No.1ベストアンサー
- 回答日時:
こんばんは。
どうでもよい学者です。
現状を追認するのになかなかそれらしいことを言います。
けれども 批判をしようとしても ウナギのように捉えどころがないと見ます。
梅原猛や河合隼雄など 京都の人間に多いように見られます。
蒟蒻問答だと見ます。
論点・批判点を挙げずに すみません。挙げられません。
ありがとうございます。
蒟蒻問答の名手ですね。
ウナギのようなとらえどころのなさ・・・理解できます。
ただ重用される理由がわかりません。
何か決定的な魅力があるのでしょうか?
No.4
- 回答日時:
連投 すみません。
すでにわたし自身が 次の問題を問うたことがありました。
☆☆ 【Q:《夕陽の信仰》――山折哲雄による――とは何か】
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6265368.html
これは 次の議論について批判的にその当否を問い求めたものです。
▲ 山折哲雄:夕焼け小焼け――日本人の生命観 死生観――
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10001841 …
☆☆ (その趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~~~
☆ 次の箇所についてその内容を問います。
・ 韓国の仏教学者に教えられたこと
・ 『夕焼け小焼け』に表れた日本人の宗教観(一)
・ 『夕焼け小焼け』に表れた日本人の宗教観(二)
・ 『夕鶴』にみる夕陽信仰
☆ 文章は講演内容であり 読みやすいのですが かなりの長さがあります。要約しつつ疑問を述べて行きます。その前にすでに問いをかかげておきます。
【α】 夕陽の信仰は どこまで日本人のこころにうったえているか。
【β】 仮りにうったえていたとして どこまでそれが錯覚でないと言えるか。
1. 《 ♪ 夕焼け小焼けのあかとんぼ》ともうたわれるわけだが ここでは童謡の《夕焼け小焼け》をとりあげよう。小節づつ。
2. 《 ♪ 夕焼け小焼けで 日がくれて》
▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本人は昔から、あの落日のかなたに浄土をイメージしてきたのではないでしょうか。・・・
沖縄に行きますとニライカナイという海上のかなたに存在する理想の国土が信じられております。
その太陽がまた翌日になると、東から昇るわけであります。それは人生が必ずよみがえる、季節も繰り返しよみがえってくるという再生の考え方とも結びついている。それを象徴するのが落日ですよね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
3. 《 ♪ 山のお寺の 鐘がなる》
▲ “山のお寺の鐘が鳴る” その山のお寺が朝昼晩 鐘を鳴らす。鐘の響きを聞いて人々は起床し、食事を取り、労働をし、1日のリズムがそれで決められていく。
☆ 鐘は人為的なものだが すべては人びとの日々のくらしの世界に溶け込んでいる。自然とも一体であるということをも つづく箇所と合わせて言おうとしているようです。
4. 《 ♪ お手てつないで みなかえろ》
▲ しかしこれは大人に対するメッセージでもあると私は解釈しています。「帰るべきところに帰れよ。」 そういうメッセージですね。
5. 《 ♪ からすといっしょに かえりましょう》
▲ 「共生」、動物たちや小鳥たちや自然といっしょに生きていこうという考え方は、もうこの『夕焼け小焼け』の歌の中にきちんと歌い込まれていたんです。
6. 木下順二の『夕鶴』
▲ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・〔* あるたけの羽根で織物を織らせられ〕鶴は人間どもの欲望の尽きないありさまに絶望して、天上に帰っていく。鶴が飛び立ったときに初めて与ひょうは大事なものを失ったと思う、という現代劇です。
最後につうが天上に戻っていくその場面を、木下順二はどう表現していたか。これが夕焼け空なのです。つうは真っ赤に燃えた夕焼け空に向かって飛び立って行った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
7. ☆ さてここで最初の【α】と【β】の問いになります。
特に【β】については こうです。
【β‐1】 日本人は――いくら自然と一体だと言っても――決して 夕陽の向こうのイデアの世界にふるさとを見るなどということはしないのではないか。――《世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば》(山上憶良)。その場この場にとどまるほうが 日本人の伝統ではないか。
【β‐2】 同じような内容として:《人間のあさましさ・その欲望の深さにたとえ絶望した》としても 鳥ではないのだから 夕鶴のように夕焼け小焼けの赤く染まった西の空のかなたを目指して飛び去っていくことはないであろう。
【β‐3】 この《夕鶴》および《夕陽の信仰》というしろものこそが 日本人のあいだに いぢめを無くさなくしておる共同の観念であり幻想であるのではないか。いぢめに遭ったとしても 夕陽の観念に逃れその栄光の観念の国にのぞみを見い出せと 周りの《観念の運河》からは声が聞こえて来る。――《和を以て貴しと為せ》と上から言われなかったなら わたしは和を乱すことを知らなかった。これが 日本人の信条ではなかったか。
☆ 思想として見た場合の山折哲雄および木下順二というそれぞれ内容について全否定を試みるものです。どうでしょう?
* (おまけ) 夕鶴の《つう》は 羽根がなくなったのに どうして空を飛べたのでしょう?
