激凹みから立ち直る方法

2014年8月12日の朝日新聞朝刊に、作家の保坂正康さんとタレントの春香クリスティーンさんとの対談が載っています。欧米と日本の植民地経営の方針の違いについて、保坂さんの発言としてこうあります。

「同じ帝国主義でも、植民地支配の仕方には違いもあったんです。英国やオランダは植民地支配の歴史が日本よりずっと長い。彼らも初めは『逆らったら殺す』と言わんばかりの姿勢だったけど、だんだん『それは良くない』と考えて、軍事主導の統治から文民統治の方向へと移っていった。そんな時代に日本は遅れて植民地競争に参加し、旧時代の強圧的手段で進めていきました」

日本の姿勢についてはここでは問わないこととして、欧米の植民地の経営の方針が、「逆らったら殺す」の方針から文民統治に変わった事例として、どのような事が挙げられるのでしょうか。

ご存じの方いらっしゃいましたら、是非教えてください。

A 回答 (3件)

保坂何某が何を根拠に言ったたのかはわかりませんが、イギリスもオランダも別に時代に応じてコロコロ方針を変えるような単純なことはやっていませんでした。


アメリカの独立戦争などは、それこそ戦争ですからイギリスに逆らったら殺すぞではなく本当に殺しました。
オランダも現在のインドネシアを完全に植民地として取り扱いました。
オランダは一時フランスに占領されて国家が消滅していました
後に独立して国家を回復させました。
この間にフランスが植民地化していたインドネシア一帯をイギリスの手を経て譲りうけました
植民地化した後は、現地の人達が必要とする農作物などは完全に無視して、コーヒーだのなんだのと自分達が欲しいものや金になるものだけを作らせていました。
南米のスリナムでも全く同じことをやっていました。
日本軍がインドネシア一帯から撤退した後の1945年から1949年までの4年5ヶ月にわたる間戦争が続けられました。
80万人が犠牲になったと言われています。
つまりオランダに逆らったら殺したということです。
その間にオランダの影響力が落ちていったのは、オランダの国力が低下して遠いインドネシアまで手が回らなくなっただけのはなしです。
独立させるためであったのであれば80万人も殺した理由がつかなくなってしまいます。

インドでも自治権奪回の運動が展開されていました。
イギリスは徹底的に取り締まりました。今の警察の交通取り締まりのような生易しやり方ではありません。
逮捕令状なしに逮捕して裁判抜きの投獄を行うというものです。
これを傀儡政権にやらせていただけです。
これに怒った人達が抗議集会に集まりました。
集まった約1万人の群衆にイギリス軍が発砲して約400人を殺し1000人以上を負傷させました。
後にアムリットサル虐殺事件と呼ばれています。
逆らったら殺すということは止めていません。
イギリスが香港を獲得するときも、軍艦で砲撃して中国船を片っ端から沈めました。
中国の王朝がこれに驚いて香港を差し出しただけです。
後にアヘン戦争と呼ばれています。

イギリスやオランダが植民地化する際の切っ掛けの作り方が、それより前から始めていたスペインやポルトガルとは違っていただけです。
中身は全く同じです。
他の国が他の国を支配しよとすれば文治もへちまもありません。
警察官の手に負えなければ武装集団すなわち軍隊を投入します。
平和呆けの日本人が文治という言葉に騙されて妄想しているだけです。
国際的には過去も現在も通用しません。

現にウクライナ周辺にロシアは大量の軍隊を動員して脅しています。
クリミヤ半島一帯をウクライナから取り上げてしまいました。
ウクライナでは戦争が続いています。
実態はロシアとヨーロッパ諸国すなわちEUとの代理戦争です。
中国もフィリンピンやベトナムから島を勝手に取り上げています。
逆らうな!と軍艦を派遣して脅しています。
フィリピンの漁民は漁場を取り上げられて困窮しています。
イラクのフセイン大統領がやることが気に入らいないといって、アメリカは大量の軍隊を投入しました。
ヨーロッパ諸国が勝手にパレスチナ人の暮らす土地にイスラエルという国を作りました。
おかげで未だに戦争がおさまりません。

19世紀から20世紀にかけてのように目に見える形で支配するか否かの違いです。
自国の国益の最大化を図るために、他国を自国の意志に従わせるという点では何も変わっていません。

中国は武装警官という意味不明の武装組織を持っています。
日本の機動隊のような生易しいものではありません。
この組織をチベットやウイグルに出動させています。
明らかに民族も歴史も違うチベットの独立もウイグルの独立も認めません。
警察と名がつけば文治でOKで、軍と名がつけばダメなどと言葉遊びをしているのは日本の平和ボケの無責任な評論家だけです。
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この回答へのお礼

ichikawaseiji様、皆様、ご回答どうもありがとうございます。
知らないことがたくさんあり、大変勉強になりました。

インドネシア独立戦争で、80万人が犠牲になった。
それはつまりは「逆らったら殺す」ということだ。
というのが、大変わかりやすい例だと思いました。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/09/03 09:27

