痔になりやすい生活習慣とは?

冬戦争のとき、フィンランド軍はソ連軍と比べて質・量ともに遥かに劣っていたにもかかわらず連戦連勝して戦車を何台も捕獲したりしていますが、一体どうやって戦車を捕獲したのですか?

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A 回答 (5件)

真冬のフィンランドに行って、極北からスノーモービルでロシア国境が見えるところまで行ってきた経験がありますが、多分にもれず軍事にも興味ありました。



フィンランドの戦場は森が多く、その多くは道が一本でしかも舗装されていませんでした。冬戦争のとき、気温は零下40度になったそうですが、とにかくソ連軍は不確かな地図(作戦地図が完成したのが、冬戦争が終わったあとという体たらくです)しかないので、その一本道を進軍するしかありません。

フィンランド兵は地元出身者中心に勝手知ったる森で待ち構え、先頭のトラックと、最後尾のトラックを攻撃して、動けなくさせます。このときできれば野戦炊飯車に数発撃ち込むそうです。

ソ連兵は森に追跡に入っても、スキーで逃げたフィンランド兵を補足できるわけもありません。で、先頭と最後尾のトラックがやられた部隊は、道で立ち往生です。戦車も装甲車も。

夜になると、零下40度になります。もし野戦炊飯車がやられていたら、温かい物を口にすることすらできません。寒空の下で凍傷患者がでると、移動すらできなくなります。なので、装備を捨てて、歩いてソ連兵は退却せざるをえません。

残ったソ連製装備は、雪の作業になれたフィンランド軍が、こわれた車両はさっさと修理して、こわれていない車両はさっさとエンジンを起動させて、もっていってしまう、というオチです。
戦車も、装甲車も、マキシム機銃4丁つんだ対空トラックも、もっていき放題です。

ヘルシンキの軍事博物館に、ソ連軍のフィールド・キッチンがありました。200人分のスープが作れるそうです。ただし、釜の部分に穴があいていなければ、ですね。

フィンランド軍の作った陣地にやってくるように、デタラメな標識をたてたり、極めつけはロシア語ができるフィンランド兵がソ連軍の服を着て、ウソの道を教えたりしたそうです。
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この回答へのお礼

おお、まさか現地まで行った人がいたとは・・・


しかし一本道+森+マイナス40℃って・・w
攻めるロシア兵の方が可哀想ですね。

お礼日時:2014/11/07 03:42

これを教訓(戦訓?)に自衛隊ではスキー訓練に力を入れています。



雪国育ちなので、子供の頃や最近の帰省の時に訓練風景を見ました。
スキー技術は確かなもので、上級者はジャンプ台下のスロープを
つま先しか止めて居ないスキーで上手に滑走します。テレマークと云う
リレハンメル冬季五輪の開会式の光景と同じ滑り方です。
隊員の話では、冬季訓練は常にスキーなので誰もが上手になるとの
事です。

スキーブームも去り関さんとしたゲレンデで訓練している部隊を
見ましたが、完全な保護色です。
まっ白いゲレンデに分隊が立ち止まっていても、200~300m離れると、
斜め上から見下ろしてもそれほど目立ちません。林に入ると、広葉樹林
でも、黒色の露出部分(銃と顔と靴だけ)は木の幹や枝と同化して識別し
にくくなります。針葉樹林では見つけ出すのがかなり困難です。

背中に背負った装備の他に4人程度で1台の橇を引いていますので
徒歩だけの歩兵と比べてより多くの装備を運べるそうです。

移動速度は徒歩より早く、足場の悪い雪上では徒歩の2倍以上の
速さだそうです。

他の回答にもある様に、フィンランドでは、拠点間を繋ぐ一本道があり
その周辺は広大な森です。安全圏で待ち伏せし、攻撃離脱し、閉じ込められ
混乱した敵を再び攻撃する方法で戦果を上げたようです。

基本的には、
フィンランド軍に対する過小評価、
ソビエト軍の自信過剰、
フィンランドの道路事情と雪による厳しい条件、
フィンランド兵の戦意の高さ、
ソビエト兵士の戦意の低さ、等
によるソビエトの必然的な敗北です。

再侵攻時には、ソビエトは部隊を編成し直して対応しています。

「モロトフカクテル」昔良く聞いた言葉ですが、出典が冬戦争だとは
全く知りませんでした。
戦意の無いソビエト兵に対するモロトフ(ソビエト指導者)からの
ありがた~い熱い贈り物と云う皮肉だったんですね。
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この回答へのお礼

