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古代の東北地方の住人をえみし(蝦夷)といい、アイヌのことはえぞ(蝦夷)というと思っているのですが、同じ漢字を使って居て、ややこしくなっています。
えみしがアイヌ人のことだとすると、東北人のルーツはアイヌと言うことになります。
えみしが日本民族の一部だったとすると、東北人のルーツは、本州全体と同一民族だった、と言えますので、えみしが日本人だったか、アイヌ人だったか?は、東北人のルーツを考える上で重要だと思われます。

この問題は、えみしが日本語を使って居たか?どうかで決められると思いますが、現在の研究ではどうなっているのでしょうか?
藤原三代の平泉文化をみると、私にはこれは日本民族の文化だと思われます。

藤原氏が日本語を使って居たか?ということを、残っている文書資料で判定できないのでしょうか?

こういう考え方全体のどこかに間違いはあるでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

NO.5 です。

お礼文と共に補足がありましたのでお答えします。
前回回答にも記しました通り、縄文文化とそれに続く弥生文化は、明らかに異質の文化です。
縄文人が先住民族、弥生人が大陸ないしは半島からの、戦闘に長けた渡来民族と考えています。
学者先生が藤原氏のミイラを鑑定した頃には、文化人類学と形質人類学の区別が曖昧で、文化や形質の違いが人種の違いと考えられていました。
今日では、「現生人類はアフリカ発の共通の祖先に由来し、人種は皆同じ」と考えられています。
大和の文化と、蝦夷若しくはアイヌの文化とは懸け離れていますが、それは弥生時代以降に、大陸側の文化をもたらした渡来人が、大和に拠点を置いて関西一帯に支配権を広げた・・・つまり、先住民を征服若しくは追い出した結果であろうと思われます。記紀にも大和勢力が多くの異族を制圧した旨記述されており、征服された側が土蜘蛛とかクマソとか呼ばれています。鬼に纏わる伝説も、多くは大和勢力に敵対若しくは抵抗した先住民であり、その人達は、蝦夷やアイヌに繋がる存在と理解出来ます。
島根県にウップルイという地名が「十六島」の表記で現存し、その他の地名からも、アイヌや蝦夷の名残がが窺われ、先住民は広く分布していたと思われます。
昨年の新聞報道で、日本人の先祖は大陸渡来を中心に、北方系と南方系の三系統からなる旨、遺伝子解析から認められたとのことでした。
今日では、日本の文化(大和朝廷に繋がる文化)の下で暮らす列島の住人が日本人であり、アイヌはアイヌ文化を継承する北海道の先住民と認められています。
明治の「土民保護法」が改正された経緯なども、お調べになって下さい。
ご質問の「蝦夷はアイヌか日本民族か」については、限りなくアイヌに近いと考えています。
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この回答へのお礼

よくわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/08 21:47

   ちょっと辞書で見たのですが定義がまちまちのようです。



1。「えみし」は、「えぞ」の古称で、時代は違うが、同じ意味だと言う説。
    http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/25215/m0u/% …

2。 「えみし」と「えぞ」に異なる定義をしている場合。語源には金田一京助の樺太アイヌ語で「人」を意味する enchiu などが挙っています(『日本語大辞典』所載)。
    えみし    上代、東部日本に住む中央政府に服さなかった部族。
        (い)  アイヌをさす
        (ろ)  特定の異種族ではなく中央政府に服さなかった東部日本の住民
    えぞ      アイヌ民族の古称、北海道、樺太、千島などを総称した古称。

3。  上代における「えみし」(『時代別国語大辞典上代編』所載)
    異民族、ないし異部族。エビスとも。人•男の意のアイヌ語に由来する。ある特殊な種族の名であったのが一般化したものか。東北の異民族をさすことが多いけれども、第一例は大和国のエミシである。ちなみに「蝦+虫篇に夷」の字は唐書東夷伝にある。

4。愚見
   問題の語に「夷」という漢字が入っているのは、中華思想で、四方の野蛮国を、東夷北狄南蛮西戎と呼ぶ慣習に従っただけでしょう。日本自体、中国の東夷で、漢字の当て字は無視すべきだと思います。

問題1:「えみしがアイヌ人のことだとすると、」
    「えみし」がアイヌとは限らないという反例が既に上代からあるわけですから、たぶんここに問題の始まりがあると思います。

問題2:「東北人のルーツはアイヌと言うことになります」
    前半が、成立しないので、東北人のルーツはアイヌとは言えないと思います。

問題3:「この問題は、えみしが日本語を使って居たか?どうかで決められると思います」
    えみしは、政治的な分類で、同じ言語(例えばアイヌ語)を話す集団を指しませんので、決め手には使えないと思います。

