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 小学校から英語が義務教育になるそうです。
小学校で学習する英語は会話能力を中心に進められます。しかし、中学からの英語は相変わらずI am boyから始められます。(そんな会話はあり得ないと思います・・・)そもそも小学校で英会話をする必要があるのでしょうか?もっと国語力を鍛えて自分で文章をかいたり、文学を鑑賞したりすることが大切ではないでしょうか?
 世界で仕事をする日本人にとって、英語で大切なことはまず。英語の文章を理解することではないかと思います。またその英語の文章について自分はどう思うのか自分の考えを英語で述べることだと思います。ペラペラに英語を話さなくても受験教育や大学教育でその学力は十分についているのではないかと思います。もちろん日常会話も必要だと思いますが、英語圏で仕事をしている人は日常会話など実際に外国に行って実地で学習するのではないでしょうか?
  小学校から英語を教科にしてそれで日本の国際化が進むとは思われませんが、特に英語を使って仕事をしている皆さんのお考えはいかがでしょうか

A 回答 (15件中1~10件)

日本の英語教育には誤解があります。

政治などが分かったような顔をして言うものだから、それを一般の人が真似をして、デマを広めてしまっています。

小学生に英語を教え込んだら、もともと発達途上の日本語がガタガタになるでしょう。今でも漢字を読めない人や、諺を正しく使えない人が多いです。踏襲を「ふしゅう」と読んだ総理がいる国が日本なのです。もっと日本語を固めて、その上に英語を乗せないといけません。

東南アジアやアフリカなどの元植民地の国では、元々の母国語と宗主国の言語が混在しています。母語でさえもごく狭い地域でしか通じないことが少なからずあります。そのような国では、「仕方なく」「やむを得ず」幼少期から第二言語を習得するのです。そのような国では文学は宗主国によって滅ぼされてしまいました。

日本では標準語さえ使っていれば、全国津々浦々まで話しが通じます。ですので日本人にとって英語を知らないことが不便さには繋がらないのです。つまり英語を習得する動機が乏しいのです。この点が↑の旧植民地との差です。

このことから小学校から英語を教えても、脱落の時期が早まるだけです。

万が一、億が一、橋下市長が言うように、中学校で英検二級目標が達成されたたら、その子らが成人し世代交代した時点で、現在の日本文学は崩壊するでしょう。

英語の俳句を読めば分かりますが、ただ短いだけで「俳句」と呼べる代物ではありません。五七五の日本土着のリズムが廃れてしまうでしょう。

さらに噴飯物の発言は、中学生にTOEFLを受験させようというものです。これは英米のネイティブの高校生の平均がTOEFLの満点になるように難易度が設定されています。つまり、すべて日本語で出題されたとしても、高校生の半数は正解できない問題なのです。それを中学生に対して英語で出題しようという計画なのです。

日本の政治家というのは、学生自分に英語で赤点を取ったことが、よほどトラウマになっているのでしょう。

大学生の会話を見れば分かりますが、外人と話しをすると言っても、食べ物や旅行や音楽などの話しばかりで、ちっとも学のある話題に発展しません。英語を話すより以前に、日本語での基礎的な学力がついていないからです。外国人と英語でトルコで起こっている紛争のことを論議し合うだけの学力が必要です。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。本当に小学校が本気で英語を始めたら(テストをして評価する。中学入試に出題される)日本文学は崩壊するでしょうね。俳句の情景なんか理解する子供もいなくなるかもしれません。
 実は私が勤めていた小学校に帰国子女が転校してきました。彼は算数も得意です。日常会話もはっきりしています。漢字もほとんど覚えていましたが国語のテストだけは苦手でした。国語をすると頭がゴチャゴチャするとよく話していました。私はただ単に日本語になれていないだけと思っていましたが。日本語の思考が脱落していたのですね。本当に英作文はできるかもしれませんが日本語の作文ができないことにはタダのバカでしかありません。政治家も世界で働く社会人もみんな英語で苦労しています。でも苦労しないで覚えられるものが日本語以外にあるでしょうか。日本語だって日本文学が理解できるまでには高校卒業ぐらいの学力は入ります。
 大学生であれば日本語で論文を書いたり、読んだりできないことには意味がありません。現在の高校教育や大学教育はそれを英文に翻訳するぐらいの学力はあります。幸いなことにどこの大学でも外国人の教師ぐらいはいますので英会話を勉強しようと思えばいくらでも勉強ができる環境だと思います。
 来年からは中学入試で英語が始まりそうです。そうなると小学生が This is a pen.
をするのでしょうか?今英語を教育を考えるなら中学や高校の指導内容だと思います。

