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学校って、実績上げたいが為に、指導が暴走している状況ってありますよね?

先の指導者の体罰による生徒の自殺の件だけでなく、練習量においても、やり過ぎ的な学校ないですか?
必要以上に精神に圧力かけたり、夜間や土日にまで練習させたり。。。

生徒の為というより、学校や指導者に実績作りに利用されてるような。

大人でさえ、労基法に守られてるのに、子どものクラブ活動は、管理する人の考え一つでどうにでも精神的、肉体的負担を課せる事が出来る。
監視する機能も無いですよね。

A 回答 (7件)

 No.1及び2の回答者の方はかなり歪んだ教育を受けられた様ですのであの様な答えになっているかと存じます。


 少なくとも部活は学校の授業とは別の課外活動です。それによって学校が評価されるとの本末転倒な事実が教育現場にひずみをもたらしているとも考えられます。課外活動ならば本来は「生徒が自主的にルール作りをすること」に意味があるのであって、学校側や体育科の教師が自らの栄誉や満足のために行うならば、そこからは主体であるはずの「生徒」がスッポリと抜け落ちてしまっている形です。
 強いチームはポテンシャルの高い選手がいて成り立つ、こうした事象を踏まえるなら、「どのようにすれば…」と考えるのが普通の人間の発想です。かつての相撲部屋や昨年金メダルゼロになった日本柔道はスポーツとしてのスキルアップよりも根性論や精神論に活路を見出していたからあの様な惨めな結果を自ら招いたともいえるでしょう。合理的に考えることのできない人間には教育を語る資格などないといえます。
 ただ一つ現在の状況で、「過剰な部活」によるデメリットを具体的に証明する手だてがあるとすれば、それはそこに所属する生徒の学力が低下したなどの事実を学校長に突きつける以外にはないでしょうね。それによって「進路選択の変更」を余儀なくされたとの事実が証明できれば、部活の顧問も考えざるを得ないでしょう。

この回答への補足

このサービスの傾向として、回答はまず反論のスタンスの方が多く寄せられるというのがあると感じます。
文章を打つ(書く)エネルギーは、否定や怒りの方が原動力になるんですね。
あと、ここの特徴として、質問(テーマ)に対して、自分の私見や経験を普通に提供すればいいのですが、質問(テーマ)に対してどう返すか、どう言い負かすか、論破するか、その疑問を虚無にし無効化するか、そっちが好きな人もいます。
理屈ゲームに近いんですが、どう返すか。返し技を研究する頭の体操みたいな感じでしょうか。
でも、そんな回答が来ても、真に受けるほど質問者もバカではなく、心は参考になる意見やヒントを寄せてくれる新たな回答者を待っています。
そりゃ、虫の居所が悪い日は皮肉回答や上手に意地悪を隠し諭す回答を書くこともあるでしょう。なので許容はしたいです。

補足日時:2013/01/12 13:14
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
生徒によっては、いい先生との印象もあったとか。。
仮に実績目的の邪心ではなく、自分の中の「若者とはこうあるべき論」によるものだとしても、
権限を振える立場にいるからには、評価する機能がなくてはならないでしょう。
学生の活動の範囲で、指導者がアクセルとブレーキの加減をどこまでとし、どの位の高みまで目指すのか。
これを機会に再考してほしいですね。
相手は、何が良いのか行き過ぎなのかまだ分からない子どもなのですから。

お礼日時:2013/01/12 13:23

暴走指導者の黙認の問題と言うよりも、部活が現在教育活動として認められていないので、ボランティアでやっているので管理職(校長)が口を出せないと言う現状が問題の根幹にあると思いますよ。



つまり、俺(教諭)は強いチームの顧問だから指導者として優秀であるという勘違い。
強いチームを作るために、体が出来ていない生徒も出来ている生徒も同じ練習をさせる。
ついていけない生徒は駄目な生徒としてさらに厳しい練習を課し、出来なければ・・・。
逆に、強いメンバーが揃えられれば他の弱い奴なんて相手にしない。
強い奴を邪魔するなと言わんばかりの放置。

