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自分は人間不信です。

信じた人に裏切られ、仕事も出来ずに一年が過ぎました。

でも、やっと考え方が変わりかけています。

信じた人に裏切られたのではなく、勝手に信じただけで勝手に傷ついているという事。

やる気が出て来たのですが、まだ、自分にメンタルブロックをかけています。馬鹿です。
誰か、背中を押して下さい。

A 回答 (8件)

人間不信。



良いではないですか。
大多数の人は誰かに依存して生きています。
信じているとか任せているという言葉の裏には
依存心が眠っています。

ただ本当の意味で、幸せをつかむ人や結果を残す人は
全ての事に自己責任の考えを持つ事が出来る人
なんだそうです。

口で言うのは簡単ですが、これは相当難しいです。
私も完璧にはできません。

質問者様は、今回の出来事をきっかけに
自己責任の考え方が出来るきっかけを持てるようになったのではないでしょうか。
あなたはバカではありません。
むしろ一歩先を行ったと行っても良いのではないでしょうか。
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本当に信じられる人を見つけるのはなかなか大変だと思います



ちょっと穿った考えですが
例えば、「どうしても自分に切羽詰まった事態があれば自分も誰かを裏切るかも」というのはどうでしょう
私は聖人君子では無いので
いざという時、きっと人を裏切ってしまうだろうと思っています
理由はどうあれ「他人にとっては」裏切りと思われてしまう行為

そう思えば他人の裏切りをとがめられないかな~と
自分は絶対に裏切らない!って言えませんから
自分も裏切るだろうから人は責められないな~と
そう思ったら楽になりましたよ

もし裏切っても、後悔しても自分には言い訳せずに正直でいようとは思っています
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

裏切られたと思うことが、すでに自分目線だときずきました。


やさしく背中を押していただきました。感謝します。

お礼日時:2013/03/24 01:22

勝手に信じる に、もうひとつ。


誰かを信じると決めたら
その決断のせいでひどい目に会っても構わない と覚悟する。
覚悟まで出来ない時は信用しない。
他に
リスク回避の為、まるっと信用しない。人の一部分を信用する。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

確かに覚悟が足りませんでした。結果、病んだ。

すごいリスクでした。

参考にさせていただきます。

やさしく背中を押していただき、感謝。

お礼日時:2013/03/24 01:43

人間不信が悪いわけじゃないんです。



人間不信だからこそ、人について勉強しようと
思えるのですから。

あなたが勝手に期待したせいで傷ついた。
このことに気づけたらようなので。
もうだいじょうぶでしょう。

他人にむやみに期待しないことです。
メールの返信が来なかろうが。
遅刻されようが。
まぁ、そんなもんかぐらいに考えることですね。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

一年間かかりましたが気づけました。

もう大丈夫でしょう。>そのお言葉で救われます。

やさしく背中を押していただき、感謝。

お礼日時:2013/03/24 01:28

> 信じた人に裏切られたのではなく、勝手に信じただけで勝手に傷ついているという事。



なかなか良い結論だと思います。

その先を付け足すと、「それでもまた、人を信じようとする」のが人間のサガですよ。
傷付くことに怯え続けたら、ホントに信じられる人には出会えませんからね。

ただね、裏切られた経験を活かせば、怯える必要は全く無いですよ。

金八先生的に言えば、「人と言う漢字は、お互いに支え合ってる」なんだけど、その「支え」に裏切られた場合、倒れちゃったらダメなんです。
「ノ」の字になって、立ってなきゃいけません。

倒れる人は、相手に体重をあずけて、言わば「依存」しちゃってからです。

逆に、自分は自立したまま、相手の肩にポンっと手を置くくらいなら、裏切られたって全く平気です。
また、それだって充分に信頼関係なんです。

相手を両手で抱きしめても良いでしょう。
ただ、相手に「おんぶ」や「だっこ」まで求めちゃダメってコトです。

お金で考えれば、一番判り易いですよ。
お金の貸し借りでは、返してくれなくても困らない額にしておけば良いワケです。
これが自立ですね。

でも「返してくれなきゃ、自分も破滅!」みたいな大金を貸す場合、「相手が返してくれるだろう・・」みたいな期待や信頼じゃ、まず貸しませんからね。
それなのに、大金でも安易に貸しちゃう様な人が、破滅してしまうのですよ。

金を貸す行為は、一見、貸す相手をだっこして上げる様なモノですが、貸す側も、安易に自分の身を相手に委ねる依存でもあるのです。

ただ、自分が大金持ちで、何千万円とかを貸しても平気なら、全く話しは別ですね。
即ち、自分が自立すればするほど、人を信頼することも出来るし、人に優しくもなれます。

「裏切られる」と言うのは、辛い経験ではありますが、その経験を活かすキッカケにもなります。
辛いままで終わるか?
あるいは、もう一度人を信じるために、強くなるか?は、自分次第ですよ。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