問題4:  「藤原氏が日本語を使って居たか?ということを、残っている文書資料で判定できないのでしょうか?」
    これは僕には分かりませんが、日本語を使っていたのではないでしょうか。

問題5:    「こういう考え方全体のどこかに間違いはあるでしょうか? 」
   えみしは、人種、言語集団を指すとは限らず、当初から、政治的部外者とか第三者、あるいは政敵という使い方があった訳で、ルーツの証明には使えないのではないでしょうか。

    『元寇』と言う明治時代に作られた歌に「多々良浜辺のエミシ、そはなに蒙古勢」(下記)というのがありましたが、えみしがアイヌとは限らないという伝統が続いていた事が分かります。 
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87_ …

   「藤原三代の平泉文化をみると、私にはこれは日本民族の文化だと思われます。」

    おっしゃる通りだと思います。
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No.7・9です


>そろそろお答えを書いていただけないでしょうか?
>えみしが日本人だったか、アイヌ人だったか?は、東北人のルーツを考える上で重要だと思われます。
下記サイトを御覧願います。
縄文時代 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/縄文時代
以下の事が記載されています。
○なお、沖縄県では貝塚時代前期に区分される。次の時代は同地域では貝塚時代後期となり、貝塚文化と呼ばれる。また東北北部から北海道では縄文時代の生活様式が継承されるため、続縄文時代と呼ばれる。

三内丸山遺跡 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/三内丸山遺跡
以下の事が記載されています
○三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は青森県青森市大字三内字丸山にある、縄文時代前期中頃から中期末葉の大規模集落跡。

過去に下記のような事件がありました、ご発言には充分な御配慮をお願い申しあげます。
東北熊襲発言 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/東北熊襲発言

この回答への補足

答えになっていないと思われます。

あるいは理解不能です。

もう少し解りやすく書いてください。

補足日時:2014/03/18 19:23
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この回答へのお礼

お答えを待っています。

質問だけで、回答を頂けないのは、大変遺憾です。

このサイトに対する侮辱でもあります。

誠意を見せてくださいますようお願いいたします。

お礼日時:2014/03/26 08:37

No.7です


補足を頂戴しましたが、再度確認をさせて下さい
当初の御質問ではルーツについて議論されておられます。
補足では、日本民族とは、日本語が母語の人と定義します。
となっておりますが、この場合の日本民族のルーツはどのようにお考えでしょうか。
現在アイヌの末裔とされておられる方々は日本語を母語としています。
アイヌ語はあくまでも自分たちの祖先が使っていた言葉としておられますが、この場合は日本民族に含まれるのでしょうか。

>列島の北、西、南から列島にやって来た人たちが、1万年前から以後、徐々に全体として同じ言葉を話すようになって縄文人となった。
縄文人とアイヌ人とを峻別した文献は寡聞にして知りません。
教えて頂けませんでしょうか。

>弥生時代になりますが、渡来人は散発的にやってきて縄文人に同化したために、
縄文文化と弥生文化は明らかに異なる文化とされていますが、同化と仰れるのはどのような状態とお考えでしょうか。

>秦氏などの古代豪族は日本人に含まれますでしょうか。日本に同化して、日本語を話ししていたと考えます。
秦氏は渡来人です。渡来人の祖先は「ルーツ」には含まれないのでしょうか。
西日本に多い佐伯氏はアイヌの末裔とされていますが、秦氏同様に末裔とその一族の祖先との関係は、仰られておられる「ルーツ」なるものとはどのような関係になりますでしょうか

>日本民族とは、日本語が母語の人と定義します。
>このあたりは、質問者は人種と民族を混同しているように思えます。
お考えの人種の定義を教えて下さい。
又人種と民族の違いをどのようにお考えになられておられますでしょうか。
渡来人で日本で生まれ育った二世三世およびそれらの末裔の人達は何人種になりますか
現在中南米や米国で暮らしておられる三世四世の方々は何人種となりますか。日本語は全く使えません。
沖縄で使われている琉球語は大和言葉とは大きくことなります。
沖縄弁を使われておられる方々は何民族でしょうか

>外来語も日本語の中で使われれば、日本語です。
「日本語の中で使われれば」という文章の日本語とは何を指して言われておられるのでしょうか
熟語は中国語の漢文からとられたものですが、漢字で表記された熟語は日本語でしょうか外来語でしょうか。
古事記や万葉集は全て漢字で表記されています。日本語としてよろしいでしょうか。
学術書などではで用語をアルファベットで表記して使う場合がありますが、日本語でしょうか外来語でしょうか。

最後に「東北人」の定義も教えて下さい。
東京には東北ご出身の方々が沢山住んでおられます。その子供や孫も沢山います。
戦後、就職列車などで上京された祖父母を持たれておられる方も沢山おられます。
お盆などにはお墓詣りに帰省されます。
又、関東以西の地域で生まれた方で仙台や盛岡、秋田、青森で暮らしておられる方も沢山おられます。

この回答への補足

質問に質問で返答されること二回になります。

どちらが質問者か解らなくなってきました。

そろそろお答えを書いていただけないでしょうか?

