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不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています。

アメリカ映画のセリフです。
英語そのものの意味ではなく、「文化的な意味」が分からなくて質問します。

女性2人連れに友達が「2人で何してるの?それも白人とユダヤ人で」といったニュアンスで問いかけるシーンがありました。

日本人から見たら、2人とも「白人」もしくは「アメリカ人」です。
何が違うのか意味が解りません。

アメリカ人同士の間では、白人とユダヤ人を、なにか区別して(差別ではなく)とらえるのでしょうか?
端的に言えば、ユダヤ人は白人ではないのでしょうか?

質問カテゴリーが判断できず、この英語カテならば、アメリカの文化事情に詳しい方がいらっしゃるだろうと思い、このカテで質問します。

映画は「ゴーストワールド」(2001年アメリカ)です。

A 回答 (13件中1~10件)

「ゴーストワールド」にそんなセリフがあるんですね。

それは笑える!


ひょっとして、ジョン・エリスという男の子が出合い頭に話しかけるシーンでしょうか。データベースで検索したら、こんなセリフを見つけました。この子、さらに差別的なことを言っていますね。それに動じないイーニドがまた楽しいです。
John Ellis: Well, well, well. If it isn't Enid and Rebecca. The little Jewish girl and her Aryan friend.
http://www.imdb.com/title/tt0162346/quotes

映画はスカーレット・ヨハンセン扮するモテ系の女の子レベッカと、ゾーラ・バーチ扮するオタク系の皮肉屋イーニドの、仲良し二人組のとぼけた日常を物語ったものですよね。セリフは、この二人の"凸凹ぶり"を皮肉ったものだと考えるのが自然です。もちろん、皮肉るジョンのほうがバカなのは歴然としていて、それを観客が主人公二人とともに心で皮肉って楽しむわけですが。

人としてセンスのいい質問者さんがおっしゃるように、二人は同じように肌が白っぽいアメリカ人です。なんら区別も差別もする必要はありません。ところが、そんな二人を区別/差別してバカにするバカが大勢いるわけです。とりわけ、学校生活が窮屈なのは、いずこも同じ。バカで未熟な高校生のなかには、ジョンのような子もいるわけです。

原文では、「これはこれは、ユダヤ人ちゃんと、仲良しのアーリア人ちゃんじゃねえの」と言っています。アーリア人といえばドイツ人やオーストリア人に多い人種ですから、暗に、迫害されていたユダヤ民族とナチを示唆しています。

これを字幕で「白人」と訳しているのだとしたら天才的です。「アーリア人」では通じにくいし、その点、「白人」としておけば、質問者さんのように「あれ?」と思ってくれる人が現れるわけですから。「あれ? ユダヤ人の彼女だって白人じゃないの?」、そう思わせるのが狙いです。答えは、はい、白人だし、なに人かなんて、そもそもどうでもいいはずです。でもわざと「ユダヤ人は白人とは違う汚れた民族だ」と示唆しているのですね。

こういうのは、場合によっては差別的とされてしまうセリフですが、アメリカにはご丁寧に”Jewish jokes”(ユダヤ人系ジョーク)というジャンルまであって、ユダヤ人の自虐ネタが満載されています。でもそれが成立するのは、ユダヤ人自身が自分たちの個性に誇りを持っているからなのでしょうね。あえて"区別的"な見方をすると、頭がいいとされているのがユダヤ人でもありますので。

この回答への補足

お礼欄に勘違いがあったので、訂正します。

原語のセリフ、で、エリスがイーニド(バーチ)に「あんたらユダヤ人は・・」と言ってますから、
バーチを「ユダヤ人」、ヨハンソンを「お友達のアーリア」、と言ってるんですね。

バーチをアーリアと呼ぶほどの皮肉ではない、ですね。

でも、やはり「アーリア」を「白人」と訳すのは、ちょっと範囲を広げ過ぎ、ちょっとムチャ、って気がやっぱりします。
まあ、「アーリアでは日本では意味がわからない人が多いから」、というのも字幕屋の理屈としては理解できますが、引っかかってしまった私としては、やはり微妙です。

でも、ともかく、答えがでました。ありがとうございます。

補足日時:2014/12/17 11:54
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この回答へのお礼

