時代劇の切腹シーンで、切腹する人が白い布(さらしと言うのでしょうか。)を腹に巻きつけて出て来て、その上から切腹するのを何回か見たのですが、あの布はどういう意味があるのでしょうか。たるんだお腹だと切りにくいので、締め付けているのでしょうか。あるいは、生身の腹は見苦しいので見せないとか。
ご存知の方、教えて下さい。

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A 回答 (7件)

こんにちは。

また来ました。m(__)m
やくざとサラシのお話が出てきたので、さらしの由来のお話を持ってまいりました。
私の知人で、とあるお祭りを伝承している方のお話です。

ヤクザが映画などで、半身ミイラみたくさらしをぐるぐる巻きにしているのは、そもそもは鎧などと同じく、防具なのだそうです。
ただし、条件がありまして、2重や3重ではだめで、5回も6回もぐるぐる巻きに、しかも非常に固くしないとかえってよく切れちゃうのだそうです。
また、固く巻くために、巻くとき、口に水を含んで霧をふきかけたり、あらかじめ濡らしたりもしたらしいです。
今でもおすもうさんが、まわしを固く巻くとき、口に水を含んで吹きかけたりしてますね。

固く幾重にも巻くと、一太刀浴びても上の方の数枚が切れるだけで中の方まではそうとうな達人じゃないと切り込めないのだそうです。
同じ部分を何回も切り付けられれば切れちゃいますが、そんな事は実際のちゃんばらでは不可能らしいので、かなり有効だったようです。

まあ、こんな話が実際に伝承として残ってるので、他に内蔵が出ないとかの理由もあるのかもしれないけど、薄く巻いたサラシ腹は良く切れるというのも事実のようです。
ちなみに、お肉を切る時、ふきんやサラシできつく巻くと簡単に切れるのはお料理のコツで使われています。
お寿司の海苔巻みたいな感じの形の物を手早く作る時に使われる方法です。
(お寿司の海苔巻の場合は、スノコが軟らかい寿司を押さえてくれます)

また、ちと話は変わりますが、戦国時代、鎧の下には綿入れを着込むと汗で綿が湿って固くなり、切り裂く事ができず、鎧の防御力が大変向上したそうです。
山本勘助などは、これを励行していたという記録が残ってますが、大抵の武将はやっていたでしょう。

鎧ヒタタレの上にじかに鎧を着込むなんてのは江戸時代の戦乱が無くなってからの話のようです。
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この回答へのお礼

>薄く巻いたサラシ腹は良く切れるというのも事実のようです。
なるほど、何となく感じがわかります。料理と同じ理屈で人の腹がよく切れる、というのも怖い気がしますが、切る本人からすれば、少しでも楽に(?)しっかり切りたいでしょうからね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/31 23:31

日本軍人の切腹後の写真を見たことがありますが、内蔵、飛び出てました・・・から、おそらく「内臓が出ないため」「最期に醜態を晒さないため」「綺麗な最期を遂げるため」等の、日本人特有(?)の美意識から来ているものではないかと思います。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
本当に綺麗かどうか、疑問ですが。

お礼日時:2004/05/30 12:54

何かの本で読んだ記憶があるのですが、#1さんがおしゃる様に、内蔵が出ない為だったようです。


武士の美学でしょう。
刀を置いてある箱?も刀を取った後、お尻の所に持って行き、後ろ向きに倒れない為に支えにしたようです。
しかし、江戸時代にもなると切腹は形式上で、お腹の皮を切る程度で介錯されていたようです。
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この回答へのお礼

内臓が出ない効果もあるんですね。回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/05/30 12:52

まぁ、私も切腹をしたことはないのですが、#2さんがおっしゃるように、素っ裸では切れにくいから、というのが真相だと思います。



昔のヤクザ映画で、出入りの時に刀を持ったヤクザが上半身裸になっているのも切られたときのダメージを少なくするためだ、と現職さんのインタビューを読んだことがあります。
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この回答へのお礼

