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以下、まじめな質問なので、ひやかしでのご回答はご遠慮ください。
キリスト教や仏教・神道他の聖職者の方や信徒の方、宗教や霊的なことに詳しい方のご回答をお待ちします。

1.奇蹟と宗教との関係はあるのでしょうか?
例えば、宗教心が厚ければ、奇蹟を起こすことは可能なのでしょうか?

2.カトリックでは、直接の関連を認めていないようですが、それではなぜ、カトリックでは、列聖の条件として、奇蹟を必要とするのでしょうか?
プロテスタントでは、聖人を認めていないようですが、奇蹟については、どのように捉えているのでしょうか?

3.宗教心がなくても、霊感が強ければ、奇蹟は行えるのか?
街中で見られるいわゆる霊感師や占い師は、全部が全部宗教心があるとは思えませんが、こうした人たちが施すいわゆる「おまじない」と奇蹟の違いは何でしょうか?

4.人に見えないものが見える人は、どういう人でしょうか?
原因として考えられる両極端として、(1)幻覚・妄想 (2)心眼・信仰心 があると思いますが、他にもあるのでしょうか?
神や聖人の姿が見える人は、やはり素晴らしい人なのでしょうか?

例えば、カトリックでは、ルルド・ファチマ・グァダルーペの三大聖母出現がありますが、聖なる心を持っていたから、俗人には見えない聖母マリアの姿が見えたのでしょうか?

A 回答 (15件中11~15件)

1、宗教家に都合が良ければ「奇蹟」で都合が悪ければ「受難」。



津波で流された方々は全員悪人で、残った人間は一人残らず信仰心の厚い善人だけと言うならそうかも知れません。(ノアの箱舟がモロにそれですが)

2、キリスト社会での「奇蹟」は、神との直接(又は聖人を介した間接)の繋がりを担保します。

そしてそれを偶然では無く、信仰心による必然と考える訳です。

しかし現在は両宗派共、奇蹟とは距離をとる姿勢を示しており、積極的に唱えるのはカルト系に良く見られます。

3、奇蹟を意思の下で行えたら、それはメシヤの再来か悪魔の出現になるでしょうね。

所謂「おまじない」は気休め。

奇蹟は「現象」を都合良く解釈しただけ。

4、私は見えないので何とも言えませんが、一つの可能性の説明として・・・

私は赤緑色盲で常人よりも、見える色が限られます。

つまり私にとっては皆は私よりも色に溢れた世界で生きている事になります。

「見える」人は更にそれ以上見えているのでしょうが、しかしそれはそれだけの事でしょう。
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この回答へのお礼

1.仏教には「因果応報」という考えがありますし、何度も生まれ変わって(転生して)「解脱」を目指して進むという「輪廻」思想があります。
仏教・キリスト教ともに、良い人間は報われて、極楽或いは天国に行き、悪い人間は地獄に行くと教えていますが、その詳細は不明です。
又、必ずしも良い人間だからと言って、幸せとは限らず、地震などの犠牲になることもありますし、その逆もありえます。確かに「ノアの方舟」では、義人であったノアの家族のみが救われましたが、現在のキリスト教では、人知では説明できない人間の運命を説明するのに、「天罰」という考え方を採らず、「神の摂理」と言う言い方をしています。

2.キリスト社会で「奇蹟」は、信仰心(祈り)による必然と考えられるとしたら、それは聖人レベルの極めて「深い信仰心」の結果として考えられるのだと思いますが、通常の信徒レベルでは、奇蹟にまで至るケールはあまりないと思います。

3.やはり、その人自身の力量で奇蹟を行えるというのは稀であり、神への祈り・信仰心のなせる業と考えるのが自然だと思います。それなら、自分の力量だけで、そういうことを行える霊能者という存在は何なのでしょうか?

4.確かに見えるものは人それぞれ違う、ということはあり得ると思います。

お礼日時:2014/02/01 23:00

1.奇蹟と宗教との関係はあるのでしょうか?



 あまり関係はありません。

2.カトリックでは、直接の関連を認めていないようですが、それではなぜ、カトリックでは、列聖の条件として、奇蹟を必要とするのでしょうか?
プロテスタントでは、聖人を認めていないようですが、奇蹟については、どのように捉えているのでしょうか?

 知りません。

3.宗教心がなくても、霊感が強ければ、奇蹟は行えるのか?
街中で見られるいわゆる霊感師や占い師は、全部が全部宗教心があるとは思えませんが、こうした人たちが施すいわゆる「おまじない」と奇蹟の違いは何でしょうか?