はい、そのシーンです。
原語のURLをさがしてくださってありがとうございます。

実は、質問をした後で、もしかして訳者は「アーリア」を「白人」と訳したのではないか?と思いました。
日本人には「アーリア人」では解らないので、「白人」と解りやすい字幕にした。
だとしたら乱暴すぎる訳だな、と。

>これを字幕で「白人」と訳しているのだとしたら天才的です。

というとらえ方もあるのですね。
でも、回答者さんの解釈を読んで、なるほど、と納得できました。
たしかに、映画の主題とは関係のないこんな小さなセリフが、ノドに刺さった魚のホネのように、気になってしまいましたから。

「ユダヤ人」という言い方自体が必ずしも差別的呼称ではなく、彼ら自身非常に誇りを持っていることは知っています。それでよけいに「白人とユダヤ人」というセリフの意味がよく分からなくなりました。
”Jewish jokes”なるものがあるわけですね。

ちなみに、私は、ヨハンソンとバーチ、どちらが「アーリア人」役で、どちらが「ユダヤ人」役なのか未だに解りません。

調べてみたら、2人ともヨーロッパ系ユダヤ人でした。
バーチはドイツ系ユダヤ人なので、バーチが「アーリア人」なのでしょうね。
としたら、さらに手のこんだジョークですね、このセリフは。
もしかして監督のテリー・ツワイゴフ(Terry Zwigoffもユダヤ人だったりするのかもしれませんね。

そしたら、私はもう、「あなた達仲間内で楽しんでるのね」としか言いようがありません。

こういうのは、「外国人」でしかも「東洋人」である私が洋画を見てもイマイチ、表面しか解らない、深いところまでは理解できない、楽しめていない、ということですよね。

「ノドに刺さった魚のホネ」を解決してくださってありがとうございます。

お礼日時:2014/12/17 10:11

ユダヤ人とは、日本でいうとアイヌやエミシ、クマソみたいなものです。


もうすでに民族としての身体的都区長は失われています。
人種的にも混血が進み、アーリア人もいれば、アラブ人もいます。

日本に居て、中国人や韓国人との区別はどうして行っていますか?

多くは習慣だと思います。

・水の飲み方
・手の洗い方
・挨拶
・言語

こういったことで判明します。
けして肌の色ではありません。

日本人の特徴として
・水の飲み方
片手でコップを持って飲みます。 韓国人は両手で持ちます。
・手の洗い方
流水で洗います。 外国人はためた水で洗います。
・挨拶
おじぎします。 外国人はおじぎしません。
・言語
世界のどの言語とも違います。

なので、ユダヤ人をよく知っている人はユダヤ人の都区長を知っているのでしょう。
ただそれだけの話なのでは?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

韓国、中国の人が学校や職場で一緒だったことがありますが、外見や習慣の細かい違いに気づいたことはありません。
インドネシアあたりだと肌の色とか雰囲気の違いがありますが、日本中国韓国モンゴルは、言われない限り、私は見分けがつきません。

同様に、アメリカ、フランス、イギリス、ドイツも解りません。ユダヤもわかりません。でも、映画の中では、「顔でユダヤ人的特徴が」といった表現があるので、「解るのかあ」と思うのです。
ヒトラーも自分の顔がユダヤ人に似ていたため、逆に激しく憎んだ、という説もありますし。

でも、東洋人である私には、西洋人はみな同じに見えます。

お礼が遅くなり申し訳ありません。

お礼日時:2014/12/27 17:49

こんにちは。



>女性2人連れに友達が「2人で何してるの?それも白人とユダヤ人で」といったニュアンスで問いかけるシーンがありました。

書き込むべきかそうでないかを、ずっと考えていました。そして、トラブルを予想して、詳しい話は書くことは辞めました。

このワンシーンで、際立って「差別」に結びつけるほどの問題とは思わないし、それをやれ「差別だ」と囃し立てるものがあるのか疑問です。欧米人に潜む差別的感情は別として、ユダヤ人として特に隠すべきものはないはずです。その英語のワン・シーンが、人を傷つけるものかとは思わないのです。そして、もちろん、ユダヤ系の人独特の顔つきはなんとなく分かることもありますから、そういう違いは否定はしません。

ただ、私は、どこの国でも「差別感情」はあるもので、欧米では表立っては口にしないだけだと思います。このカテゴリでは、日本の中での問題を持ち出すのは、棚上げしてもよいのではないでしょうか。被差別のマイノリティの問題は、それぞれが歴史的な問題、構造的問題がありますから、多少でも知識があれば、安易には、日本に同様の問題があるなどとは言えないはずです。

