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最近外来語、特に横文字が目について仕方ありません。
言い換えが難しいものならまだわかりますが、大きさをサイズ、机をデスクと既に日本語にある言葉をわざわざ言い換えているのを見ると気持ち悪くてずっと気になってしまいます。
このままだと日本語の大元である大和言葉が、なくなりはしないでしょうが今よりはるかに減って伝統文化が失われるのではないかとの恐れが日々強くなっています。
マニフェストだのコンプライアンスだのは定着せずに消え去ると思いますが、先にあげたサイズとかキッチンだとかは既に日本語の方を駆逐せん勢いのように思われます。
他の方々はどうお考えなのかお聞きしたいです。

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A 回答 (13件中1~10件)

No.5です。

少し補足させてください。

例えば万葉集の中の一首を無作為に選んだとき、その歌に使われている単語の多くは、文法の違いや多少の音韻や語形の変化は別として、現代の日本語でも使われています。しかもそうした単語は、身体各部の名称や季節・時間、喜怒哀楽など日常生活に身近な単語に多くなっています。千数百年経過しても日本語の基本的な単語は余り変わっていないように思います。

確かに現代の日本語にはカタカナで表記された外来語が多く見られます。しかしそれはコンピューターなどの新しい技術に関係する言葉や、経済(ビジネス)用語、行政用語など日常生活に密着しているとまでは言えない分野の言葉に多く、例えば市井のさまざまな出来事を伝える新聞の社会面の記事に、こうした言葉が著しく増えているとは感じられません。犯罪記事に登場する「強盗」などの言葉の起源が、基本的には古代の律令時代からの古い日本語(日本の律は中国の律を元にして作られているので、もともとは外来語でしょうけれど)であることとは対照的でありまた象徴的です。

天平時代に作られた奈良・東大寺の大仏は、戦乱などで度々火災に遭い、最初に作られた部分は台座などごく一部にしか残っていません。現存する世界最古の木造建築物といわれる斑鳩の法隆寺にしても、日本書紀にある670年の火災や1949年の金堂の火災だけでなく、千数百年の間に傷んだ部材は取り替えられており、現在の建物のすべてが古代の木材でできているわけではもちろんありません。しかしそのことによって東大寺の大仏や、法隆寺が本質的に違うものに変化した、あるいは将来変化するとは考えられません。日本語も同様ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

重ね重ねありがとうございます。
生きる上で欠かせないもの(食べる・寝るなど)は、まずかわることはないというのは、私も大いに賛同するところです。
日本人が作り上げたてきた文化もそうそう滅びはしないとは思います。
しかしこのまま日本語における外来語の割合が増えていくと大和言葉による造語能力を失うのではないかと思うのです。
まず語彙がなければ言葉の法則性が見いだせないので造語能力が落ち、大和言葉を使う割合が減れば新しい言葉をまた外来語に頼るという悪循環に陥るのではないか。
そうなった時に本当に基本的な言葉以外はみな外来語に飲み込まれかねないのではと。
そこまで行けば流石に国が手を打つと思うのですが今の政府や研究機関、専門家は日本語の乱れに対し何もする気はないようですし。
外来語ばかりの日本語を日本語と呼んでよいのかと、疑問があるのです。
なんだかすみません、グタグダと。

お礼日時:2014/10/22 00:45

私は言い忘れたこともあります。



「バイトとアルバイト(ドイツ語の”arbeit”)」のドイツ語由来の外来語以外、英語由来の外来語の言葉を2~3について少し触れたいのですが。

つまり、もしある言葉が日本語に採択されて日本語の「外来語」になったら、ちょくちょく原語の本来の意味とはほぼ別物になっています。現に、時々全く別の意味を帯びてしまいます。外来語から日本語へと移動したときに、頻繁に原語の観点からすればほとんど解読不能である言葉が出現します。