 おまじない、祈願、呪い、魔術の類も奇跡の染み出しのようなものです。

4.人に見えないものが見える人は、どういう人でしょうか?
原因として考えられる両極端として、(1)幻覚・妄想 (2)心眼・信仰心 があると思いますが、他にもあるのでしょうか?


 最初に人間の一般的奇跡を十分理解し、体感する必要があります。
 人間の一般的奇跡とは、今の自分が単一の確たる存在として自分であると認識して疑わないところです。ここが原点となります。いわゆる奇跡は、その上に成り立っているのです。
 この人間の一般的奇跡は、誰もがそうであると思われますが、そうではありません。極まれに複数の自分を同時に自分であると認識する者や転じて自分の存在を認識せず過去と未来を超えて人間全体、さらには生物全体に溶け込んでいる者もいるのです。普通の者からみると異常者かまさにこれが奇跡に映るのです。
 それが真実であれ妄想であれ、妖精、天使、悪魔、神、異世界人、宇宙人、予言、幽霊として現れてくるわけです。
 赤い絨毯が赤い絨毯と見えているのは、それがそう見えている人間達の中で赤い絨毯なのであって、赤い絨毯はもともと赤い絨毯(それが赤くそして絨毯であるということ)ではないのです。
 神がその神であると共通して見える人間の中では、その神はその人間達の中で確たる目に見える神として存在するのです。

 誰にでも見え、科学的にも神であると認めざるを得ないような神が出現したとしましょう・・・・それが、たったの10人にしか見えず、しかもとても立証することができない神の出現との違いは、実は、ないのですよ。

>神や聖人の姿が見える人は、やはり素晴らしい人なのでしょうか?

 したがって、それが素晴らしいかどうかは、あなたの立ち位置とあなた次第なのです。
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この回答へのお礼

般若心経の「空」ないし「無」の世界では、今見えているものが、本当に実在するものかどうかは、わからない、ひょっとしたら存在しないのかもしれない、というような言い方をしていますよね。
今、自分が自分として認識している存在は、本当は一体何者か、と問われれば、あなたの挙げられたような解釈をする一見「変人」も世の中には存在するのだと思います。作家で僧侶の玄侑宗久氏の小説『阿修羅』に描かれた、複数の人格を持つ解離性同一性障害(DID)の人物の話とかも聞きます。
その別人格になっているタイミングで、普通の人には見えない、色んなものが見える、ということが起きるのかもしれませんね。

お礼日時:2014/02/01 22:28

よく分かってるわけではないけど、思う事を



1関係はないと思う
 信仰心が厚ければ奇跡が起こせるなら中世の人々はもっと幸せに生きてたと思うから。

2キリスト教はよく分からないので不明
 ただ、聖人は特別な人=神に選ばれた人=奇跡 の構図はありそう

3奇跡っぽく見えることを起こす事は可能だと思う
 実際問題理屈や経験則を知らなければ、とんでもない事が出来ると思っちゃうって事あるよね?
 テコの原理を知らないと、すっごく重いものを簡単に動かせる人は凄い人(現場を見なければとんでもない力持ちとか)と思っちゃいそうなので・・・
 お呪いとかって 方法を学んで実践できるよ! って事だと思う。
 もちろん個人差があってうまい下手がある。
 前に軽く、本当に軽くタロット占いの本を読んだ事あるけど・・・やり方が書いてあるねぇ。後はカードをどう読み取るか。この辺で大きく異なりそう。
 宗教心が無くても学べますよね
 気功っぽいものも・・・宗教心が無くても学べるよね?
 ここをこうするとこうなる。と学ぶんなら、むしろ宗教心は邪魔になりそうな気がします
 神が許さないんじゃないかとか考えちゃうと・・・学びにくそうだから
 (むっちゃ物理学と捉えてたら、機械的だもの)
 技術を学ぶのに宗教は関係ないと思う

4素晴らしい人かどうかは判りません

 能力と聖性は関係ないんじゃないかなぁ?とはちょっと思う。
 技術者に聖性を求められても・・・なんじゃ・・・
 (水道トラブルとかが直せる人はありがたいが、別に聖なる人じゃないよね?)

