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もしもの話ですみません

織田信長が伊勢志摩の海賊大名 九鬼善隆に命じて建造させ木津川口の戦いで毛利水軍をやぶった鉄鋼船「大安宅船」
信長はいずれ世界進出を目論んでいましたが この船は世界の艦隊に通用したでしょうか?

A 回答 (3件)

近年は鉄の使用に関する記述が大和の伝聞史料しかなく、『信長公記』や宣教師の報告にも記載されていないため、どこまで鉄を使用していたのか疑問が呈されています。


『信長公記』の記述による限り、戦いを左右したのは鉄の装甲ではなく、大砲・大鉄炮といった重火器の使用のようです。使用方法も大阪湾に浮かぶ砲台といったところで、積極的な制海権奪取に使用された形跡はありません。
というわけで、世界に通用しそうな突出した新兵器というわけではないので、世界に通用したとは思えません。国内の水軍を総動員した朝鮮出兵での苦戦を見るだけでも、想像しえます。
果たして、信長が世界進出を目論んでいたかどうかすらわかりませんが。
蛇足ですが、当時の九鬼は北畠配下の海賊衆に過ぎず、大名と言えるレベルではありません。
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この回答へのお礼

海賊大名と呼ばれたのは 勝利の後ですね☆

世界に通用するレベルではなかったのですか…
ありがとうございました

お礼日時:2012/09/01 20:07

安宅船(和船)は竜骨のない外骨格構造の船ですから、同じ規模の西洋帆船に基本的な航海能力で敵わないし、実際ぶつけ合いになったらひとたまりもないでしょう。

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この回答へのお礼

ありがとうございました 船どうしよりは大砲の応酬の方が勝ち目はあったりするんでしょうかね

お礼日時:2012/09/01 20:56

外洋航路に弱いから 辛いんじゃないの

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この回答へのお礼

なるほど
ありがとうございます

お礼日時:2012/09/01 20:07

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