補足日時:2014/03/18 09:07
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この回答へのお礼

私の質問に対して、私に質問をすること二回になります。

それに私としては、誠実に答えたのですが、肝心の貴殿の答えがありません。

何回もお願いしていますが、答えがありません。

これはこのサイトに対する規則違反です。

答えられないのなら謝罪してもらいたいと思います。

お礼日時:2014/03/28 20:33

平安や鎌倉の昔


東北に住む人は「蝦夷(えみし)」と言ってました
当時は北海道は発見されてませんので 蝦夷=えぞ と言う概念は無いでしょう


そもそもアイヌ人=日本人だと思いますが
彼らの方が早くから日本列島に住み着いてたわけだし


そういえば
蘇我蝦夷も えみしと言いますね?
しかし彼は渡来人の家系です

とすると…
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>こういう考え方全体のどこかに間違いはあるでしょうか?


分かりません。
まずお使いになられておられる言葉を定義して頂けませんでしょうか。
補足をお願いします。

「日本人」とはどのような人を指しておられるのか、明確に定義して下さい。
熊襲、佐伯、山窩、 家船、と呼ばれる人をどのようにお考えになられているのか明記して下さい。
縄文人、弥生人は日本人に含まれますでしょうか。
大和と出雲では王朝が異なっていました。どちらを日本人とされますか。
秦氏などの古代豪族は日本人に含まれますでしょうか。
関東地方には高麗、高麗川などの地名が残っていますが、ここで暮らしていた人達は日本人に含まれますか。
関西地方には新羅(白木)百済などの地名や神社が多数ありますが、それを作った人達は日本人に含まれますか

「日本語」とはどの言葉を指しておられるのか、明確に定義して下さい。
現在の鹿児島弁や津軽弁は共通語とは大きく異なりますが、どのようにお考えでしょうか。
沖縄地方で使われている言葉は、何語と定義されますのでしょうか。
北海道の地名は日本語に含まれますでしょうか。
古事記で使用されている言葉や源氏物語で使用されている言葉は現代とは大きく異なりますが、どのように扱われますか。万葉集を当時の発音で読むと現代の共通語とは全く異なる発音であることが立証されています。
これについてどのようにお考えになられますか。
古事記に漢字で記載されている人名や地名の読みかたは、現代の漢字の読み方とは異なります。
漢字の読みには漢音、呉音、訓の違いがありますが、どれをもって日本語とされますか。
天麩羅、合羽、襦袢、如雨露、羅紗 煙草、おんぶ、パン、オルガン、ブランコ、は日本語に含まれますか。

この回答への補足

ご依頼により補足します。
質問の意味が解らないところがありますが、大雑把にお答えします。

>「日本人」とはどのような人を指しておられるのか、明確に定義して下さい。

日本民族とは、日本語が母語の人と定義します。

>熊襲、佐伯、山窩、 家船、と呼ばれる人をどのようにお考えになられているのか明記して下さい。

これらの人が日本語を話ししていれば日本人です。

>縄文人、弥生人は日本人に含まれ、ますでしょうか。

列島の北、西、南から列島にやって来た人たちが、1万年前から以後、徐々に全体として同じ言葉を話すようになって縄文人となった。その言葉が日本語で、その後に万葉集、源氏物語などで使われているような言葉に発展した、と考えます。
2千年ほど前に渡来人がやって来て、弥生時代になりますが、渡来人は散発的にやってきて縄文人に同化したために、縄文日本語の基調に根本的な変化はありませんでした。


>大和と出雲では王朝が異なっていました。どちらを日本人とされますか。
彼らが日本語を話ししていたか?が判断基準です。
私は両方ともに日本語を話ししていた、と想像しています。

>秦氏などの古代豪族は日本人に含まれますでしょうか。
日本に同化して、日本語を話ししていたと考えます。

>関東地方には高麗、高麗川などの地名が残っていますが、ここで暮らしていた人達は日本人に含まれますか。
>関西地方には新羅(白木)百済などの地名や神社が多数ありますが、それを作った人達は日本人に含まれますか