例えば:
数枚の紙をステープラーで綴じなければならないときに、”ホチキス”という装置を使用します。
現代の平均的な英語常用者に、「ホチキスは何ですか?」と聞けが、その人は恐らく手掛がないでしょう。
一方現代の平均的な日本語常用者に同じ質問をしたら、その人は回答がすぐわかるのではありませんか。
ホチキス(英語のHotchkiss)は20世紀初期の業者でした。明治紀末、大正の日本は20世紀初期ステープラー(ホチキス)を最初普通に事業で使始めたときに、”ステープラー”は”ホチキス”と呼ばれています。
しかし現代の英語で、同じ機器は常に「ステープラー」と呼ばれています。
すなわち、英語で「ホチキス」が本来の意味を失っていました。
または、日本語の"サラリーマン”という言葉があります。
無削除版の英語大辞典を引いたらも、どこでも”salaryman”(月給取りの従業員)という言葉を見つけることができません。
両国語に月給取りの従業員という意味です。日本語で月給取りの従業員と言いません。サラリーマンと言います。英語から来たのに、日本語に真新しい言葉になりました。
同様に、日本語の「OL」もあります。もともと英語の”Office Lady"でした。日本語に真新しい言葉もなりました。

「ガソリンスタンド」:英語の"gasoline station”に相当しています。結構な日本語の言葉なのに、英語を使う人にとって、少し奇妙に映っていますが。

ずっと沢山多くの例があります。

全く膨大で一種の知識を言明するつもりではありません。
ただ、こういう案件を審議に付したいのです。

日本語はしんじられないほど立派な言語だと思います。
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ulisrtさんこんにちは。



まず、私の下手な日本語ですみません。

>かつて日本語の書き言葉と話し言葉がかけ離れてしまったのは、平安時代から太平洋戦争までの長い間に、話し言葉の方が変化してしまったからだと本で読んだ覚えがあります。

私は数カ月前に特に日本語の歴史の教科書を買いました。
ulisrtさんの説明の確認は不必要なことながらも、私は2~3カ月前にその本を読んで、当時はulisrtさんに説明された情報を理解しました。

そのとき以来、その情報を忘れて、なんとなく考え方が異なってしまいました。

その本の部分を再読すべきですね。
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No.8です。

100年前、話し言葉の方がすでに変化していたと思います。

> 書き言葉は違いが大きいでしょうが、
> 話し言葉はもちろん横文字を除いて
> 100年前とくらべてあまりかわらないそうです。

No.9さんと矛盾するので、もし間違っていたらご容赦を。

かつて日本語の書き言葉と話し言葉がかけ離れてしまったのは、平安時代から太平洋戦争までの長い間に、話し言葉の方が変化してしまったからだと本で読んだ覚えがあります。

逆に100年くらい前にはもうコップやタンブラーやシャツといった横文字は定着していたはずなので、最近の横文字が文化を打ち壊すというのは、少し性急すぎるのではないかと。
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この回答へのお礼

ふたたびの回答ありがとうございます。
まったく質の異なる言葉を体系的でなく、バラバラに且つ大量に取り入れたら日本語の造語能力や、日本人のものの考え方に著しい悪影響を与えると思います。
すでに日本にある言葉まで横文字に置き換えているのを見ると、これから生まれる新しい言葉はみな外来語になってしまうのではと思います。
実際今は横文字や漢語による造語ばかりで、大和言葉での造語はとんと見た覚えがありません。
スマホでメールを打ちながらキッチンのドアを開けてリビングに入ってリモコンでテレビをつけてソファに座る。
こんなものはもう日本語とは呼べないと思うのです。

お礼日時:2014/10/22 01:19

米国人の親日家です。

7年間日本語を独習しています。日本万国博覧会の年に生れましたと極言します。

日本語の他に、私は英語史に興味が持っています。
現代の英語をノルマン征服(1066年)の”英語”に例えば、二つの言語は現に大差がある言語に気付きます。

言語が絶えず変化しているとわかります。

英語の変化と同じく日本語の変化も起きています。避けられないことです。
もちろん、私は伝統的な日本語を大切にしますから、ある程度までその歴史の勉強をしました。従って、平安時代から太平洋戦争までの話す日本語がほとんど変化しなかったとわかります。今日でも外来語以外話す日本語は平安時代の日本語と大変よく似ています。

変化する日本語を否定的なこととして考えなくてはいけませんね。
日本語の成長だと思ったら方がいいです。

昔日本は鎖国を終わりました。壮大な世界の大国になりました。しばらくの間、大国のままです。
きっと、変遷する日本語が克服することができます。
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この回答へのお礼