教育の一環としてやっているのなら問題ですが、ボランティアでやっているので文句を言うこともできない。
しかも、学校の代表として顧問がいないと正規の試合に出られないので、近所の人が顧問をやることが出来ない。

学校教育で体罰をした場合は、100%問題となるが、部活は学校教育の一環じゃないので暗黙の了解で問題としない。
と言ったようなわけのわからない状態が教育の現場で起こっているので、学校の中で行われる部活を教育の一部として体罰禁止や、きちんとした休日を設けるようにしてしまえばほぼ問題は起こらないはずなんですけどね。

部活を教育の一環でやると、大会が土日に行われるので手当てを出さないといけなくなるとかで、部活は教育活動ではないと決めたらしいんで、再度政権に就いた以上は、金よりも命を優先する政治を期待したいですね。
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 折り返し、ありがとうございます。


>相手は、何が良いのか行き過ぎなのかまだ分からない子どもなのですから
 これは、どうかな?と僕は考えています。子どもも「人格形成」の途上ですから、様々な思考力や判断力を身に付けていきます。それをサポートするのが教育の役割であると同時に使命でもあり責務であるのではないでしょうか。
 子どもにとって大切なことは「なぜ自分が叱られているのか」を物事の論理(日本的な表現をするなら道理になります)との整合性によって「理解する」ことではないでしょうか。
 今回の暴行事件を考えるなら、教師の側で第一優先順位に位置付けられたのは「試合で勝つ」であり、そのために「強いチーム作りが必要」だから「手っ取り早く、その目的に到達するため」に前提を捨象したと僕はとらえています。
 けれども「課外活動それ自体」も「学校に在籍していること」が必要な条件となることも一方の事実であり、その「学校」とは何をするための場所かと考えた時に、あの様な疑問が生じたわけです。
 もし「スポーツ競技を楽しみ、そのスキルを高めたい」ならば、個人でクラブチームに所属するなりスポーツクラブに入会すれば目的を達することで、当初の目的は十分に達成することができる。
 この点が日本の学校教育とクラブスポーツの境目が曖昧になされてきたままを如実に物語っていると僕は理解しています。
 スパルタや熱血指導では相手を威嚇し怯えさせることはできても、相手を「理詰めで」納得させることは困難です。この「理詰め」を持てないから、先に手が出てしまうお粗末な体質に疑問を持てない一部の親や生徒がそうした形を温存してきたともいえる。またそうした指導に疑問を持たない教員は「自分がそうされてきたことで現在がある」と勘違いし、自分が経験してきたこと(先輩から後輩に対するイジメも含む)を今度は、自分よりも弱い立場に対して行おうとする「経験に裏付けられた負の連鎖心理」が陰を落としているとも考えられます。これはDVと同じです。折檻された子どもが大人になって、自らの子どもに折檻することに疑問を持たなくなってしまうとの心理状態と同じです。
 「イイ先生だ」との意見を統計的に見てみますと、そこにあるのは「脚光を浴びる立場にある生徒および父兄」であり、いってみればお山の大将と変わりありません。自分がそこに至るまで、どれほどのチームメイトやスタッフのフォローがあったかなどは我関せずで、自分の能力を引き出してくれたのはその指導者がいたからと勘違いしてしまっている。でもその競技に携わるにはマネージャーを始めとする「表に見えない人達」の支えがあったことも僕は忘れて欲しくない。
 労基法の話を根拠とするならば、勤労者の実態権利が条文に記されているものと同じといえるでしょうか。有名無実と化している部分はかなりにあります。個別の企業も学校と同じく閉鎖社会であることには変わりありません。こうした点を鑑みるなら、今度の問題は「日本人と法規範の間にある意識のズレ」が象徴的に表れた事件だとみています。
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昔、なぜ自分は子供をしかるのにたたくのか悩み、心理学をまなびました。



自分が子供をたたいたころのことを考えると、その子の為にするという目的なら、手などをぴしゃりと1度たたく程度。
しかし、たたく回数にコントロールが効かなくなったな!!と感じるときは、自分の見栄や対面のための子供をしかっているんです。
それでも我が子ですから、やはりブレーキがかかる。

