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こんにちは。


今度、脳死を人の死とするかしないかで
講義内でディベートを行うことになりました。


私は「脳死を人の死としない」という立場で、
それに伴い、今脳死に関して事前リサーチをしています。


相手である「脳死を人の死とする」チームは
脳死を人の死とし、臓器移植を行えばより多くの命が救われる
ということをメインにしてくると思います。

そこで、その根拠をひっくり返すのがわたしの役割になりました。


ですが、厚生労働省による、
「脳死下での臓器提供事例に係る検証会議
 150例の検証のまとめ」では、
確かに臓器移植を行い社会復帰を果たした人は6割程度いて、
臓器移植後も拒絶反応などにより入院している人は1割にもいきません。



(1)脳死を人の死とし、臓器移植を行えばより多くの命が救われる
という根拠をひっくり返すには、どのような視点から攻めればいいのでしょうか?

(2)攻める際に、こちら側の意見に説得力をもたせるためには
具体的にどの調査結果を提示すればいいのでしょうか?



長くなりましたが、上記2点についてお答えいただけると助かります。
一週間ほど考えてみましたが、まったくいい案が浮かばず
とても困っているので、どなたかよろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

質問者さんの論点は「脳死が人の死であるかどうか」ではなくて、


「移植のためには脳死が便利であるかどうか」という話になってしまっています。

質問者さんの反論は「他人を救うから死と認めよう」という論旨に対する反論であって、「他人を救う人数が少ないから脳死を死と認めない」という議論になっています。つまり、質問者さんの議論の前提には「多くの他人を救うためなら脳死を人の死と認めても良い」という考えがあります。

この議論を推し進めると、「死刑判決を受けた人の臓器を、多くの人の移植に使うのなら、死刑判決=人の死である、ということにしよう」ということになります。
たまたま血液型やHLA型が、多くの人の移植に使えるようなタイプであったなら、その人の体を使って多くの人の命を救えるのだから、
「多くの人に移植として使えると診断された=人の死」
としよう、ということになります。
これにどう反論しますか?

ある人の体を切り刻んで、心臓や脳や胃や腸やすい臓、肝臓、腎臓その他の臓器を取り出して使うことで1000人の人の命を救うことができるとしたら、その人を切り刻んで臓器を摘出するために、その人は死亡したと見なすことにしませんか?質問者さんの体重はどのくらいですか?とりあえず60kgということにしましょう。その60kgの体を、60gずつ1000人の人に移植すると、死ぬしかなかった1000人の命が助かるとしたらどうしますか?質問者さんは死んでいることにしましょうよ。1000人の命が助かるんですよ。

結局これは、「脳死が便利だ」ということを言っているだけで、それが本当に「人の死であるかいなか」については何も言っていないのです。

そして、上記の議論は、「便利だということで死を決めようとするとまずいことが生じる」と言っているだけで、「脳死が人の死ではない」ということについても、何も言っていませんからね。もしかすると脳死というのは本当に人の死であるのかもしれません。しかし、その根拠を移植に「便利」ということに求めるとまずいことになる、といっているに過ぎないのです。


「脳死」を人の「死」であるとする考え方の前提となるのは、「脳はその人の人生のすべてである」ということと「脳が死んだということが測定可能である」ということの2つです。
「脳死を人の死としない」ためには、この2つのどちらかを否定するか、それ以外の「死」を提案するかのどちらかになります。
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すみません、漢字を間違えていましたので訂正します。


遺漏 ==> 胃瘻
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質問にそった回答になっていなくて残念ですが.....



>脳死を人の死とし、臓器移植を行えばより多くの命が救われる

臓器移植の問題とは無関係に、自分は脳死は人の死とする考えを持っています。

以下のような考えを持つ多くの人が居られるのではないでしょうか。
それから脳死後も延命治療を続ける考えは世界では少ないのではないでしょうか。

意識も無く回復の見込みが無い場合、或いは口から食事を摂れなくなったらそれが人の命の終わりだ、といった考えの人が多いのではと思われます。

意思表示も出来ず、遺漏や経管栄養或いは栄養点滴、人工心肺装置等でただ単に心臓が停止するのを待つ、その間褥瘡で肉は落ち骨が見えるまでになったりしたくありません。

残った者に如何するのが一番良かったのだろう、入院費用の工面をさせたり、3ヵ月以上になると健康保険からの入院費用が減らされるので新しい病院を探させたり.....等といった苦労を掛けさせたくありません。

必ずしもディベートに勝つことが目的でなくても良いのではないでしょうか。
皆で討論してより良い結論が出れば良いのではないでしょうか。


次等も参考にディベートにどのように対応するかを考えられたら良いのではと思われます。

http://okwave.jp/qa/q7895938.html
延命治療について諸外国ではどうなの?

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6492566.html
脳梗塞、延命措置について
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うーんとさ、単なるディベートなんだよね?



だったら相手の議論の土俵に乗らない戦法も考えておいた方がいいですよ。
「脳死を人の死とし、臓器移植を行えばより多くの命が救われる」ってのは、臓器移植を行いたいだけの話であって、脳死を人の死とする理由になってない。その一言でその議論は終わりにすればいいんです。

そしてその議論とは別の観点、例えば脳死状態になってもまだ体温があって温かいのに、それをどうして人の死と呼ぶのか、脳が死んでいるだけで身体の組織は死んでいない、生命維持装置を外して完全に身体の生命活動が止まった時点で死んだと判断すべき、などの観点から攻めていけばよいのでは?

相手の議論の土俵に乗ると勝てませんよ。
相手が想定していないところから攻める方がディベートというものです。

むしろあなたの議論展開に対して、相手が何を反論してきそうか予想しておいた方がいいと思います。

ディベートはそういうゲームです。
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こんにちは。



参考になるかどうかですが、脳死=人の死と判断で臓器移植が増えた場合、遺族の中には移植提供を拒む方も当然出てきます。そのような方々に世間は冷たいと非難を浴びせる風潮になることが予想され、遺族の心情を大きく傷つけてしまう恐れがある。

脳死 倫理でググるといろいろとわかると思います。
頑張ってください。
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倫理観を勉強してください、意味わかりますか、


人というロボットの部品をもらうのとは意味は違うのです。
人の生死には倫理観生活感、心、宗教、たくさんの、非科学的要素が詰まっているのです。

科学的な話に持っていかない方が良いでしょう。

わずか150例、しかないのは、部品提供を嫌がるからでしょう。

老人は、年間なん万人も、こうつ事故だって1万人、自殺者だって、2-3万人しんでいるのですよ、その意味をかみしめて、ディベートをしてください。人のしは科学では割り切れないのです。

死と言うものの価値観で、、攻めてください、ただ、あなたも勉強しなきゃね。
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