自衛隊もスキー訓練をしていたとは知りませんでした。頼もしいですね。

お礼日時:2014/11/10 03:28

冬戦争でフィンランドは300両以上の戦車、装甲車両、その他の装甲された車を


捕獲したとされています。

次の対ソビエト戦の時にはT-37/T-38 (42両), T-26 (34 両) そして Vickers
(25 両)からなる戦車部隊を準備しています。
http://www.soviet-empire.com/ussr/viewtopic.php? …

これから推測するに、捕獲車両300両以上の内少なくとも42+26=68両は戦車です
(捕獲したものが全て使える訳ではないので)。

どう捕獲したのかと云うと、敗れたソビエト軍が放棄したものが多いようです。
Porlammi motti (Vyborgの南東)ではソビエトライフル部隊3ディビジョンが
降伏し55両の戦車が捕獲されています。Ladoga湖の戦いでは第168ライフル部隊が
退却し戦車8両を放置しています。これを合わせれば63両で、単純に68両の殆どです。

フィンランド軍の対戦車装備は貧弱で、開戦時には対戦車砲が100門強で、フィンランド
軍は色々と工夫しなければ成りませんでした。最も効果的だったのは火炎瓶で、
「モロトフのカクテル」と云う呼び名が生まれたのはこの時です。
火炎瓶は常備兵器として量産されました。
火炎瓶で撃破された戦車は捕獲・再利用とはならない訳です。

ソビエト軍の問題点は、戦車と歩兵と航空機の協動が原則でしたが、北の密林と
厳しい寒さと道路の悪さで、スキーと寒中装備が無く動きの遅い歩兵の集団から
戦車が離れる事が往々にして起きたようです。離れた戦車は火炎瓶の餌食に成った
ようです。攻撃したフィンランド兵はスキーで早逃げです。保護色の白色の軍服に
包まれて。
又フィンランド歩兵は退却時に地雷を敷設して行き、これがソビエト歩兵に極度の
緊張をもたらしたとされています。歩兵の遅れが戦車の孤立となるわけです。

まとめると、初期の戦闘で投降や敗走したソビエト軍が放置した戦車が捕獲された
と云う事の様です。
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この回答へのお礼

>最も効果的だったのは火炎瓶で、「モロトフのカクテル」と云う呼び名が生まれたのはこの時です。

火炎瓶が効果的だったとは意外です。
モトロフカクテルってロシア人のモトロフさんがつくったカクテルかなと思っていたのですが、フィンランド人がつくったものだったんですか。

スキーって戦争でも使うんですね。

お礼日時:2014/11/07 03:36

当時の戦車は50cmの段差を越えられなかったですから


深さ50cmの落とし穴を作れば動けなくなりますから、簡単に鹵獲できました
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この回答へのお礼

そうだったんですか(゜Д゜;)

お礼日時:2014/11/07 03:29

マンネルヘイム元帥率いるフィンランド軍が根性でソ連の戦車を捕獲した。

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Q第二次世界大戦時で最も優秀な戦車は?

ドイツのタイガー戦車が強力で有名ですが、
ソ連軍のT-34という戦車がそれを打ち負かしたということを知りました。
さらにタイガー戦車より最新のパンター戦車というのもあるらしいです。
総合的に見て最優秀の戦車(一対一で勝てる)は何だったのでしょうか?

又日本は戦車の開発には関心が薄かったようですが、
それはどうしてでしょうか?
中国戦線では大活躍すると思うのですが。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があれば戦争に勝つかというとそうでもないのです。例えば1940年のフランス電撃戦のとき、ドイツ軍の持つ戦車は3号戦車と4号戦車(前期型)が中心で、武器としては機関銃しか持っていない2号戦車の数もまだまだありました。
一方のフランス軍にはシャールB1という重戦車があり、イギリス軍にもマチルダ2という戦車がありました。カタログスペックだけ見たら、B1戦車もマチルダ2も3号戦車や4号戦車より優れているのです。しかも、その数はドイツ軍に比べると英仏連合軍のほうが多くの戦車を持っていたのです。
しかし、戦争にはドイツ軍が勝ちました。その勝因は、戦車を集中して運用したからです。

プロ野球でも、ものすごい4番バッターがいたら優勝するかというとそうではないですよね。チームとしての全体のバランスが重要です。サッカーもそう。軍隊(戦争)もそうなんです。
第二次大戦のときのアメリカ軍の主力戦車はM4シャーマンです。カタログスペックだけ見ると、ドイツ軍の4号戦車よりちょっと優れている程度です。だからドイツ軍のタイガーやらパンターやらには直接対決では勝てなかった。でも、アメリカ軍はそれでよかったのです。アメリカ軍にとってM4戦車は歩兵支援用です。だから、それ用のための性能を重視しました。そして、ドイツ軍の強力な戦車には、航空機などの戦車の苦手な手段で当たればいいと考えていたのです。これぞアメリカ人の超合理主義。「戦車の相手は戦車がしなきゃいけないと誰が決めたのだ」というわけです。