顧問の教師が自分の対面、メンツ、評価のために、他人の子供に暴力をふるい、それが長年の習慣になればブレーキはききません、多分死ぬまでなぐりつづけるでしょう。

それは、なぐることをやめられなくなっている教師ももう精神的な地獄におちているのですね、無自覚に。
どんなかたちであれ、罪をつぐなうときがきます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

良いご意見で参考になりました。
ところで、私は、教員という人に対して立派な人というイメージはありません。
閉鎖された中で先生先生と崇められて、一般社会との関わりも無い人ですから、疑いを持つべきだと思います。
普通の企業で働く人や事業主だと、上下と対外的な人の視点を意識しますから、社会人としてのリミッターを感じざるをえないと思います。
学校や私塾は、ほぼ一人で采配振るえる環境ですから、王様気分や、仰るようなダークサイドに堕ちる誘惑の場となりやすいかもしれません。
本当にクラブ活動って、どうあるべきか考える機会にしてほしいです。

難しいでしょうけどね。やっぱり勝負事や技巧の向上は楽しくやればそれで良しでもないし、ある程度のプレッシャーも肥やしになるだろうし。・・

お礼日時:2013/01/12 13:33

そうですね、監視する機能も無いですよね。



でも今回の事件で腑に落ちないのは、親の態度です。
殴られて帰ってきたのに知らん顔して、自殺したらあーだこーだ・・・・
殴られて帰ってきたら怒鳴り込んでいけばよいのです。

駄目な指導者はこうして淘汰されて行くんです。
最後に残った指導者が良い指導者なのでしょう。

私が習った先生は暴力は一切なかったです。(私は途中で退部しましたが)
でも全国大会では常連になっています。(過去には良い所まで行ったのですが今では全国では弱い部類です・・・)
定年まで40年近く同じ所で同じ顧問をしてました。
市立でしたので、定年後は市役所に自分の役職を新たに作って居座っています。
途中から指導よりお金に執着したのでしょうか・・・
それからは全国大会に行くのが目標みたいになったようですが・・・

ま~今回は、
駄目な指導者と駄目な校長と駄目な教育委員会と・・・
駄目な親がそろった為に起きた最悪の結末なのでしょう。
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この回答へのお礼

レギュラーとキャプテンの座を守りたいでしょうから、親には悟られまいとするんでしょうか。
でも、まだ若いからそもそも自分が受けている状況が良いのか間違ってるのかさえ判断できないのかもしれませんね。
勝負事(文科系でも)は、楽しくだけより、より高みを目指す過程から得るものが大きいですね。
暴力指導、先輩のイジメまで至らなくても、どの範囲で指導するか。ある程度のプレッシャーはあってもいいでしょうけど。

私だったら、保護者の目を意識しますが、暴走しちゃうと(ダークサイドに食われちゃうと)自分でもコントロールできなくなるんでしょうか。
橋下市長が言ってましたが、18年も居れば校長より偉くなる。
王様に意見しようとする者もいなくなるんでしょうね。

と感じました。
ありがとうございます。

お礼日時:2013/01/12 07:26

   


先生に詰問といっても殴られる事に腹を立てたのではないよ。
練習内容とか試合中の采配とか先生の考えについて行けなかったからです
   
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そうですね。
ついて行けなかった自分に悔しい。
それに気付かせる良い先生ですね。
冷静に采配を考えれば、靴で叩かれることなど小さなことかもしれません。

お礼日時:2013/01/11 22:06

   


私が中学の頃は
朝練・・・始業前の1時間
練習・・・放課後~日没まで(ナイター設備が無かったので日没で帰れた)
土曜日・・・6時間
日曜日・・・練習試合(毎月1回)

試合でボンミスをしたらタイムの最中に靴で殴られた(手で殴ると教師の手が痛いから)
それでも皆元気だった。
一度、先生の指導方針に腹が立ち部員みんなで職員室まで押しかけて先生を詰問したことがあった。

先生も生徒も人としては対等だったな
今の子供は喧嘩をする勇気が無い
  
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
今は体罰で片付けられてしまう行為も、
振り返れば懐かしい痛みというのもありますよね。

お礼日時:2013/01/11 21:59

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