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何年か前から流行っている(?)辞書引き学習法ですが、5年生の長女も低学年のころから始めました。3年生になると学校でも勧められました。

自分から子どもに勧めておいてなんですが、付箋がびっしりついた辞書って、保管にも持ち運びにも、そして辞書を引くのにもじゃまですよね・・・。

語句を調べた結果が見えるのは競争心や自己満足などのモチベーションが高まっていいのでしょうが、
究極は全部のページに付箋が(しかも複数枚)つくことになるんですよね。

せっかく薄く持ち運びやすく考えられた辞書に対する冒涜といったら言い過ぎでしょうか(「舟を編む」を読んでにわか辞書開発者かぶれ・・・)。

大人の私からみれば、語句をどれだけ引いたかという征服欲(?)はマーカーを引いたほうがいいような気がするのですが。

それに気づいた子どもは今、貼った付箋をせっせとはがしていますが、ありすぎてちっとも減っていきません(泣)。

今2年生の下の子には付箋の辞書引きをさせるのを躊躇しています(下の子用の辞書を買い与えましたので、自分の辞書を引かせています。引いた語句には鉛筆で印をつけています。)

辞書引き学習法の結果、みなさんはいかが思いますか?

A 回答 (2件)

紙のふせんではなくプラのふせんにしてみるのもいいかもしれません


小さいやつありますからね
テレビで見たことありますがわしゃわしゃについていて大変そうですよね
病院に行ったら先生が使ってましたプラのふせん
多分100均にありますよ
ふせんつけさせるならふせん変えてみては?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
プラふせん はじめて聞きました。
検討してみます。

お礼日時:2013/05/13 20:54

 こんばんは。

質問文から類推して、この場合の「辞書」とはおそらく確実に「国語辞典」のことを指していると考えられます。しかし「辞書」にはもう一種類「別の形式を採る」辞書があることも確かです。
 「国語辞典」そして「英和辞典」と「和英辞典」など外国語の辞書には「インデックス」が付けられています。これは「言葉と言葉の意味」が一対一の関係で成り立っているとの前提に基づいて作られている、特徴ある性質です。
 では一方の「別な形式を採る辞書」とはどの様なものであるか。具体的には「漢和辞典」がそれに該当します。漢和辞典にはインデックスがありません。その理由もシンプルです。
 「漢字」を調べるにはどの様な方法があるか。
(1)「文字としての漢字」には二つの側面がある
(2)「表意文字」と「表音文字」の二つである
(3)「表意文字」の特質は一つの文字が「篇と旁」から作られている
(4)「表音文字」の特質は一つの文字に音と訓の読み方の区別がある
 この「表音文字」と「表意文字」何れの要素からも「求める文字」を調べるためにはどうすれば良いかとの工夫に基づいて考案されたのが「漢和辞典」の構造であるともいえます。そのため漢和辞典には「見返し部分」に必ず「部首索引」が掲載され、巻末に「音訓索引」が設けられています。
 むろん漢和辞典を使用しても「国語辞典」に準ずる使い方は可能です。それは「一つの単語」が「文字の組み合わせ」によって作られているからです。
 では仮に「漢和辞典」の部首毎にインデックスを付けたらどうなるか。
篇そして冠・脚・構(かんむり)・垂(たれ)・繞(にょう)などの部首を合計しただけでも一般的なものは150種類以上にのぼります。ここに旁(つくり)を更に加えたならどうなるか。主要なものだけで180以上となります。国語辞典の47音に比べれば遙かに多い数字です。そして中には実際には余り使われないものも含まれます。けれども「漢字としては存在する」のですから拾わざるを得ないことも一方にはあります。
 英和辞典も26の見出し文字で作られています。国語辞典と同じ発想です。ここが「2種類の辞書の性質の違い」です。
 「辞書の可搬性」の問題ですが、広辞苑をいちいち持ち歩いて使いますか?
あの辞書にはわざわざ「机上版」と付記されています。持ち歩いて使うことを前提に考えて編集してはいないのです。そして簡易版の辞書からとより高度な内容を記してある辞書の違いもあります。そうした辞書の違いを段階的に学ぶための第一歩でもあることを小学校の辞書引き学習では求めています。
 「辞書引き学習」の意味にも二種類あることを考えてみましょう。
(1)読めない漢字を読むことができるようにするために調べる
(2)解らない言葉の意味を調べる
 もし「銀」という文字が文章の中に出てきたなら、その文字をどう読むかによっても文意が変わることもあります。童話の『銀の斧と金の斧』の場合は「ぎん」と詠みますが、「銀も黄金も玉も何せむに まされる宝 子に如くはなし」との万葉集の歌を「ぎん」と読んではおかしなことになります。この場合は「しろがね」になります。では「なぜ『しろがね』との音に白金の文字をあてないのか」が改めて問題となります。そこで子ども達に「銀」と「白金」という「言葉の意味と違い」を改めて確認させるために、辞書を引かせます。
 更に進めば、和歌(短歌)が三十一の文字で作られていることを踏まえ、第一句目の言葉は必ず五文字で始まるならば、「銀という文字」の読み方が他にもあるかもしれないとして子ども達は自ら辞書を引きます。
 この様に「発展的に使う」ことが辞書の意味でもあることを学ばせる。あくまでも参考とするための材料ですから、使う人が独自にルールを決めて記を付けていく習慣を身に着けさせる意味もあります。辞書は他の書物とは異なり、それを踏み台として次の段階へと理解を深める教材です。
 付箋を付けていくのは、自分で一度調べたよとの記ですから、その付箋にも「調べた日付」と「調べた内容(読み方か意味か)の区別」をメモするだけで十分です。それを「辞書をめくる前に知るための手掛かり」と判断するなら、マーカーで中に記を付けていくのは大人のやり方であり、子どもにはそこに至るための準備作業として「こういう方法もあるよ」と紹介しているだけの話です。使った痕跡も少なくきれいな辞書では意味もありません。使って幾らが辞書の宿命でもある。
 何か質問者様は勘違いされている様にも見うけられます。やたらに付箋の数が増えていることで、子どもが他の子ども達に対してコンプレックスを抱きはしまいかと助け船を出しているようにも感じられます。
 付箋の数が増えることは、それだけ「知りたいことの数が増えること」と同じです。せっかく主体的に学ぼうとしているお子さんの芽を摘んでしまうことにもなりはしまいかと危惧を感じもします。
 勉強したいと思った時が大切です。それは今でしょ!。今だからできることでしょ!
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございました。

子どもの芽を摘まないよう気をつけます。

お礼日時:2013/05/17 07:46

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