戦車というのはですね、基本的に消耗品なのです。いくら優れた戦車でも1両だけじゃどうしようもない。それなら平凡な性能の戦車が10両あったほうがいいのです。
これが基本的に理解できなかったのが日本軍。理解できなかったというか、受け入れられなかったというべきでしょうかね。基本的に貧乏な日本軍では、お金のかかる戦車を大量に用意して消費しながら戦うなんて贅沢な戦い方はやりたくてもできなかったのです。

日本軍悲劇の戦車チハタンこと九七式中戦車は、カタログスペックだけを見ると同時代の戦車、例えばドイツの3号戦車初期型とほぼ同等の性能を持っています。3号戦車初期型が37ミリ砲を搭載していたのに対して、チハタンは57ミリ砲を搭載していたので、カタログ上は上です。
しかしこの、「カタログ上は」ってのがネックで、実はチハタンの57ミリ砲、初速が遅くて徹甲弾の性能が低かったので対戦車砲としては使い物にならなかったのです。これは日本工業力の限界。
そしてなによりエンジンの性能が低かった。3号戦車が300馬力のエンジンを持っていたのに対してたった170馬力しかなかった。だから、改良を加えたくても性能に余裕がなかったのです。

日本軍は戦車の開発に関心がなかったわけではないです。ただ中国軍にはほとんど戦車はなかったし、アメリカ軍も第二次大戦前にはほとんど戦車を持っていませんでした。しかしソ連軍は戦車を大量に持っていたので、ソ連軍への対抗上戦車への関心は持っていました。
しかし、ソ連軍が戦車を「大量に動員する」という戦い方をしてきたノモンハン事変を目の当たりにして、「あんな戦い方は(貧乏で戦車を揃えられない日本には)とてもムリ」となったのです。
戦車は戦車単独で存在しているわけじゃなくて、修理をする整備兵や、補給をするトラックなども必要ですよね。ところが当時の日本人にはそもそも車の運転ができる人がいなかった。自動車運転は「特殊技能」扱いです。ましてやそれの整備ができる人となるともっといない。だから運用にも限界があるのです。国に車が行き渡っていて、当然自動車修理工がいっぱいいたアメリカとの違いです。

兵器の優秀さというのは、1対1で強いかとかカタログデータで決まるものではないのですね。別に兵器に限った話ではないのですけれど。
1対1で単純に強いといったらドイツのタイガー2(キングタイガー)だったと思いますが、じゃあキングタイガーは無敵で前線の兵士から歓迎されたかというと、前線の兵士の評判はあまりよろしくないのですね。なぜかというと、これはまあドイツ軍重戦車の宿命でもあるのですが故障しやすくて部品ひとつひとつがやたらと重い。つまり整備が大変だったからです。

1対1で強い戦車があ...続きを読む

Qグデーリアンが「第二次大戦でドイツは勝てた」と言ったのはほんとうですか?

何かで読んだことがあります。グデーリアンは「ヒトラーの滅茶苦茶な指令がなければ、戦争に勝つことができた」そう言っていた、と何かで読んだことがあります。

どなたかこのグデーリアンの言葉を裏付けるような書物をご存じでしょうか? よろしくお願いします。

Aベストアンサー

もうすでにお知りになったように、グデーリアンやマインシュタイの回想録の他、学研の欧州戦史シリーズやパウルカレルの「バルバロッサ作戦」とかがいいと思います。でもグデーリアンの名前を知っていた方ならもう既にご存知かも。

ここからは個人的な考えなのですが、ドイツ敗北の原因をヒトラーの戦略や作戦ミスに転嫁するのは非常に偏った思考だと思います。
確かに責任は決定者であり命令者であるヒトラーにあるのですが、彼の
それらの決定をうながしたり、影響を与えたのはドイツ軍の実質的な司令官たちであるグデーリアンやマインシュタイン、ハルダー、ルントシュテット達であると思えるからです。
あのロンメルも、リビアにとどまり防衛戦を行えと命令されていたのに勝手にエジプトまで進攻したり、モスクワを占領しても戦いが終わる保障が無いのに、ヒトラーに要求し冬季でしかも補給が途絶えがちだった
41年10月無理を承知でモスクワ進攻を実行したのは当のグデーリアン達
だったのです。
アントニー ビーヴァーの「スターリングラード攻囲戦」を読むと自分の名誉と歴史の評価にこだわる冷徹無慈悲なマインシュタインがでてきます。多かれ少なかれ貴族出身の将軍なんて現実はそんなもんじゃなかったのでしょうか?

