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最近、ロシアの歴史に興味が湧いてき、疑問点がいくつか上がったので教えて下さい。
まず、ロシア革命後のレーニン政権に付いてですが、ある本ではレーニンの事を「ソビエトを誕生させた偉大な政治家」と書かれた反面、「共産主義を確立させた独裁者」と悪く書かれてました。スターリンが独裁者なことは有名ですが、レーニンは世界史の中(またはロシア史の中)では悪者なんでしょうか?
次にスターリン(ソ連)のやりたかった事は何か?当初は独ソ不可侵条約を結び、大戦にはあとからから本格的に加わってきたように思えます。ヤルタ会談やポツダム宣言時にも顔を出してきたのは何故?
また、10年前に起こったペレストロイカはゴルバチョフがソビエトを民主化させようとして起こしたのでしょうか?
最後に、今のロシアは共産圏でなければ何なのですか?(資本主義?)
疑問点が沢山ありますので、とりあえずこの片で。もしお勧めの本があれば教えて下さい。

A 回答 (5件)

>戦後の強制就労はいつまで続いて、何故日本へ帰国することが出来たのでしょうか?



昭和33年頃まで続いていました。
舞鶴市が引揚船の入港で賑わい「岸壁の母」という歌が出来ています。

ポツダム宣言第9条
九 日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ
によって帰還は保障されていたのですが、

日ソ共同宣言までは日ソ間に法的には戦争状態が続いていました。戦犯認定を受けた捕虜は帰還できなかったわけです。

最終的には日ソ共同宣言の第5条が根拠です。
5 ソヴィエト社会主義共和国連邦において有罪の判決を受けたすべての日本人は,この共同宣言の効力発生とともに釈放され,日本国へ送還されるものとする。
また,ソヴィエト社会主義共和国連邦は,日本国の要請に基いて,消息不明の日本人について引き続き調査を行うものとする。

参考URL:http://avatoli.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/docum …
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アメリカなら分かりますが何故日本兵はソ連へ行かされたのでしょうか?



ソ連は、敗戦直前のわが国に宣戦布告して中国東北部や千島列島に侵攻し、ソ連の仲介による講和に一縷の望みをつないでいたわが国に最後の止めを刺しました。ソ連は、ソ連軍に降伏した日本軍の軍人をシベリアなどに抑留しましたが、飢えと寒さと厳しい労働に耐えかねて多くの日本人が死にました。

>戦時中スターリンは虐殺を指示してたのですか?

スターリンは、戦前から多くの人を殺しています。
最初に殺したのはレーニンの後継者の地位を争う立場にあった政敵(共産党員)です。次は、バルト三国や東欧諸国の指導者・反ソ的な市民、次いで革命の敵とみなされたソ連の労働者・農民、更には軍の高級将校など、その総数はいまだにハッキリしませんが、百万人を越えているのは確実です。
もっとも、革命の敵とされた労働者などは、死刑になったのではなく強制収容所に送られて鉱山やシベリア開発などの厳しい肉体労働に従事させたわけですが、普通は死ぬまで働かされるので、収容所から生還できたのは非常に少数の例外だったようです。

この回答への補足

戦後の強制就労はいつまで続いて、何故日本へ帰国することが出来たのでしょうか?

補足日時:2004/02/09 22:13
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本筋についてはすでに十分な回答がされていますね。

蛇足ながら、

○レーニンは、共産党を革命の前衛として位置付け、階級の敵と戦う戦闘的組織に衣替えしました。レーニンの特徴は、その組織論、特に民主集中制(民主主義的中央集権主義)というエリート主義にあります。このエリート主義が後のスターリン独裁の土壌であったことは確かでしょう。その意味で、レーニンとスターリンには類似性・連続性があります。

○当時の共産主義者の常識であった世界革命を志したレーニンと異なり、スターリンは初めから他国を道具としてロシア一国の共産化を指向していたフシがあります。また、レーニンなどの共産主義指導者の多くが共産主義理論家としても多くの業績を残しているのに対し、スターリンは民族問題の権威と目された他には理論面での貢献は乏しく、あくまでも実務家として頭角を現した指導者でした。私見ですが、スターリンが民心を掌握できたのは、世界革命の理念に埋没しかけていたロシア民族主義の解禁により国民の熱狂的支持を得ることに成功したからだと思います。ヒトラーの手法とそっくりです。

