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テニアン、サイパン、グアムに集結したB-29は合計どれほどだったか知りませんが、当時の米軍はどれくらい空爆すれば大体日本は降伏するだろうと見ていたのですか? 原爆投下以前にもう焼き尽くすところは限られていたでしょう?

A 回答 (6件)

ミッドウェー海戦の惨敗で降伏しない当時の日本に、


正常な判断はできませんでした。そもそも戦力差から
考えれば、戦端を開く事自体が愚かです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/01 12:31

当時のアメリカ軍は「日本は本土決戦で負けない限り、降伏しないだろう」と思われていました。

事実、天皇がご聖断を下さなければ本土決戦まで行ったでしょう。

そういう戦略ですから、原爆も空襲爆撃もすべて本土決戦のための前哨戦でしかありません。
サイパン島・テニアン島の攻略も、日本本土の空襲と制空権の確保、そして硫黄島と沖縄海戦による制海権の確保、これらをしたうえでの補給も応援もない日本本土に上陸しての決戦、そのためには兵器工場や経済の中心部などの都市は徹底的に破壊し物資の補給も人員輸送も難しい状態にしておく、というのが戦術だったわけです。

だからこそあれだけ激しい空爆がなんども繰り返されたのです。
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 対日戦に投入されたB-29は1200機という話を聞いたことがありますが、そもそも米軍は空爆だけで日本が降服するとは考えてはいなかったようですよ。

空爆は都市部にしか効果はありませんし、当時の日本は都市化が進んだ国でもないので、主要都市部を焼き尽くした後はどんどん空爆の効果は低下してゆくはずです。そのために、上陸侵攻作戦である「ダウンフォール作戦」が準備されていました。
 空爆はあくまで上陸侵攻作戦の前段だったということだと思います。
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他の方も書かれておりますが、空爆で勝てるとは思っていませんよ



1945年6月末、沖縄を占領しました
この段階で米軍は対日戦で勝利出来ないという認識を持ったようです

 日本兵10万人を倒すのに30万の兵力が必要なんです。本土に500万の兵士がいるとすると1500万人の米兵を投入し、500万死傷させれば勝つかもしれません。でも世論は納得しませんし、そもそも1000万の兵員しか持っていません。
 最悪だったのが沖縄戦が実質的引き分けだったことです。第5次国債発行は硫黄島の星条旗のお陰で売る事が出来ましたが、第6次国債発行は沖縄戦の情勢が芳しくなく且つ司令官戦死という最悪の顛末となってしまったため売れなかったのです。
 国債が売れないので焼夷弾の補充が出来なくなっていました。前線に送る食料や燃料の確保も難しくなってきたのです。軍上層部やスチムソン長官は対日和平の道を提言しています。そこで考え出されたのがポツダム宣言です。日本に対して戦争を止めるチャンスがあるよ!と通達したのです。
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日本は常に講和の道を探っていたわけですから、少なくともサイパン陥落後は講和はいつでもできると思っていたはずですよ。


いつ講和を結ぶのがアメリカにとって都合がいいかという話です。
それが莫大な予算を投下して開発した原爆の使用後だったんですね。

巨費を投下して開発した原爆が、戦争には間に合いませんでしたでは最悪責任を追及されます。原爆開発も凍結されかねません。だから原爆開発が成功しないうちは、米国としては終戦させるわけにはいきません。
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>当時の米軍はどれくらい空爆すれば大体日本は降伏するだろうと見ていたのですか?



どれくらいの空爆で敵が降伏しそうかを判断するためには、判断のための「基準」となるものが必要ですが、当時の米軍にとって判断の基準となるものは、同じような状況の前例であるヨーロッパ戦線の推移でした。

ヨーロッパ戦線では、アメリカ軍とイギリス軍とが協力して、およそ1,000機の四発重爆撃機をもってドイツ本土を爆撃し、軍需工場や港湾施設や鉄道施設、さらには大都市を次々と爆撃して廃墟と化していきました。

その結果、工業生産力を壊滅させ、物流を途絶させ、ドイツ国民の継戦意欲を木っ端みじんに打ち砕きましたが、それでも空爆だけで降伏させることはできませんでした。

実際は、ソ連軍とアメリカ軍とがベルリンを東西から包囲し、市街全域が廃墟と化す程の激戦で制圧し,総統官邸の地下壕に潜んでいたヒトラーやゲッペルスが自殺して、ドイツ軍が組織的な戦闘を継続する事が出来なくなってようやく降伏という話になりました。これが1945年の4月末から5月初めにかけての事で、太平洋戦域では沖縄でアメリカ軍と日本軍とが激戦を展開している真っ最中の事です。

ヨーロッパ人であり合理的なドイツ人相手でさえこれだけ手こずった訳です。これが日本兵相手となると、弾薬食料が尽きるまで戦って最後はバンザイ突撃で玉砕するわ、カミカゼ特攻機が数千機も次々に突っ込んでくるわ、サイパンや沖縄では現地に住んでいた民間人に至るまで米軍に投降することなく断崖から身を投げたり集団自決した例が少なくありませんでした。

だからNo.2の回答者さんが書かれている通り、日本は本土決戦で負けるまで降伏などしないだろうというアメリカ側の判断となるわけですね。

>原爆投下以前にもう焼き尽くすところは限られていたでしょう?

マリアナ諸島でB-29爆撃機を運用していたアメリカ第XX空軍(カーティス.E.ルメイ少将指揮)では、当初日本の都市180箇所をリストアップし、人口や工業生産量などで重要度をランク付けし、重要都市から順に攻撃していきました。奈良・京都など政治的理由その他でリストから外した都市もありましたが、原爆投下時点でもまだ137箇所の日本の都市が攻撃リストに残っていました。

No.4の回答者さんが書かれているように、アメリカ本土から焼夷弾の供給が追いつかずに爆撃作戦が延期になったことが何度もありました。逆に言えばB-29の爆弾搭載量の大きさを示しているとも言えそうですが、ルメイ少将らは航空燃料と焼夷弾の供給が続きさえすれば、まだまだ攻撃を続けるやる気満々でした。
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