一貫した戦略構想を持たず、補給という概念を無視しひらめきだけで
大国相手に戦争をしかけたヒトラーでしたが、自分達の名誉欲をかなえるためにそんな人物を指導者に据えて利用したドイツ軍部の将軍達もまたドイツ敗北の原因でもあったと思うのです。
戦時中、軍人や企業家たちは自分達の名誉や所領、利権を獲得するために縄張り争いをしてばかりいました。金食い虫のV2ミサイルや多種多様で量産性の低い兵器はその表れです。
結局、ドイツ人はやくざのようなナチスを利用し、敗北後も責任転嫁で
利用しました。
戦後、ドイツ陸軍の名声を守るためにハルダーも全ての責任をヒトラーに押し付けました。
ドイツ人全体も、個々の戦争責任を回避するためにヒトラーやナチスに
全ての責任を押し付け、自分達も被害者だったと考える様にしました。
こういうことって、例えるなら拳銃を自分で求めて手に入れたのに、その拳銃が他人を傷つけたのは拳銃のせいだとさけんでいるぐらい呆れることだと思います。

戦後すぐのそんな社会的雰囲気の中でグデーリアンやマインシュタインは回想録を書いたのでしょう。
責任は「自分たちにもあった」なんて間違っても書けません。

もうすでにお知りになったように、グデーリアンやマインシュタイの回想録の他、学研の欧州戦史シリーズやパウルカレルの「バルバロッサ作戦」とかがいいと思います。でもグデーリアンの名前を知っていた方ならもう既にご存知かも。

ここからは個人的な考えなのですが、ドイツ敗北の原因をヒトラーの戦略や作戦ミスに転嫁するのは非常に偏った思考だと思います。
確かに責任は決定者であり命令者であるヒトラーにあるのですが、彼の
それらの決定をうながしたり、影響を与えたのはドイツ軍の実質的な司令官た...続きを読む

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Qドイツ戦車でジャーマングレー色なのはどれ?

長いブランクを経て最近プラモデル作りを再開した者です。
何の知識もなく、ただ単に戦争映画に出てくる恐~い「ドイツのジャーマングレー色の戦車が作りたい!」と思い、プラモデル店の売場に行ってみると同じ戦車でも年式などによって微妙に違ったりしてどれを買ってよいものか困ってしまいました。途中からドイツ軍がグレー色を廃止したそうで、なんでもグレーに塗ればよいというわけではないらしく、下手に塗ると時代考証といいますか、現実には無かった塗装をしてしまうことになるようです。

そこで本題ですが、ジャーマングレー色に塗ってもおかしくない型式、年式の戦車はどれなのか、ズバリ教えていただきたいと思います。プラモデルが発売されている、有名どころの戦車だけで結構です
。お詳しい方、ご回答よろしくお願いします。

(例)TIGERIはよいけど、KING TIGERはダメ  とか。

Aベストアンサー

ジャーマングレー(ドゥンケルグラウ)が統一色に指定されたのが1940年7月31日、それに代わってダークイエロー(ドゥンケルゲルプ)が統一色として指定されたのは43年2月18日付けの通達だそうです。
タイガーIの生産開始が42年8月ですので、開始時の車両はジャマングレーになります。
ツィメリットコーティーングの塗布が開始されたのが43年6月ですので、コーティングされたタイガーIのジャーマングレーはダメとなります。
パンサーの生産が開始されたのが43年1月からですので、ジャーマングレイのパンサーがあっても良いのですが、1月に生産されたと言うパンサーの写真を見ますと、ダークイエローですので、パンサーにジャーマングレイはダメとなります。
面白いのは、タイガーIとパンサーを同時に生産していたMAN社で完成直後のジャーマングレーのタイガーIとダークイエローのパンサーが同じ画面に映っている写真が残っています。
キングタイガーの生産開始は44年1月ですので、ジャーマングレイではありません。
なお、アフリカ向けの車両は、41年3月に黄茶色(ゲルプブラウン)に灰緑色(グラウグリュン)の迷彩色が指定されましたが、42年3月にやや明るい色調の色が指定されたそうです。

ジャーマングレー(ドゥンケルグラウ)が統一色に指定されたのが1940年7月31日、それに代わってダークイエロー(ドゥンケルゲルプ)が統一色として指定されたのは43年2月18日付けの通達だそうです。
タイガーIの生産開始が42年8月ですので、開始時の車両はジャマングレーになります。
ツィメリットコーティーングの塗布が開始されたのが43年6月ですので、コーティングされたタイガーIのジャーマングレーはダメとなります。
パンサーの生産が開始されたのが43年1月からですので、ジャーマング...続きを読む

QWW2のフィンランド空軍が使用した戦闘機は何ですか?