○レーニンは、他国の犠牲の上に成り立つスターリン式一国共産主義を共産主義の理想に対する裏切りとみなし、スターリンを打倒しようとした形跡があります。しかし、残念なことにその前に寿命が尽きてしまいました。

○スターリンには冷酷非常な独裁者という評価が定着していますが、一時的とはいえ、ソ連をアメリカに対抗し得る大国に押し上げた怪物政治家です。あまりにも罪が大きいのは事実としても、少なからぬ功績があったことも認めるべきでしょう。

○私見によれば、ペレストロイカの本質と失敗の原因は、ゴルバチョフが本気でソ連の民主化=民主集中制の改革を行おうとしたことにある、と思っています。民主集中制はレーニン以来のソ連共産党の組織原理であり、共産党エリート(赤い貴族)の既得権=絶対に手を触れてはならない聖域でした(北朝鮮はもちろん、改革が進展している中国やベトナムの共産党でさえ、現在もなおこの組織原理だけは堅持しています)。改革の進め方について市民と直接対話するゴルバチョフの姿勢は党に対する宣戦布告であり、政治的自殺行為でした。

なお、
><プーチンはКГБ出身
>ってなんですか?

英語式に表記すればKGB(ソ連国家保安委員会)、悪名高い旧ソ連の秘密警察のひとつです。КГБ という表記は見慣れませんが、キリル文字による本来の表記ですね。

参考URL:http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/russia/kgb/

この回答への補足

<スターリンには冷酷非常な独裁者という評価が定着していますが、一時的とはいえ、ソ連をアメリカに対抗し得る大国に押し上げた怪物政治家です。あまりにも罪が大きいのは事実としても、少なからぬ功績があったことも認めるべきでしょう。

うちの祖父はソ連へ強制労働へ行かされたと聞きますが、アメリカなら分かりますが何故日本兵はソ連へ行かされたのでしょうか?また戦時中スターリンは虐殺を指示してたのですか?

補足日時:2004/02/08 21:40
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>レーニンは世界史の中(またはロシア史の中)では悪者なんでしょうか?



東西冷戦時代においては、東側の立場から見れば偉大な指導者、西側の立場から見れば独裁者です。

ソ連が崩壊した現在においては、秘密書簡等も暴露され始めており、反革命運動を圧迫した独裁者的色彩への批判の方が強くなっているようです。

>次にスターリン(ソ連)のやりたかった事は何か?

ナチスドイツの攻勢に伍してソ連を守り、あわよくば勢力を拡大することです。

>ヤルタ会談やポツダム宣言時にも顔を出してきたのは何故?

連合国の一員として参加しています。ヤルタ会談は対日戦参加の条件を詰めるため。ポツダム会談はドイツの戦後処理協議のためです。

>また、10年前に起こったペレストロイカはゴルバチョフがソビエトを民主化させようとして起こしたのでしょうか?

ペレストロイカは建て直しという意味です。小泉総理の構造改革みたいなものです。しかし、もともとソ連の構造自体が硬直化していたので、ちょっと触っただけで崩壊してしまいました。

>最後に、今のロシアは共産圏でなければ何なのですか?(資本主義?)

単なるロシアです。

資本主義経済を採用しています。

参考URL:http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia/data.html
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レーニンについてはまだよく分かっていないことが多いようです。

ただレーニンがヨセフ・シュカシビリ(スターリン)を快く思っていなかったことは事実のようです。

また単純に善人、悪人で分けることもできないでしょう。少なくとも革命で政権を樹立した以上、反革命政権を打倒しなければ政権を維持できません。むしろ善悪を問うなら政権を維持できたかどうかで判断すべきです。