お礼日時:2013/06/19 20:19

英語が話せるくらいでそんなに偉いんですかね。


同じくらいの年齢、同じくらいの学歴、同じような職業の日本人、韓国人、台湾人、タイ人が、何かの機会で一つのテーブルを囲んだとしても、日本国内なら日本語で話しすることも多いですよ。でも、言葉なんて二次的なものです。日本人で英語が話せるくらいで思いあがっている人こそ心が狭いですよ。
私も多国籍の人が集まってお話する機会があり、最初は英語でも言語がスペイン語とかアラビア語に変わってのけものになったこともあります。
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この回答へのお礼

私も同じ疑問を持っています。よく語学留学っていうけど、語学だけで留学して何になるのでしょうか?
経済学を学ぶとか科学の留学ってならわかります。それそこアメリカの英会話教室でお勉強するだけだと思います。それなら日本で大学の勉強をしながら英語も勉強した方が良いと思います。幸い日本の大学なら英会話中心の授業もあっていると思います。
 日本人同士でも外国人でもすぐに打ち解けて仲良くなる人と、人見知りをしてなかなか打ち解けない人がいますがそれが英語力の問題でなくて性格の問題だと思います。

お礼日時:2013/06/17 15:38

当方は、英語を使って仕事をしている訳でも教育関係者でもなく、ただの門外漢魯鈍者ではあるが・・・



「英語教育に対する印象」は極めて悪く、(何10年も前の話になるが・・・)個人的にも一番初めに当たってしまった糞爺先公野郎に対する感情的嫌悪のため、「英語」は初っぱなから「ウルトラ大嫌い科目」に成り果てた教科であった・・・!
(今でも個人的には「英語なんざ糞食らえ!!」と思っている・・!)

当方の考えは、英語学習を開始する時期なんかよりも、英語教育のあり方そのものを基から考え直す時期に来ているように思われる・・!(この点は質問者様と考えが一致するのではと思う)
その上で、公用語としての「英語教育」は、これからは避けて通れない言語学習であるように思う・・!
英語学習に対する動機付けを如何にして行ったらよいのか・・!?
「英語」を教えるのに「こう在らねばならない!」と言ったような道筋が在るのか否かは当方には分からない・・!

当方は愚者であるので「体験」からしか物言う事ができないけれど、教師から褒められた事のある「教科」は、その後「教師」ではなく「糞先公野郎」に当たってしまったとしても興味を失うことなく、持続させる事が出来ていたように思う・・!
「英語」に於いてもそのような体験を自ら(一度でも!)していれば、今のような「英語大嫌いなひねくれ者」にはならなかったろうに・・!  返す返すも残念・・!

話は違うが、当方が所持している高校日本史の参考書籍の[まえがき]のところに、或る外交官(即ち外国語が堪能な人!)の体験談のような内容が紹介されており、「国際化」を目指す上で重要な事は何なのかを文面中に例示していた・・!
全く語学力レベルの違う人の話の紹介であり語学教育の動機付けの参考にすらならないが、これはこれで「なるほど!」と感じた・・!
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。私たちが子供のころは自分が外人と話したり、外国に出かけるなんてことは想像もできませんでした。今は何とアメリカから迷惑メールが来る時代です。英語が読めなければ国際的なサギに会うかもしれません。(我が家にはよく来ますよ。私は世界的に有名なのでしょうか?)
 私も最初に習ったThis is a penに全く興味を失いました。毎日したことはスペルを覚えること呪文のように英文法を覚えるだけでした。みんなこんなこと勉強して何になるの?と思っていましたか今は違います。どんな会社で仕事をしていても英文のメールぐらいは処理しているのではないでしょうか?国際化はどんどん進んでいますので世界の中で堂々と英語を話す必要は理解できますが、そのためには英文をちゃんと理解できて日本語を正確に英語にする学力(すなわち国語力)が必要ではないでしょうか?
 どんなに英語は正しくでも橋下君のようにその考え自体が国際的に間違っていれば国際問題にまで発展します。
 中学高校の英語教育をもっとコミニケーション能力を高めるように工夫する必要はあると思いますが小学校の間は日本語をしっかり勉強して日本文化に対して自分の考えを持つようにしてほしいと思います。

