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ローマ軍は兵士に何語で命令を出していたのでしょうか?

色々な民族が混じり合った軍ではどうやって全軍に命令を出したのでしょうか?
同じ命令を何度も違う言語で言ったのでしょうか?

A 回答 (3件)

    僕は、その頃いなかったのでこれは単なる推測です。



    兵士にややこしい事を言う必要はなく、歩兵は(小沢征悦ではありませんが)単なる駒ですから「とつげき」他23単語を知っていれば十分なので、ラテン語一カ国語で済んだと思います。
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この回答へのお礼

なるほど昔のヨーロッパの戦争なら、それくらいの命令で十分だったかもしれませんね

ありがとうございました

お礼日時:2014/07/10 02:08

古代ローマ帝国の公用語は「ラテン語(古ラテン語)」です。

従ってローマ軍もラテン語で命令指揮を行っていました。

P.S.
確かに古代ローマは現在のアメリカによく似た「多民族国家」でしたが。基本はローマ人、これは現代アメリカでも同じ。つまりアメリカに移民して来た限りに置いては英語が出来なければ容赦無く社会の底辺に追いやられます(ヤクの売人か売春婦)。

これと同様に古代ローマ帝国でも、少なくとも公務員待遇の軍隊でそれなりにやって行こうと思う者ならば公用語たるラテン語の日常会話程度はマスターしている事が大前提。話せないのは自己責任で、1人だけ命令や伝達を聞き違えて戦死しても誰も顧みないのです(古代社会に人権思想は無いので)。

また同じ隊にまだ上手くラテン語が話せない者が居た場合。それが元で隊全体が全滅などの憂き目に遭わないとも限りませんので。いわゆる同郷同士の古参兵が大事な命令に関しては初歩的なラテン語教育を行った事でしょう。

とにかく公式の軍事命令は全てラテン語。これは帝国崩壊までかなり徹底されてました。またラテン語の読み書きが出来ないと、古代ローマ帝国では上流階級への道が完全に閉ざされますので。少しでも野心有る者なら、寝る間を惜しんでもラテン語習得に務めた事でしょう。

何故なら古代ローマの制度では純粋な生まれながらのローマ人以外は全て異民族扱いでしたので。法律的に色々と制約を受けました。これを回避しちゃんとした「自由市民」の権利を異民族が得る唯一の手段だったのが「25年間の軍役」でした。古代ローマでは父親が25年間の兵役を勤め上げれば、本人とその息子に「自由市民権」が与えられました。

ご存知かと思いますが古代ローマでは「パンとサーカス」に代表される、非常に高福祉の権利が市民には無条件で付与されました。周辺の決して豊かとは言えない外国人からすれば、当時のローマ帝国は正に現代のアメリカ同様、憧れの夢の国だったのです。多少の危険は覚悟の上、自分~或いは息子や家族のために命をかけて市民権を得ようと、多くの外国人達がローマ軍へ志願しました。

当然、彼らはやる気に漲っていたので、ラテン語を勉強する事は吝かでは無かった事でしょう。
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この回答へのお礼

なるほど!!
ラテン語をマスターする動機があったんですね。
思い違いをしてました。
侵略された国の人間が無理矢理、軍で戦わされているイメージを持っていました。

ありがとうございました

お礼日時:2014/07/10 02:10

#1です。

補足です。

    大日本帝国陸軍では、起床ラッパ(起きろよ、起きろよ、みな起きろ、起きないと班長さんに叱られる)に始まって、消灯ラッパ(新兵さんはかわいやな(=可哀想だな)また寝て泣くのかよ)で終わる一日でした。

    海軍は別の調べでしたが矢張りラッパで、指示が出されていました。ラテン語の buculus 「雄牛」に由来するこの楽器がデンマーク等ではかなり古くから使われていたようです。
    http://en.wikipedia.org/wiki/Bugle_call

     下記には4世紀のローマのビューグルの模造品の絵があります。
    http://en.wikisource.org/wiki/1911_Encyclop%C3%A …

    軍隊の命令とラッパが結びつくのはいつか知りませんが、迅速に遠くまで届く命令の伝達には、人間が声を張り上げて○○語で怒鳴るより、このような方法が超言語的で効果的だと思います。
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この回答へのお礼

なるほど複雑な命令は組み合わせで出すとかですかね?

どうもありがとうございました

お礼日時:2014/07/10 02:11

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