裸の時の方がダメージが少ないのですか。
それは意外でした。

お礼日時:2004/05/30 12:49

>>こうすれば切りやすい、というのはどうして分かったのでしょうか。



経験則ではと思います。戦国時代などは合戦以外でも
斬合いのど沢山あったと想像します。

そんな時に、着流しの下にさらしをきつく巻いている者の方が
良く切れると経験から会得した様に思います。

切腹は覚悟の自殺ですし、死際は綺麗と言うか立派に腹を切りたい
と何人もの人が考えて実践したものがノウハウとして受継がれた
としても不思議ではありません。
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この回答へのお礼

なるほど。
こういうノウハウを実践で行使しなければならない時は、本当に真剣になるでしょうね。

お礼日時:2004/05/30 12:47

こんにちは。


あれはずばり切りやすくするためです。
皮膚の下には誰でも必ず皮下脂肪があります。
例えば、ニ段腹で、お腹がぼよ~んと出た状態では、ちょっとやそっと刺した位では致命傷になりません。
また、刺す時、皮膚がへこんで刺さりにくくなるのを防ぐためです。
また、刺さった後、横に引くのですが、その時、直接皮膚に刃があたると密着しちゃって、摩擦がおおきくて引くのが大変になるのを防ぐ意味もあります。
扇子腹みたく、刃を当てた瞬間に介錯が首を切る方法になると、実質的にお腹を刺す意味がなくなるので、さらしは巻かなくなりました。
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この回答へのお礼

なるほど。
でも、こうすれば切りやすい、というのはどうして分かったのでしょうか。経験した人がノウハウを伝えることが難しい様に思えますが。試してみた人がうまく切れた様なので、それが言い伝えられる様になったのでしょうか。
また、確かに、時代劇のシーンでも、お腹を切らない切腹の時は、さらしを巻いていないですね。

お礼日時:2004/05/29 19:48

多分 内臓の出るのを防止してるんじゃないですか

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
でも、布でぎゅうっと締め付けた上で切ると、お腹の中の圧力が上がって、かえって切り口から内臓が出やすくなるような気も。

お礼日時:2004/05/29 19:41

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Q切腹は腹を切らなくていい?

歴史に詳しい友人に聞いた話なのですが、江戸時代の切腹は形式的なものであり、切腹用の刀に手をかけた瞬間に介錯により首を落とし、実際は腹を切らなくていいと聞きました。また、刀の代わりに扇子が置かれていたこともあると聞いたことがあります。これは本当なのでしょうか。もし本当であれば、斬首と切腹はどのように意味合いが異なっているのでしょうか?どうか回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

確かに江戸時代に切腹が形骸化したことがあります.
江戸時代以降,形式化したとなると語弊ありかな,と思います.

人は平和を謳歌すると物騒なことは忘れてしまうものなのでしょう.

江戸時代でも特に平和で町民文化が花開いたと言われる1700年前後,
元禄文化と言われていますが,この元禄時代に有名な忠臣蔵の事件が起こる
んですね.赤穂浪士は討ち入りを成功させた後,揃って切腹になりますが,
この時,扇子を代わりに使ったと言われています.

ちなみに,江戸末期(1860年前後)になると,逆に形式ではない切腹が数多く
行われるようになります.特に士道に厳しかった新撰組の局中法度と呼ばれる
掟は壮絶なものがあります.また戊辰戦争時には,官軍と戦った会津藩の少年
隊士たち(白虎隊)の話は有名な悲劇です.

このような壮絶な切腹劇は明治序盤の維新政府が落ち着くまで続きます.
熊本で起こった神風連(じんぷうれん)の乱や西南戦争とかですね.
戦国時代や幕末,明治維新など時代の節目,歴史が激動する折に,切腹の
文化は噴き上がるようです.

古来より,日本では「心」は腹に宿ると考えられてきました.
その片鱗は今でも,私たちの言葉からもうかがうことが出来ます.