 何か見えるって・・・わたしはこれ、その部分の蓋がゆるい人なのかなぁ?と考えた事があります。
 潜在能力って、普段使わなかったり、使えるとかえって暮らし難いんで使ってない部分かなぁ?と思うんですよ。
 例えば・・・前後左右上下360度、100メーター位を把握できる能力があったとします。ほとんど誰もいない場所では便利でも、人が多いところじゃ脳がパンクしそうな気がします。だから使わないようにしまって蓋をしている。
 でもたくさんの人の中には元々その蓋がゆるめの人がいるのかな?と。
 また、代々家系でその手の能力を使ってる家だと、子供が見えても否定しないしそれがこの家ではよくある事と片づけられそう
 そして大きな事故等に遭って危機を脱するために蓋を開けた人もいんじゃないかなぁ?と。
 他にも、他の蓋が開き気味の人とよく行動を一緒にしてたりすると影響を受けてゆるくなるとか・・・


潜在能力で、使える人がいる。
ただ、本人もなんでそれが出来るのか判ってないことも多々ありそう。
学ぶうちに素晴らしい能力を授かる事が出来た、神が与えて下さったものだとそこから宗教心を持つ人もいると思うけど、私は技術と性格は別問題な気がします。
ただ、他の人が出来ないことだから、良い人になろうと頑張る人もいると思う

ちょっと変わってるかなぁ?と自分でも思うので参考になるといいのですが
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この回答へのお礼

やっぱり、奇蹟と宗教は関係ない?
技術的なものであり、信仰/聖性とは関係ない?
・・・ただ、そうした奇蹟を起こす才能があることで、宗教心への動機づけになることはある。・・・ということですね。ちょっとがっかり!

お礼日時:2014/01/30 21:26

1.宗教心の厚さと奇跡とは関係ありません。



2.キリスト教については存じません。

3.霊感と宗教心とは別なので可能でしょう。
ただし、街中で見られるいわゆる霊感師や占い師はすべてインチキです。

4.>人に見えないものが見える人は、どういう人でしょうか?
  ●それが霊感というものです。ただし、低級霊の仕業といえるものがほとんどです。

>神や聖人の姿が見える人は、やはり素晴らしい人なのでしょうか?
●神や聖人は見えるものではなく、感じるものです。ですから、見えると言ってる人は偽物でしょう。

宗教とは「真理を説き、心の平安を得るためのもの」と私は解釈しています。
一方、修行は宗教の一部に存在するかも知れませんが、本来は宗教でなくてもいいと思っています。
例えば、ヨガは行法であったとしても宗教ではないと思います。
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この回答へのお礼

宗教心の厚さと奇跡とは関係ありませんか?
又、霊感と言っても、低級霊の仕業といえるものがほとんどなのですか?
神や聖人は見えるものではなく、感じるもの・・・と言われているのは、わかる気がします。
要は、視覚からでなくても「見る」或いは「感じる」ということはあると思います。
宗教とは「真理を説き、心の平安を得るためのもの」というお説には賛同します。
そこに奇蹟や修行が必ずリンクする必然性はないのかもしれませんね。

お礼日時:2014/01/30 09:26

あなたの質問の殆どが 奇蹟になってますが



奇蹟を起こす側は支配者 見る側は支配される者に分かれる事になります

神は 奇蹟を起こす事は容易に出来るが 支配者として崇められる為に人間を創ったのでは無く 神の子として人間を創りました

それゆえ 堕落した人間を 神自身が救うのでは無く 人間同士で本来の姿に戻る方法としてキリストを使命しました

キリストを中心に 全ての人間が本来の姿に戻るのを 阻む悪(ルーシェル)によって 中心となる人物を濁された人達が 偽の情報を 神からの啓示と勘違いし 自分こそがキリストであるとルーシェルから来た啓示に
騙され 現在の様な 色々な宗派に分裂させられました

現在 新しいキリストにより 本来の人間に戻す様 着々と準備がされています

信じる事が出来れば あなたの元にも 伝わる筈です
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
キリスト教の方ですか?

>奇蹟を起こす側は支配者 見る側は支配される者
の意味が、ちょっとよくわからないのですが、
この「支配者」とは神、「支配される者」とは人間のことを指すのでしょうか?
でもこの後の文章で、
>支配者として崇められる為に人間を創ったのでは無く・・・
と書かれているので、まずここでわからなくなりました。
要は、「奇蹟を起こした。」と人間が騒いでいるが、それは「見ている」だけであり、実際に起こしたのは神だという意味でしょうか?

そして、神(神及び人間界に遣わされたキリスト)が、折角「人間が本来の姿に戻る」よう働きかけたのに、それを悪魔(ルーシェル)が邪魔をして(色んな人間を誘惑して)「我こそ神だ。」などと自信を持たせたから、そこでキリスト教(或いはその前身のユダヤ教)以外の色んな宗教が乱立してしまった、という意味でしょうか?

お礼日時:2014/01/30 09:21

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