WW2のフィンランド空軍は鹵獲したり、供与されたりと各国戦闘機が混合した空軍だったそうですが、何を使っていたのでしょうか?
ご回答をよろしくお願いします!
また、フィンランド空軍の熱い奮闘記も教えて頂ければ身に余る幸せです!

Aベストアンサー

こちらのサイトも非常に参考になるでしょう。

http://www.geocities.jp/wankichi_152/Fin.htm

Q夫がネオナチです。

40代の夫は、いわゆるネオナチです。

もちろん結婚するまで、このような強い思想を持っているとは知りませんでした。

ヒトラーを崇拝し、自らもそのような人物になりたい。
自分の子供に、「ハイルヒトラー」と叫ばせたいと。
私もいろいろ勉強しました。
現在でも、賛否両論、喧々囂々、さまざまな解釈がされていますね。

無知なときにはただ、独裁者であることと、大量虐殺を行った人物であることしか知らず、ただ恐れていましたが、少し勉強して、彼の生い立ちや、歴史的背景などがわかりました。

私の結論は言うまでもなく、ヒトラーはコンプレックスを大きく抱えた異常者であるということです。(差別感をあのように現実化する)

どんな言い訳も、通用しないと思います。

また、形式美をたたえる向きもありますが、愚の骨頂です。

もう何年も夫を説得してみましたが、変わりません。
この際個人の思想は尊重します。

子供に悪影響を及ぼすことだけが心配でなりません。
ヒトラー崇拝の方、なぜ?どんなきっかけでそのような思想に?

教えてください。

また、同じ境遇で、子育てされた方、経験談、アドバイスなどいただきたく思います。

40代の夫は、いわゆるネオナチです。

もちろん結婚するまで、このような強い思想を持っているとは知りませんでした。

ヒトラーを崇拝し、自らもそのような人物になりたい。
自分の子供に、「ハイルヒトラー」と叫ばせたいと。
私もいろいろ勉強しました。
現在でも、賛否両論、喧々囂々、さまざまな解釈がされていますね。

無知なときにはただ、独裁者であることと、大量虐殺を行った人物であることしか知らず、ただ恐れていましたが、少し勉強して、彼の生い立ちや、歴史的背景などがわかりました...続きを読む

Aベストアンサー

ネオナチといってもいろいろあります。
いわゆる「あのころは良かった」というナチス残党組と
失業者を中心とした外国人排斥思想組、若者を中心とした白人至上主義組等ですね。

日本の場合は移民自体が少ないために外国人排斥活動は見かけませんが
若者を中心とした弱者排斥思想は日本でも同じです。いじめや浮浪者刈りは
その典型ですよね。こうして現状に対する不満を外国人や弱者にぶつけるのが
最近のネオナチであり、その大義名分がナチスの政策なんです。
なので単にヒットラーが好きという理由のネオナチは少数派なんですね。
アメリカの有名なネオナチ指導者なんて父親が黒人に殺されたからという
理由でネオナチの活動家になっただけですしね。

御主人が立派なネオナチなら華僑が経営する中華レストランや在日朝鮮人が
経営する焼肉屋への破壊活動は当たり前に実践しているはずでしょう。
そういうことをしないで家でヒットラー最高といっているだけであれば
単なる「オタク」です。心配ありません、この手のオタクはたくさんいます。

軍服を見るとワクワクしてくるというかなんというか
細かい政策云々よりもその時代に対する憧れが中心ですからね。
私の中学時代の同級生にも強烈な国粋主義者がいました。彼の部屋は
日章旗はもちろんのこと満州国の地図、軍刀をたずさえた自分の写真も
貼ってありました。

軍事関係の雑誌を見ればナチス関連のグッズを扱う業者はたくさんいます。
それだけナチス好きな日本人がいるということでしょうが、日本では
あまり外国人排斥活動は見当たりませんね。(たまに在日朝鮮人に対する
いやがらせはありますけど、リンチがあるというわけではないし)
みんな、家やサークルの中で「ハイル・ヒットラー」といっているだけの
ナチスごっこにすぎません。たぶん、女性にはこの手のマニアぶりが
理解できないでしょうが、そんなに実害はないでしょう。