・アイツは腹黒いヤツだ.
・腹を割って話をしよう
・断腸の思いで別れる

切腹とは,自分の潔白,あるいは,主君の潔白を証明するために,自分の
腹(=心)を開き,黒くはないことを見せるための行為です.ですので
罪を犯して,首をはねられる(斬首)とは同じ死ぬにしても,意味合いが
全く違います.

武士道と云うは死ぬことと見つけたり

葉隠(はがくれ)と言う本にある有名なフレーズですが武士は,死ぬこと
に対する美学を持っていたわけです.死ぬことに美学を持っているからこそ
生きることに美学を持てるわけで,彼らはいつどこで死んでも良いように
毎日ひげをそり,身だしなみを整え,死ぬ覚悟で生きていたと言われています.
混乱期である戦国期や幕末期にこそ,切腹が増えたと言うのも頷けます.

切腹は極端にしても,武士の生き方には武士道と言う一本の筋が通って
いるわけで,このような文化を持った日本を誇りにして良いと思います.

新渡戸稲造(この前まで五千円札だった人)が著した「武士道」と言う
名著がありますので,是非読んでみてはいかがでしょうか.
(参考URL)

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003311817/qid=1111654544/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-2605076-9657909

確かに江戸時代に切腹が形骸化したことがあります.
江戸時代以降,形式化したとなると語弊ありかな,と思います.

人は平和を謳歌すると物騒なことは忘れてしまうものなのでしょう.

江戸時代でも特に平和で町民文化が花開いたと言われる1700年前後,
元禄文化と言われていますが,この元禄時代に有名な忠臣蔵の事件が起こる
んですね.赤穂浪士は討ち入りを成功させた後,揃って切腹になりますが,
この時,扇子を代わりに使ったと言われています.

ちなみに,江戸末期(1860年前後)になると,逆...続きを読む

Q四十七士の切腹がリアル切腹だったら

介錯なしだった場合、お預けの屋敷で折り目正しく過ごしていたというような、あるいは、ひそかに別れの宴を催したような記録があるようですが、そういうことになれたもんでしょうか?

Aベストアンサー

すみません。逆らうわけではありませんが、三島由紀夫切腹の時は、森田必勝が介錯を試み、うまく行かず、大男の古賀浩靖が刀を取って、やっと三島の首が落ちました。その森田必勝も腹に三島由紀夫が使った短刀をあて、介錯を受けて死んでいます。
三島の短刀による傷はへソの下四センチぐらいで、左から右へ十三センチも真一文字に切っていたそうです。深さは約五センチ。腸が傷口から外へ飛び出していたとか。日本刀での介錯による傷は、首のあたりに三か所、右肩に一か所。森田は腹に十センチの浅い傷があったが、出血はほとんどなかたっそうで、検死官は、森田はかすり傷程度で、三島由紀夫の割腹がいかにすごいものか、その決意をうかがわせる、と言っています。

同様に切腹した人に太平洋戦争終戦時の鈴木内閣で陸相だった阿南惟幾がいます。この時は義弟の竹下中佐と一献交わし、14日夜、風呂にはいって身を清めたあと、宮中クーデタのシンボルに阿南大将をかつごうとやってきた井田中佐の両中佐の前で切腹、介錯を拒んで15日に死亡しました。首相の鈴木貫太郎は「いい男だな」といい、外相の東郷茂徳は「真に国を思ふ誠忠の人」と言ったそうです。そういう感覚が、まだ残っていた時代の人の行動、言葉として、興味深いと思います。これ以後62年間、現役閣僚の自殺はありませんでした。

同様に当時切腹した団体に、伝統右翼の大東塾14名がいました。塾同人は23日に酒宴(と言っても、静かなもの)、24日に共同遺書に署名、この日に代々木警察署幹部がきて思い止まるよう説得するも拒否。25日午前1時に食事(粥、漬け物、缶詰、味噌汁)、そして午前4時に代々木練兵場の十九本欅のところで古式に則った(神式に従って供物を捧げる所からはじめる)切腹をしました。純日本式の集団自決としては空前絶後のものです。2人が介錯をしてまわり、最期に1人を介錯した塾生は自刀。あとから来た(切腹の瞬間は立ち会わない)塾生に、皆が立派だったと言い残したといいます。

