昔読んだ本に
江戸時代、芝居小屋で
客入りが悪くなった時に
【次回!加藤清正登場】
・・と、書き
次回、清正の格好をした役者が
【特に用事はないけど、清正登場】と叫ぶ
・・と、言った一瞬登場の内容でも、江戸庶民から、笑いと、拍手があったと読みました
さて、そこで本題なのですが
私の知ってる、加藤清正は・・
朝鮮で、小西行長と暴走、軍略争い
朝鮮王子を確保、その後、手厚くもてなす、またその後、朝鮮王子に神として崇められる
・・後、細々とした、軍略話、位しか知らないのですが
加藤清正は、なぜ、こうも人気があるのですが?
私の愛好するゲーム【信長の野望】でも能力高いし
上記の内容から、どうやら江戸期には、すでに人気が確立されていたみたいなのですが
人気の、根源を、お教えください、ぜひ!
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
熊本では今でも「せいしょこさん」(「清正公さん」公にさんまでつける)と呼ばれて、親しまれ、尊敬されている人気者です。
その一番の理由は西南戦争で西郷隆盛に攻められても陥落しなかった天下の名城熊本城を作り、白川、緑川、菊池川などの度々被害をもたらした河川の治水に尽力したからです。(国土交通省の「河川伝統技術データベース」(堤防)にも加藤清正が行ったものが5件、加藤家家臣の加藤正方のものが1件記載されています)
熊本人に今も語り継がれている伝説の一つが「二重の堤」。
ある時大雨が降って、昔に清正公さんが作った川の堤防も危うくなりました。とうとう川の水に耐えきれず堤が壊れ始め、みな「もうダメだ」と思ったその時、なんと流された堤の下から清正公さんが作っておいてくれた、もう一つの堤の石垣が姿を表し、何とか大雨に持ちこたえました。このあと肥後の人たちが「さすがは清正公さんだ」とその用意周到さに敬愛の念を増したことはいうまでもありません。
加藤家のあと肥後を治めた細川家も、人気があった清正公を尊重する姿勢をとったこともあり、熊本では「せいしょこさん」は絶大な人気を維持してきました。こうした地元の人気ぶりが全国的にも広がっていったのではないでしょうか。
と言うい事は
地元の人気が、徐々に江戸へと北上していったのですね
それならすごいな~あの交通の便の悪い時代に
九州の人気が、江戸まで行くとは
・・でも、江戸は中心都市だから、情報も早いか・・ふむふむ
二重の堤の話、とても良いですね
全然知りませんでした!
清正かっこいい!
No.10
- 回答日時:
戦国武将の記録は少なく、逸話の類の多くは江戸の創作です。
しかし、加藤清正の肥後での人気は、制度史とよくある政治のパターンの面からある程度、説明できます。
よくある政治のパターン
(1)改革者Aの強引な改革で急進的な保守派の反乱。
(2)残酷な鎮圧・処刑で保守派を一掃。
(3)一応、公平を装うために、改革者Aも処罰。
(4)穏健で細かな気配りもできる改革者Bを送り、改革を続行。反対する者は一掃されており、悪いことはAのせいにできるし、改革の良い所だけをBは宣伝できる。
Aは佐々成政、Bが加藤清正なのは言うまでもありません。
制度史
(1)戦国時代は、日本各地は、市町村長レベルの国人領主という武士がいっぱいいた。国人領主は自前の領地と兵を持つ武士である。経済的に独立しており独立心も強い。
(2)国人領主達のうち、最も有力な者がリーダーになり、それが戦国大名。それ以外の国人領主たちは戦国大名の家臣団になっていく。国人領主たちは、外敵との戦争や、自身の相続争いや、互いの縄張り争いの調停を求めて、リーダーを欲した。しかし、やはり独立心も高く、裏切り・下克上も少なくない。自前の土地と兵を持っているからだ。
(3)豊臣政権は、全国の土地を測量させて、土地を、豊臣家から大名へ、大名から家臣へと再配分する「太閤検地」という政策を行った。あくまで、書類上の手続きでしかないものの、土地は自前では無くて、「上」からいただいたモノである。家臣達の独立心は薄れ、家臣が大名に反乱を起こすことは大幅に減った。この大名を近世大名という。
佐々成政は、戦国大名すら成立しない遅れた肥後で、いきなり近世大名になろうとしたのでしょう。当時、日本中、あちこちで、この豊臣系大名の強引な改革は、「京儀」と言って嫌われたのですが、肥後は特に遅れていたから嫌われ度が特に高かったのでしょう。ババを引いたのは佐々成政。加藤清正は、器用かつ運も良かったのです。
秀吉の薫陶を受けただろうが
加藤清正はなぜ、政務的な才能があったのか・・
元、ほぼ、農民なのに・・
為になりました!ありがとう!
