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先の戦争で亡くなった方は日本人で330万人と聞いております。なんと言う惨状でしょうか?今更なにも始まりませんが、避けられたのでしょうか? 回避はできたとしても理不尽な要求を呑んで日本人としてのプライドも無くなっていたのでしょうか?歴史に”もし”は禁句ですが、色々想像しています。

A 回答 (15件中1~10件)

>>今更なにも始まりませんが、避けられたのでしょうか?



日本が、それまでに得た海外権益を全て放棄すれば、先の戦争は無かったでしょうね。
ただし、それは、明治維新や、日清・日露・第一次大戦の成果を全て放棄することでした。
また、ABCD包囲網に屈っして戦ってなければ、世界は人種差別&植民地支配の時代が続いていたはずです。

まあ、私としては、大東亜戦争は、避けることができなかったし、人類史からみても、世界的にみても価値ある尊い戦いだったと思っています。
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米国が日本を罠に嵌めてドイツに参戦したかったのですから、外交手段での回避は難しかったと思います。

日米が反目するようになった原因はもっと前に原因があったのです。
それは日露戦争の停戦仲介を米国に頼んだのです。日本は戦費不足で戦争継続が出来なかったのです。仲介の報酬としてアメリカは遼東半島の日米共同経営を持ちかけ日本は了解していたのです。日本には植民地経営するお金がないと読んでいたからです。
停戦が終ると日本は約束した共同経営を拒否したのです。日本は満州を手に入れたかったのです。その後、米国は英国に働きかけて日英同盟も破棄させました。日米で共同経営していたら、日中戦争にもならず日米開戦はなかったでしょう。
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シニア男性です。



当時、日米戦を望んだ国は多数ありました。
まず中国。蒋介石は米国の参戦を望んでいました。
ソ連。シベリアを固め対ドイツ戦線一本に絞ることを
 望んだ。つまり日本の南進、米国との戦争を望んでいた。
(二正面作戦は第一次世界大戦でドイツが強いられ敗戦した
 ため、どこの国も避けた。)
米国。日独伊三国同盟の日本と戦争を開始することにより
 欧州戦線への参戦を望んだ。
 このため日本に輸出していた石油を禁止し、更には日本が
 拒否するであろう「中国からの撤兵」を要求した。
また英、蘭。
(更にはドイツ。
 米国の参戦を予想していたドイツは、日米戦により米国が
 二正面作戦になることを歓迎した。
 なおドイツは東→西→東、そして西と、時間差で東西に
 あたろうとしていた(が、東のソ連で泥沼に嵌った)。)

このようにして日本は中国に加え米国との戦争、二正面作戦に
突入したのでした。
(日露戦争後、日本は仮想敵国を露米としていた。)

なお第二次世界大戦の戦死者数は調べられたらよいと思います。
(ユダヤ人600万人のほか西のソ連、東の中国の突出した数字が 
 言われています。)
 
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イラク戦争を見て下さい。



米国がどうしても戦争したい、となれば
日本に避ける道はありません。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」
また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。

では、日本が米国に屈してハルノートを受け入れれば、戦争を避けられた
でしょうか。

私はそうは思いません。イラク戦争を見て下さい。
ありもしない大量破壊兵器を口実に戦争を始めたのは
米国です。
その後、英国BBCは、911以前から米国はイラク、
アフガン戦争を計画していたことを暴露しました。

米国は何か罠を仕掛けて、戦争に持って行ったと思います。

1898年 2/15 ハバナ湾で、米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しました。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり、あの米西戦争が始まっています。
後になって米国政府は、事故だと発表していますが
陰謀ではないか、という説が強いです。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。
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アメリカにとって日本と戦争しないメリットはなんですか?


日本を52番目の州としてアメリカに差し出すんですか?

