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敗戦で日本はGHQと東京裁判により、アメリカの属国となった。しかし国として戦争にたいして総括せず、民主主義となったのにそのまま戦前の思考で進んできた。ドイツは囲まれているという事情もあったが、全面的に反省し謝罪した。そこでこの時期から現在まで、ドイツ、イタリアは東京裁判のような裁判はありましたか。又イタリアはあの戦争をどうとらえていて、どう戦後を進めていったのでしょうか。勝てば官軍的な思考ではなく、将来に禍根を残さない思考が必要だと思いますが、その当時の事に詳しい方、また書かれている本などがありましたら教えてください。学問としてイタリアやドイツがどう考えていたかを知りたいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

>ドイツ、イタリアは東京裁判のような裁判はありましたか。


東京裁判の先例としているニュルンベルク裁判があります、イタリアは戦争首謀者がクーデターで殺されていますので同様の裁判はありません。

>全面的に反省し謝罪した。
ガセネタですね、悪いのは全てナチスに押しつけて自分たちが投票によってナチスを選んだことには頬被りしている。
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日本自身が戦争の総括を行っていないがゆえに、各国に好き放題に日本の歴史認識が問題だと言いたてられているわけですが、日本がそのまま戦前の思考で進んできたというのは、全く事実に反します。

 それどころか、有史以来の対外戦大敗北と言う事実が非常に大きなトラウマとなって、自国の防衛のための軍事力についてさえ、まともに議論もできずに今に及んでいるのは万民の知るところです。 ドイツは、全てをナチスに押し付けただけで、ナチス以外のドイツ人が全面的に反省し謝罪したという事実はありません。 ドイツ(ナチス)の戦争犯罪を裁く裁判は映画にもなった有名な「ニュルンベルク裁判」ですが、ニュルンベルク裁判における全ての裁判官がアメリカ、イギリス、ソ連、フランスという戦勝国だけから出ていたため、裁判の中立性を著しく欠いていたといえます。 東京裁判も勝者が敗者を裁いた裁判でしたが、比較的中立的な立場に立てたインドからも判事が召請されており、インドのパール判事が個別意見として全被告人を無罪とする意見を出しています。 イタリアについては「戦勝国」のため、国際裁判は行われていません。 イタリアは1943年の9月に降伏文書に調印し、翌10月には連合軍の一員としてドイツに宣戦布告を行っています。 イタリアはその後連合国側と枢軸国側にわかれて内戦状態になりますが、内戦はドイツ軍が事実上主役なので、1943年以降はイタリアは連合軍ということになります。 よって、イタリアは日本に戦後賠償まで要求し、日本は1972年に120万ドルを支払っています。 ただし、日本はイタリアの賠償金請求権は認めず、あくまでもこの支払いは賠償や補償ではなく一括見舞金であるとの立場をとっています。 
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”しかし国として戦争にたいして総括せず”


    ↑
総括した国などありませんよ。


”ドイツは囲まれているという事情もあったが、全面的に反省し謝罪した”
    ↑
あれは総てナチがやったことであって、ドイツ国
ドイツ国民は関係無い、ということにしただけです。
そこには、戦勝国との間に、取引があった訳です。
人種が異なる日本はそれをやろうとしなかったし、やろうとしても
出来なかったでしょう。
ちなみに、当時は人種差別は当たり前の時代でした。
米国の黒人差別が問題になったのは戦後の1950年
頃からです。


”ドイツ、イタリアは東京裁判のような裁判はありましたか”
     ↑
ドイツは「ニュルンベルク裁判」です。
イタリアは戦勝国ですから裁判などしません。

イタリアが戦勝国、というのは意外と知られて
いないようですね。
少し検索すれば判ります。
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質問文から、質問者様は「学問」以前に、歴史や「戦争」についての基本的な知識すらないと判断させていただきました。