お礼日時:2013/06/16 16:13

A No.3 HALTWO です。



御礼、有難うございます。

昨日、友人が読んでいた Sport 新聞を覗き込んだら「米国人は What time is it now? なんて言わない!」という「英会話 School」の広告が目に入り、隅から隅まで斜め読みしたのですが(^_^;)「じゃあ何て言うつもりだよ?」という疑問に答える文章はありませんでした(笑)。

確かに私が居た NY (New York) や Philly (Philadelphia) では「ホワット タイム イズ イット ナウ?」なんて何度言ってもほぼ 100% の人が「(?◇?)?」です。

実際に Philly では京大出で文部省の国費留学をしてきた友人が Down Town で珈琲を Order するのにも四苦八苦していたのを見るに見かねて、その友人に例証するために喫茶店からの帰り道で友人と共に実験したのですが「掘った芋いぢるな?」ならば最初は「?」でももう一度言う頃には 8 割方通じて時刻を教えてくれます。

でも 100% 通じる言い方は Philly では「Do you have the time?」です(^_^;)。

ちなみに通りがかりの米国人に理由を説明して「アイツに時刻を聞いてみてくれないか?」と頼み、その人 (いかつい黒人の兄ちゃん) が「Yoh! Do you have the time?」と怒鳴ったのに対して「Y, yes, I have.」と左手の腕時計を右手で隠すようにして怯えて答えた友人の姿には爆笑してしまいましたが(^_^;)・・・。

NY では「時刻を聞く」という機会そのものが殆んどなかったのですが、NY でも「Do you have the time?」で通じます。・・・ちなみに「Do you have a time?」は「今晩、行っていい (^_-)?」みたいな意味合いになるので「男同士」では言っては行けません(笑)。

「初対面の挨拶」は「How are you?」「I'm fine thank you, and you?」ではなく「How're you doing?」「Yeah, how're you doing!」でしたし、CA (California) では「Yoh! Whahhht's up?」「Yoh't's up!」でした(笑)。

「May I ~?」なんて 11 年間の米国生活で数えるほどしか聞いたことがなく、店員の声がけは必ず「Can I help you?」でしたね。

ちなみに「掘った芋いぢるな (ホッタ イモ イヂルナ)」は「Boy (ボヲヤ) Girl (ゲロ) (笑)」と共に「John 万次郎の記した Memo」にある言葉として有名ですね。

NY 在住時代、天才少女と謳われた NY 在住の日本人少女 Violinist が日本の番組の Interview に答えていた言葉を聞いてびっくりしたことがあります。・・・彼女の話す日本語は明治生まれの婆ちゃんが話していた言葉そっくりの古~くて正確な丁寧語や謙譲語で、中学生の女の子の口からそんな言葉がすらすら出てくることには目を丸くしたものです。・・・案の定、彼女はお婆ちゃんっ子で、その言葉遣いは日本を離れてン十年というお婆ちゃんから受け継いだものだったようです。

日常会話と言うものは日本でも年々変化して行くものですので、日本で「恐れ入りますが、差し支えなければ Cup 一杯の珈琲をいただけますでしょうか? (Excuse me! Would you mind giving me a cup of coffee?)」なんて店員に頼もうものならば「へっ(*◇*)? (What?)」と言われるのも当然ですよね。

そんな言葉を小学校のうちから詰め込まれても何の役にも立たないでしょうね(笑)。

「Can I help you?」「Sure! Can I get a milk?」というような英語で遊ばせるのならば兎も角も、そんな英語は日本の大学を出た日教組の先生には思い付かないでしょうし(^_^;)・・・。