失礼な表現、記載、誤記等ありましたら済みません。


私は、特別に歴史に詳しい訳ではありませんが参考までの回答です。

>「逆らったら殺す」の方針から文民統治に変わった事例として、どのような事が挙げられるのでしょうか。

具体例は私も知りません。似た例ならインドなどでしょうか?
でも、事情がちょっと違います。
インド等の歴史を紐解けばそうならざるを得なかった事は想像できます。
植民地と言っても幾つかパターンがあります。
アメリカのように、入植して奴隷を輸入する例と南米のようにポルトガルやスペインが入植してネイティブ、現地人やアフリカ系の奴隷を労働力にしたパターンとアジアやアフリカのように現地の人を主に労働力にしたパターンです。
植民地といっても一緒に論ずる訳にはいきませんがインドをメインに考えてみたいと思います。

その国々に相応の歴史があり、一概に言えませんが世界的に見た場合は緩やかな意味でご指摘のようになってきたのは恐らく、ここ、50~60年の動きと思われます。
WW2以降の人権とかその辺の話が一般化してからだと思います。

私は、インドと宗主国のイギリスに付いて述べたいと思いますが、歴史の流れでそうならざるを得なかったと考えます。
まず、イギリスの植民地のインドでは綿花が栽培されたと思いますが綿花は植民地当初は貴重で東インド会社もさぞ儲けたと思います。
しかし、産業革命以降、それ程綿花が必ずしも貴重では無くなりました。
イギリスの紡績機がインドに入ってきて綿花産業は壊滅状態になったそうです。
それで、アヘン…となるのですが脱線するので置いといて産業革命以外にも要因はあるでしょうが軍隊を駐留させるコストと植民地で得られる利益が必ずしもプラスとは言えなくなってきた事にあると思います。
何せ当時は遠い土地に植民地があった訳です。
インドネシアも同様でしょう。
植民地化した当初は珍しい香料などを栽培して得られる利益は多かったようですがイギリスが退く際、種を持ち出して別なところで栽培したとあります。

第一次世界大戦(WW1)前後でしょうか「英国王のスピーチ」(スピーチは第二次世界大戦前ですが)の始まりに英国は世界の4分の1の地域を支配している。
との説明がありました。
その第一次世界大戦でイギリスは困窮してインドにある約束をします。
イギリス領の一部として参戦する代わりに自治を認めると言うものです。
しかしこれは名ばかりでした。
実際、第一次世界大戦ではインドからインドの人が参戦しています。
このような理由も有り、欧州ではそんなに植民地に軍隊を駐屯させておく訳には行かなくなります。
効率的に支配するには少ない軍隊で支配しなければならず、ある意味、総督等を置いたうえで形ばかりに原住民の自治を多少認めたと言うのが真相だと思います。
少なくとも、インドではそう読み取れます。
さらに当時、日露戦争でロシアに勝つアジアの国があるということもあり独立の機運も高まります。
結果として名ばかりの自治のもとで不満が高まりガンジーの非暴力独立運動に繋がります。
何故、非暴力で独立できたのか?についてはこのような経緯があって、ガンジーを殺してしまえば暴動になって収集が付かなくなるだろう、と考えたのが自然だと思います。
実際、インドは派兵したので多少の銃器やそれを扱う人材もあるはずです。
また、他国からインドを守る軍隊も必要で、イギリス人だけでそれが出来るような時代でも無くなりました。
入植当時と違って、その様なインドにまともに独立戦争をされたらイギリスも困るでしょう。

よって、貴方のおっしゃっているのは経済的な理由や時代の流れで武力だけでは抑えつけられなくなっただけの話だと私は思います。
実際、1919年(大正8年)人種差別撤廃を当時の日本、大日本帝国が国際連盟に提案しています。
欧米の宗主国によって却下されました。この時点では未だ、手放したくないのは見え見えです。
WW2…となるのですが

纏めとして、莫大な軍事力を掛けて支配するコストより、植民地から上がる利益が少なくなった。
インド等のように効率的な支配の一つとして、あるいはWW1、WW2で軍備を割けなくなったために何らかの工夫、譲歩した。
WW2以降は人権的な配慮、これが正直なところの話だと思います。

早い話、宗主国のご都合主義です。
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あえて言えばアメリカが傀儡政権であるケソン政権に独立を認めたくらいですね。


『それは良くない』ではなくて支配制度、経済的支配が完成したから直接手を下す必要がなくなったからでしょう。

朝日新聞+保坂正康ですから眉に唾を付けて読む方が良いですね。
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