子供は親だけと過ごしているわけではありません。少なくとも両親が
違う思想であれば、成長するにしたがって「アホちゃう」と思いますよ。
ただ、御主人が実際に外国人排斥に対して行動をおこしていて
外国人へのリンチをしているようであれば、それは別の問題ですが。

ナチスについて勉強されているようですが、再度、優生学について
勉強してみてください。ナチスの場合は公衆衛生学と言う場合が多いのですが
この法律を題材に御主人に同意できるかどうか、できるのであれば
堂々と選挙に立候補するように勧めてみて下さい。選挙公約には
「ハンセン病訴訟の国家賠償の反対」として。ヒットラーは権力者では
ありますが、それ以前に政治家です。彼がまともと言える点は自分の主張を
選挙で訴えて権力を握ったことです。御主人がヒットラーのようになりたいのであれば
ちゃんと政治家として活動するべきだと思います。それができないようであれば
やはり、オタクとしか言えず、心配する程のことでもないと思いますよ。

繰り返しますが、問題はネオナチとはヒットラーに対する個人的な評価ではなく、
ナチスが提出した法律、政策の問題です。ヒットラーがどいう人物であったかを
議論するのではなく、政策面で話し合った方が有意義だと思いますよ。

ネオナチといってもいろいろあります。
いわゆる「あのころは良かった」というナチス残党組と
失業者を中心とした外国人排斥思想組、若者を中心とした白人至上主義組等ですね。

日本の場合は移民自体が少ないために外国人排斥活動は見かけませんが
若者を中心とした弱者排斥思想は日本でも同じです。いじめや浮浪者刈りは
その典型ですよね。こうして現状に対する不満を外国人や弱者にぶつけるのが
最近のネオナチであり、その大義名分がナチスの政策なんです。
なので単にヒットラーが好きという理由の...続きを読む

Q銃器の話ですが3点バーストって何ですか?

タイトルの通りですけど、どういうものなんでしょう。
自動小銃の撃ち方の設定の一つのようですが、ちょっと詳しく教えてください。

Aベストアンサー

フルオート:引き金を引いている間発射される
セミオート:引き金を引くと1発だけ発射される
3点バースト:引き金を引くと3発だけ発射される

Qイギリス人が恥と感じるボーア戦争とは?

イギリス人に「どんな歴史上の事実を恥ずかしいと思う?」
と聞いたら、「いろいろあるけど、ボーア戦争はひどいね。」という答えが。

たしか、高校の歴史では、「金やダイヤモンドをめぐる、イギリスとボーア人の戦争」とあったような気がします。
どこが、そんなにイギリス人にとって恥と感じるところですか?

Aベストアンサー

ボーア戦争(あるいはブール戦争)は、1899年に勃発しました。
当時、南アフリカのボーア人の国トランスバール共和国とオレンジ自由国で金とダイヤモンドの豊富な鉱脈が発見されました。
これに目をつけたイギリスによる両国への典型的な侵略戦争です。
ボーア人は、もともとオランダから南アフリカに入植した人たちのことを言います。
トランスバール共和国とオレンジ自由国は同盟しますが、約2万のボーア軍に対し、英国はカナダ・オーストラリア・ニュージランドなどからの50万の大兵力で侵略し、ボーア人はゲリラ戦に転じて抵抗しますが、結局1902年に敗北します。
この間、現地の黒人たちは両軍に強制的に徴兵され犠牲者となりました。
悲惨なのは、イギリス軍がゲリラの根拠地一掃のため、老人婦女子などの非戦闘員を強制収容所に容れ、村落を焼き、虐待して死亡させたことです。
12,000人以上の民間人が強制収容所で死亡したといわれます。
現地の黒人から見ると、この戦争はイギリスと、アフリカに居付いたオランダ人入植者たちの間の戦争です。
イギリスはボーア人の住む両国を占領して植民地とし、1910年に南アフリカ連邦を建国しました。
しかし、この戦争でイギリスは軍事力が低下し、日英同盟を結ぶ要因にもなります。

ボーア戦争(あるいはブール戦争)は、1899年に勃発しました。
当時、南アフリカのボーア人の国トランスバール共和国とオレンジ自由国で金とダイヤモンドの豊富な鉱脈が発見されました。
これに目をつけたイギリスによる両国への典型的な侵略戦争です。
ボーア人は、もともとオランダから南アフリカに入植した人たちのことを言います。
トランスバール共和国とオレンジ自由国は同盟しますが、約2万のボーア軍に対し、英国はカナダ・オーストラリア・ニュージランドなどからの50万の大兵力で侵略し、ボーア人は...続きを読む

Q日本は社会主義国家なのになぜ発展できたのでしょう?