少なくとも日本では、「差別」と「被差別」を単純に「強者」「弱者」とにカテゴライズできることだとは思いません。建前論では済まないから、それだけに問題は根深いのです。近年、日本に潜む差別問題は、「社会的弱者」に貶められた者が、「より弱い立場の人たち」に向けられているのだとしか言いようがありません。しかし、それと、被差別側の持つ本質的な問題とはまったく違った種類のものです。何もかも一緒くたに「差別」としてひとくくりにするのは良くないことです。一般の人たちは、被差別について、知らないことは悪とは申しませんが、一旦、その世界に踏み込めば、知らないことは罪なのです。こうした問題は、その現実や実態を知らないままに、安易に出す話ではないのだと言いたいのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

映画では、悪態というか冷やかし、レベルだろうと思われます。
「アーリア」という英語のセリフが、日本語字幕では「白人」となっていたため、とても差別的なニュアンスになってしまったと思います。もちろん、「アーリア」でも差別を踏まえての表現ですが。

そして「アーリアとユダヤ」を、現在の日本の在日とかという話を同列に論じることはできないし、するつもりもありません。
そもそも差別問題を提起するつもりで質問したのでもありません。しかしそういう誤解を生じたことは事実ですし、残念に思っています。

お礼が遅くなって申し訳ありません。

お礼日時:2014/12/27 17:34

補足やほかの方々のご意見をお読みして・・。



いまここに、なにかかこうとおもえば、最初のころの印象を思い出します。

日本にいると、黄色人種というのはまつたく意識しません。 みなおなじで昔のわたしは、日本人は白人と同じだと考えていました。

ところが、欧米にいくと、極度に「アジア人」だということを意識します。 ですから、わたしは日本国内でも、なぜこんなにも在日朝鮮人が差別されるのか、いまごろになり不思議でしようがありません。 たぶんそういう日本人の方々は、自身が「黄色人種」ということがわからないのかもしれません。

わたしは書いたように西洋人と結婚していますが、それでも、妻の家族と一緒にいるだけで人種を意識します。 それと同時に、日本文化をしょっていると意識して、つい、日本文化の素晴らしさを力説したりもしますが、どうしても、わたしがイギリスでなれないのが「レディーファースト」です。

これは、彼らは徹底していて、自然とそういうことができるように幼いころから教育されていることをつくづく感じます。 エレベータでおりようが、レストランに入ろうが、エスカレータに乗ろうが、彼らは徹底してレディーファーストをやります。 厳密には優先順位は、女性・年齢などにより、優先順位がきまるので女性そのものが優遇された作法ではないです。

ところが、イギリスという国は、妻によると第二次世界大戦後に女性の人権が認められ、それ以前は女は、人権などなにもないに等しかった。つまり、この点は日本と同じなんですね。 わたしはイギリスしかしりませんが、それでも、女王がいる英国に、そのような男尊女卑が比較的近世まであるのをしり驚きました。

また、まったく文化背景は異なりますが、よく航空機で12時間も離れた国が、なぜ、こんなに日本ににているのかと思うぐらい、昔の日本を懐かしく思います。 日本では、大昔に捨てたことを、イギリス人はみなさん(若い人も含めて)大切に独自文化を保っている。

とりとめもなく締めさせていただきますが、日本人はアジア人です。 アジアは、国こそちがえ、風習がよく似ています。 まだ妻と知り合うまえに、東南アジアで、ドイツ人と過ごしたのちに、現地の人たちと過ごして、とても心が和み「ああ、やりは自分はアジア人だな。肩がこらない。ここにいると時間も時計もないし、こころが和む」と思ったものです。国名はかきませんが、その東南アジアの某国は、田舎にいくと、貨幣すら流通していないのてす。 自国で貨幣が製造できず、輸入しているために、通貨が不足して田舎まで行き届いていなく、田舎では物々交換が普通だとのことでした。 鶏が走り回るなかで、大昔のかまどのようなもので煮炊きしていて、食あたりはしないだろうかと、食事を出されたときは、彼らが外国人のわたしを精一杯もてなしているのがわかるので、食あたりが危険なのは承知で、頂いた食事を思い出します。
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この回答へのお礼

