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この世で一番無意味な学問によう 哲学 があげられます

しかし私にはそうは思えません

解決出来ない心のモヤが晴れれば、この世で大切だといわれている、行動力も出ますし

日々、生きる力になっていると思います

哲学がそこまで無意味と言われている理由はなんだと思いますか?

A 回答 (17件中1~10件)

私は、哲学とは「現時点で真であるものとして定義できないことに関して思索を深めるもの」だと考えています。

結果は出にくく必然的に考えることがメインになります。一方世の中では、往々にして考えることよりも動くことの方が求められます。そうした一般社会の実情と哲学の持つ性質のギャップが、一般社会の側からは‘哲学は無意味だ‘という批判になるのだと思います。
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「追いつき、追い越せ」のご時世では、




「後を、なぞった」

なんて
(笑)


「なんだこりゃ」なんてのも(笑)
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 小林秀雄講演で、「人生をどう生きるか?」という質問に対し、先生は「哲学を勉強しなさい」といっています。

たぶんだから哲学も重要な学問で、人生に疑問を感じて勉強することは意味があると思いますが、それでも無意味に思える理由は、たぶん検証がなかなかできないからでしょう。

 統計学の本がヒットしていますが、やはり科学的検証によって人は納得するようにできているようです。まだまだ精神とか心理は非科学的な分野なのでしょう。あるいは歴史的な哲学者の検証の仕方を本でいろいろ読んでみても、難しくて理解できないことばかりです。少しづつ「無意味の意味」なども考えられているようですが、あなたの質問にもそういう意図があったりするのですか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

無意味の意味ですか・・・?

そういうコトすらあまり深く考えたコトが無く、今回皆様の回答で始めて気付いたレベルなので、なんとも言い難いのですが・・・皆様からの回答で少しずつ勉強していきたいと、やっとこういうコトに興味を持ち始めたレベルですので、まだそのコトについての言葉を持っていないです

せっかく聞いていただいたのに、つまらない回答しか出来なくてで申し訳ないです

統計学の本が売れているんですか

確かに最近は皆、ソースをほしがっている気はしますよね

人間が必要だからと派生した学問で今、まだ淘汰されずに残っているものなので、確かに無意味なわけはないですよね

とても有意義な回答ありがとうございました!

またよろしくお願いいたします!

お礼日時:2013/04/17 22:37

>哲学がそこまで無意味と言われている理由はなんだと思いますか?



 音楽には意味がない。アートには意味がない。
 人間には意味がない。スポーツなんて意味がない。
 文学なんて意味がない。経済なんて意味がない。

 なんであれ、意味づけをするのはこれぞれの人ですね。逆になんであれ意味なんかありはしないとも言えます。

 対象に写した自分の反射が意味となりますから、哲学を通して自分を見たときに意味が見いだせないということ過ぎません。

 したがって、哲学の意味、無意味じゃなくて、人間の内面の話ですね。
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この回答へのお礼

なるほど!

とても納得しました!

人間の内面がそういいたがると!

わかりやすかったです!

回答ありがとうございました!

お礼日時:2013/04/17 19:23

>哲学がそこまで無意味と言われている理由はなんだと思いますか?



物理学者だって哲学を持つし、法律学者だって哲学を持ちます。
哲学学者でない、質問者さんでも自分の哲学を持つ事が出来ます。

一方、哲学学者は物理学も持たないし、法律学も持ちません。

だから哲学学者がやるような学問(=「哲学」)は役に立たないと言われます。
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この回答へのお礼

なるほど!!

これはしっくりきました!!

凄く納得しました!

ありがとうございます!

お礼日時:2013/04/17 18:11

ぼくもね。


あなたと同意見です。

哲学を学ぶことで、心がラクになったり、火がつくことがあります。
それがきっかけで、現実に行動し、結果が出れば、いいのです。

ただ逆に、思索ばかりして、現実に動かない人もいます。
動かなくていいから、ラクなんでしょうね。

「戦争反対」なんて言たって、実際起こっているのです。
どんなに口が達者でも、なんの役にも立ちません。

大事なのは、どうすればなくせるか。
そのための行動が必要になります。

行動が伴う哲学は意味があります。

でも、哲学が行動に結びつかなければ、単なる思想のお遊戯です。
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この回答へのお礼

確かにそうですね!

行動に結びつかなければたいして意味は無いですもんね!

お遊戯と言われたら確かにぐうの音もでないでしょうね!

回答ありがとうございます!

お礼日時:2013/04/17 18:14

生きる真の目的は、生命的な根源的意志の発露=


精神的充足量の最大化であるにも関わらず、分業による
組織化において、その自己の生命性の社会的拡張を
自覚化(愛)できる認識の育成を怠り、お金や出世と
いった“馬車馬の目の前のニンジン”によって他律的に
生かされるようになるにつれ、生きる目的は、「精神的
豊かさ」から「物質的豊かさ(目先の即物的損得)」へと
変質したのです。

同じ行為、同じ物でも、それを受け取る者の心において
全く異なる価値を生じるにも関わらず、即物的な価値観
においては、その点=心の豊かさ=認識の深さ×愛
(助け合いとしての生=社会生命的自覚による自律的生)
の広さが重要であるとは気づかれない。
目に見える物しか信じられない心の希薄な人間にとって、
哲学は意味のないように思えるのです。
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この回答へのお礼

あいかわらず深いですね!