人は一人じゃ生きられない。誰かを信じ、誰かに信じられ生きるから人なんだと思いました。

やさしく背中を押していただき、感謝。

お礼日時:2013/03/24 01:34

人を信じるのはいいことですが、信じすぎるのは考えものです



切羽詰まると、自分の都合のいいように色んな解釈を加えたり
記憶違いや勘違いがあったりと、人間関係には色んなトラブルの火種を抱えています


裏切られて傷ついた立ち直ったと とらえるより、
危機管理の問題としてとらえて 前向きに対応を考えてみてはいかがでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

確かに切羽詰まり、自分目線の解釈で、いいように捕らえた結果だと気づきました。

一年間立ち止まりました。そろそろ前を向いて歩きます。

やさしく背中を押していただき、感謝。

お礼日時:2013/03/24 01:48

人を疑う事は悪いことだとは思っていません


疑う、というよりも、再確認する機会だと思っています

人を疑ってしまうのは、自分の安全を確保したいから
安心したいからだと思うのです

ただ疑うのでは無くて、
安心出来るように、何度も「確認」するのです
確認して、安心だと納得出来るまで疑えば良いのです
納得出来るまで確認出来れば
安心して信じる事が出来ると思います
疑う事は、信じる為のプロセスだと思えば良いのです
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

疑うのでなく、確認する。>いいお言葉ですね。

考え方を変えるだけで心が癒されます。

やさしく背中を押していただき、感謝。

お礼日時:2013/03/24 01:38

こんにちは!!



>勝手に信じただけで勝手に傷ついているという事。

とても(自分自身にとって)納得できる考え方ですよね!
私もそんな風に考えることがよくあります。
人間関係がうまくいかずにイライラする時、
よく考えてみたら「自分が他人(恋人や友達)に勝手に期待していただけ」だった。
何だか裏切られたような寂しい気持ちになった時も、やっぱり「自分が勝手に相手を信じていた」。
また、「友達だから」「恋人だから」「家族だから」「この人は良い人だから」と、
相手を信じきり、何かしらの期待をしてしまうこともある。
他人が自分の期待とは違う行動をしたり、または全く逆なことをしたりすると、とてもがっかりしたり寂しくなったりすることもある。
でも、それは結局私が勝手に期待しただけなんだよね、と反省することがあります。
何事も、自分の行動や選択、決断によって起こった出来事なんだなぁと気付いたとき、とても心が楽になりました。

人のせいにするよりも、自分の行動や考え方を省みて今後に生かすほうが楽だし簡単だし効率が良い。
中には意地悪な人、信頼していた人の心変わりなど、私の想像もしなかったような出来事が起こるけれど、
それは相手だけに非があるわけではない場合も多かった。

そんな訳で、私はできるだけ人に期待をしないようにしています。
信用しないというのとはちょっと違います。
例えばですが、お金を貸さない。
貸すときはあげても良いくらいの惜しくない金額程度。
「この人なら信用できる」と信じて貸したお金が返ってこないと、非常に不愉快で「裏切られた」気持ちになるからです。
だから、初めからそのような自体を招かないようにします。
あとは、人に愚痴をこぼさない。
愚痴っぽくなる時は「共感して欲しい、聞いて欲しい」という気持ちが強いです。
でも相手が自分にとって気持ちの良い言葉をかけてくれるかなんて分かりません。
ただでさえ落ち込んでいる時に、相手に説教じみたことやとんちんかんな発言をされるとさらにへこむから。
元気になった頃に、「こんなことがあってさ」と笑い話に仕立てて話す程度で十分。

あとは他人を「裏切りたくない」ので、最後まで出来ないことは手伝ったり手出ししたりしない。
一度友達の問題に手を出すと、最後まで付き合う羽目になります。
途中で嫌になってしまうくらいなら、初めから「手伝えることは手伝うけれど、出来ないものは出来ないよ」と言っておきます。
相談されてもどうにもならないようなことには、「悪いけれど私には何もしてあげられない」と言います。
もちろん、解決につながるようなことを一緒に調べたり、知り合いに問い合わせたりくらいはしますが、
極力深入りしません。

自分、相手、と区別をしっかりつけ、全ての出来事はこれまでの自分の行動と選択、決断の延長上にあると考えると、本当に生きやすいです。
人のせいにできない分苦しい時もあるけれど、誰かに与えられた(と自分で思っている)苦しみよりも全然楽ちんに乗り越えられます。
自分のことなら結構許せるものです。

やる気が出てきたのなら大丈夫!
焦らずに少しずつでいいんじゃないかな?
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。 

背中をやさしく押していただき、感謝いたします。

少しづつ、前を向いて歩きます。

お礼日時:2013/03/24 01:15

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