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古墳の向きは、てんでバラバラで統一性がないように思うのですが、
例えば、佐紀盾列古墳群の前方後円墳では、だいたい向きが一定のようです。
この古墳群の場合、向きに関して何か特別な理由があるのですか。

よろしくお願いします。

個人のブログ「佐紀盾列古墳群」
http://morisima.cocolog-nifty.com/mygarden/2010/ …

A 回答 (6件)

No.1の続きです。



●古市古墳群の場合は、向きをそろえようとすれば、そろえることができたであろうに、なぜか逆向きにしていますから。
○例示された図の等高線と古墳の主軸の関係をみていただければ「地形に左右されている」ということが分かるかと思います。
 向きが逆になるのは別の要因でしょうね。前方部は祭祀の場と考えられているので前方部側に居館や集落など「見せる相手」がいた可能性はあるかと思います。
 200年にわたって造成されているわけですからその時々の政治情勢によっても変わってくるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

> 向きが逆になるのは別の要因でしょうね。前方部は祭祀の場と考えられているので前方部側に居館や集落など「見せる相手」がいた可能性はあるかと思います。

なるほど!
「見せる」という意義を理解せねばなりませんね。
主軸の向きは地形に左右されるということは理解できました。
「逆向き」は、今になっては想像するしかない、それが古代史ですね。

お礼日時:2013/06/03 09:28

No.3です。




>ひとつには、古墳は被葬者の没年をあらわす方位暦になっているのではないかという説があります。


と書いてしまいましたが、没年はまちがいです。
正しくは命日です。
すいません。


http://toki.mikosi.com/page026.html


025● 1/16←→▲208◆ 7/17 
伝・仁徳天皇陵(百舌鳥耳原中陵)。堺市・大仙町大山古墳48m。仁徳に合致する。

と書いてありますね。

ウィキによれば仁徳天皇の命日は旧暦の1月16日となっています。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

上記質問の回答者は次のように述べておられます。

1月16日は旧暦による命日で、新暦では2月7日です。

【と云う点が、誤解です。旧暦にも色々あって陰暦と云われるものが実際、10回くらいの過去の改暦の中で、どれが太陰暦だったのか、それとも太陰太陽暦だったのか、まだ明確ではなく、しかも渡来暦以前には日本には暦法がなかったと云うような論理が通説となっています。

しかし古代から徴税をして来た以上、その前提となる暦法を否定しては矛盾が出ます。
方位暦が太陽の動きによって決まるものであれば、仁徳天皇の命日は
、冬至の27日後となり、記紀にも1/16日と明記されています。(上記サイトより引用)】

わかりにくい文章ですが、仁徳天皇の命日は太陰暦(旧暦)だとされているが、それはまちがいで、太陽暦(新暦)によるものだ、といいたいのでしょう。

そのほか、伝 ・仲津姫陵は応神天皇に合致するとも書いてあります。

とにかく、古墳の被葬者がはっきりしない上に、命日がどのような暦法で示されているのかもはっきりしないので
この説の裏付けをとるのはたいへん困難です。

しかし、興味深い説ではありますね。
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この回答へのお礼

面白い説を紹介して下さってありがとうございます。

>とにかく、古墳の被葬者がはっきりしない上に、命日がどのような暦法で示されているのかもはっきりしないのでこの説の裏付けをとるのはたいへん困難です。

私もそうだと思います。
根気よく読みましたが、にわかに信じがたいです。
巨大古墳は、葬られる人が在世中に築造を始めたのではないかと思います。
書紀によれば、仁徳天皇の陵は、生前に築造開始されています。

お礼日時:2013/06/04 20:23

向きはともかくとして、古墳に使用する大量の土砂は、近隣の岡、山などを切り開き、


古墳造りに用いたと思われます。
理由は、富士高天原王朝のシンボル 階段状ピラミッドを埋める時、南の山をひとつ崩し、
そこに堆積していた土砂を使いピラミッドを埋めた記憶があるからです。
大阪府側の古墳の土砂は、どこから用いたことやら。
あれだけ巨大な古墳を建造したのだから、今現在が更地でも当時に小さな山が数個あっても
何ら不思議ではないと考えられる。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「富士高天原王朝のシンボル 階段状ピラミッド」については知りませんでした。

百舌鳥の古墳群は、山の稜線の先端部分に築いたものではないので、周濠を造ったときの土で大方まかなえたのではないですか。

お礼日時:2013/06/03 20:30

ある条件を満たす古墳同士を線で結ぶと…ある暗号になってますよね


あながち適当に作ったとも思えません

大仙古墳の現す方角に…があるとも言われています
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね、夢のある話です。

お礼日時:2013/06/02 20:58

古墳の向き、気になりますね~。


古墳の向きがなぜバラバラなのかについては明確な答えは出ていないようですね。
佐紀盾列古墳群にしても、すべて全く同じ方角になっているのではなく、少しづつずれています。
だいたい南向きですが、西向きのもありますね。

ひとつには、古墳は被葬者の没年をあらわす方位暦になっているのではないかという説があります。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …


↑ 方位暦については、上の質問の回答が詳しいです。

●1年を円で表す。360度が1年である。
●方位暦は太陽の位置方位。
●365日÷360度=一日を示す角度
●始点は真北で、冬至(12月22日ごろ)
●右回り

前方後円墳の円形の部分が没年を示すんでしょうか?
(調べてみたんですが、よくわかりませんでした。)

なるほど~、と思いますが、前方後円墳が本当に方位暦なのかどうかを検証するのが難しいですね~。
天皇など記紀の没年の記載がありますが、たとえば没年が3月3日として、これがどのような暦法によるものなのかがよくわからない。
また、古墳の被葬者がよくわからないという問題もあります。
仁徳天皇陵というがは、本当に被葬者が仁徳天皇陵なのか・・・。

しかし、じっくり時間をかけて検証してみると面白いと思います。
(私はやってませんが・・・汗)

いずれにしろ私は古墳の向きには何か意味があるんじゃないかと思います。
おそらく中国に影響だと思いますが、古墳時代のころから、日本人はたいへん方位にこだわる民族でした。
飛鳥には古墳が一直線上に並んでいるところがありますが(聖なるライン)こういうことは方位にこだまる民族でなければできないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>古墳の向きがなぜバラバラなのかについては明確な答えは出ていないようですね。

そのようですね。
専門家の見解では、自然の地形を利用したので向きに規則性がない、ということらしいですが、素直に納得できないので質問しました。

「古墳は被葬者の没年をあらわす方位暦になっているのではないかという説」があるのですね。
ぴたりと符合する何十かの古墳があれば専門家も無視できないでしょうが、今のところどうなんでしょうか。
どんな評価や批判を受けているのか、気に留めておきます。

お礼日時:2013/06/02 21:54

基本的には地形に左右されます。


例示された「佐紀盾列古墳群」でいえば南北方向の丘陵の尾根筋に造営されたため結果的に同じ方向になっているのかと思われます。
古墳の主軸方位に意味を求める論者もいますが、客観性がありません。何故なら墳丘の主軸と主体部(埋葬施設)の主軸でさえ同一でないこともよくありますので、方向性に特定の意味がある可能性はかなり低いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
基本的には地形に左右されるので、この古墳群は、たまたま向きをそろえることができた、ということですね。
そして、“向きをそろえる”という意識があった、と解釈すればよいのですね。

古市古墳群の場合は、向きをそろえようとすれば、そろえることができたであろうに、なぜか逆向きにしていますから。

古市古墳群
http://www.city.fujiidera.osaka.jp/9,1053,97,141 …

お礼日時:2013/06/02 20:56

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