秦氏に同じ。
このあたりは、質問者は人種と民族を混同しているように思えます。

鹿児島弁とか津軽弁は方言で日本語の一部です。
北海道の地名には、アイヌ語が多いと考えます。
古事記、源氏物語、万葉集はすべて日本語です。

外来語も日本語の中で使われれば、日本語です。

例えばオルガンは、もとは外来語ですが、今の日本では日本語です。つまり語源の問題ではありません。
「オルガンが日本語では無い」などと言う考えは、奇妙に聞こえます。

補足日時:2014/03/17 17:12
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北東北にはアイヌ民族が生活していた事は確認されていますし、アイヌ語による地名が残っている所もあります。


エゾとエミシの違いは地域の違いと言うのが大きいのでは無いでしょうかね。
それに地域によって生まれ育つ文化も違って当然だと思いますし。
それ以上の歴史的な事は判りませんので、藤原氏については触れることが出来ませんので悪しからず。(笑)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/17 17:13

関東以北の地は「えみし」の居住域として、大和政権からは異民族扱いされました。


その地には、大和の地域には無い資源や産物が有りました。
大陸渡来の文化に依存していた大和政権は、縄文人の居住地を侵略し、農耕の文化と技術で経済を発展させ、縄文人の持っていなかった戦闘能力を持って先住民を支配しました。
言語も生活の仕来りも異なる「えみし」は、日本列島の自然をよく理解していましたから、弥生人として出現した「やまと」民族としては、利用(支配)価値の高い異文化でもありました。
大和にとって征服の遅れた地域が東北=関東以北でした。
「東夷」は東方の、「北狄」は北方の異民族を指す、中国渡来の用語です。
奥州藤原氏は、えみし制圧のために派遣された大和の藤原氏の一族で有ることが、文献記録にも残されています。
戦前のある学者先生が、平泉藤原氏のミイラを分析して『日本人と同じ』と結論づけて威張っていたそうですが、威張るべきことでは無く、奥州藤原氏の素性を知らなかった点で、学者としては恥ずべきことでした。
縄文文化や細石刃文化を持つ先住民を制圧したのが、農耕・青銅器・鉄器の文化を持ち来たった弥生文化人だったと云うことです。
アイヌは北海道に残されていた未征服の先住民族です。

この回答への補足

藤原氏が大和から来た人と確定すると、その時の住民(藤原氏に支配された人たち)は、同一民族だったか?異民族だったか?というのが私の質問の本質になるのですが、如何でしょうか?

補足日時:2014/03/19 10:41
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この回答へのお礼

藤原氏が大和の人だということは勉強になりました。

有り難うございました。

お礼日時:2014/03/17 17:16

蝦夷は統一された民族でも王国でもありません。



また遺伝的に見ても日本は五種類(学説に因る)が混在しており、大和も蝦夷も分布の違いはあれど、そもそもが混ざり合っています。

その理由としては縄文期には既に始まっていた、全国的に広がっていた交易・交流広が考えられます。


「えぞ・えみし」に蝦夷を当てるのには定説がありません。

えみしは音が最初に在り、それに漢字を後から当てたので、特に深い意味は無いでしょう。

えぞも本州北端まで大和(鎌倉幕府)支配の達した鎌倉時代の文献から出て来るようで、恐らくそれまでは遠い存在さえも知らない土地だったのは、想像に難くありません。(これもやはり当て字で用いたのではないでしょうか)


蝦夷の定義は平たく言うと、中央政権である大和王朝に従わない部族と言う意味です。

日本書紀に蝦夷を饗応した記述があり、自ら同化していった部族と争った部族がそれぞれにあった事と想像出来ます。

奥州藤原氏が使った言語が日本語かどうかは、私には判りませんが、中央に書簡を送るには「漢文」が常識ですし、都人(役人)との直接の付き合いがあった事、金色堂等の佛教施設の積極的な造営等を考えると、中央との意思疎通がスムーズであったと思われますので、別言語と考える方が難しいのではないでしょうか。

しかも現代に残った方言でさえも違いがあるのに、日本語として通じますから、おそらくその以前から同じ様な感覚で通じたのではないでしょうか。


以上の事から、蝦夷を日本民族と見るか、アイヌ民族と見るかは一概には言えないようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/03/17 17:18

「蝦夷(エミシ)」は今日的な「民族」という定義にはあてはまりません。


王化しない民を「蝦夷」、王化すると「俘囚」と呼び名が変わるのがその証拠です。
故に「蝦夷(えみし)は日本人かアイヌ人か」というのは成立しません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/17 17:19

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