒も不可欠ですが,信長の本拠である尾張の兵はむしろその弱さで知られており,信長が天下を取るためには,自らの才智をもってその弱さを克服しなければなりませんでした。
そのため,生き残るためには他に方法がなかった桶狭間の戦いは別として,基本的には十分な兵力を揃え,戦術的には勝って当然と思われるような戦いをすることが多くなり(尾張は経済的には豊かだったので兵力を揃える余裕はあった),それでも兵が弱いので苦戦することも結構多かった(美濃攻めに7年もかけた,姉川では寡兵の浅井家相手に結構苦戦した,石山本願寺攻めに10年もかかったなど)ことから,戦術家としてそれほど高い評価を得られないのは,ある意味彼の宿命ではなかったかと思われます。
それでも,織田信長が戦略家のみならず戦術家としても一級の人材であったことは確かなのですが,歴史ドラマの影響であまりにも強力な英雄というイメージが先行してしまい,それを観て信長に興味を持った人が彼の戦績を調べて見ると,桶狭間の戦い以外は石橋を叩いて渡るような戦い方しかしていない,意外と大したことないじゃないかと思わせてしまう構造があるのかも知れません。
>観て信長に興味を持った人が彼の戦績を調べて見ると,桶狭間の戦い以外は石橋を叩いて渡るような戦い方しかしていない,
逆じゃないでしょうか?
戦績をしらべると逆にその強さや、博打要素の強い行動(傍から見ると)が多い気がします。
桶狭間以外にも、天王寺のように40超えの数カ国を支配権においている大大名が3000の兵で15000の敵に突撃して槍働きをして負傷するとか、日本史ではなかなか無いですよね。
美濃攻めでは、鉄砲片手に1人殿軍とか三国志の豪傑まがいのことをやってる逸話もありますし、かなり陣頭ではしゃいでいる逸話が多い人なんですけどね・・・
梃子摺ったといわれる美濃攻めも、同格の戦国大名同士の戦いですし、他の有名大名と比べて時間をかけすぎているというわけではありません。
姉川で苦戦したのは事実のようですが(信長公記の記述がやたらとあっさりしている為)、通説は江戸時代に書かれた書物が出展ですので、徳川の強さはかなり割り引かないといけません。
また、尾張の弱兵というのも実は出典がない。
三河武士と美濃の強兵常に争ってたから尾張兵も強そうな気がするのですが・・・
ただ、こんな逸話(京で略奪祭りをやってると、徳川の兵に尾張兵が蹴散らされて略奪できない助けてくれと信長に助けを求め、それを聞いた信長が尾張兵に情けない激怒)があったので、実際は三河武士より弱かったかもしれませんね・・
もっとも、信長の馬周りは、常に演習を行っていたり、また相撲などで選抜を行っていてかなりの強兵揃いだったと言われています。
回答ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
戦闘開始の沸騰点が低いので、勝率が低い。
義昭を奉じた段階以降、信長の戦争は戦国大名的な境目の戦いから、天下(当時にあっては京都とその周辺だったらしいが)を静謐にするという戦闘目的が掲げられています。
そのために、戦闘数が多い。
同じように足利義尚や足利義輝あるいは、三好長慶など天下静謐を軍事目標にした軍人などより成果を得ているので、同一戦闘目的で考えれば、戦争は上手いでしょう。
上杉謙信や武田信玄などと比較されて下手とかいう論評がありますが、彼らとは戦闘目的が違うので、同一に論じられないと思います。
No.9
- 回答日時:
桶狭間は確かに見事ですが、六条本國寺合戦ってそもそも信長がなにかやったのかな?
刀根坂はただの追撃戦ですし、天王寺の戦いなど巧く行ったからいいもののかなり危うい戦いぶりに見えますが。
敵をうまく包囲して殲滅したとか、分断させて先行部隊を殲滅とか、あまりそういった戦術的にうまく立ち回ったって印象はないですねえ。
六条本國寺合戦は勘違いでした。
すいません。
>刀根坂はただの追撃戦
そうでしょうか?
三方ヶ原の武田信玄のように追撃できない武将のほうが多いのでは?
>敵をうまく包囲して殲滅したとか、分断させて先行部隊を殲滅とか、あまりそういった戦術的にうまく立ち回ったって印象はないですねえ。
そいうのは、海外の古代ローマとか、または通信技術の発達した第二次大戦とかその辺しか存在しないのでは?
いわゆる、騎兵隊をはじめとする高速機動部隊が存在しないと不可能と思います。
そして戦国時代にはそれらが存在しません。
回答ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
信長には、「金ヶ崎崩れ」、「姉川の戦い」の事例がつきまとうからでしょう。
織田信長が勝利した戦いは、桶狭間を除いて、織田軍が圧倒的な兵力を有したものばかりのため、「勝ってあたりまえ」の風潮があることも、原因でしょう。
しかし戦いでは、相手に圧倒する兵力を備える事が常套手段で、その点で信長は、一級品です。
しかし、戦術家ではなく、戦略家としてです。
回答ありがとうございます。
>信長には、「金ヶ崎崩れ」、「姉川の戦い」の事例がつきまとうからでしょう。
金ヶ崎は逆に信長のすごさを表しているエピソードだと思います。
姉川は、徳川を一生懸命持ち上げないといけない江戸時代製作なので、割り引かないといけません。
苦戦したのは確かなようですが、徳川は大して活躍していないのは確かです(浅井、朝倉双方にたいした損害が無いため)。
>桶狭間を除いて、織田軍が圧倒的な兵力を有したものばかりのため、「勝ってあたりまえ」の風潮があることも、原因でしょう。
この手のデマはいったい誰が言い始めたんでしょうかね・・・
ちなみに他の人へのお礼にも書いていますが、天王寺をはじめとして、信長は何度か寡兵で戦いを挑んで勝利しています。
No.5
- 回答日時:
下手なんてひといますか?
上手いですよ☆
ただ城攻め派の秀吉 野戦派の家康にくらべると突出して凄いというところがないので
そんなイメージがついたのかと…
信長は城攻めも野戦もバランスよく得意です
ありがとうございます。
私は少なくとも、野戦では家康、城攻めでは秀吉よりも信長のほうが上だと考えているので、その評価だと過小評価ではないかなと感じてしまうのです。
たとえば、家康ですが、まともな野戦での勝利はありません。
小牧長久手の戦いにしても、局地戦で有利な戦いをしたというだけですし、姉川にしても現在の通説は江戸時代に書かれたものなので参考になりません。
かわって、秀吉の城攻めですが、基本的に秀吉は信長の模倣者という側面が拭い得ません。
よき信長の弟子といった感じで、信長を超えるようなものは感じられない。
という理由で過小評価されていると感じているわけです。
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