再度の回答をありがとうございます。

いろいろな文化に触れるご経験をお持ちなのですね。
それだけに、異文化について言及することの難しさ、デリケートさもご存じなのですね。


自分の質問文を読み返してみて、「白人」という日本語字幕への疑問だったのですが、質問文には「字幕」を問題視している、ということはっきりと書いていなかったことに気づきました。

たとえば「日本人と黄色人種で」という字幕を見たら「?」と感じると思います。
単純な疑問符「?」どまりで、それが「差別を内包する表現」であることに気づいていませんでした。それに気づいていれば、質問する必要もなかったのです。

質問後、いくつかの回答を読みながら、「差別に由来する表現だということはちょっと考えればわかるじゃない。なんで気づかなかったの?」と気づかなった自分にちょっとがっかりしました。

もっとも、では、どのような書き方で質問すればよかったのか?は今もよく分かりません。

原語アーリアを聞き取れなかったので、原語もホワイトであることに疑念を持ちませんでした。
「ゲルマンかアーリアを「白人」と訳したのでは?」と思ったのは、質問後、半日くらいたってからでした。

「白人」というあまりに大きなくくり方と対比してあったため、逆に「差別」に思い足らなかったのです。「アーリア」という原語のままの日本語訳ならば、単純明快に「差別を絡めた悪態」であることがわかったのですが。ご容赦ください。

洋画が好きなのですが、ユダヤ人差別の問題、ナチの問題、宗教の問題は、西洋の文化と精神に深く根ざしていて、それは時に複雑なキズにもなっているのだ、そこから生じる複雑な心理は、異文化育ちの私には、とうてい思い及ばないところがある、と洋画を見ながら感じます。

ちょっとした言葉、ちょっとした表情、趣味、食べ物、住居などで、「同じ文化・歴史をもつ人なら解る」という表現もとても多いと感じます。特にポーランド映画などは、日本人の私がみると読み取れない部分がたくさんあります。

映画がお好きかどうかは解りませんが、イギリス映画で、「あるスキャンダルの覚書(Notes on a Scandal)」という映画、イギリスの「文化」を知ることでより感慨が深くなりました。

2人の高校教師が主人公ですが、初見では、ストーリーの面白さしか解りませんでした。
でもイギリス文化、階層などについて少し調べてから見ると、「住んでいる住居から解ること」、「なぜ彼女は「シェリー酒」と言ったのか?」、主演のジュディ・デンチの「微妙な表情」などに多くの非言語メッセージがあることが解り、とても興味深い映画となりました。

何度も回答をいただき、ほんとにありがとうございます。
私の表現に至らない点はありましたが、気持ちを理解していただけれ嬉しいです。

お礼日時:2014/12/20 10:14

#5にいただいたレスポンスを拝見しました。



>そしたら、私はもう、「あなた達仲間内で楽しんでるのね」としか言いようがありません。

おお! 深いですね!

実は、データベースにある、このあとのセリフからしても、ジョンはバーチの役を「ユダヤ人」、ヨハンソンを「アーリア人」と呼んだということがわかります。バーチのダサくて淡々としたイメージも、ものを知らない人のユダヤ人に対するステレオタイプを表していますしね。でも、ご指摘の通り、ちょっとカルトな感じのこの映画を観るほどの映画ファンは、ヨハンソンもユダヤ系だ(もしくは、そうあり得る)とわかるはずですから、余計に笑えるのでしょうね。

ちなみに、私はロサンゼルスで暮らしていたので、あまりユダヤ人には詳しくないのですが、映画やドラマにたびたびネタとして登場するので、自然とそういう文化がわかってきてしまいました。映画界におけるユダヤ人文化の代表株はウディ・アレンです。いろいろと観ていくと、人種のるつぼであるアメリカが抱える悩みについて、笑いとペーソスで考えさせていて面白いですよ。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

ご紹介くださったサイトはとても面白く、他の映画も検索して楽しんでいます。ありがとうございます。

ウディ・アレンが「皮肉屋」と評され、ファンからは熱狂的ともいえる支持を得ているのは、そういういわけですね。これまでの作品はあまり観ていないのですが、「ブルー・ジャスミン」と「ジゴロ・イン・ニューヨーク」を観ました。とても面白かったです。