アメリカが日本と戦うことにメリットを見出した以上、それ以上の利益提供ができないようでは戦争回避の道はありませんよ。
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開戦までに外交でそのような状況になっていったというべきと私は解釈してます。



中国、アメリカなどの外交プレイヤーがいて、だんだん開戦せざるをえなくなっていった気がします。


暗黙知という言葉は、ライブドア事件などビジネスの話が全盛の時代を通過した現在なら普通の言葉ですね。当時も現在よりかなり情報が少ないとはいえ、陸軍などでもよぎってたのではとも思います。暗黙知という言葉が当時はなかったかどうかわかりませんが、よぎっても具体化されなかったのでは。

回避できないことは全くなかったというわけではないですけど、かなり狭い可能性だったと思います。

どちらかいえば、トップダウンで機敏な外交を展開してこそできたはずで、官僚層が部分最適的に実務をこなしていては後手にまわったのかもしれないような気もします。
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出来たでしょう



逆に当時の政治が今のように腑抜け政府だったら戦争は回避できたはず
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最も短期的な目で見れば、日独伊三国同盟が成立した時点で「詰んで」いたと思います。

それはあくまで歴史の後知恵にすぎませんけどね。ドイツといつか戦争をしなければならないと思っていたアメリカと、そのドイツと手を組んでしまった時点で虎の尾を踏んだといっていいでしょう。

では、ドイツと手を組まない方法はあったか?
実はナチスドイツは日本と戦争をしていた蒋介石を支援していて、そういう点では反日的でしたし、あのヒトラーも人種差別主義者なわけですからアジア人は劣等民族だと見下していたし、ヒトラー自身が日独伊が防共協定を結ぼうというときも「なんでアジアのチビと組まなきゃいけないのか」と反対していたそうですよ。
しかし、戦前の日本には「ソビエト連邦」という巨大な敵が存在しました。日独伊が手を組んだのは、実のところ「ソ連対策」であり、それは当時の日本にとっては喫緊の課題でした。「ソ連の脅威」というのは、今の尖閣諸島を巡る中国軍の脅威よりはるかに強烈だったのです。
ロシア帝国が崩壊し、内戦の中で生まれたソビエト連邦は、最初はとるに足らないウドの大木でした。ところがあの五か年計画をきっかけに、重工業国家として大成長していくのですね。
五か年計画が始まる前、1928年のソ連の鉄の生産高は330万トンでした。一方の日本の生産高は109万トンです。これが1932年にソ連は620万トンと倍増させるのですが、一方の日本の生産高は101万トンとむしろ減少してしまいます。これはあの世界恐慌の影響です。
工業力をつけたソ連は、トラクターなどを使った大規模農業もおこなって農業生産力もつけていきます。つまり、どんどん豊かになっていったのです。そしてその工業力の恩恵を直接受けるのはなんといっても陸軍です。ソ連陸軍は急速に近代化し、かつ数も増えて強力になっていったのです。トハチェフスキー将軍が、という話をすると長くなってしまうので割愛しますが、実は戦前のソ連陸軍はあのスターリンが粛清するまでは世界最強の陸軍国といって差し支えないレベルだったのです。あのドイツ陸軍の将校がソ連にお勉強に行ってた、というとご理解頂けるでしょうか。
このソ連の脅威を満州国国境で受け止めなければならかったのです。「とても日本一国では敵わない」と考えるのが常識的ですし、かつて日露戦争で日本は満州をロシアから奪ったわけですから、ソ連が「捲土重来」をするだろうと考えるのも常識でしょう。

