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日本では 1人殺したくらいでは滅多に死刑になりません。 概ね、死刑になるには概ね3人以上が目安になるそうです。 ぼくは低学歴で馬鹿ですが、 ぼくの単細胞の頭で考えると、1人殺しても原則死刑にすれば、殺人事件も減るし、遺族の無念も晴らせると思うんですが、社会学や法律学の有識者はどのように考えていますか? なお、ぼくと同類の同調意見は要りません。

A 回答 (5件)

まずは、刑罰の重さと抑止力には相関関係はあると思いますが、どれだけ刑罰を重くしても決して犯罪が0になるとは思えません。


逆に刑罰が重くなると一旦犯罪を起こした場合にそれ以上の抑止力が効かなくなるので、連続犯が増える可能性が高いでしょう。言うならば、二時間ドラマや推理小説にあるような犯行を隠蔽したり逃亡のために更なる犯罪を犯すような展開です。

仮に数学的に考えるならば、
xを刑罰の重さ、yを事件の件数とした場合に、
f(x)=y
が成立するとして、yを最小にするxを設定するのが好ましいでしょう。

また、個人的には遺族は決して犯罪の直接の被害者ではないということがあります。
逆説的にいえば、遺族感情を理由に刑罰に違いがあるとすると、身寄りの無い人(仮に死亡しても遺族が存在しない人)と家族がいる人の命の価値に差をつけているということです。
(被害者が刑事裁判に参加することは否定はしませんが、被害者が死亡している場合に遺族が被害者の代わりに参加することには強い違和感を感じています。)

ただし、永山基準が普遍的なものとは思いません。その時代時代の背景で上記の式は変化すると思うので、適宜x刑罰の重さxを変更することは必要だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/18 13:25

えー、まず言っときますが、日本の法律は1人殺しても原則死刑なんですよ。



殺人罪(刑法第199条):人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。

「死刑」という文字が先に書かれていますよね?
これは原則「死刑」という意味なのですよ。

ところが、死刑判決が出るのは「3名以上殺害、強盗殺人の場合は2人以上殺害」という『暗黙の了解』があります。
こんなものは六法全書のどこにも載っていません、日本の裁判官達の自主ルールです。
言うなれば、裁判官達が勝手に法律を捻じ曲げているって事です。

欧米風の思想によれば死刑は野蛮な刑なんですよ。
向こうは近代国家が成立する前からキリスト教の国ですから、全ての思想にキリスト教の影響が強く出ています。
人間を誕生させたり殺したりできるのは神様だけに許されている権利、という思想に基づいていますから、人間の集団である国家が人間の命を奪う決定をするべきでは無いという考えです。

こんなものはキリスト教徒の勝手な考えであり、キリスト教徒以外の人間にとっては知ったこっちゃないのですが、今の世界の先進国はほとんどがこのキリスト教の国ですから、他の先進国に足並みを揃えようとすれば、死刑という刑はちょっと躊躇しちゃうんですよね。
特に文化人を気取っているような人間なんかはね。
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”1人殺しても原則死刑にすれば、殺人事件も減るし”


     ↑
死刑に威嚇力があるかは、論争があり、死刑反対論者は
威嚇力を否定している人が多いのです。

例えば、カナダについて、アムネステイインターナショナルは、
死刑を廃止したら、10万人辺りの殺人は、3,09 → 2,4 と減少したと
発表しています。

この数字については、恣意的に曲解していると思われる
節がありますが、今回は質問の意図とずれる為、省略します。


”遺族の無念も晴らせると思うんですが”
     ↑
死刑に反対する人は、遺族の無念などという感情論は
法的に考慮する必要はない、とします。
それよりも、犯罪者の人権の方が大切だ、と考えます。
そもそも、被害者は死亡している訳で、人権を失って
います。
それよりもまだ生きている犯罪者の人権が優先するのは
当然だ、と考えます。
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そんな簡単に平和な世の中になるなら、世界各国が「一人殺せば死刑!」にしていると思いませんか?


実際にそうなっていないと言うことは、そんなに簡単な話しでは無いと言うコトです。

刑罰を重くすれば犯罪が減るか?については、諸説,両論がありますが、要は「バランス」です。
犯罪と刑罰のバランスが妥当であれば、犯罪は減少しますし、妥当性を欠けば増加してしまいます。

日本は、世界でも屈指に、治安が良い国として知られていますが、それは犯罪と刑罰のバランスなどが良いからであって、やたら死刑にすると言うのは、そのバランスを変更すると言うことですから、良くなる部分があるかも知れませんが、悪くなる部分もあります。

簡単に言えば、極論しますと、殺人犯どころか、悪質な犯罪者は皆殺しにしちゃえば、「犯罪の無い平和な社会になるか?」と言うと、決してそんなコトにはなりません。

たとえば、中国じゃ自動車ドロボーが死刑になったりするそうだし、あるいは独裁国家などが、為政者の都合で死刑にされたりしますが、そう言う国が平和で治安が良いか?と言うと、そんなコトはありません。
厳罰化とは、国家権力の増大であって、国民にとっては、必ずしも良いコトでは無い場合が多いです。

あるいは、厳罰化しますと、犯罪が巧妙化,悪質化したり、秘匿されます。
自首者など、変な言葉ですが、割と良心的な犯罪者などは減ると予想され、逆に犯罪を隠ぺいするため、死体遺棄とか死体損壊は増えるでしょう。
その結果、警察など治安当局の捜査は難航し、より多くの税金を投入せねばならないとか、冤罪事件が増える可能性もありますね。

死刑と言う「極刑のバランスを崩す」と言うことは、メリットも期待される反面、大きなデメリットやリスクもあります。

それと「加害者を死刑に処せば、遺族の無念が晴れるか?」についても、難しいところです。
「そんな悪人は死刑にしてしまえ!」と言うのは、私も判りますが、そんな単純な感情は、あくまで部外者の感情です。

加害者の死刑が確定した後、遺族の無念は晴れないどころか、憎しみの行場を失ってしまったり、「これで本当に良かったのか?」など、死刑制度に対する疑問が生じたり、酷い場合には、自責の念に捉われる場合などもあるそうですよ。

被害者遺族の心理は複雑ですが、いずれにせよ最も重要なコトは、被害による苦しみを乗り越えることであって、それは必ずしも加害者を死に追いやることでは無いです。
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この回答へのお礼

卓抜なご回答ありがとうございます。

無用なコメントは差し控えさせていただきます。ご了承ください。

お礼日時:2013/10/28 15:06

たまに発生する無差別殺人事件を除けば、殺人事件のほとんどは顔見知り以上の者による犯行で、強い怒りや怨恨によるものです。

つまり、「人を殺せば死刑になるぞ」といわれて思い止まる人は最初から人なんか殺さないし、人を殺そうとまで思う人は「たとえ刺し違えてもアイツを殺してやる」と思うものだと思います。
貴殿が単細胞なのかどうかは存じませんが、世間の人々はもうちょっと複雑にモノを考えると思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

松戸の女子大生殺害事件の裁判でも裁判員裁判の判決が覆されたことに疑問を持つ人が、多かったので
世の中 ぼくと同じ思考回路の馬鹿ばっかりなんだなあと思いました。

お礼日時:2013/10/28 11:34

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