私も初めて Phlly で受けた英語の Shock は「KFC (Kentucky Fried Chicken) で『For here to go?』との店員の問いに答えられずに Basket の中身を元に放り出されて『Next!』と無視された」ことでしたし(笑)・・・「For here to go」は正確には「For Here, or To Go」
であり、「ここで喰うのか? 持ち帰るのか?」と聞かれたのですが「Or」が聞こえないものですから「そんな英文、習ったこと、ないぞぉ(T_T)!」と頭が真っ白になりました。

私は London 郊外には行った事がないのですが、London 郊外から来た友人の話では「いやぁ Queens' English なんて通じねぇよ(笑)。郊外同士で言葉が違うのはチバラギ (千葉茨木) サイグンマ (埼玉群馬) 以上、東北と沖縄に近いんじゃねぇの(笑)」でしたから、和式英語なんて通じないでしょうね。

仕事でしばらく一緒になった Australia 人は「おおーい HAL! そこのカイブル (Cable) 取ってくれいっ!」でしたし、「今晩 8 時に集合だぞ!」の答えには「イエス、ツダイ、アイト! (Yes, Today Eight!」でしたから(笑)・・・「今晩中に仕上ないと間に合わないぞぉっ!」とハッパをかけても「アシタマニアーナ(^_^)/ (Hasta manana:また明日な)」と言って帰ろうとする Spanish にも参りましたが(笑)・・・。

印度の Software 会社と Internet 会議した時も初めのうちは相手が何を言っているのか (*_*)? で「うわぁ、たどたどしい日本語で良いから初めに出た通訳の姉チャンの方が良いよぉ(T_T)!」でしたね。

日本人同士でも初対面の人に標準語以外の方言で話しかけられるとしばらくは何を言われたのか判らないものでしょう?・・・沖縄弁辺りになるとしばらくどころではありませんが(笑)・・・。

この「しばらく」の時間を短縮するには「方言を話す人」と数多く会話する経験を積む必要があるのですが、数多くの会話経験を持つには先ずは自分自身が物怖じせずに誰とでも会話を開始できる能力を持つ必要があり、そのためには充分な国語力 (日本語力) を持つ必要があるのですから、小学生のうちはきちんとした日本語での表現力を徹底して身に付けさせるべきでしょうね。・・・上記の中学生女流 Violinist は完璧過ぎて驚かされましたが(笑)・・・。

>小学校から英語を教科にしてそれで日本の国際化が進むとは思われませんが・・・

全くその通りだと思いますよ。

算数の文章題が解けない子の 8 割方が「問題文の文章を理解できていないという『解く』以前の問題」であるのと同様、日本語力という基本的な語学力ができていないことには外国語も扱えませんので国際化なんて無理だと思います。
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この回答へのお礼

  回答ありがとうございます。やはり中学高校の英語教育は改善の必要があるようですね。(それそこ全学校にALTを配置して自由に話せるようにしたら効果が高いと思います。40年前に私が通った高校はそうしていました。)
「小学生の英語教育の必要なし」に理解いただいてありがとうございます。ただ高学年の教材にアメリカ見聞記みたいな教材(ジョン万次郎・長州ファイブとか)があると国際化を進める上で良いのにと思います。
  中学高校で好きな英語の歌を翻訳させたらどうでしょうか?かなり現代的な英語に触れることになると思うし何より英語への興味が高まります。
 私たちの時代は勉強でなくてビートルズの歌詞を翻訳して覚えていました。でも英語は嫌いでした・・・・・

お礼日時:2013/06/16 10:25

同じくらいの年齢、同じくらいの学歴、同じような職業の日本人、韓国人、台湾人、タイ人が、何かの機会(例えば仕事関係のイベントでも観光旅行先でも)で一つのテーブルを囲んだとします。


すると、自然に会話は英語で始まります。ところが日本人だけが英語がしゃべれないので黙っている。そこで多少日本語がわかる台湾人(韓国人でもタイ人でも誰でもいいんですが)が親切に日本語で通訳してくれる。

といったシーンを想像してください。恥ずかしくないですか?