>ドイツ、イタリアは東京裁判のような裁判はありましたか。

ドイツについては「ニュルンベルグ裁判」があります。

イタリアについては、他の方も仰っていますが、途中でムッソリーニの暗殺され枢軸側(北側)と連合国側(南側)にわかれてた為に、敗戦国としては扱われてはいません。


A:>ドイツは囲まれているという事情もあったが、全面的に反省し謝罪した。
B:>将来に禍根を残さない思考が必要だと思いますが、

↑については、↓での私の回答(No6)をご覧になって下さい。

【ドイツ流戦後反省謝罪方法について?】(ドイツの「謝罪」とやらについて)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8699458.html

↑と「戦争」についての詳細は、↓の私の回答(No12)をご覧になって下さい。

【ドイツと日本はなぜ戦争の反省度が違うのか?】
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8688472.html?order=a …


以上から、ドイツは全面的な謝罪などしていません。
そして、日本もドイツも総括の必要もありませんし、禍根も残っていません。
《歴史や条約を正しく理解し(たく)ない自称平和主義者や、反日が政策にしている特定の諸国家は納得していないようですが》



C:>敗戦で日本はGHQと東京裁判により、アメリカの属国となった。
D:>しかし国として戦争にたいして総括せず、民主主義となったのにそのまま戦前の思考で進んできた。
E:>勝てば官軍的な思考ではなく、将来に禍根を残さない思考が必要だと思いますが、

質問者様が、戦前の日本が「民主主義ではなかった」と考える根拠は何でしょうか。
(私は明治憲法が非民主的なものだったとは思っていません。)
そして、↓の属国にする為にGHQがした行為は正当なもので「勝てば官軍的な思考」ではないとお考えなのでしょうか。

まず、GHQの行為について、無条件降伏を理由に正当化する意見がありますが、それは誤解です。

ポツダム宣言では降伏については、「Following are our terms」(我々の条件は次の通り)と記されており、
条件として「日本国政府は直ちに全日本軍の無条降伏を宣言」となっています。
これは、軍隊の無条件降伏=単なる武装解除であって、軍組織自体の解体や消滅ではありません。
そして、軍=国家・政府 ではない以上、日本という国家が無条件降伏したという事にもなりません。

ところが、連合国はこの国際法上は「休戦協定(条件付降伏)」である文書を「降伏文書」と名付け、「休戦」を「降伏」にすり替えました。
更にその後、米国政府は「日本との関係は、契約基礎の上に立っているので無く、無条件降伏を基礎とするものである」という通達を発表しました。
これは、米国は正式に締結した国際条約を反故にしたことになります。

日本はこれに抗議しましたが、軍が降伏し武装解除されていた為に、抵抗できず、
結果として、国家そのものが無条件降伏したことにされてしまいました。


GHQによる↓の「日本の民主化」とやらですが、「日本国憲法の制定」や「東京裁判」についても正当なものだとお考えなのでしょうか。

【憲法の改正について】(「日本国憲法の制定」について、私の回答はNo8)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8679823.html

【日本人弱体化計画~国際法と文明を無視した一方的蹂躙】(動画)




東京裁判についてですが、

このような問題では、どのような知識と論理によるものかは知りませんが、「勝てば官軍」とか言う方がいらっしゃるようです。

しかし、当時の国際法による軍事裁判とは「戦時中の国際法違反の行為」を裁くものであって「国家」や「戦争そのもの」は対象にはなりません。
そして、戦争は国家の行為とされているので戦争の指導者個人を裁く事は出来ません。

しかし英米仏ソは日独を犯罪国家とする為に「国際軍事裁判所憲章」を作り、戦犯の意味を拡張したニュルンベルクと東京裁判の「裁判所条例」を作りました。

その目的は、日本とドイツに罪悪感をすりこんで、連合国の戦後の影響力を強化する為です。

これらの「条例」の法的な正当性ですが、ポツダム宣言を発したのは7月25日で、その時には東京裁判もニュルンベルグの条例も出来ていません。

国際軍事裁判所憲章:1945年8月8日に英米仏ソが調印
→1946年1月19日極東国際軍事裁判所条例 発効

以上から、日本とドイツはこれらの裁判所条例を元に裁かれることを承知で降伏していません。(ドイツの降伏は1945年5月8日)
更に東京裁判の内容も、↓のような連合国の報復感情による私刑でしかありません。
(ニュルンベルグ裁判についても同様です)