No.8
- 回答日時:
誰も書かないので、
全国的人気は、法華信仰の篤かった清正を「治病除災の神」として全国の
日蓮宗信者が崇めたからでしょう。
加えて烏帽子兜片鎌槍の人形として5月節句に各家庭に浸透し、
万民の知ることになったと考えます。
下の皆様がおっしゃられていることは、司馬遼太郎さんの「この国のかたち」の
29 「肥後の場合」に佐々成政さんとのからみもつけて 興味深く書いてありました。
はぁ~なるほど
法華経信者だと言うことは知っていたけど
神として,崇められてたのですか
清正の逸話に
戦国武将?神話?
的な事があるのはそのせいなんですね
No.5
- 回答日時:
私の知っている話をお伝えしますね。
・地震の際に謹慎中の身でありながら秀吉の下に真っ先に駆けつけた
・甲冑を肌色に塗って裸に見えるようにして、相手を威嚇した
等々ですよね。
小西行長と朝鮮&領土問題で揉めたり
築城の名手だったりと才能は豊かだし、逸話も多い武将ではありますが・・・
私も同じように思ってました。
そんなに人気のある武将かなと・・・。
なんででしょうね~(笑)
甲冑を肌色にしている話
まったく知りませんでした!
へぇ~なんか、奇抜なアイデアだな~
本当に、なんで、人気があるのか・・
やはりほかの方も言われるように
虎狩、地震加藤、朝鮮での活躍、豊臣家への忠義、などなどを語り継がれ
人気が不動となったのかもしれませんね
No.4
- 回答日時:
今市 加藤さんてパッとせんなぁ…と
築城の名人だったのと 7本槍の時点でピークだったんじゃないかって
だって関ヶ原では宇喜多 島 小西にフルボッコですよ 笑
全盛期ならこんな相手簡単に蹴散らしたでしょうに
ただ 清正死後の加藤家の没落ぶりは福島と同じく哀れですね
ぱぁ~とはしませんよね、なぜか、人気の割には情報少ない
ですが、関ヶ原の時、清正って、九州居ませんでしたっけ?
宇喜多と闘ったのは、福島どんだったとおもってました
それとも、九州の領地での争い?
それなら、如水の活躍位しか知らないので
初耳でした
No.3
- 回答日時:
『加藤清正の虎退治』が有名。
朝鮮征伐の時のエピソードです。観客は,この場面に期待していたようです。『地震加藤』としても高名。文禄5年(この年慶長に改元。1596年)伏見城の天守が大破,石垣が崩れるなどして500人もの死者を出す強い地震があった。この頃,秀吉の勘気に触れ謹慎中であった清正は,再度の処分を恐れることなく秀吉の身を案じて,諸将に先んじて城中に駆けつけ救難に当たったことから,勘気も解けたという。
『熊本築城』でも知られる。後世,西南戦争に決起し破竹の進軍を続けて来た西郷軍が,この城を攻めあぐね,敗勢に転じた。難攻不落の城として今に語り継がれる。徳川の時代に細川氏の居城となった。
秀吉側近(お小姓・近習)の中では,小姓から熊本城主への昇進は,石田三成にも劣らぬ出世頭であった。
西郷さんの話は、昨今聞き、加藤清正の築城技術の高さには驚きました
まさか、幕末で活躍するとは・・
観客は、エンターテイメントとしての
虎退治などが、やはり人気なのですね
No.1
- 回答日時:
江戸期当時には、現代のような報道媒体はなく、浄瑠璃とか芝居とかの民衆の娯楽が語り継がれて、戦国武将の評価もされたのだと思います。
で、「加藤清正、虎退治!」という標語があって、朝鮮で清正が、勇ましく虎を退治したということですね。
ここで「虎を退治」と聞くと、何とも言えない、「可笑しさ(おかしさ)」を感じませんか?
清正の武勇と一緒に、この「可笑しさ(おかしさ)」があるので、笑いと拍手が起きたのでは?
清正は熊本城主として善政を行い、幼名を虎之助(とらのすけ)と称した、ことなども併せて、江戸の民衆に抜群の人気を得たのだと思います。
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