お応えありがとうございます。
固有語が外来語に追われているのは衰退にしか思えないのです。
克服してほしいと心から願うものの、頭はそれを否定するばかりです…。

お礼日時:2014/10/20 01:23

草書から楷書への移行や70年前の国語改革に比べれば、横文字が増えることは大した問題には思えません。



伝統文化が失われるも何も、百年前のご先祖様達にしてみれば、私達が現在使っている書き言葉は横文字がなくても既に相当に様変わりして見えるでしょう。

日本語の行く末を心配しても、仕方がないという気がします。
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この回答へのお礼

お応えありがとうございます。
書き言葉は違いが大きいでしょうが、話し言葉はもちろん横文字を除いて100年前とくらべてあまりかわらないそうです。
しかし今は生活に密着し、長きにわたり使われてきた固有語が横文字に駆逐されているようです。
自ら文化を打ち壊す今の日本人が情けなくてしかたないのです。

お礼日時:2014/10/20 01:19

大和言葉では哲学思想や科学、更には、政治、経済を語れない。

明治の賢人が、それらを表する西欧語彙を苦労して日本語に置き換えたことで、今日、日本語のみでの高等議論が可能になっている。科学とか、政治、経済分野で遣われている言葉は、その殆ど全て、明治維新後、福沢諭吉らによって創られた。平安の時代から続く、大和言葉ではない。

日本以外の他のアジア圏の人々の英語能力が高いのは、母国語のみでは、科学的知見が得られないから。科学的な知見を得ようとすると、どうしても英語読解が必要ということ。科学的な語彙が、正確に母国語に置き換えられていない国々の知識人にあっては、英語を話せないということは致命的。

幸い、日本は、明治以来、優れた日本語変換が実施されているので、母国語のみでの難しい議論が可能になっていたのだが、明治の賢人に匹敵する人物がいない今日、どうしても、カタカナ表記にならざるをえない。日本語にすることで微妙な感覚的な誤差が生まれるのを嫌うという風潮でもあるということ。因みに、マニフェスト、コンプライアンスなどの言葉は日本風土に定着する方向だと思う。インターネットの普及により、サイト検索するたびに、英語は自然に眼に入る。
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この回答へのお礼

お応えありがとうございます。
訳さずにそのまま取り入れるのは、最も浅はかにして愚かと言わざるをえません。
能力がないのではなく、やる気がないだけだと思います。
外来語の使い方を見るに意味を消化しきれないままのように思われます。

お礼日時:2014/10/20 01:09

 言葉ですから、変化していくでしょう。

現状および私の予想する変化の方向は次の通り。
・文法
  自立語+付属語で文節を作る、という基本形は変化しない。
  動詞の活用は五段活用に収束していく。(カ変・サ変はほぼ残る)
  これら文法体系が変わらない限り、それは日本語であると言える、と考えます。
・単語
  名詞は、日本にない・なかった物や事はカタカナ語として増えていく。
   その物や事が存在する限り、使われる。
   一つの事物を表す二つの単語がある場合、短い方が定着して残る。(使いやすいから)
   「大きさ」と「サイズ」なら「サイズ」の勝ち。使用頻度は「サイズ」が高くなる。
  動詞も「~る」の形で増える。「サボる」は定着して久しい。
  形容詞も「~い」「~な」の形で増える。ただし、それらが表す様子は変化するので、
   流行語として現れ、次々と新語に取って代わられ、定着するものは少ない。

 いいとか悪いとかを抜きに考えると、上記のようだと考えます。
 いいか悪いかを言えば、そりゃ嘆かわしいですよ。だいたいカタカナ語を使うヤツの心根があざとい。それは今までの日本語で言えないのか?言えないようなことが日本語話者の中で通用すると思ってるのか?その新しいカタカナ語が万人に通用すると思うのか?新しいカタカナ語を使うことで自分を新しい考え方の人間と見せたいだけじゃないのか? と思います。
 でも、少数がそう言っても、世の趨勢は変わらないし、変えられないし、できる範囲で現状はこうだがよりよい方向で使っていこうよ、と呼びかけるしかないのかな、と思います。
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この回答へのお礼

