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私は30代の人間ですが、自分の死について悩んでいます。病気などで余命宣告された訳ではないのですが、老いていずれは訪れる自分の死について四六時中考えてしまい、体調を崩してしまいました。精神科でいくつか薬をもらって、もう三年ほどなんとかしのいでます。

精神科の先生から、介護のお仕事など人の死に触れる機会がある職業の方なら何かヒントを得ているかもしれないと助言をいただきました。

そこで質問なのですが、人の死に触れることが(たぶん)多い介護職の方の死についての考え方を教えてください。ただし自分の死についてです。

どうぞよろしくお願いいたします。

A 回答 (1件)

うーん…どうなんだろうか?。


他人の死の現場に立ち会っている場合と、自分の死への感情というのは、直接結びついてないと思う。

極論だけど、他人の死について深く考えてると、この「商売」(商売ですよ?…サービス業だからね)やってられないじゃないですか?。
精神科の先生も何を考えてのアドバイスかはわからないけど「そういったもんじゃないですよ?」というのは言いたい気がする。

多分、病院関係者の方とかもそうだと思うけど、どこかで「割り切る」瞬間があって、そこから先は「今まで」と変わっちゃう自分を感じるんだよね。
…なんというか「自分にできないこと」というのを知るというか。
無力感だけではなくて「手が届かない物があるんだな」というか、そういうものが見えてくるんだと思う。

私自身は「生きている上でのサービス提供者」でしか無いし、出来る事などたかが知れていると思ってる。
利用者さんの「支え」というにもなんともさもしく、もっとずっと卑小な存在でしか無いと思ってる。
それでも「頼りにしています」の言葉があるからこそ働けもする。
そんな存在でしか無いから、ましてや「死」というものについて語るなど、仕事の上から言えば「おこがましい」としか言えない。

大なり小なり、多分みな同じ。
利用者さんや患者さんの生活に、どれだけ密着してるかは違うけど、共通なのは「そのことで」相手の方の生き方や、死というものは「縛れない」ということだ。

そのことで、自分自身の死への考え方に影響があったか?といえば、それはあります。
しかしそれは「死への探求」などでは決して無く、正反対の「死までの生き方」というものでした。
死は絶対のものだから、それについて考えても仕方ないです。
その「絶対の存在」の前に「可能性の時間」というものがある。
生の時間をいかに使うか、生きていければいいのか、ということについて、利用者さんの先達としての経験があって、そして「死」というフィナーレがあって、ひとつの舞台を見終える事ができたという「感謝」がある。
それ以上でも、それ以下でもない。

これが感想です。
死について、その内容について考えることは「無意味」です。
私は、利用者さんの死から「生きること」しか学べません。
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この回答へのお礼

ご回答いただきましてありがとうございます。
大変参考になりました。
特に、利用者さんの死から「生きること」しか学べないというのはとても重みがありました。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/30 20:09

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