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ネタバレあります。
永遠の0の主役は生き残る事に必死だったにも関わらず、部下を大勢死なせた責任を感じて、最後の生き残るチャンスを捨てて自らも死を選びました。
これは明らかに自害せずにオメオメと生き残ったA級戦犯を始めとする戦争を指揮した戦争犯罪者を痛烈に皮肉り凶弾する左翼の映画ですが、作者は左翼活動家なのでしょうか。

A 回答 (7件)

 凶弾じゃなくて糾弾(きゅうだん)、ね。



 作者は思想的にはどっちかといえば右寄りと評価されていますね。

 さて、ラストシーンに作者がどんな思いをこめたかですが、個人的にはそんなに重い考えはなかったんじゃないかなと思います。単純にお手本を真似ただけ。
 作者が自ら「オマージュした」と書いている「壬生義士伝」では、生きることに執着していた主人公が、鳥羽伏見の戦いで一人敵陣に切り込んでゆきます。
 単純にそれをなぞって書いただけじゃないかな。
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いろいろ勘違いされてるようですが、ま~サヨクじゃないですよ。

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小説のことなのか、映画のことなのか、どちらのこと言われているかわかりませんが



小説の中では、「特攻はテロと同じ」「狂信者の行動」と左翼的発言をする記者(姉の恋人)を登場させ、批判を行っています。
(このあたりは、映画には描かれてなかった)
けして左翼とは感じませんけどね


小説(原作)を読んだうえでabewainpoさんは左翼と感じたのでしょうか?
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広島長崎を原爆実験場として、全く罪の無い市民を八つ裂きにしたアメリカこそが、真の最大の戦犯者でしょう?


宮崎さんがそれをちゃんと描いているか?という話ですよ。
日本の天皇は、日本でもすでに開発を進めていたが、その核によってアメリカ、日本双方の罪の無い市民を戦争によって傷つけてはならないと、核の使用を認めませんでした。
私は、宮崎さんという天才を日本の財産だとは思いますが、歴史家、思想家としては素人の域を出ていないと敢えて申し上げたい。
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こんにちは。


生き残った特攻隊員が戦犯?を糾弾する物語
に仕上げたものとの作者意図は感じませんでした。
そもそも、生き残りし人が花と散った仲間を
「意気地なし、卑怯」と糾弾することが矛盾な
事と描かれていました。
「永遠の0」には、輪廻や物事の始まりと終わり
が感じられ、スピリチュアルな事として描かれて
いた様に感じました。
ヒトの愚かさと、悲しみに満ち満ちたものでした。
涙なくしては見られませんでした。
安倍ちゃんも観たそうですよ、左右の色分けも
無意味なほど感動しますよタブン!
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・明らかに自害せずにオメオメと生き残ったA級戦犯を始めとする戦争を指揮した戦争犯罪者を痛烈に皮肉り凶弾する



人は、どちらかというと
左翼より右翼に多いですね、この映画も、右翼戦争美化映画と左翼から非難されてますが\(^^;)...マァマァ

例えば、右翼の巨頭児玉児玉誉士夫や赤尾敏は、終戦後特攻したり自決した、宇垣さん大西さんを称賛し、
戦後、生き延びた上級職業軍人将軍提督を口を極めて罵倒するのが、常でした


なお、作者百田先生の心中は、わかりませんが、安倍首相の古くからの支持者で、
インタビューで
「ネットで、私のこと右翼反動作家と言われてるんだって、ネトウヨ認定されたのかな」と
笑っていました。
右翼とはいわんが、作品からは左翼的色合いは感じられません。、

参考までにウイキペディアより



宇垣 纏(うがき まとめ、1890年(明治23年)2月15日 - 1945年(昭和20年)8月15日)は日本海軍の軍人。岡山県赤磐郡潟瀬村(現・岡山市)出身。太平洋戦争開戦時の連合艦隊参謀長である。ポツダム宣言受諾直後、航空特攻にて死亡。陣中日記『戦藻録』が有名。特攻指導者の一人。宇垣一成陸軍大将、宇垣完爾海軍中将とは遠戚である。