「ブルー」はケイト・ブランシェットが好きなので特に興味深かったです。
でも、皮肉とかはあまり感じませんでした。この「気づかなさ」が私が異文化人であるがゆえ、なのでしょうね。
その国の文化をもっと知れば、もっと楽しめたり、感じることが多くなるでしょうね。ちょっと残念です。

それでも、文化の差を超えて十分楽しめました。それが映画のよさかな、などと思います。

再度の回答をありがとうございます。いろいろと参考になりました。

お礼日時:2014/12/20 09:11

いろんな回答がありますが、アメリカに住んでいた実際の感覚をお話しします。



まず、欧米人は日本人に比べてこういう差別をものすごく嫌います。特に知識階級と呼ばれる白人たちは、非常に嫌います。ですから、現地に行ったら注意が必要です。

しかし、同時にこれは白人の中に「根強い差別感情がある」ということの裏返しでもあります。下の回答者様の英国人の奥様が、過剰に反応してるのは、このことを裏付けています(少なくとも、差別を受ける側の有色人種はそのように感じるでしょう)

なぜわたしが「過剰」と書くかというと、ここが日本だからです。日本は欧米とは違ってそもそも有色人種の国です。その我々が日本語で文化的なテーマで話をしているのに、わざわざ欧米の価値基準で反応する必要はない、わけです。

ここはロンドンでもニューヨークでもありません。この話題が、現地で日本人社会を超えて、英語で会話されたのなら、必ず「そんな話はしてはいけない」と諌める人がいるでしょうが、ここは日本であり、日本語でなされている話なのです。
それを「日本人は差別的である」と認識するほうが、欧米の差別意識が垣間見えているといえるのかもしれません。


>アメリカ人同士の間では、白人とユダヤ人を、なにか区別して(差別ではなく)とらえるのでしょうか?
端的に言えば、ユダヤ人は白人ではないのでしょうか?

アメリカという国は、そもそも「移民同士仲良くやろうぜ、どんな宗教だって、どんな価値観だっていいじゃないか」という理想を掲げているくにです。これを一言でいうと「フリーダム」です。

しかし、実際はご存知の通り、様々な差別があります。ユダヤ人も差別されていますし、黒人は言わずもがな、黄色人種も国ごとに差別されています。実際に欧州でも、白人だって国ごとに差別がありますね(ポーリッシュは馬鹿、ドイツ人は厳格=変態とかね)

もともと人間というのはどうしようもない動物で、小さな違いを見つけては差別・区別するものです。人種差別じゃなくても、フリーク:Freakであるだけで差別的ないじめにあったりします。(シックスセンスで主人公が教師に「フリーク」と言われますね。あれもアメリカではFワードのひとつです)
最近は日本ファンもウイアブー:WEEABOOと侮辱されることもあるようです。

いずれにしても「自分が受け入れられない価値観」を持っている人を揶揄し、差別するのはどこの国でも同じであるわけで、ただ、人種問題が政治問題や治安問題になりかねないアメリカではエリートほど口を閉じている(閉じているだけで、どう思っているかは別)ということです。

したがって、コメディなどでは当然ながら「差別」は笑いの対象になります。
アメリカで一般的なスタンドアップコメディーなどでは、人種の違いや民族の風習を自虐的に笑いの種にすることが多いですし、一歩間違えれば差別になるきわどいところで笑いをとるのが一般的です。このようなことでガス抜きを行うとともに、幅広い人種・民族のそれぞれの違いを笑いに変えることでギスギスした雰囲気をなくそう、という努力でもあるわけです。

アメリカのコメディ映画というのはこういう下地があって人種差別的なネタをあつかっているわけです。

ですのでこの映画を見てはいませんが、コメディ映画であればクスッと笑える小ネタ程度、ということでしょう。意味は
・仲良くないはずの民族同士が仲良くしている、という皮肉(ユダヤとアーリアという対比もあり)
・本質が違うふたりが、この先も仲良くいられるの?という皮肉(たぶん、別々の道を歩むのではないですか)
・こういうこといっちゃう、なんにも考えてない白人男ってデリカシー無くて馬鹿だよね、という皮肉
です。

こういうのは無数にあって、差別とお笑いの許されるぎりぎりで作っているわけです。だから、面白いともいえますね。


日本人も最近はハリウッドの中でもだいぶイジラれるようになってきたかな?(個人的には古いですがクロコダイルダンディ2の「クリント・イーストウッド!」が好きです)
おかしな話ですが、コメディでイジラれるようになれば民族的にアメリカではメジャーになったんだといえます。
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この回答へのお礼