また日本は日中戦争というのにも巻き込まれていました。ハルノートがどうこうとか、自分で書いておいてソ連の脅威がどうこうといったところで、直接的には日中戦争をやっていた以上は第二次世界大戦に巻き込まれないということが不可能であったと思います。
当時の中国は、今の中国の腐敗や不正が可愛く見えてしまうほど無秩序で無茶苦茶な状態でした。馬賊と呼ばれるゲリラが跋扈し、豪族みたいな連中がその馬賊を従えて私利私欲に突っ走っていたのです。当時の中国には租界と呼ばれる外国人居住区域があったのですが、それは中国人からすると「我が国にある外国の植民地」ですから、しばしば馬賊の襲撃を受けて欧米人も虐殺されたりしたのです。そのとき、彼らの最も身近にいる「話の通じる文明国の軍隊」というと日本軍であり、在留邦人保護というのもありましたから、日本軍はそれらの地域に治安維持のために出動するわけで、組織の統制のとれていない馬賊と違って日本軍は(まだ当時は)略奪などもしませんでしたから、中国租界の欧米人からは日本軍は大歓迎されてたのです。
当然そうなれば馬賊との戦闘も起きますし、そんなこんなでズルズルと泥沼の日中戦争に巻き込まれていったのです。
この日中戦争を政治で回避するのは非常に難しい。なにしろ、中国側の代表である蒋介石軍はとんでもなく腐敗した組織だったからです。後に第二次世界大戦になったとき、アメリカは蒋介石軍にも支援を行いますが、なんとアメリカが送った支援物資は途中であちこちから横領されて、前線に届く頃には1/10くらいまで量が減ったそうです。さらに訳のわからないことには、横領された物資はどういうわけか蒋介石軍の敵であるはずの赤軍(毛沢東軍)に売られることもあったとか。さすが中国人、根っからの商売人だなあ。いうとる場合か。

さて、先ほど日本の鉄の生産高が減ったことを書きましたが、その原因はあの世界恐慌です。戦前の日本は軽工業国家でした。現代日本の自動車に匹敵する主な産業は繊維業で、インドなどから生糸を輸入し、それを加工してイギリスなどに売っていたわけです。ところが、世界恐慌で欧米の輸出先がぜんぶなくなってしまった。それこそ国家存亡の危機だったのです。
それで日本はそれまでの課題でもあった重工業へのシフトを行おうとするわけですが、しかし当時の日本人の生活水準はまだ貧しくて、自動車なんかを買う経済力がない。イタリアだって自家用車があったんだから、戦前はイタリアのほうが豊かだったんです。また、小規模農家が多いし、地域あたりの面積も狭いのでトラクターなどの機械器具を使った大規模農業(コスト削減と生産量増加のダブルメリットがある)もできない。できる場所は唯一満州国だけです。そう、だから余計に満州国も手放せないのです。日本は戦前からすでに食糧輸入国なんですよ。植民地がないと国民が食えないのです。
だからそのために軍事力を強化したのです。軍艦は鋼鉄の塊ですし、戦車や大砲も重工業の賜物です。そう、恐慌後の軍需産業とは、「公共事業」に他ならなかったのです。国が失った需要を軍事という公共事業で下支えしていたのです。これは実はある程度成功し、日本は工業生産高を増やしていきます。特に鉄の生産高は30年代になって右肩上がりに増やしていきます。
その点から考えると、「世界恐慌が起きた」という時点で既に日本は第二次大戦に巻き込まれざるを得ない立場に置かされたといえるのではないでしょうか。それはもちろんドイツに関してもいえると思いますけどね。
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 ごく単純に。



 政治力で戦争を回避できた可能性はゼロではありませんが、そのための最低限の前提として朝鮮半島・満州から手をひくことが必須条件となったものと思われます。当時の日本は米の15%と大豆等の豆類の50%を両地域に依存していましたので、ここから安価に食糧を入手できない(経済的にも参っていましたし)ことは、深刻な食糧難を招いたことは想像に難くありません。
 戦争にはならなくても経済崩壊、餓死者続出で内乱になっていた可能性もあるんじゃないですかね。なんせ当時の日本人は血の気が多くて、政府を転覆させかねない騒乱事件なんか頻繁に起こっていましたし。
 下手すると300万人以上の犠牲者がでていたかも。
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プライドというより、前代未聞の大不況によって、1000万人の人が失業して路頭に迷うことになると想像されたのです。

当時の人口8000万人と言われています。そのうち労働人口を訳5000万くらいで考えれば、どれたけ悲惨なことになっていたでしょう。「経済封鎖はもはや戦争である」というのが現在の認識です。
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