脱線していますが、切腹というものが昭和20年までは、少なくとも立派とみなされた、そして三島由紀夫の時は、事件として扱われた、世相の変化の例としてお納めください。

すみません。逆らうわけではありませんが、三島由紀夫切腹の時は、森田必勝が介錯を試み、うまく行かず、大男の古賀浩靖が刀を取って、やっと三島の首が落ちました。その森田必勝も腹に三島由紀夫が使った短刀をあて、介錯を受けて死んでいます。
三島の短刀による傷はへソの下四センチぐらいで、左から右へ十三センチも真一文字に切っていたそうです。深さは約五センチ。腸が傷口から外へ飛び出していたとか。日本刀での介錯による傷は、首のあたりに三か所、右肩に一か所。森田は腹に十センチの浅い傷があった...続きを読む

Q【千利休の最後は切腹だった?!】お茶の千利休はなぜ切腹して死んだんですか? 千利休は茶道で政治を牛

【千利休の最後は切腹だった?!】お茶の千利休はなぜ切腹して死んだんですか?

千利休は茶道で政治を牛耳る政治スパイだったと聞いたことがあります。

茶道で政治を裏で動かしたので政権が変わったときに死刑宣告されたんでしょうか?

誰が切腹しろと指示したのでしょう?

時の将軍はお茶が嫌いだった?

Aベストアンサー

豊臣秀吉との確執でしょうね、最後は。

切腹を命じたのも秀吉です。

Q時代劇でひざ下につけている三角布は何?

NHKの大河ドラマ 峠の群像(1982年作品 忠臣蔵を題材としたもの) を見ました。
侍の中で、はかまのすそを端折ってひざを出している者が登場する場面(参勤交代の道中や切腹の介錯人など)で、ひざ下に三角の布を巻いているものがいます。
あれは何でしょうか?
最初に見たときはひざを折って地に付けたときに膝小僧に土がつかないようにする当て布かな? と思いましたが、よく見ると膝小僧をカバーするものではありません。では脛に土がつかないための布かな?とも思いましたが、三角の布は小さく、ぜんぜん脛のカバーにはなっていません。
あれは何でしょうか?

よごれ防止ではなく、なにか宗教的意味合いとか、儀式的意味合いのものでしょうか?

Aベストアンサー

三里の灸の跡を隠すための三里当てという布です。

当時は自分の足が交通機関ですから、三里のツボにお灸を据えていました。奥の細道の最初に芭蕉が三里に灸をあてているのも同様です。で、この灸の跡が見苦しい(ケロイドになったりしますから)ので隠すために付けていました。
時代劇では滅多にここまで再現しないことも多いようですが

ということを私も教えていただきました
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6311466.html

Q変な理由で切腹事件を教えてください。

たとえば、平手政秀は信長の奇行に手を焼いて、切腹した。現代の考え方で考えると、一般的な切腹事件と比べたら、以上に変だよね。他の変な切腹事件があれば、教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。


>>他の変な切腹事件があれば、教えてください。

「変な」切腹かどうかは、その人の感じ方や受取方だと思いますが・・・

三代将軍・家光が慶安4年(1651)4月20日に死去すると、家光の信頼が厚かった老中の堀田正盛と安部重次の二人も同日に「殉死」(追腹とも言う)をとげています。

この事件を受けて、四代将軍家綱と老中の安部忠秋は、寛文3年(1663)に武家諸法度の付則で殉死を不義無益とし、禁止することを伝える。

また、他家でも殉死の例が数多く見受けられます。

http://rekishiiroiro.blog130.fc2.com/blog-entry-772.html


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