イ:判事は、国際法より連合国の意向に沿う判決を要求されていた。
(「法」以外の何かの「意向」が優先されている時点で裁判ではありません)
ロ:元A級戦犯の罪状である「平和に対する罪」が戦時中には存在しない「事後法」を適用している。
ハ:判事や裁判官に戦勝国側の者しかいない(裁判の公平性が保たれていない)
二:判事に国際法の専門家は、インドのパール判事しかいない。(パール判事は、日本の無罪を主張)」
ホ:実際の審理も、連合国に有利な証拠は審理が甘く、敗戦国側からの証拠や弁護は認められなかったり、却下されている。(これは、判決後、裁判に関わった者も指摘しています。)
へ:戦争を個人の罪として裁いている。


更に、東京裁判では、↓の条例が遵守されておらず、判事国の都合で恣意的に運用されていました。

【第九条 公正なる審理の為めの手続】
被告人に対する公正なる審理を確保する為め、左記の手続を遵守すべきものとす。
(ロ)用語 審理並に之に関連せる手続は英語及び被告人の国語を以て行はるべきものとす。
文書其の他の書類の翻訳文は必要なる場合請求に応じ提供せらるべきものとす。

動画の部分の日本語の記録がないのは、【条例】で定めてあるはずの、法廷における日本語への同時通訳が停止してしまった為です。
(日本人の傍聴者に知られて都合の悪いことがあったのでしょうか)
ブレイクニー弁護人の発言は英文の速記録には記録されています。
(彼は、その後「自動車事故」で死亡しています)


【東京裁判とは?~「裁判」を名乗る復讐ショー】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=ZaKDgB1IS0o

【日本人弱体化計画~国際法と文明を無視した一方的蹂躙】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=ruahswrCctw


一方で↓の 連合国によるあからさまな戦争犯罪 は問題とすらなっていません。

【バンザイクリフの悲劇 サイパン 日本人が投降できなかった理由】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=IwAZsIbbq2I

【アメリカ軍の戦争犯罪】(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=4nxOqeW4nCo

https://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo
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>又イタリアはあの戦争をどうとらえていて



答えられるのはこのへんくらいですが、イタリア人の多くは「ムソリーニ個人の戦争」と考えていたようです。
ローマで身の危険を感じたムソリーニは北イタリアに逃れ、その過程でクーデターに遭って軟禁されてしまいます。それが市民に知られるとローマ市民は一斉に街に出て独裁者の失敗を喜び、ローマのテベレ川は捨てられたファシスト党の黒い制服で黒く染まったといわれています。
このときご存じスコルツェニーの特殊部隊によってムソリーニは救出(実態はドイツ軍による拉致監禁に近いような気さえします)されたのですが、ムソリーニはスコルツェニーに「ローマのファシストたちはどうしている?」と聞きました。
スコルツェニーは「みんな逃げました」といったので、ムソリーニは「そいつらのことじゃない。本物のファシストたちはどうしているかと聞いているのか」と聞きましたのでスコルツェニーは仕方なく、「そういう人たちは、いませんでした」と答えました。

イタリアはムソリーニの首と引き換えに国としての存在を連合国に求め、英米軍も対ドイツ戦に集中したかったのでそれを受け入れました。このときに「連合軍と停戦したら、対独戦にイタリア軍の一部を派遣して対独戦に参加する。そうなると連合国の一部になるから、戦争が連合国側の勝利で終わったらオラっちも連合国のひとつだよね」と言い出して英米軍はあっけにとられます。そしてなんだかんだで靴先を滑り込ませたわけですから、恐るべしイタリア人。
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直接な回答ではないですが



イタリアはムッソリーニが悪い、ドイツはナチスが悪い、と自分たちの指導者とそれを選んだ自分たちの非を認めているのですが、日本は内輪の理論で誰も悪くないといい神社で神様と祀って拝んでいるのですから、外から見たら反省してないようにしか見えないわけです。

日本の外交下手も、このような内輪の理論でしかものを考えられないところにあるのではないかと思います。
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>民主主義となったのにそのまま戦前の思考で進んできた。



あの、戦前も民主主義ですけど・・・
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