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旧里帰農令で実際に農村に帰った人は四人しかいないと聞きました。
それってめちゃくちゃ寂しくないですか。幕府の反応はどうだったのでしょうか。

A 回答 (1件)

松平定信は江戸に出稼ぎというよりも、移住してきた地方出身者に地元に帰って、農業をするようにという法令を出します。

これが『旧里帰農令』です。

実際に専制政治下において、強制的にUターンをさせる訳ですから江戸に出てきた人は帰らざるえません。数万単位で帰郷しました。しかし、地方に帰っても即座に余っている農地がある訳でもなく、基本的には小作として農民に戻った人が大半でした。江戸で浮浪者をやっているぐらいなら、仕事を求めて、Uターンしたということもありました。これにより、一時的に失業者は減りましたし、江戸の浮浪者も減ったことは事実です。

ところが、その後、天明の大飢饉がある程度、落ち着くと、再び江戸にその人達は戻ってきました。理由は簡単です。農業という仕事が元々、嫌で江戸に来ていた人です。その人が江戸の便利で都会的な生活を一度、味わって、江戸に仕事があれば戻りたくなるのは必然です。
・実際に農村に帰った人は四人

帰って農村に定着し続けて幸福になれた人が、その程度ということ\(^^;)...
また、農業自体が大変にリスクのある仕事だということもありました。農家の収入は農作物です。農作物の最大のリスクは天候です。その地方に天候災害があれば、その地域の農家はアウトです。

それに対して、都会では各地方から農作物が入ってきますから、お金さえあれば、一箇所の農地がアウトになっても大勢に影響はないというメリットもありました。

当時の農業のメリットは失業しない。デメリットは失業はしないが食うに困る。ということでした。これは現代でも変わらないかもしれません。

実は、これは理由は違えど、現在の状況に似ています。



景気が悪くなると、農業ビジネスというのは流行ります。また、今の日本は食料自給率が低いということもあって、尚更に農業ビジネスが着目されているのも事実です。

しかし、今の世は、江戸時代の様に鎖国している訳ではありません。高い関税で鎖国に近いことはしているかもしれませんが、実際には農作物も外国との競争化に置かれています。

たしかに、外国の農産物は危険という風潮が最近はあります。特に中国製の食品は危険という、風潮が一時高まりました。しかし、中国だって、一気に国際化しているし、自国民だって食の安全は考えるでしょうから、その内に安価で安全な農作物を作ってくるでしょう。

その時に、高いブランド農作物に頼っていると日本の農業そのものが成立するとは考えられません。もちろん、その全てを否定する訳ではありませんが、GMがトヨタに負け、ユニクロ、ニトリがその業界で圧勝している様に、一般的な生活に於いては安価に勝るものはありません。

その事を考えれば日本の農業はどの様にして、安価で大量生産を出来る様になるかを考えないといけないのでしょう。

単に寛政の改革で行われた旧里帰農令を行っている様では・・・。
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この回答へのお礼

詳しい面白い解説、ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/24 08:03

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