かつてソ連のゴルバチョフ大統領が‘日本は世界で一番成功した社会主義国だ‘と発言したそうですが、確かに日本は表向きは資本主義国家ですが社会主義的要素が強いように思います。税金の累進性は欧米より強く高額所得者は税金をたくさんとられます。貧困層は福祉や公的補助、医療制度など優遇され高額所得者から巻き上げた税金が還元されます。サラリーマンは年功序列で能力で関係なく昇給しました。(以前は)
経済格差は‘悪‘と公言する政治家までいます。ソ連、旧東ドイツ、北朝鮮など社会主義国家はどこも貧困に喘ぎ崩壊しました。日本だけなぜこんなに発展できたのでしょう?またこれからも発展できますか?自分は経済学、政治学には疎いのでどなたかお教えください。

Aベストアンサー

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないので、市場に任せず、政府が責任をもって経済を運営すべきだ」との、社会主義と資本主義の折衷政策「混合経済」政策をとった。このため多くの企業が国有化された。フランス石炭公社、フランス電力会社、フランスガス会社、鉄道部門、エール・フランス、フランス銀行 と四大預金銀行 クレディ・リヨネ、ソシエテ・ジェネラル、全国割引銀行+全国商工銀行⇒パリ国立銀行、保険会社、ルノー公社、航空機エンジン開発製造公社が国有企業として活動し始めた。
 石炭・鉄鋼に関してはドイツとの国境周辺地域に「欧州石炭鉄鋼共同体」を設立し、ドイツなど欧州6ヶ国で、アメリカ政府の援助資金であるマーシャル資金によって運営された。これは一国社会主義ではなくインターナショナル社会主義であった。1983年、フランス企業の売り上げ上位20社の内13社が国有企業であった。
 政治を見れば、ドゴール派の保守政権と社会党とが政権交代を繰り返した。日本に置き換えてみれば、石炭・鉄鋼がアメリカ政府資金による韓国との合弁、トヨタ自動車が国有、自民党と社会党が政権交代を繰り返す、といった状況だ。フランスから見れば日本は「市場原理主義」「自由放任主義」であった。
 イギリス──労働党の「ベヴァリッジ報告」による「ゆりかごから墓場まで」の社会主義政策を戦後の経済方針としていた。鉄鋼は、国有⇒民営⇒国有⇒民営と政権交代毎に弄ばれた。石炭はアーサー・スカーギルが率いる全国鉱山労組が仕切っていた。つまりアナルコ・サンディカリズムをやっていた。戦前アメリカに次ぐ自動車産業国であったが、中小企業が多く、このため国有企業に集約したが成果が上がらずホンダの支援を受けたがダメだった。政権は保守党と労働党が競い合い、その勢力は均衡していた。イギリスから見れば日本は「自由奔放経済」で「保守党独裁の反社会主義国家」であった。
 西ドイツ──アメリカ政府のマーシャル・プランによる援助資金をもとに戦後復興政策を進めた。戦後復興の基幹産業である石炭・鉄鋼は「欧州石炭鉄鋼共同体」という多国家管理による非民間企業に頼った。エアハルトは社会主義と資本主義の良いところをとった「社会的市場経済」を目指した。フォルクスワーゲンは戦後再出発にあたり、その株式20%を連邦政府が、さらに20%を地方政府が保有した。こうした石炭・鉄鋼・自動車産業を日本に当てはめるとどうなるか?それに比べれば日本経済は民間主導の自由経済であった。
 仏・英・独とも戦後何度も左翼政党が政権を担当した。現在英・独が保守政党を破っている。それに比べいかに日本の左翼・社会主義が信頼されていないか、よくわかる。