私の質問で紛糾したことを、フォローしてくださってありがとうございます。

映画の中のセリフの意味については、回答してくださった、「3つの皮肉」が、その通りだろうと思います。
原語の「アーリア」が字幕では「白人」となっていたため、私にはわけが分からなくなりました。

>差別とお笑いの許されるぎりぎりで作っている

こういう微妙なところが、映画の一番の面白味の一つでもあるわけですが、異文化圏で生きている私にはイマイチ解らなかったり、面白さに気づかなかったりです。
「洋画好きってなんなのかなあ・・」と自分でちょっと悩んだりします。

>シックスセンスで主人公が教師に「フリーク」と言われますね。

これも、差別とは気付きませんでした、冷たい言い方だな、とは思いましたが。
「○○にハマってる」という程度の意味で「○○フリーク」と自分で使ったりします。アメリカの人が聞くと「自虐ネタ」と思われてしまうのですね。英語、難しいです。

いろいろと回答くださってありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2014/12/20 08:56

no7です。



質問者様に「知らないから」と反論されそうな気もするので、補足を書きます。

第二次世界大戦において、ヒットラーが何をしたかは、あまりに著名で常識的なことです。「アンネの日記」がありますが、その書籍も常識的に著名で、日本語版も簡単にどこにでもあります。

そういう教育を日本ではまったくしていないのかと、妻の家族が驚いたのが実情だったとおもいます。 

もうすこしわかりやすいことを身近な「日本社会の問題」としてあげると、地区というのものがあります。これは、現在も根強く残っています。 口にすることがタブーになっているぐらい言えないことです。

「日本人」と「民」の違いがわかりません。 質問者様はこのような質問をしているのと同意になります。
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この回答へのお礼

回答者様にとって、私の質問が大変に不快なものであったようですので、其の点について申し訳なく思っています。

ユダヤ人差別についての常識的な知識は持っています。

私がこの質問をしたのは、アメリカ映画の字幕の意味を理解することができず、それは、私がその言葉の文化的背景を知らないからだろうと思ったからです。
映画のセリフの原語が不明なので、「白人とユダヤ人」という表現が適切なのかも含めて疑問に思いました。
(この点に関しては、No.5の回答者様が詳しく説明してくださいました)

映画の中では、仲間同士の会話で特に差別的な雰囲気ではありません。
私には、まず2人の少女のうちどっちがユダヤ人なのかさえ見分けがつきませんし、このセリフがどういう意味なのかよく解りませんでした。
それでここに質問をしました。

「ユダヤ人は白人ではないのか?」という表現が質問者様の奥様を傷つけたのであれば、お詫びしたします。

しかし、私が質問したのは、「友達同士でそういうセリフを使かうのは、どういう意味?」ということです。
それが、差別を助長する発言、であったならば、申し訳なく思います。


しかし、今回の質問とは関係ありませんが、
例にあげられた、「日本人と民」のことについて言えば、
その違いをしらないアメリカ人が、「日本人と民ってちがうの?」と質問するのは、やむを得ないと思いますし、差別(同和問題)について語ることがタブーであるとは思いません。
むしろ、それについて語らなければ不当な差別は解消しないと思っています。

お礼日時:2014/12/17 09:32

わたしは、英国人と結婚していますが、質問者様の内容を、妻が驚いて、「ひどい人種差別」と、実家に電話して数人の家族に話していました。



内容があまりに差別的なので、「そんなものに回答する必要はない」と昨晩いうのですが、ここに数人回答されていたのでかかせていただきます。

実家の家族は、そばできいていても、とても返事ができないというのが正直な感想だったようです。 それくらい強い差別的内容と理解されてほうがよいです。

質問者様にはわからないかもしれませんが、西洋では差別的発現に対してはたいへん厳しいものがあります。それは、我々以上に、彼らは過去の時点において、非常に非人道的なことを様々な国の人たちにやった「暗い過去」があるからです。

それは、東南アジアに行かれるとわかりますが、当時の欧州人は徹底した植民地主義をやりました。それで街並みそのものが欧州と丸写しになっているところも珍しくありません。 それは徹底した植民地主義によるものです。 日本も過去の時点において、中国や韓国などを例にあげても、そうとうひどいことをしましたが、西洋人がやったのは、なぜ、米国に限らず、欧州にも祖先がアフリカ大陸出身者がかなりいることからわかると思います。

