No.4ベストアンサー
- 回答日時:
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
そして、佐渡の出身です。
ですので、隠岐の後鳥羽院は余り研究?はしていませんので、佐渡へ流された順徳上皇について述べてみたいと思います。
承元4年(1210)第84代天皇になるも、鎌倉幕府と対立し、承久3年(1221)皇子の仲恭天皇に譲位して、父後鳥羽院とともに鎌倉幕府打倒に立ち上がった。(承久の乱)
しかし、尼将軍北条政子、執権北条義時姉弟の前に乱は失敗と化した。
鎌倉幕府は乱平定後、時を待たずして直ちに後鳥羽院を隠岐へ、順徳上皇を佐渡へ配流することと決した。
承久3年7月20日、覚悟はしていたものの、順徳上皇は配流の通告を受けると翌21日には京を発った。真に慌ただしい旅立ちと言わなければならない。
供回りはわずか6~7人であった。それまでの宮廷内での華やかな暮らしに比べて、何とも淋しい限りの離京であったことだろうか。
★なお、皇后(正夫人)や側室は決して同伴してはいけないことになっていました。
これには、皇后や側室という最小限の家族単位を切り離して禁欲生活を強いる、「付加刑」的要素を持っていたからです。
従って、隠岐に流された後鳥羽院も同じように正室や側室を同伴することはできなかったと思います。
家人(かじん)などや正室、側室以外の女房などは、身の周りのお世話をするために同行を許されました。
この後に書きますが、家族以外で身の周りのお世話をするために同行した女房とは、致し方ないことです。
佐渡に着いた上皇は泉(現・佐渡市金井地内)に御料地を与えられ、1年間位は扶持米が支給されたが、その後は供人が与えられた土地の一部を耕して自活の道を歩まれた。
一般に、島に送られた流人は、決して土牢などに閉じ込められる訳ではなく、国司や守護の計らいで寺や百姓の名主(みょうしゅ=庄屋)などに預けられた。しかし、上皇の場合は黒木御所と呼ばれて独立したものであった。
上皇は遠空の京を想い、堪えがたい不安と悲しみを数々の歌にされています。
”秋風の うら吹(き)かへす さよ衣 みはてぬ夢は みるかひもなし”
苦節22年、いつの日か再び京へ帰れることを夢見ながら、仁治3年(1242)9月12日、京より差し遣わされた薬師(くすし)和気有貞(わけのありさだ)の治療も虚しく崩御されました。御歳46才の心情はいかばかりであったことだろうか。
翌13日御火葬となり、明くる年の春、供人の左衛門太夫康光法師(さえもんだゆうこれみつ・上皇崩御直前に出家)の胸にいだかれて京都大原御墓所に納め祀られた。
上皇の在島中に、同行の女房たちに皇子が誕生しています。
史実としては、貞応2年(1223)に供の女房従三位清季(きよすえ)の女(むすめ)に忠成王(ちゅうぜいおう)、天福元年(1233)には右衛門督局(うえもんとくつぼね)との間に善統王(ぜんとうおう)がお生まれになっています。
上皇の崩御された翌年の春、忠成王と善統王や供人は上皇の遺骨と一緒に京へ帰っています。
なお、伝承として、上皇が在島中、土地の熊野権現の社人の女(むすめ)が召されて3人の宮を生み、第一皇女慶子女王(けいしじょおう)、第二皇女忠子女王(ちゅうしじょおう)、第三皇子千歳宮が現、畑野地区宮川(はたのちくみやかわ)、佐和田地区二宮(つわだちくにくう)、畑野地区三宮(はたのちくさんぐう)にそれぞれ住まわれたと言われており、二宮、三宮などの地名が残っていますが定かではありません。
たいへん参考になりました。当方、パソコン初心者の為「お礼入力」がうまくできず、こんなに遅くなり失礼しました。詳しく教えていただいた順徳上皇の状況から後鳥羽上皇の流刑状況も推測できました。ありがとうございました!
No.3
- 回答日時:
>流刑になった時一般的に家族や家司の同行は許されたのでしょうか
一般的というのが恐ろしく難物です。
源高明、小野篁などは、出自、血統はともあれ天皇の家臣である朝臣ですから若干楽ですが、上皇、天皇となると、「家族」と簡単に扱える身分の人達ではありません。
皇后であったり太皇太后であったり、皇太后であったりします。
これ等の人(女性)も京都から動かそうとすれば、大騒動になります。
とても動かせなかったでしょう。
本人だけ捕まえて、護送して配流先の役人に引き渡すのがやっとではないのでしょうか。
と、まぁ~ザット周辺状況からして、現在の感覚での妻子ともどもということはなかったと思います。
家司と言われますが、天皇や上皇の家司となるとこれも相当に厄介でしょう。
そもそもが、朝廷と天皇の公私の区分など極めて曖昧な時代です。
朝廷の役人なのか天皇の使用人なのか区別がつきません。
ということから、同行を許される人間も官位など無関係な下人クラスで気の利いた人間が、食事の世話などで同行してはいたのではないのでしょうか。
何分にも現在のように家事だのなんだのという日常生活とは無縁の人達です。
護送役人の手におえるような人たちではありません。
むしろ下手に護送役人など近づけたら、雲上人ですから、その威光で脱走命令でも出されたらえらいことになります。
現地での実際の受け取り手は当座はお寺が主でした。
監視役やら事務手続きなどは、現地の役人がやっていました。
別途屋敷を構えて生活していました。
生活には困らなかったようです。
下記のサイトをご覧下さい
日本流刑史 - 京都大学歴史研究会 - FC2
kurekiken.web.fc2.com/data/2003/030606.html
上記サイトに以下のような説明があります、
〇従って、流されてくる流人というのは知識も教養もあり、現地の人間からはむしろ自分たちより数段上の尊敬すべき人物として扱われていたようである。また、流人とは言え、それ以前の官位に応じて国から扶持が普及されている。延喜式によると、通常は一日に米1升と塩1勺が支給され、また春には田と種子が支給されていた。大抵はそれを付近の民に耕作させて、割合安楽な生活を送っていたと言われる。その意味では、京の栄華からは遥か遠く離れた異境の地で寂しくはあっても、生活自体は特に厳しいものではなかったようだ。
佐渡にも隠岐にも沢山の伝説や民話が残っています。
隠岐では後年神社などを建てて今でも遺徳をしのんでいます。
何分にも、その瞬間はあくまでも罪人ですので、正式な史料が残っていません。
又、下人や下級役人のことをいちいち書き残している人もいませんでした。
江戸時代の、お奉行様が「遠島をもうしつける!」とやっていたのとは、本質的に違うことだけは事実です。
たいへん参考になりました。当方、パソコン初心者の為「お礼入力」がうまくできず、こんなに遅くなり失礼しました。流罪になった当初の受け取り手がお寺だったというのは「目から鱗」でした。どうもありがとうございました!
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