 日本では行政指導という政府の関与が話題になる。しかしそれ以上に「官に逆らった経営者」がいた。
 (1)天皇とまで言われた日銀一万田総裁に「川崎製鉄が千葉工場建設を強行するならば、ペンペン草を生やしてみせる」とまで言われた、西山弥太郎の大胆な設備投資、それに刺激され他社も追従した。戦争で古い設備が使えなくなったのは仏・英・独も同じ。しかし欧州の官僚にはあれほど大胆な発想は出来なかった。
 (2)「井深さんはトランジスタを使って補聴器を作るのですか?」と皮肉られ、特許導入を1年間遅らされた東京通信工業(後のソニー)。その1年の間に世界初のトランジスタ・ラジオはアメリカにやられた。大宅壮一に「ソニー・モルモット論」と皮肉られたが、今日の電子産業、官に逆らってトランジスタ特許を導入したソニーに始まると言って良い。
 (3)政府が成長産業を育成しようとした特定産業振興法、それに逆らって通産省で大型政務次官と言われた佐橋滋と喧嘩した、本田宗一郎は1983年のテレビインタビューで、佐橋滋と会った時を振り返り、次のように語っている。 「どうにも納得できないということで、僕は暴れたわけで、特振法とは何事だ。おれはやる(自動車を作る)権利がある。既存のメーカーだけが自動車を作って、われわれがやってはいけないという法律をつくるとは何事だ。自由である。大きな物を、永久に大きいとだれが断言できる。歴史を見なさい。新興勢力が伸びるにに決まっている。そんなに合同(合併)させたかったら、通産省が株主になって、株主総会でものを言え!と怒ったのです。うちは株式会社であり、政府の命令で、おれは動かない」(1995年2月5日、NHKテレビ「戦後経済を築いた男たち」から)
 (4)「官と闘った経営者」ヤマト運輸社長・小倉昌男が始めた「宅急便」、この普及は日本の流通業を大きく変えた。郵政民営化が問題になるのも宅急便の普及があったからだ。
 日本が「官民一体」ならば、仏・英・独は「民なしの、官のみ」だ。官に逆らった経営者たちのハイリスクな事業計画、前例を尊ぶ官僚にはとてもできない。戦後の荒廃はどの国も同じ、日本は度胸のある経営者が力を発揮できる自由な経済体制だった。進化論に例えれば、突然変異が出やすく、育ちやすい環境だったと言える。
 はしょって書きました。「官に逆らった経営者たち」「戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義」をキーワードに検索してください。詳しく書かれたサイトがあります。

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないの...続きを読む

Qユダヤ人はどうして嫌われているのでしょうか?

映画「ホテル・ニュー・ハンプシャー」で、
「このホテルにユダヤ人がいるんじゃあるまいな」という
発言がありました。
シェイクスピアの「ベニスの商人」もユダヤ人です。
チャップリンの初期の映画にもユダヤ人をばかにする人種差別的ギャグがあるそうです。
ヒットラーにも嫌われました。
どうしてユダヤ人は嫌われるのでしょうか?
イエス・キリストがユダヤ人なのですが、白人はそう思ってないのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

いくつかありますが・・・
ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・
これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。
理由は簡単です。本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様です。気をつけたいものです)。

さらには独自コミュニティを形成してそれを崩そうとせず、あくまで頑なにユダヤであるということを固持してきました。
これは、キリスト教という緩やかなつながりでつながっていた西ヨーロッパ圏では、ユダヤという存在は異端という点がその場に存在しているようなものです。
日本でもそうですが・・・自身たちとは違う風貌、習慣を持つ人は少なからず煙たがられる傾向があります。
さらには、銀行業などの当時「卑しい」とされていた職業で設けていました。余所者に自身たちの金を吸い上げられるのですから、決して面白いわけはありません。

もう一つが、政治的要因。
政治で、国民の不満をそらす方法に、悪役をつくる、というのがあります。
簡単に言えば、こじつけでも「~が悪い」というのをつくれば、そこに国民の不満がいきますから、政府とかそういったお上に攻撃がこなくなります。
で、ユダヤはキリストを十字架送りにしたというのがありますから、非常に悪役に仕立てやすいのです。上に書いた民族的な特徴も仕立てやすい理由です。

大体、嫌われる、あるいは嫌われている人、民族には共通項があります。
1.お金にうるさい(理由はともあれお金をためる人全般)
2.異文化的である。または異文化の性質を強く持っている
3.異郷の地でがっぽり稼ぐ人
4.郷に入らば郷に従えを実践しない人
5.自分たちのほうが偉いと少なからず思っている人
などなど・・・
ただ、こうやって見るとわかるように、どこぞの民族も似たようなことをやっています(車をアメリカで売りまくって、ご当地の車会社から白い目で見られたりする国です。まあ、いまはあまりやらないのかな・・・?)。
結局、嫌われる民族か、そうでないかというのは、ある意味紙一重なところがあります。
ユダヤが嫌われているのは、これらを満たしてしまっているせいと、国を持たなかったという地政学的悲劇のためと考えています。

いくつかありますが・・・
ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・
これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。
理由は簡単です。本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様で...続きを読む


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