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1864年に起きたパラグアイ戦争について質問します。軍事国家パラグアイが南米の二大国アルゼンチン・ブラジルを相手取ってウルグアイの領有権を争った戦争と言ったことは知っていますが、なぜ太平洋戦争(WWII)の日本と対比されるのでしょうか?
また人口の半分を失ったパラグアイが分割占領されなかった理由は?

A 回答 (2件)

三国同盟戦争と大東亜戦争を対比させた方は誰ですか?少なくとも私は知りません。


そもそもウルグアイの領有を巡って戦ったのではないし…
ブラジルがウルグアイの内戦に軍事介入したのでウルグアイを助けるためにパラグアイが介入、これにアルゼンチンもブラジル側で参戦した戦争です。悲劇だったのはウルグアイが負けてブラジルの傀儡になってしまったため、パラグアイが孤立したのです。大統領以下男子の8割を失い、国土も25%割譲されました。

チリ・ペルー・ボリビアの三ヶ国で戦われた太平洋戦争は大東亜戦争の引き合いに出されます。理由は名称です。
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この回答へのお礼

ウルグアイがスペインとポルトガルの南米勢力分界線(トルデシラス条約)の不明確係争地にあたり、その継承国を主張したのがパラグアイとブラジルであると何かの本で読んだことがあります。大日本帝国とパラグアイの国民性を含めた類似性を比較した文献も幾つか目にしたことがあります。失礼ながら、おそらくあなたが知らないだけだと思います。

お礼日時:2013/02/09 22:24

はじめまして



もともとパラグアイ戦争は狂気の独裁者、内陸国パラグアイ大統領のロペツがラプラタ河口のウルグアイの内紛に干渉し開始されたものです
当時のウルグアイはブランコ党とコロラド党の対立が内戦化し、前者をパラグアイが、後者をブラジル、アルゼンチンが支援
一方アルゼンチンも首都ブエノスアイレスとそれ以外の地方が対立していたため
ロペツが領土拡張の野心からブラジル、アルゼンチンへ侵攻したのです

パラグアイにはかつて奴隷商人に攻撃され苦しんでいた先住民グアラニー族をイエズス会が救済し
ミッションと呼ばれる居住区で武器を与え、軍隊式の階級制と自治を付与、軍務経験のあるイエズス会士が教練し精強な屯田兵共同体化しました
また効率のいい換金商品作物であるマテ茶栽培も修道士は教えたため経済的にも豊かになりました

パラグアイ軍の中核にはこのグアラニー族の部隊がありました


ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ三国は秘密同盟条約を締結しました
内容は
1.単独講和禁止
2.ロペツ打倒
3.パラグアイの《独立保障》
4.賠償金要求
5.パラグアイ領土の半分を割譲
6.パラグアイ防衛の中核ウマイタ要塞の破壊
を決め、目的はあくまでロペツの打倒でパラグアイの完全割譲はせず、独立を保障することにしたのです


内陸国でラプラタ河の制河権も奪われ、補給の途絶したパラグアイは武器、弾薬が不足し
しかも狂気の独裁者ロペツは敵の銃火の待つ敵部隊に銃剣突撃を命じトュティの戦いで6000名も戦死惨敗
兵力不足になったロペツは老人や女性、しまいには6歳の子供も兵士として徴兵
銃が不足し斧や剣、ナイフを装備し戦わせました
1869年8月16日アゴスタニューで500人の成人兵を除き殆んど少年兵の3500のパラグアイ軍はブラジル軍と戦いましたが
一方的な虐殺となり、多くの少年たちが戦死しました
それ以後、8月16日はパラグアイの子供の日になりました

ロペツの最後は15歳の《大佐》の長男とともに最後の部隊数百名が玉砕しました

無謀な戦いを継続したこういう点がかつての旧日本軍に比喩されるのでしょう


長文失礼致しました
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