スターリンはグルジア人ですから、ロシア人にコンプレックスがあったようです。ソ連の頂点に立つことが一つの目的だったのでしょう。

スターリンは一国共産主義政策をすすめ、世界共産主義政策をとるトロツキーらを弾圧します。スターリンにとってはソビエトロシアこそが重要だったのでしょう。それゆえにベルサイユ条約下で軍備を制限されていたドイツともラッパロ秘密条約を結んで国力を増強させます。下手に世界共産主義革命を乱発したのでは資本主義の列強諸国から総攻撃を受けたでしょうし、ドイツからの援助も受けられなかったと思われます。ただでさえ第一次世界大戦において単独講和をして連合国からは非難されているのですから、スターリンにとっては綱渡りだったのかもしれません。

第二次世界大戦については、あまり積極的にかかわるつもりはなかったかもしれません。スターリンにとってはソビエトロシアを防衛するのに必要な衛星国をいくつか得れば良かったようにも見受けられます。だからこそ独ソ不可侵条約や日ソ中立条約を結んだのでしょう。またレーニングラードを防衛するためにフィンランドにカレリア地方の割譲を要求したり、バルト3国を併合します。これらはソ連を局外中立状態に置きたいがための行動にもとれます。

独ソ戦は昭和16年6月に始まりますが、ヒトラーを疑ってはいたものの、本当に侵攻してくるとは思っていなかったようです。スターリンにとって売られた喧嘩だったに違いありません。ソ連にとって最初から受身の戦いですから本格的にならざるを得ません。

さすがにヤルタやポツダムの頃は戦争にも先が見えてますから、戦後の米ソ対立の構図が見え始めているのでしょう。アルカディア会談やテヘラン会談の段階では、まだ必死に国内戦をやっているわけですから米国から軍事物資のレントリースを受けることが一番の目的だと思います。

ちなみに米ソ対立は実は大戦中から始まっているのです。公には昭和21年頃からのスターリンの資本主義批判やチャーチルの鉄のカーテン演説などからですが、ソ連が米国にスパイを潜入させて原爆開発の状況を収拾したり、米国がソ連支配地域を偵察するようなことが昭和19年頃から活発になりました。事実昭和19年には米ソの軍用機が空中戦をやっています。

ペレストロイカはもう20年位前にさかのぼりますよ。やはりブレジネフの死去が大きな意味を持っていそうです。ブレジネフが死んで、そのあとアンドロポフ、チェルネンコが後を継ぎますが、どちらもわずかの間に死んでしまいました。ただ単純に民主化といえるでしょうか。むしろソ連が疲弊し、それを建て直そうとしたのでしょう。たしかゴルバチョフが就任したのは1985年です。米ソ冷戦は何度か山と谷を繰り返しますが、その最後の山は79年暮れのアフガン侵攻に始まる対立でした。ところがソ連内部が経済的にも政治的にも限界に来ていたのです。そこに追い討ちをかけるのが86年のチェルノブイリ原発事故でした。ゴルバチョフが就任した時点では、すでにソ連の体制は限界に来ていました。ただブレジネフや、その息のかかったチェルネンコまでは、改革をやりたくてもできなかったのだと思われます。

ちなみにどうでも良い話ですが、奥さんのライサさんは、世界のファーストレディーの中で、もっとも私の趣味ですね。もう亡くなってしまいましたけどね。

今のロシアですが、経済的には資本主義ですよ。政治的には自由主義なのでしょうけども、伝統的に権威主義の強いところです。

どこの国にも程度の差こそあれ、裏社会があるものですが、ソ連時代からロシアではマフィアが社会に根を深く張っていました。ソ連時代には、あるときは政権と手を握りつつ、しかし対立しながら存在していたのです。それがソ連崩壊とともに表面に出てきました。

それらを押さえつけつつ、またあるときは手を握って政策を遂行してゆくには、ある程度の強権的な手法が必要となります。

今のプーチンはКГБ出身ですけども、実は旧ソ連から分裂してできた諸国の首脳の多くはКГБ出身です。やはり裏の社会を掌握するためには、裏の世界に通じていないと治められないのでしょう。

この回答への補足

<プーチンはКГБ出身

ってなんですか?

補足日時:2004/02/08 16:56
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