既に近隣諸国に遅れをとりましたが、今からでも小学校での英語教育は進めるべきと思います。
ただし、今の小学校の先生が英語を教えるのではなく、英語専門の講師を雇う必要があります。
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この回答へのお礼

  英語は分からないことは恥ずかしいことではありません。問題は日本語で議論しても自分の意見が堂々と言えないことです。
 「〇〇(日本文化)についてどう思いますか?」
 「べつに」「普通」「やばい」
 これが国語の学習が十分にできていない子供たちです。(残念ながら、めずらしいことではありません。)
 その点イチローや野茂は日本語でしたが堂々と自分の野球に対する考えを堂々と話していました。素晴らしいと思います。
 英語教育を進めるのは賛成ですがその前に日本語で何を話すべきかを十分に考えることができる国語力が必要だと思います。
 しかし、たしかに中学高校の英語教育は英会話を疎かにしていると思います。その点は見直すべきだと思います。
 回答ありがとうございます。
 

お礼日時:2013/06/15 21:46

質問者さんの意見に賛成します。



小学校で英語を義務化しようと考えている人達には「言葉とは何か?」という疑問に答えられない人達です。言葉は正に文化、思考そのものなのです。宗主国の言葉を強制された国は、自国の文化や思想が破壊されてしまいました。文学のように言葉の深みを要する言語は失われてしまいました。言葉が「生活に必要だから」という理由で使われたので、「言葉遊び」やそこから発展した「文学」「芸術」に至ることはありません。

英語が話せるということと、国際的な感覚を持つということは別のことです。そこが分かっていない推進者は商業的、経済的な利益と、国際感覚を取り違えているように思います。

例の橋下市長は「中学生に英検準二級やTOEFLを」と言っていますが、準二級は高卒程度(しかも進学校)の実力が必要ですし、TOEFLに至っては、英米の高校生の平均点レベルの問題が出題されます。つまり、日本語で出題しても高校生のうち半数は不正解となる問題を、中学生に英語で答えさせようとしているのです。噴飯物です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。「中学生に英検準二級やTOEFLを」は全く教育を知らない橋下君の暴言でしょう。彼が大阪の教育をボロボロにしていると思います。
英語が話せることは大切ですが、英語で何を話すのかがもっと大切だと思います。橋下君のように暴言を吐いてもらったらそれこそ国際関係にまで問題が発展します。
 少なくても日本人なら普通の外国人よりは日本文学や歴史について知っていなければこいつバカジャンと思われるだけではないでしょうか。
 日本の英語力は長文の英文が理解できて文法も十分に理解できています。
 アメリカ人の英語は文法はめちゃくちゃな人が多いそうです。(日本人もそうなりつつありますが・・・)
 小学校では国語の基礎を十分につけて中学高校でコミニケーションの能力をつけるべきだと思います。
回答ありがとうございました。
 ただ高校で十分に英語を勉強してもTOEFLの点数が取れないのであれば教育内容を見直すべきです。

お礼日時:2013/06/15 21:34

> 第二外国語ですか?英語だけでも難しいのに・・・・と私は思います。


私の案では外国語教育は大幅に習熟度別と選択制を取り入れ、英語が苦手だったり嫌いな人にはハードルを下げ、高校では英語を必修から外す代わりに、余力のある人は英語以外の外国語を学習する機会を与えることです。ついでに言えば、小学5年、中学4年みたいな制度も認め、教育システムももっとフレキシブルにしてもいいのではないかと思います。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/13 11:44

ANo.4です。



>>小学校で週に一時間英語の時間ができて一体なんの効果があるのでしょうか?

なぜ何もやってもいないうちから効果がないと思うのでしょう?

回答にも書いた通り、教育とはまず機会の付与でなければなりません。子どもたちにとにもかくにも体験させるんです。その結果、少しでも興味を持った子どもは英語をもっと勉強したいと思うでしょう。

そういう子どもは全員である必要はないです。ごく一部でいいんです。

そういう風に英語に興味を持った子どもたちが一年でも二年でも早く英語を勉強し始めたときのことを想像してみてください。それによってやがては日本の海外への発信力が飛躍に向上することでしょう。

ちなみに私の家内は小学生のころ一年だけアメリカで過ごしました。その一年ですっかり英語耳が完成したようです。私も相当英語を勉強して英語で仕事をなんなくこなしますし、言いたいことはほとんど言えますが、家内の英語耳にはどう逆立ちしても敵いません。前後関係のないちょっとした一言の英語でも家内はほぼ聴き取れます。私は前後のコンテキストのない状況ではなかなかそれができません。

子どものころから英語を勉強することは素晴らしいことだと思います。大人になってからでは取り返しがつかないのです。逆に日本語なら大人になってもいくらでも勉強できますよ。日本にいるんですから、日本語の習得には苦労するはずがないですよね?