お応えありがとうございます。
語彙ですが、ボキャブラリーと言われることが多いと思います。
単に短いから使われるというものでもないのではないでしょうか。
日本語、特に大和言葉が好きなので子々孫々受け継がれるよう自分も呼びかけていくつもりです。

お礼日時:2014/10/20 01:14

明治時代には鉄道の駅について「ステンショ」という言い方がかなり広く使われていて、「ステン所」などという表記もありました。

これはもちろん英語のstationから来たもので「ステーション」とも呼ばれていました。

しかし現在、鉄道の駅のことを「ステンショ」などと呼ぶ人は皆無に近く、「ステーション」も「ステーションビル」や「ステーションデパート」などという複合語の中に主に見られるだけです。古代から使われていた(当時は鉄道が存在せず意味が異なりましたが)漢語起源の「駅」という言葉との生存競争に勝てなかったのです。

このように、明治時代には広く使われていたものの、現在は死語となっている外来語もかなりあり、中長期的に見ると、昔からの日本語が外来語に駆逐され続けているという単純な状況ではないと考えます。

また一方では、外来語と昔からの日本語が意味の細部の違いですみ分けつつある言葉もあります。ご指摘の「デスク」についていえば、単純に机をデスクと言い換えた例ももちろんありますが、「デスク業務」「ニュースデスク」など複合語の中に単純な「モノ」以外の意味で使われている例が多く、物理的な「モノ」としては「学習机」「文机」などまだ「机」も健在なのではないかと思います。

さらに、もともとは外国語起源の外来語であった言葉でも長年日常的に使い続けられた結果、ほとんど外来語であるとは意識されなくなっている「たばこ」や「かぼちゃ」などの言葉もあります。昔は「お客様」であった言葉がいわば「身内」になったとも言えます。

こうしたことを考えれば、一時的に外来語・外国語が多く使われても、中長期的に見れば「それまでの言葉(この中には昔の外来語も含まれる)」との生存競争で淘汰されて行きますので、例えば100年後に使われ続けているのは、比較的少数の言葉です。そして長い年月がたつとこれらは外来語とはほとんど意識されなくなっていきます。このように日本語には、何でも飲み込んで最終的には消化して自分の血肉にしてしまう、生命力というか底力があり、この力こそが日本語だけでなく日本の伝統文化を支えて来た力ではないかと考えています。
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この回答へのお礼

お応えありがとうございます。
外来のものを自らのものとするのは日本人の得意とするところなのでしょうが、今はそれが裏目に出てしまっているように思います。
まさにテセウスの船ですね。
部品を入れ替え続けた果てに、元の部品がひとつもなくなったらそれは同じものなのか。
なくなりはしないでしょうが元の形とは似ても似つかないものになりそうな気がします。

お礼日時:2014/10/20 00:50

 色々考えさせられる問題ですね。



1。「日本人が使う日本語」は、少子化が進めば日本人がいなくなる訳ですから、考えたくありませんがいずれ無くなると思います。

2。外来語は、外来の「物」と一緒に言葉に入ります。○国の物を輸入し、それを使う事になれば、自然に入って来ます。

 もう洋服を着、洋食を食べ、マンション住まいですから、衣食住での日本の時代は隅に追いやられ、DNAと言葉以外「大和」時代は遠くなりました。

 時代的には朝鮮半島の言葉、古い中国語、仏教と一緒に来たサンスクリットやパーリ語、ポルトガル語、オランダ語、英語、米語、などの層が考えられます。

 ただ物が多いので「名詞」が多いが、動詞には大和言葉が比較的多く残っていて、最後まで残るように思います。

3。死語となると、ヒッタイト語、古典中国語、百済語、ラテン語のようにどこかの研究施設でいろいろな記録、の形で保存され、古文書学や考古学の対象になるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

お応えありがとうございます。
動詞や形容詞はそうそうなくならないと思いますが、名詞はこのままだとどんどん横文字にとって代わられそうなのが恐ろしいです。
ルー語というのがありますがあれのようになりそうで…。

お礼日時:2014/10/20 00:42

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