何度も読み返し、回答されたことを熟考したいと思います

本当にいつもすばらしいですね!

これからもよろしくお願いいたします!

お礼日時:2013/04/17 13:22

哲学とは論理の行く先であり、論理学と似たような分野で語ってもいいと思います。


ただ、それに価値を求められるかどうかとなれば、それは誰が提唱した哲学なのか、
それによって大きく異なるかと思います。中には日常の標語レベルのモノでしか
ないものもありますし、この哲学スレで通ぶっている痛い人間を見れば、無価値と
思うのは自然な事だと思います。

元々、哲学や宗教に関する教育は、日本がいちばん遅れていると言って差し支え
ありません。一定の宗派ではなくて、所謂、どんな信仰にも共通する宗教観の
教育は必要ですが、学校教育の道徳を見ても死文化しているので、それには期待
できません。

結局、修羅場をくぐり抜けた者の発言には重みがあります。それと同じで、
日々できる事をできる限り生きていれば、得られるモノがあります。それは
言葉遊びで満足しているキチガイとは全く違いますから。
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この回答へのお礼

なるほど

どんなものでも、いっしょくた、にしてしまうのは良く無いのですね

そこには、大きな違いがある、と

確かにそうですね!

勉強になりました!

お礼日時:2013/04/17 09:19

次の理由が考えられます。



1,哲学の対象は、自然と人間と神でした。
しかし、時代が進み、自然は科学に取られて
しまいます。
科学ではどうにも解決できない部分のみを、細々と
対象にしているだけになってしまいました。
人間も、科学、芸術、文学などに侵略されました。
神も科学に押され、その領域を小さくし、神学
にとって代わられました。

2,言語哲学が発達しました。
これは、極端に言えば、今までの哲学の問題は
総て言葉の問題であった、とするもので、
哲学の一部は言葉遊びでしかなかったことが
判明しました。

3,プラグマティズム、特にアメリカンプラグマティズム
が台頭してきました。
観念論的哲学が何の役に立ったというのか。
究極の価値?
それが人間を幸福にしたのか。
病気が治ること、悪いことをしていた人間が悪さをしなく
なったこと、そういうことこそ価値があるのではないか。
(デューイ)
という訳です。
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この回答へのお礼

非常に面白いお話しでした。

時代が進めば、淘汰されていくものもある、というのは考えたコトが無かった目線でした


とっても面白かったです!

ありがとうございました!

お礼日時:2013/04/17 09:24

こんばんは。



この世界は 貴方が五感でみたまんま「あるがままの世界」=(何一つ同じものはなくて変化している世界)なんですね。
りんごに同じりんごはないでしょう。赤いリンゴ 青いリンゴ 黄色いリンゴ 大きいりんご 小さいリンゴ 熟れていないりんご 腐ったりんご 同じりんごって何?
一個って何?大きい小さいってなに?何と比較しているの?
絵に描いたりんごは同じ?食べられない絵でしょ?りんごではないでしょう。
頭で考えたりんごは食べられない想像でしょう。
私たちは考えれば考えるほど 人間は全ての物事を人間が創造した概念を通して分類分けしているのに気づくと思います。
デカルトが言った「我思う、故に我あり」なのですね。

どんなに人間が理性で創った新しい概念で「あるがままの世界」を分類して説明しようとしてみても 結局は 人間の五感というメガネで見ているだけだと云うことに気づきます。
この世界は「あるがまま」であり 人間でない他の生き物は一生懸命生きることを楽しんでいます。
哲学は すればするほど 分からないことを新しい概念で説明するだけなので また 新しい分からないことがでてくる学問なんです。永遠に分からないということ。
ただの紙切れであるお金や紙に書かれた数字をありがたがっている人間は 他の生き物に笑われているに違いないと 私は思います。
それに 人間でない生き物は恐怖や痛みは感じるだろうけど 死は考えていないと思います。 死んだ後のことを考える愚か者は 人間だけだと思います。

また 人間は「ロゴス=神の言葉」あるいは「真善美」を創りました。人間は 人間が理性で創った概念で人間みんなで「対話」をして社会(共同体)を創り生き延びてきました。
釈尊は2500年も過去に 人間は人間として自覚していきることが「人間としてあるがままの姿だ」と解決してしまったんですね。人間の為すべきことは「人間になること」だけです。=(悟り)
知恵は人間の持つ属性の一つです。天上天下唯我独尊=「人間として自覚を持ち生きれば人間が一番尊い」

でも 哲学をする人は 暇な時間に自らが創造した概念を使って落語をする(哲学する)ようです。
貴方も 自らが創った概念で落語をする(哲学する)ことが役に立たないとは思いませんか?人間になった者がそれ以上の存在になろうとすることは愚かな行為だと思いませんか?
とは書いてみましたが 愚かな行為をして少しづつ世の中のことを学んでいくのが人間かもしれません。愚か者の行為が大きなことを為すための近道かもしれませんね。私は役立たずの哲学万歳と言っておきます。
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この回答へのお礼

役立たないからと言って価値がない、というワケでも無さそうですもんね!

釈尊は、人間は人間として自覚して生きるのが良い、と・・・もう答えがでていたのですね!

新しく知りました

大変勉強になりました

ありがとうございます

お礼日時:2013/04/17 09:31

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