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皆さんも普段クエスチョンマークは多用していると思います。
これほど便利で必須とすら思えるマークがなぜ日本語では生まれなかったのでしょうか。

あいまいな表現を良しとする日本の美意識の表れでしょうか?

普段、クエスチョンマークを使うたびに、日本人なのに表現に英語表記を織り交ぜてしまうことに対して、日本語の不備を指摘されているような気がして軽ーいコンプレックスを覚えます。

A 回答 (8件)

韓国語や中国語もですよね。



日本語の不備というよりも、英語等の方が、シンプルな文体だからではないでしょうか。

日本語では、語尾で判断出来ますが

英語だとどこまでつづくかをはっきりさせる必要があるから、?が必要なのかなと思った・・^^;

不備ってわけではないとおもいますよ

かわいいから拝借してるんではないかな?

他の国の習慣が混ざり合っているということは、それだけ平和ってことでもあると思うし。

良い物は吸収できる柔軟な国柄なのではないかな^^
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この回答へのお礼

柔軟ですねー。
でも英語がくるまでに誰かが思いついていいだろ!って思ったんです。

お礼日時:2013/01/02 02:30

これほど便利で必須とすら思えるマークがなぜ日本語では生まれなかったのでしょうか。


これほど便利で必須とすら思えるマークがなぜ日本語では生まれなかったのでしょう。

前文が疑問文
後文が平叙文

何ら問題ないから。

何ら問題ないからか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。 

お礼日時:2013/01/02 02:27

理由1:日本語の文語と口語の乖離。


言文一致って習ったと思いますが、日本語は長い歴史の中で言葉が変化したこともあり、
文語と口語に大きな乖離が出てきていました。それを一致させたのが明治期の話。
専門家じゃないの予想にはなりますが、恐らく文語の世界では何の違和感も無く疑問文が成立していたのでしょう。
今みたいな「どこかへ行く?」みたいな表現は存在しなかったが、口語が変化していく中で徐々にそういう疑問文の作り方が出てきた。

そこで、
理由2:新たな日本語の書き方を決める中で句読点と同様に疑問符も定められた。
意外かもしれませんが、句読点や括弧は明治の終わりに定められたものです。つまり新しい日本語。
それも西洋文化を模倣して考案されたものだそうな。そして徐々にそれも改訂されていき、昭和に入ってから疑問符や感嘆符もついかされた。(当時の文部省がしっかり定めています)
つまり?も!も今や正しい日本語なんですねー。
まあ、大昔に中国の漢字を取り入れた経緯を思えば大したことじゃないのかもしれませんが。

いまだに日本語は日々進化していますので、今後も新たな表記が生まれる可能性は否定できませんね。
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この回答へのお礼

なんと正しい日本語としてもう認められているんですか!
うーむ、驚きました。

お礼日時:2013/01/02 02:26

疑問文の最後に{か」が来るのでこれがあたかも「?」の役割をしているように見えますけれど・・・。


この「か」だけで英語のように主語を入れ替えなくても済むし、便利だと思いますが・・・。
中国語、韓国語にもないですね。
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日本語ではそもそも「?」の必要性が薄く、あれば便利と言う程度です。



日本語は膠着語ですから、単語1つごとに変化させることが出来、また格助詞を組み合わせることで格を明確化させ、語順を自由に組めるという特徴があります。 
↓たとえば以下の文では「か」という疑問を意味する終助詞をつけることで、わざわざ「?」をつけなくても意味が通じます。

>食べるか?

「食べる?」のような文は口語のみで使われていたはずで、本来必要の無い表記方法だったはずです。

もし、これが英語で「?」マークをつけずに表現しようとすると、最低でも主語と動詞、助動詞Doを省略することが出来ません。



日本人も「。、」などの句読点を考案していますよ。これは便利なので、中国へも輸出され中国語でも採用されました。
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ひとことで言えば、日本語の昔の文章では、「?」に限らず句読点やかな文字の濁点なども含めて文字以外の記号を一般には使用しなかったためではないかと思います。

(現代の古文の教科書に載っている古典には、こうしたものがすべて付けられていて、本来書かれていた表記とは異なります)

これは漢文(昔の中国の文章)でも同様で、本来の白文(原文)には文章の区切りを示す記号が一般的にはなく、漢字が連続していて現代の私たちから見ればどこで区切って読めば分かりにくく極めて読みづらいと感じますが、当時は文章を読み書きするのはそれなりの教養のある人だからそれくらいはわかるはずだ、という考え方だったのでしょう。

中学校で初めて英語を習ったとき、一般の文の最後には「.」を、疑問文の最後には「?」を、感嘆文の最後には「!」を書く、と教えられましたが、昔の日本語のように、文の最後に何かの記号を書くという決まりごとすらなければ、「?」マークの生まれる余地もなかったでしょう。さらに言えば、書き言葉では疑問文かどうかは表現自体で判別可能であって、文末に特別な記号をつける必要性が薄かったとも考えられます。

時代が下れば会話をそのまま文章にすることも行なわれるようになりました。具体的に言えば江戸時代の19世紀前半には、会話の中の濁音と鼻濁音を別の表記で書き分けるような文学作品(浮世風呂)まで現れました。この傾向が続けば江戸など三都の文化人の中に「?」に相当する記号を考案する人が出たかもしれません(?)が、それより早く日本は開国して外国語の知識が広く普及するようになり、明治時代以降は「?」そのものが使われるようになりました。
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同感ですが、?の使用を選べる日本語と、?が義務付けられてる英語は違いますわな。



必ず?を付けるのは言語を制約するよね。

「ガルマは何故死んだ」

"Why did Garma die?"


疑問符言語の連中にしてみたらさ、?の文法から解放されている日本語を進歩的な人達の言葉と考えるかもよ。
生まれた時から、毎回、疑問符というのは、鬱陶しいですよね。
洒落抜きに、欧米人がやり合うサガなのは?の業かも。
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クエスチョンマーク(に類するもの)は5世紀のシリア語の発明だとする研究があるそうです。


http://current.ndl.go.jp/node/18750

これが本当だとしたら(西洋から見たら)東洋の発明っていうことで、溜飲を下げてはいかがでしょう。

日本語でも係助詞であるとか語尾に「か」とか「や」とかをつけて疑問を表わすような変化はあると思います。
係助詞の場合には文末が通常の終わりかたでないので疑問文である事がわかるようになってます。
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