によるウルシー泊地の米軍機動部隊への特攻作戦である「丹作戦」や、九州沖航空戦なども指揮した。

・玉音放送後の特攻
1945年(昭和20年)8月12日、宇垣は第七〇一航空隊の佐藤大尉に稼動彗星艦上爆撃機の稼動機数を尋ね、11機という返答を得た[21]。宇垣は「5機もあれば」とつぶやいたという。8月15日早朝、宇垣は艦上爆撃機彗星を5機用意するように部下の宮崎先任参謀、田中航空参謀、中津留達雄大尉に命じた[22]。特攻機は6機多い11機が用意された。これに対し宇垣は「命令は5機」と発言したが、指揮所前には22名の搭乗員たちが整列しており、そのことについて宇垣が問いかけると、中津留大尉は「出動可能機全機で同行する。命令が変更されないなら命令違反を承知で同行する」と憤慨し怒鳴った[23]。正午に発せられた玉音放送を聴き、「戦藻録」最後のページを書き終えた後、自ら中津留大尉の操縦する彗星(この時、宇垣らが搭乗した彗星は、エンジンを空冷の金星62型に換装した彗星33型をベースにして特攻機型として生産された彗星43型)に搭乗する。彗星43型は2人乗りだが、遠藤秋章飛曹長が交代を拒否したため、宇垣、中津留、遠藤の3人が乗ることになった[24]。海軍兵学校同期である第十二航空戦隊司令官城島高次少将、及び幕僚である宮崎隆先任参謀、横井俊之参謀長から「死を決せられる気持ちは理解できるが、戦後処理や、国家的な責任の問題もあるため、なんとかとりやめることはできないか」などと翻意を促されたが、宇垣は「武人としての死に場所を与えてくれ」と、その決意は揺らぐことはなかった[25]。
特攻隊は合計11機(3機不時着)で、沖縄沖に向かって大分基地から離陸した[26]。出撃前の彗星前で撮った写真に彼は笑顔で写っている。高官が死地に赴くときには階級を示すものを外す習慣があったため、軍服から中将の階級を外し、そして山本五十六から遺贈された短刀を持参している[27]。
宇垣機からは訣別電があり、続いて「敵空母見ユ」「ワレ必中突入ス」を最後に無電は途絶えた[28]。同日夕刻、沖縄県伊平屋島海岸付近に米軍が張っていたテントのすぐ近くに、1機の彗星が墜落した。中からは操縦士と思われる若い将兵1人のほかに、なぜか飛行服ではなく、階級章のない第三種軍装を着た壮年1人の遺体が収容された。出撃前の写真から判断して、これが宇垣の乗っていた彗星だった可能性が高い。しかし墜落状況は、動くことも反撃することもない目標を前にしてわざわざ特攻を行わなかったようにも見え、操縦していた中津留大尉が停戦命令を死守すべく意図的にテントを避けたとする説や、特攻の意味が無くなったと思い五十六の短刀で自決したとする説もある。ただし、これらの遺体が宇垣たちであると日本側によって公式に確認されたわけではないため、正確な死亡場所は現在も不明とされ、「敵艦に突入し命中した」などと説明する資料も存在する。
なお宇垣は、ポツダム宣言受諾後に正式な命令もなく特攻を行ったため、戦死とは見做されず大将昇級は行われていない。むしろ、停戦命令後の理由なき戦闘行為を禁じた海軍刑法第三十一条に抵触していたのではないかとする意見もある[29]。
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>生き残った戦犯を凶弾する永遠の0の作者は左翼ですか



      ↓
私は中庸・少し表現が骨っぽい日本人の矜持と伝統への誇りを持った気骨のある、おっさんイメージです。
それは、作品以外での「たかじんのそこまで言って委員会」でのコメンテーターとしての政治問題への発言内容、朝日新聞社や宮崎駿氏との確執や論争で彼の思想的背景や視野視点が推察できるためです。



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