投稿日時 - 2010-10-21
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ありがとうございます。QA拝見しました。
感覚的な点を主観と見方を変えて論じる点、きわめて文系的で興味を持ちました。
詩歌の世界と相通じるものがあります。
宗教学とはそのようなものなのかと感じました。
再回答感謝申し上げます。
No.3
- 回答日時:
オンリー・ヰキぺ。
▼ (ヰキぺ:山折哲雄) ~~~~~~~~~~
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%8A%98% …
§ 2 人物
(あ) 学生時代に十二指腸潰瘍のため大量に吐血。このとき臨死体験をし、「このまま死んでいくのも悪くない」と感覚を得た。約3ヶ月間入院するが、点滴を受けながら10日間くらい絶食をする。この際、5・6日目あたりから五感が非常に冴え、清澄な気持ちになることを体験。平安末期の念仏結社の人々の体験である「二十五三昧会」が脳裏をよぎる。人間は危機的な状況で、ある生命の反逆作用が起こり、超日常的なイメージを見るのではと覚り、世界観ががらりと変わる。このときから自分自身の肉体が研究対象になる。それ以前は死は無に帰するという近代ヨーロッパ的な観念的無神論者であり、死後を積極的に否定していた。しかし、その体験後は死後の世界を想定したほうが人間の生き方が豊かになると考えるようになった(立花隆対談集「臨死体験と宗教」より)。
(い) 著書に「素粒子というものは科学的に証明できるかもしれない。けれども実感としてその存在を感じられない。魂というものは、科学的には証明できなくても、実感としては強く感じることができる」と記した。
(う) 日文研教授になった時期より評論家としての活動が多くなり、それ以後は一般向けの著述が多い。
(え) 『別冊太陽』の1992年春号「輪廻転生」では麻原彰晃と対談し、既に熊本県などの地元民と軋轢があったオウム真理教が法廷闘争を行っているとき、「・・・宗教集団としては、最後まで俗世間の法律は無視するという手もあると思うんですよ」と、まるで非合法活動を勧めるようなことを言っている。
(お) 2009年4月26日の読売新聞朝刊の「地球を読む」にては、西欧社会が旧約の神と新約の神を分離して考えていることやキリスト教が肉体の死を認めていない事を示唆するような内容を執筆している。
(か) 2011年1月17日、同「地球を読む」でパクス・ロマーナやパクス・ブリタニカのように「パクス・ヤポニカ」と呼べる「日本の平和」の事実があったと説く。これは平安時代、平安遷都から保元の乱・平治の乱までの平安貴族の安定した政権の約350年間、江戸時代の島原の乱を除けば幕末期までの江戸幕府による約250年間であるとしている。
(き) 熱烈な多神教優越主義者であり、一神教を砂漠の宗教として、自然豊かな環境で生まれた多神教と対比させ、後者の前者に対する寛容性と優越性を強く主張している。
(く) 『新潮45』2013年3月号で皇太子徳仁親王の皇位継承に関する問題提起をした「皇太子殿下、ご退位なさいませ」を発表、『週刊文春』3月7日号、『女性セブン』3月14日号などの週刊誌で反響を呼び、『朝日新聞』3月25日付ではインタビューが掲載され、『文藝春秋』2013年6月号では保阪正康との対談記事が組まれた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ありがとうございました。
まとまられた氏の業績を理解できました。
多神教優越に同意しますが・・・
何か、学者として何を語ってもそれっぽく意味深めに聞こえるので、
落ち着いて中身を読むと空っぽにも聞こえるコメントが多いのが
滑稽に思えて質問しました。
尊敬を多く集めておられる方らしく、それも意外でした。
No.2
- 回答日時:
広範で精力的な活動、執筆著書の多さ、造詣の深さ等のゆえに、個人的には大変尊敬しています。
広範で精力的な活動についてはこちらをご参照ください。
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%B1%B1%E6%8A …
執筆著書の多さについてはこちらをご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%8A%98% …
ちなみに、1990年-2000年の10年間の間に執筆したものだけでも次のような膨大な著作があります。
『死の民俗学 日本人の死生観と葬送儀礼』岩波書店、1990/岩波現代文庫 2007
『みやびの深層 日本文明の創造』<日本文明史第4巻>角川書店 1990
『人間の美術5 浄土の彼方へ 平安時代』学習研究社 1990
『宗教思想史の試み』弘文堂 1990
『ダライ・ラマ』河出書房新社 1991
『臨死の思想 老いと死のかなた』人文書院 1991
『聖と俗のインド』有学書林 1992
『仏教とは何か ブッダ誕生から現代宗教まで』中公新書 1993
『生と死のコスモグラフィー』法蔵館 1993
『学問の反乱 漂泊の旅の如く』佼成出版社 1993
『神と王権のコスモロジー』吉川弘文館 1993
『お迎えのとき 日本人の死生観』祥伝社 1994 /「このへんで、お先に」祥伝社文庫 1999
『巡礼の思想』弘文堂 1995/「西行巡礼」新潮文庫 2003
『死を視ること帰するがごとし』講談社 1995
『日本人と浄土』講談社学術文庫 1995
『宗教の行方』現代書館 1996
『近代日本人の宗教意識』岩波書店 1996/岩波現代文庫 2007
『キーワードで読み解く最新宗教学入門』たま出版 1996
『宗教の話』朝日新聞社 1997
『物語の始原へ 折口信夫の方法』小学館 1997
『悩め、人間よ 親鸞、空海、日蓮、隠された人間像』ネスコ 1997
『蓮如と信長』PHP研究所 1997、PHP文庫 2002
『日本人の宗教感覚』NHKライブラリー:日本放送出版協会 1997
『暮しのなかの祈り シリーズ生きる』岩波書店 1998
『仏教と音楽』作陽学園出版部(作陽ブックレット) 1999
『いまを生きる』淡交社 1999
『宗教の力 日本人の心はどこへ行くのか』PHP新書 1999
『悪と往生 親鸞を裏切る「歎異抄」』中公新書 2000
以上、ご質問の返事にならなくてすみませんが、私ごときがその人物評価をするなどはおこがましいと思いましたので、もっぱら資料的な紹介に留めました。
ありがとうございました。
膨大な著書量に驚きました。
大変な時間をかけて本を書かれているのは理解しました。
その割には、といってな何ですが・・・
コメントに中身がないのが印象的なので質問させていただいた次第です。
学者さんなのですね。
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