dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

物質と精神の違いは曖昧であるっぽいんですが、その理由はなぜですか?

自転車は物質であって、心は精神である。一般的にはこう言われますよね? ここに明確な根拠がないってことでしょうか?

考えるのがめんどくさいってのは悪いことだと思います。賢い人はこれ(物質と精神について)を直観で違和感を感じることができるのでしょう。これはもうセンスだと思ってしまいました。私は永遠にバカなのでしょう。

A 回答 (13件中11~13件)

精神とは、「物質が自分の外にある」という前提によって、


相対的に生じた概念である。
実際は、その精神と物質の接点である感受表面での量子
相互作用しか我々は捉えておらず、その感受パターンの
蓄積により、次の先行感覚(光や音のように早く遠くまで
伝わる情報性の高い感覚)対して、『そこまで到達すれば
何(より生理的な感受)が起きるか』を予測した結果が、
空間的広がり=物質的概念なのだ。

そこにあるのは、無(=不確定性無限)の潜在としての認識
可能性(感受表面=量子相互作用=光速)からの、自我仮説
(時間の流れ=記憶=過去=超光速)と時空仮説(空間の広が
り=予測=未来=光速下)の相補分化である。
「経験の蓄積」とは、量子性=プランク定数の収束(物体収縮
=宇宙膨張)の時系列化であり、それにより経験的に階層現
象を表面的に(いい加減に)捉える事で、原理(超弦)的な
光速性を潜在化して、非光速性を派生させているのだ。

(難しいです。これを作った僕でも、中学の時にアインシュタ
インの「重力ポテンシャルエネルギーは負であり、物質の
存在に比例するので、全宇宙のエネルギーの総和は常に
0である」という指摘と、彼の相対性理論に現れる「ミンコフ
スキー空間において時空軸は虚数関係にあり、等距離点
に0の面(界面原点=光量子の描く軌跡)を生じる」といった
事実からピンとひらめいて、社会人になって思索する時間
が欲しくて、協力隊から海外コンサルタントとして途上国に
暮してずっと考え、手作り冊子を出し続けて、ソロモン諸島で
「反慣性論」という形でまとめて冊子にするまでに20年以上
かかりました。こんな一時の場のわずかの字数で、自分の
固定観念を変えるのをプライドが邪魔をする状態で、理解
できる訳がない、というのが個人的気持です。センスでは
なく積み重ねです(頭の善し悪しとも別です。好奇心)。
固定観念=自分の座っている座布団を持ち上げてジャンプ
する事はできません。1枚ずつの積み重ねです)
    • good
    • 0

 物質と精神の違いは、明確です。

精神は物質ではなく、現象です。

 振り子は物質ですが、振り子が振れているのは現象です。

 精神も脳という物質が起こす現象です。
    • good
    • 0

この動画を何回も、何回も見て下さい。

ヒントはこの中にあります。

ヒントとする考え方は、『心=考えや感情』が何処から湧き上がるのかです。答えは脳からですが、脳の機能には『感情や考えを感じている自分』VS[感情や考えを湧き上がらせている者]と二人の自分がいます。

この両者が『意識の根底=脳梁の中』で出会う事が、この動画での見所です。聖書では『神との和解』です。仏教では『見性』体験です。つまり悟りを開いている真っ盛りが、この動画での見所です。


URL:
もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!