日本では過去における日本の非人道的なことに対して、痛烈な反省とともに教育が西洋ほど行われていません。 それで、現実、日本にいる外国人は、西洋からきた人ですら、酷い差別を感じるようです。
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この回答へのお礼

大変不快なお気持ちになられたとのこと、申し訳ございません。

詳細は、#8のご回答へのお礼欄に書きましたので、お読みいただきたいと思います。

ユダヤ人差別やナチの問題については、歴史、映画などで知っております。

私の表現が、奥様やその周囲の方々のお気持ちを傷つけたことを、深くお詫びいたします。

しかしながら、差別を助長する意図で、この質問をしたのではないことはご理解いただきたく思います。
「無知は何物をも弁解しない」とおっしゃるのであれば、今後、表現の仕方について十分注意を払うよう努力いたします。

言葉の用い方、タイトルのつけ方に配慮が足りなかったことは、今、深く感じております。
申し訳ありません。

お礼日時:2014/12/17 11:06

アメリカ人同士の間では、白人とユダヤ人を、なにか区別して(差別ではなく)とらえるのでしょうか?端的に言えば、ユダヤ人は白人ではないのでしょうか?



 と言うご質問で「白人」の言語が何かを#5さんが調べてくださいました。

 The little Jewish girl and her Aryan friend.

 というのはナチが最高の人種とした「アーリア人」(死語)と、ナチが抹殺しようとした「ユダヤ人」を対比させ、歴史上の出来事を踏まえたジョークで、人種の話題ではありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「アーリア人とユダヤ人で」というセリフならば、ナチのユダヤ人差別を踏まえた表現として、すんなりと理解できたのですが、「白人」という字幕に引っかかてしまいました。

「白人」となぜ訳したのか、については、#5の回答者様の解釈が秀逸だと思います。
ありがとうございます。

お礼日時:2014/12/17 10:52

この質問をよんで「うわ、なんだこの人種差別的な発言」とびっくりしたので、ざっくりとですがこの映画についてググってコメディー映画としったので、それなら軽い冗談での発言なのねとホッしました。



ご質問に対する答えですが、白人とひとくくりにした場合、アジア人とひとくくりにした時と同じように、同じカテゴリーの人が一緒くたですよね。白人といってもアングロサクソン系、ゲルマン系などいろいろな民族の人達がいるので、ぱっと見た感じでどの系統の白人か、よく知らない人にはピンとこないですよね。アジア系も日本人なのか、中国人なのかといったことはパッと見た感じでは分からないのと同じです。そういうことから映画に登場する女の子達が、見かけから普通の白人にしかみえないと思われるのはその通りなのです。細かい人種までパッと見では分からないですからね。肌の色という面でいうと肌の白いユダヤ人は白人という分類にはいります。

ユダヤ人という定義は細かいことを言いだすときりがないので、ざっくりといえばユダヤ教を信仰している人達をさす言葉です。要するにクリスチャンや仏教徒のように宗教を信仰する人達をさすということです。ただユダヤ人の人達はこれまでいろいろな歴史をへて、ユダヤ人といえばユダヤ教を信仰している人達以上の意味を含む、人種のひとつのような扱い方をされているという面があります。

どのような場面で「2人で何してるの?それも白人とユダヤ人で」というのを使ったのかは分かりませんが、クリスチャンではなかろうかと思われるもう一人の白人の女の子と、ユダヤ人の女の子が、どちらかの宗教で祝うような行事の日に、二人でつるんでいたので声をかけられたという感じではないかと推測します。宗教が違うと祝う行事も当然かわってきます。たとえばクリスチャンはクリスマスを祝いますが、ユダヤ人はクリスマスを祝ったりしません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>それなら軽い冗談での発言なのねとホッしました。

はい、どうやらそのようですが、この質問はとんでもなく「地雷」だったようで、お騒がせして申し訳ないです。

シーンとしては、高校を卒業し、まだ行先未定な悪ガキたちの減らず口の叩き合い、ですが、「軽い冗談」よりももっと、手の込んだジョークなのかもしれません。

#5の回答者様が詳細に説明してくださったので、お礼欄に現時点の私の理解を書きました。よろしければご覧ください。

お礼日時:2014/12/17 10:48

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