元の話に戻ります。公共教育は個人の頑張りを引き出すきっかけであれば十分なんです。学校教育ですべてをまかなうことなど最初から期待していませんし、期待してもいけません。たった一時間英語を小学生のころから勉強する。それによる効果は中学校で英語を一時間余計に勉強したのとは別次元の効果が期待できるんですよ。

たった一滴の水が最後は大河になることを期待すべきでしょう。
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この回答へのお礼

 すみません。もう5年ほど前から高学年では週1時間の英語を実施しております。(総合的な学習の一部でした。)今度はこれが教科になります、すると当然評価が必要になります。さて英語がよく話せない小学校の教師が正しく英語を評価することができるのでしょうか?中学ならABCで文章を書いて〇か×かで問題が作れますけど小学校でそれができるのでしょうか?小学校の先生がそんなことに時間を取られて大切な算数や国語の学習が疎かにならないか心配です。
 ALTの制度を拡充して全小学校に1名の外国人の先生がいていつでも英語が話せるような環境があれば賛成だと思います。私立ではすでにそうなっていると思います。

お礼日時:2013/06/12 21:39

#4さんの仰ることは少し極論の部分もありますが、私は英語教育以前に国語教育に問題があると思います。


日本の国語教育は文学偏重です。そして、コミュニケーションとしての日本語の要素が非常に弱いです。私たちが普段使っている日本語と文学の日本語も違うものであり、文学の日本語を模範的な日本語にするみたいな発想が間違っています。
ですから、「日本語の名文をもっと観賞すべき」というのはむしろ応用段階です。
あと、国語も英語も言葉の勉強なのに、あまりにも連携がなさすぎます。例えば ローマ字にしても字母の名前を教えず、中学の英語に回すなど。また、特に、国語教育では文法をあまりやらないので、日本語の文法に英文法用語を持ち出す人も少なくありません。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。国語教育は文学と作文だと私は思います。
 日本文学だけでなく世界の文学も原文と一緒に書いてあればより興味が深まるのではないかと思います。
 武士道も英文で書いていますので。これを教材にすることも良いと思います。
 今の子供は作文が全くできていません。このサイトでも作文で何を書いたらいいですか?なんて質問が多いです。バカでしょう?
 文法は確かに日本語の文法はあまりしませんね。英語の文法の方が良く覚えています。それは日本語は文法を意識しなくても通用するけど、英語は文法が分からないと理解できないからじゃないでしょうか?

お礼日時:2013/06/12 21:29

私は皆さんとは違った考えを持っています。


小学校から英語を習うことはよいと思いますよ。1年生からでは早すぎますが、4,5年生くらいから始めて早いことはないと思います。英語だけなら中学からでも遅くないんですが、中学からだと英語だけで終わってしまうんですよ。いや、英語でさえ、リーディング力は十分でも
純粋にLとRを聴き分けらない人が多いですよね。例えば、playとprayは文脈から区別できても
RindaさんとLindaさんを間違うと大きなミスになったりします。
しかし、もっと大きな理由は 高校あたりで第2外国語を学ぶことも視野に入れて 英語を前倒しして教えるのは意義深いと思います。それだけに、英語だけで終わっちゃうと勿体ないんですが。
でも、センター試験も含め、中学、高校の英語も含め、現行の英語教育全体を見直さないと意味がありませんがね。
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この回答へのお礼

  回答ありがとうございます。
 第二外国語ですか?英語だけでも難しいのに・・・・と私は思います。(英語は苦手でした。長文の文章を見ると頭が痛くなりました。)
 そんな学生を作らないためにも皆様お知恵をお貸しください。

お礼日時:2013/06/12 21:21

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